ギレイの旅
拓の怒り
シエン領主の館で、地下にある転移陣が白く光る。その場に現れたのは武具を身に付けた手練れの武人。
それを拓は無心で切り払う。
転移直後はどうしたって隙ができる。その隙を逃せば拓の命はない。やられる前にやる。
拓の体を動かしているのはその命令だけだ。
血に濡れた武人の遺体を、床に開けた穴から地下水脈へと落とす。
(ああ、水が汚れる)
そう思っても死体を外に捨てに行くような暇はない。侵入者は次から次へとやってくる。
領主の館に転移陣があることは玉城の一族しか知らない。ここを守るのも玉城家の仕事だ。
『蜃気楼』と呼ばれる儀礼が管理局の新ルールを宣言した瞬間から、この地下室に現れる侵入者達が途切れることがない。
拓の心にあるのはシエン村を、この領地と民を守ることだった。
拓の父である領主は今、『蜃気楼』を手に入れようと圧力をかける多くの権力者との交渉に追われている。
山を通ってきた侵入者を防ぐために、獅子倉の重気が動いているはずだった。
シエンは小さな村だ。世界を敵に回せばあっという間に消えてなくなる。
このシエンは拓の誇りだ。玉城の一族であるという事が拓の自信だ。
いずれ領主として立つ事が拓の人生だ。今ここで終わりにするわけにはいかない。
「メッセージ一つでこの労働は割に合わないだろう、儀礼」
ギリと奥歯を噛み締め、拓は苛立ちを口にする。
反論する者全てを封じてしまえば、この襲撃は止むという。そのいつまでとも分からない時間を拓は切り抜けなければならない。
儀礼は拓に「殺すな」と言った。しかし拓は思う。それではシエンを守れない、と。
拓に『黒鬼』と呼ばれる重気程の強さがあれば可能だろう。けれど拓は非才だ。あくまでも領主として人の上に立つ程度の力しかない。
自分の身は守れても、悪意を持つ侵入者までは面倒を見切れない。慈悲をかける余裕などないのだ。
また光を放つ転移陣に拓は剣を構える。
一人殺す度に心が冷えていくようだった。
その度に拓はシエンの村の人々を思い浮かべる。拓の助けを必要とするシエンの領民達。
穏やかに笑い合って暮らして欲しい。そしてその微笑みの中心に拓は立つのだ。
何人を屠っただろうか。拓には分からない。
荒い息と耳の中で聞こえる心音。麻痺したように動かない思考で頭痛だけを感じる。
ラジオから流れていた受託の宣言が終わると同時に、転移陣からの侵入者も消えた。
時間をかけて拓は呼吸を整える。
「利香は、エリさんは無事だろうか」
静まり返った転移陣の間で、何の変化も起こらなくなった事を確認してから拓は村の見回りへと走った。
村の中はいつも通りだった。何の変わりもない。
獅子倉の道場に寄れば、外で利香が洗濯物を取り込んでいた。
「兄様、どうしたんですか?」
拓に気付いた利香が微笑む。
平和な、シエンの村だ。
「いや。そうだな、そろそろ利香が了に会いたくなる頃だと思ってな」
「兄様っ。それは……会いたいです」
顔を赤くして恥ずかしそうに答える利香の頭を拓はポンと叩く。
「明日、行ってみるか。準備しとけ」
「はいっ」
拓の言葉に嬉しそうに笑い、利香は素早く洗濯物を片付けていく。
獅子倉の道場は大所帯だ。大勢の子供を重気は引き取って育てている。いずれ獅子倉の道場に嫁ぐからと、利香は週に幾度か手伝いをしている。
(了がいれば)
『黒獅子』の二つ名を持ち武力に優れた獅子がいれば、拓の負担は減る。シエンの守りは厚くなるだろう。
だが獅子は、命の危険に晒されている友人、儀礼を守ろうとし、儀礼はまだ村へ帰ってこようはとしない。
「あんな奴はいなくていい」
イライラとする心に舌打ちをして、拓は儀礼の母であるエリの無事を確認しに向かった。
翌日、拓と利香はドルエドの王都を訪れた。しかし、管理局に儀礼達の姿はない。
ブローザの研究所から儀礼達が管理局へ戻ったのは次の日のことだった。
儀礼達が管理局に入ると、そこには拓と利香が立っていた。
「了様!」
嬉しそうな顔で獅子に抱きつく利香を、獅子は受け止める。
白が久しぶりに会う拓と利香に表情を綻ばせた。
