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ギレイの旅

千夜ニイ

シエンの里

 拓に襟首をつかまれたまま、儀礼は目を伏せる。
 魔獣の棲みつく山奥で、世界の全てと色を違える人種が暮らしている。


「山々の端々より四本の煙が昇る。
 広く人の気配はない。
 元来た国に生きる道もない。
 今日よりここに住まおう四煙シエンの里よ」


 儀礼が、謡の様に紡いだ言葉の意味が分からず、拓は眉根を寄せた。


「おそらく、最も古いシエン文字で書かれた文章だ。いつ書かれたかなんてわからない。一つの言葉が忘れ去られる程の昔だ」


 顔を上げ、拓の目を見て、儀礼は声を大きくする。


「数千年、もしくは数万年かもしれない。火山の煙が四つも見える土地にシエンの祖先は住みついた。
 どこから来たかなんてわかるわけもない。どうせ、生きる場所を追われて来たんだろう。
 人口が五百人余り? それがどうした。
 あの狭い土地に六百人は入らない。飢饉や争いの元になる。窮屈に感じる若者は出て行くだろう。
 逆に五百を割れば閑散とする。故郷が寂れたと感じては、人は子を連れて帰ってくるんだ。重気さんのように」


 儀礼はシエンの村での出来事を思い返す。
 多くの村人が儀礼や子供達を見守って、育んでくれた。
 いつも畑で採れた物をくれる、成実のおばあさん。色々な事を教えてくれた儀礼の祖父、団居修一郎。仲間と過ごす時間を教えてくれた獅子倉の道場。
 そういう集まりを国と呼ぶのだと儀礼は思う。


「拓、あの小さな村に国がある。人が集まってできた国だ。国は人だよ、たとえ離れていたって、国を思う心はある」


 子供時代に、儀礼はシエンの資料を読み漁った。戦乱の時代を鮮やかに生き抜くシエンの戦士たち。その故郷に産まれた事を儀礼は歓喜した。
 自分と周りの者達との違いに気付くまでは。


 シエンは異質だ。ドルエドだけではない、世界全てに於いても同じ起源を持つ種族がいない。孤立した存在だ。
 シエンの中の儀礼のように。


「なぁ、拓。母さんはアルバドリスク人で、父さんはハーフだ。僕は、僕は何だ?
 シエンで生まれて、シエンで育って、でもずっと君は僕を裏切り者扱いする。
 金の髪と茶色の瞳だ。どこにもシエンらしさはない。
 僕は――っ、シエン人なのか?!」


 儀礼は怒鳴るようにして拓に問いかけていた。それから力なく、もう一度問いただす。


「僕のいばしょはどこだ?」


 面食らったように目を見開く拓。
 手からは力が抜け、掴んでいた儀礼の服を放した。
 金髪に茶色の目、母親にそっくりアルバドリスクの顔をして、獅子倉シエンの道場を儀礼は泣いて逃げ出した。


(こいつのどこにシエンの心があると、俺はそう思っていたのか?)


 拓は気付かなかった自分の心に驚いた。


「それを、探すために旅に出たのか?」


 落ち着いた声で拓は聞き返す。


「いや、いろんなもの見たくて」


 重い空気を覆す、儀礼の能天気な笑顔に拓の怒りが再燃する。


「あ、えっと、それもある」


 肌の焼ける感覚に慌てて儀礼は言い直す。
 はあ、と拓は深いため息を吐いた。


 村の誰よりも異彩を放つ儀礼を、次期領主として、その上に立たなければと追い続け、拓は手の届かないことに苛立っていた。それは、儀礼に対する苛立ちではない。自分への苛立ちだったのだと拓は気付いた。


 唖然とし、拓は怒りを飲み込んだ。儀礼はシエンの人間だ。拓の守るシエンの領民だった。追い抜けなくても、儀礼はシエンの中にいる。拓はその領主であっていいのだ。
 ストンと胸に落ちた答えに、拓は儀礼をいがむ意味を失った。


 そこにいるのは同じ村で生まれ育った友人だった。共にシエンを支えようとする同胞で、世界に名を轟かせた最高峰『Sランク』を冠する者。


「人間てどこから生まれたんだろうな」


 拓の口からはどうでもいいような疑問が溢れた。肩の力を抜けば、そこは居心地のいい場所だった。領民を背負う重責を分け合える存在。


「進化の過程じゃない?」


 拓が屋根に座れば、儀礼もつられたようにしゃがみこむ。


「そうじゃなくてだ。他の国の連中と、俺達は同じ様に生まれたのか、ってことだ」


「僕ら(シエン人)が宇宙人だとでも?」


 とんでもない説を出すなぁ、と儀礼は拓の言葉にくすりと笑う。


「バカにしやがって。じゃぁ、シエンの古代文字はどうだよ。はっきりとした字があるのに、その作られた過程がない。世界中、どこにもだ」


 深く眉間にしわを寄せて拓は言う。


 そうなのだ。
 シエンの文字には成り立ちや意味、音などが一字ずつについているが、それらがいつ頃できた物かまるでわからない。
 いきなり最初から、これが文字ですよ、と手本が現れたような感じだ。
 この世界のどの古代文字とも、現代文字とも共通点がない。


