ギレイの旅

千夜ニイ

混迷

「く、う~っ」
魔法関係の資料を見るのは予想以上に疲れる。
研究室の中、パソコンに向かいキーボードを叩いていた儀礼は、固まった体をほぐすように大きく伸びをする。
目に入った時計は、いつの間にか夕刻を示していた。


 儀礼が作業を始めた時、自主的にトレーニングに励んでいた獅子は、今現在、飽きたように剣の手入れを行っている。
長時間、室内でじっとしているのは、やはり向いていないらしい。
白とクリームはテーブルで紅茶を飲みながら話し込んでいる。
まだ幼さの残る、愛らしい顔立ちをした金髪の少年と、薄い色の茶髪を肩ほどの長さに垂らした少女が、時折首を傾げ、ピンク色の唇に笑みを浮かべながら話を弾ませ――


「――それでね、身体強化しても腕力では敵わないでしょ? 速度上げるんだけど、スピードもシシの方が速いの。武器も光の剣でしょう?」
「身体強化もいいが、魔力に余裕があるなら攻撃、足止めに使わないとな。同時に使えないなら技術不足だ。黒獅子は闘気と光の剣の能力、両方使うだろう?」
「うん」


「あたしも同じだ。砂神の力を使う。まぁ、武器の力だと言われればそれまでだが」
「私も精霊の力借りるから、武器のせいじゃないんだ。やっぱり修行が足りないんだね。次こそは絶対にシシに一撃入れる!」
「そこは勝つって言えよ」
「ん~、言いたいけどっ。まだムリ、なんだ」
困ったように白は眉尻を下げている。


(きみたち、味方を倒してどうするつもりなんだ……)
光景と会話がかみ合っていない。
儀礼は視線を逸らす。


 タザニア、グレイシルはまだ体力が戻っていないのか、疲れたようにうつ伏せて眠っている。
通常の生活が出来ない、元に戻れるのかも分からない、そして実験体として扱われたことも、精神的な疲労として溜まっているのだろう。
早く元に戻りたい。安全が欲しい。
ピクリとも動かない彼らの姿からそんな言葉が聞こえた気がして、気が急く。


 けれど、ブローザの資料の中に実験のデータが少ないのだ。
実験を行っていないはずがない。ブローザはガスカル達を見て、自分の研究室から逃げ出したと言っていた。
なら、そこには他にも狼の姿をしたものたちがいるはずだ。
そのデータが管理局に提出されていない。ブローザのパソコンの中にも入っていない。
「データにせず、紙媒体で持っているのか。情報流出を恐れた? 後ろめたいことがあるから?」
何にしろ、ガスカル達の身を欲しがったことから実験データが足りていないということは分かっている。


「さらなる被害者が出るか、こっちを狙ってくるか……」
暗い気持ちが胸の中で渦巻く。
「考えてても仕方ない。先に進もう」
気持ちを切り替えるように、儀礼は立ち上がる。


 画面に集中していた儀礼が動き出したことに気付き、ガスカルが尻尾を振りながら近付いてきた。
儀礼は思わず赤茶色の毛皮に擦り寄り、ガスカルの頭を撫で回していた。
ガスカルは心地良さそうに茶色い瞳を細める。
ふさふさの毛からはシャンプーのいい香りがした。


大きく開いた口からは鋭い牙が覗いているが、まるで笑っているように見えて、愛嬌がある。
つられる様に儀礼も笑みを浮かべる。
「可愛いなぁ。お手」
儀礼は狼へと右手の平を差し出した。
「一応言っておきますが、ソレ、成人した人間ですよ」


 ガスカルは一度首を傾げてからも、右腕を差し出してくれた。
「……、握手は挨拶の基本です。あ、もうこんな時間か。そろそろ学院に戻った方がいいね。先生にも報告しないといけないし、レイもほったらかしたままにできないし」
一瞬、動きを止めると、儀礼は何事もなかった様に、できあがった資料をまとめて束ね、アーデスへと向き直る。