「よお、儀礼」
拓の低い声が儀礼の耳に入った。その声には怒りが含まれている。
「あ、僕ちょっとまだやることあって忙しいから、拓ちゃん利香ちゃんまた後でねっ」
踵を返して扉から出ようとした儀礼の襟を拓は掴んで引き止める。
「話があるはずだよな、儀礼」
肌の焼ける感覚に震えながら儀礼は諦めたように頷いた。
儀礼と拓は管理局の屋根へと登っていた。
周囲の建物よりも高いそこは王都をよく見渡せた。街の至る所で人々が言葉を交わし合い、明るい喧騒に包まれている。
「あれだけの事やるのにメッセージ一つかよ。その後の報告もない」
苛立つ拓が口を開いた。
「ちょっと立て込んだ状況で、進めなきゃいけない研究があって」
「故郷の平穏より大事なことかよ」
「シエンはほら、重気さんがいるし」
儀礼はシエンに転移陣がある事を知らない。それは分かっていても、拓の苛立ちは増す。
「それに、古代の文明に繋がる一歩を進んだんだよ」
誇らしげに笑う儀礼に拓は怒りの限界を感じた。
「そんなくだらないことばっかり研究したって、何のためにもならないだろう!
外のことばっかり見やがって。シエン人ならシエンのことを研究したらどうだ!
俺達の祖先はどこから来た? 何故あそこに住みついた!?
何故ドルエドの中にあって俺達だけ人種が違う……」
儀礼の襟首を掴み、拓がまくし立てる。
ドルエドの中にあって称賛されながらも畏怖されるシエンの住人。種族の違いから、軽視される事も少なくない。
領主の一族として拓はその最前線にいる。他の貴族から軽んじられ、いつでも奪われようとするシエンを必死に守っている。
シエンが、拓が助けを求められる同族は、世界のどこにもいない。
「俺達は。シエンの人口は五百人余り。いつの時代を調べても人口は五百人余り。
多くも少なくもならない。何かあるとは思わないか? ドルエドの歴史の中にシエンは出てくるが、その前の歴史はなぜ出てこない」
儀礼の頭は拓の手により、ぐらぐらと揺れる。
「お前もシエン人なら、そういうのを調べたらどうだ!」
怒鳴るように拓は言った。
それを拓は無心で切り払う。
転移直後はどうしたって隙ができる。その隙を逃せば拓の命はない。やられる前にやる。
拓の体を動かしているのはその命令だけだ。
血に濡れた武人の遺体を、床に開けた穴から地下水脈へと落とす。
(ああ、水が汚れる)
そう思っても死体を外に捨てに行くような暇はない。侵入者は次から次へとやってくる。
領主の館に転移陣があることは玉城の一族しか知らない。ここを守るのも玉城家の仕事だ。
『蜃気楼』と呼ばれる儀礼が管理局の新ルールを宣言した瞬間から、この地下室に現れる侵入者達が途切れることがない。
拓の心にあるのはシエン村を、この領地と民を守ることだった。
拓の父である領主は今、『蜃気楼』を手に入れようと圧力をかける多くの権力者との交渉に追われている。
山を通ってきた侵入者を防ぐために、獅子倉の重気が動いているはずだった。
シエンは小さな村だ。世界を敵に回せばあっという間に消えてなくなる。
このシエンは拓の誇りだ。玉城の一族であるという事が拓の自信だ。
いずれ領主として立つ事が拓の人生だ。今ここで終わりにするわけにはいかない。
「メッセージ一つでこの労働は割に合わないだろう、儀礼」
ギリと奥歯を噛み締め、拓は苛立ちを口にする。
反論する者全てを封じてしまえば、この襲撃は止むという。そのいつまでとも分からない時間を拓は切り抜けなければならない。
儀礼は拓に「殺すな」と言った。しかし拓は思う。それではシエンを守れない、と。
拓に『黒鬼』と呼ばれる重気程の強さがあれば可能だろう。けれど拓は非才だ。あくまでも領主として人の上に立つ程度の力しかない。
自分の身は守れても、悪意を持つ侵入者までは面倒を見切れない。慈悲をかける余裕などないのだ。
また光を放つ転移陣に拓は剣を構える。
一人殺す度に心が冷えていくようだった。
その度に拓はシエンの村の人々を思い浮かべる。拓の助けを必要とするシエンの領民達。