「現代にないのはさ、僕らの先祖が使わなくなったからだろ。
 生まれはきっと別の場所だったんだ。どっかに国があって、でも攻め滅ぼされて、今はその場所に何の痕跡もないんだ。
 でも、逃げ延びた人たちは文字を覚えててさ、シエンで新しい生活を始めたんだよ。
 みんな黒髪、黒瞳なのはその遺伝子が強いからだ。拓ちゃんの先祖にだってドルエド人がいるのに、そんなの欠片も残ってないだろ?
 みんなそうなんだ。混じっても、強く出るから、残ってる。
 僕らがドルエド人って呼んでる中にだって、かつては別の国だった所の人もいるわけだから」


 長い歴史の中で、多くの国が滅ぼされ、ドルエドという大国に吸収されていった。


「拓ちゃんの宇宙人説も面白いけどね」


 笑って、儀礼は立ち上がる。何かを吹っ切ったような、晴れやかな顔をしていた。
 儀礼が、シエン人を「僕ら」と呼んでも、拓は否定しなかった。
 拓が否定したのは、儀礼の弱さ。
 シエン以外に故郷を探そうとする、逃げ出す気持ち。


「死ぬような思いで必死に逃げて来てさ、人も動物も住めない様な、毎日灰の降り注ぐ場所で、どうして新しい生活を始めようなんて思えたんだろうね」


 今ではその火山灰が豊かな土を生み、山々からの恵みと、湧き出る水、温泉の湧く場所もある穏やかな村だが、かつては分け入ることすら困難な土地だった。


「綺麗だったんじゃないか? シエンなんて名を付ける場所だぞ。雄大な山の吐く白い煙が四本も空へ昇ってくんだろ。風に揺れてはうごめいて、吹いては揺れて、まるで生きているように」


 その景色に、美しいシエンの里を見ているように、目を細めて拓は言う。
 古い、遠い時代の四煙しえんに囲まれた美しいシエンの里を。
 その顔は、故郷を思う一国の王だ。


「僕、帰るよ。旅が終わったらね。で、次期領主様。その頃、団居に仕事はありますか?」


「山積みだ。シエンに知将がいなくて、どう動かす。むしろ今から手伝え」


戦争うごかされても困るんだけど」


 儀礼の言葉に、その意味を汲み取り、ふっと吹き出すように拓は笑った。


「いつの時代の話だ」


「直近で、ドルエド国王を救った六百年程前ですかね。玉城の――」


 儀礼はそこで言葉を切る。
 玉城の――その先に続く言葉は古代シエンではいつも、『王』。


「平和だな。だが、シエンは狙われてるぞ」


 座ったまま、見上げるように拓は吐露する。
 いつの時代でも、シエンの領を自分の領土にしようと、周辺領主や、それ以外からも執拗な攻撃がある。
 それは見た目には分からない、裏からの工作だったり、政治的なものであったりした。
 優秀な兵を持つことは、内を強くすることだ。
 シエンの領は小さくとも、周囲から見れば宝の集う場所だった。


 玉城の家はそれを代々守ってきた。
 他の領主に押し負けることなく、その采配を振り、ドルエドの王に仕え続けている。


「獅子倉がいます。二代に渡って、卓越した才に恵まれました。何より『蜃気楼』の力は団居のもの」


『Sランク』と呼ばれる者の異彩を放ち、儀礼は不敵に笑ってみせる。
 何者をも魅了する、天上の誉れ高い美しい微笑み。


「……お前がいるのが一番面倒な気がしてきた」


 拓は頭を抱える。


「拓ちゃんひどい」


 儀礼は不満げに頬を膨らませた。


 同じ『Sランク』でも『黒鬼』に手出ししようとする者は少ない。
 しかし、『蜃気楼』の知識は多くの者が欲する。
 また、『Sランク』を有する領や町にはそれなりの報告義務などが発生する。
 仕事の量が増大するのだ。


「最低でもユートラスの軍部とはケリを付けてから戻るようにするよ」


 困ったような苦い笑いを浮かべて、儀礼は呟く。


「人には動かすなっつって、何をする気だよ」


 頬を思い切り歪ませて、拓は物騒なことを言い出す友人を見る。


「いやいや、温和にね。話し合いで済めばなぁ、と思ってるよ」


 話し合いで済まないのが、ユートラスという国なのだ。


「僕の周りに手を出したらどうなるかを、理解してもらえればいいと思うんだ」


 儀礼は一つ頷く。


「作り話でもいいと思う」


 声に幼さを含ませて、にっこりと、いたずらな笑みを浮かべて儀礼は言った。
 一国を相手に、いたずら気分で謀りを図ると言う。
 その思考がもう『Sランク(危険人物)』なのだと、シエンの知将、団居の少年は理解しているだろうか。


 くっと拓は笑った。計り知れない頼もしさに、世界の中でちっぽけな故郷の、揺るぎない安泰を感じ取っていた。

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