「ガスカル君は学院に連れて行くけど、残りの二人は任せてもいい?」
ブロウザの態度を見ていると、夜中や外出中に部屋への侵入だってやりかねない迫力があった。
「ああ。俺が預かろう。その方がいいだろう。どうせしばらくは研究室の方へ行くしな」
タザニアとグレイシルもアーデスが移転魔法で連れていってくれるらしい。


 あとは、この研究室をどうするか。
ガスカル達を元に戻すためには借りたままにした方がいいだろう。
しかし、部屋を空にしてしまえば何者かの侵入を許してしまう可能性がある。
誰かを見張りに残しておくべきか……。
考えながら儀礼は研究室内を見回す。


「はぁ、片付けないと……」
部屋を埋め尽くすような機材と、薬品、書き散らした大量の紙の束に儀礼は肩を落とす。
研究室内だろうと、侵入される可能性があるならば、情報や薬品を残してはおけない。


「ここはやっておく。お前は先に学院側へ生徒の無事を報告してこい」
そう言って、アーデスが手馴れた様子で片付けを始めた。
「行方不明扱いのその狼もどきの少年を、さっきのブローザ達に、研究の邪魔をしたなどと訴え出られたらやっかいだ」
「わかった。ありがとう」


「それに、こっちにはコルロを残しておこう」
ふっと笑ってアーデスは空中に小さな魔法陣を浮き上がらせた。
複雑な文様を描く光が、様々に色を変えて消える。


すぐに、研究室の床に白い魔法陣が浮かび上がった。
「なんだよ、アーデス。緊急の呼び出しって」
両腕の腕輪をピカピカと光らせて、室内にコルロが現れた。


「この部屋の片付けだ」
「俺、帰るわ」
アーデスの言葉にコルロはくるりと向きを変える。
「ん? 服着た狼?」
移転しようとして、室内の異常に気付きコルロは動きを止める。そこにはグレイシルやタザニアの姿。


「変化の魔法陣だ。魔法薬との併用で効果が現れたらしい。元に戻す方法を探す」
「ほー、面白そうなことやってるな。で、ギレイがまたやらかしたのか?」
愉快気な笑みを浮かべ、コルロは儀礼を見た。その横にはもう一頭の狼、ガスカルの姿。
「またって何ですか。僕じゃありません」
儀礼は不満そうに口を尖らせる。


「コルロ、遊んでいないで手伝え。これがその陣だ」
アーデスが魔法陣を写した紙をコルロに渡す。
「ふーん。ドルエドにあるとは思えないほど複雑な陣だな。魔法を強制発生させる為に魔法薬を使った感じか? 発現するよう魔力を込めたら俺もああなる、と。そして戻る方法がない、か」
魔法陣を眺めながらコルロは考え込むように顎に手を当てる。


「もしくは逆かもしれないぞ。その陣を使ったのは魔法薬の権威だ。薬効を現すために魔法陣を使ったのかもしれない」
「あーっ、考えるパターンが多すぎる! 時間かかるな、これ」
苛立たしげに発される声、しかしコルロの口端は楽しそうに上がっていた。


「そこの片付け任せたぞ」
使用した魔法薬をすべて鞄にしまい終え、アーデスは借りた機材を返却に向かう。


 そこ、と指差された先の雑多に積まれた紙の山は、書き損じや使い終わって必要のなくなったもの。
「……それ、もう処分していいな?」
上がっていた口角を下ろし、睨むように机上を見た後、コルロは確認するように儀礼へと視線を送る。
「うん。シュレッダーにかけて――」


 ボッッ
部屋中を照らすほどの、熱を持った光と共に、机の上の白い山が一瞬にして黒い消し炭に変わっていた。
「……何でもない。よし、行こうか」
部屋が片付いたことに晴れやかな笑顔を見せ、儀礼は獅子やガスカル達を外へと促した。
暇を持て余していた彼らが、素直に研究室を出たのは当然のことだろう。

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