穏やかに笑い合って暮らして欲しい。そしてその微笑みの中心に拓は立つのだ。
何人を屠っただろうか。拓には分からない。
荒い息と耳の中で聞こえる心音。麻痺したように動かない思考で頭痛だけを感じる。
ラジオから流れていた受託の宣言が終わると同時に、転移陣からの侵入者も消えた。
時間をかけて拓は呼吸を整える。
「利香は、エリさんは無事だろうか」
静まり返った転移陣の間で、何の変化も起こらなくなった事を確認してから拓は村の見回りへと走った。
村の中はいつも通りだった。何の変わりもない。
獅子倉の道場に寄れば、外で利香が洗濯物を取り込んでいた。
「兄様、どうしたんですか?」
拓に気付いた利香が微笑む。
平和な、シエンの村だ。
「いや。そうだな、そろそろ利香が了に会いたくなる頃だと思ってな」
「兄様っ。それは……会いたいです」
顔を赤くして恥ずかしそうに答える利香の頭を拓はポンと叩く。
「明日、行ってみるか。準備しとけ」
「はいっ」
拓の言葉に嬉しそうに笑い、利香は素早く洗濯物を片付けていく。
獅子倉の道場は大所帯だ。大勢の子供を重気は引き取って育てている。いずれ獅子倉の道場に嫁ぐからと、利香は週に幾度か手伝いをしている。
(了がいれば)
『黒獅子』の二つ名を持ち武力に優れた獅子がいれば、拓の負担は減る。シエンの守りは厚くなるだろう。
だが獅子は、命の危険に晒されている友人、儀礼を守ろうとし、儀礼はまだ村へ帰ってこようはとしない。
「あんな奴はいなくていい」
イライラとする心に舌打ちをして、拓は儀礼の母であるエリの無事を確認しに向かった。
翌日、拓と利香はドルエドの王都を訪れた。しかし、管理局に儀礼達の姿はない。
ブローザの研究所から儀礼達が管理局へ戻ったのは次の日のことだった。
儀礼達が管理局に入ると、そこには拓と利香が立っていた。
「了様!」
嬉しそうな顔で獅子に抱きつく利香を、獅子は受け止める。
白が久しぶりに会う拓と利香に表情を綻ばせた。
「よお、儀礼」
拓の低い声が儀礼の耳に入った。その声には怒りが含まれている。
「あ、僕ちょっとまだやることあって忙しいから、拓ちゃん利香ちゃんまた後でねっ」
踵を返して扉から出ようとした儀礼の襟を拓は掴んで引き止める。
「話があるはずだよな、儀礼」
肌の焼ける感覚に震えながら儀礼は諦めたように頷いた。
儀礼と拓は管理局の屋根へと登っていた。
周囲の建物よりも高いそこは王都をよく見渡せた。街の至る所で人々が言葉を交わし合い、明るい喧騒に包まれている。
「あれだけの事やるのにメッセージ一つかよ。その後の報告もない」
苛立つ拓が口を開いた。
「ちょっと立て込んだ状況で、進めなきゃいけない研究があって」
「故郷の平穏より大事なことかよ」
「シエンはほら、重気さんがいるし」
儀礼はシエンに転移陣がある事を知らない。それは分かっていても、拓の苛立ちは増す。
「それに、古代の文明に繋がる一歩を進んだんだよ」
誇らしげに笑う儀礼に拓は怒りの限界を感じた。
「そんなくだらないことばっかり研究したって、何のためにもならないだろう!
外のことばっかり見やがって。シエン人ならシエンのことを研究したらどうだ!
俺達の祖先はどこから来た? 何故あそこに住みついた!?
何故ドルエドの中にあって俺達だけ人種が違う……」
儀礼の襟首を掴み、拓がまくし立てる。
ドルエドの中にあって称賛されながらも畏怖されるシエンの住人。種族の違いから、軽視される事も少なくない。
領主の一族として拓はその最前線にいる。他の貴族から軽んじられ、いつでも奪われようとするシエンを必死に守っている。
シエンが、拓が助けを求められる同族は、世界のどこにもいない。
「俺達は。シエンの人口は五百人余り。いつの時代を調べても人口は五百人余り。
多くも少なくもならない。何かあるとは思わないか? ドルエドの歴史の中にシエンは出てくるが、その前の歴史はなぜ出てこない」
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