ギレイの旅

千夜ニイ

エリザベス・アルバドリスクス

 それはまだ、儀礼が白の依頼を受ける前。
春も半ばになって、ほのかに暖かい日のことだった。


 儀礼はアーデスの研究室に(勝手に)お邪魔して、遺跡のマップの作成に勤しんでいた。
その姿を見ながら、アーデスはある資料を手元に置いていた。
そして、タイミングを見計らうようにして、儀礼に切り出す。


『エリザベス・ジェシカ・ランデ・アルバドリスクス』


「その長い名前がどうしたって言うの?」
更新された遺跡のマップを手に、嬉々とした表情を浮かべる儀礼が、聞いていもいないような口調で聞き返した。
「アルバドリスクの歴史を少し調べれば出てくる名前だろう。」
呆れたようにアーデスは眉根を寄せる。


 好ましくもない、影の暗躍者、『アナザー』なる者に頼まれて調べてきた成果を、儀礼に報告してみた結果がこれだ。
興味もないように、視線すらよこさない。
「自分の母親の国の歴史だろう。少しくらい調べたことはないのか?」
聡明で、好奇心の塊のような少年が、一度くらい、それを調べたことがないという方がおかしい。


「……あれ? そう言われてみると、僕、アルバドリスクのこと、あんまり知らないや。」
自分自身、驚いたように目を見開いてアーデスを見る儀礼。
「なんかさ。母さんの国なんだけど、母さんの過去って聞きにくくて……。親族がいるのかとかも聞いたことないんだ。」
苦いものを思い出したかのように表情をゆがめて儀礼は小さな声で言う。


「母さんに、お父さんやお母さんがいたのかとか、聞くと、すごく悲しそうに笑うんだ。それで、いたわ、とだけ答えてくれるんだけど。それ以上僕は聞けなくて……。」
子供ながらに、聞いてはいけないのだと、儀礼にも感じ取れた。


「なら、父親の過去は知っているのか?」
アーデスに問われて、儀礼は考え込むように視線を上に向ける。
しばらく考えた後に、儀礼は納得したように大きく頷いた。
「自分が生まれる前のことを、詳しく知ってるわけ、ないじゃないですか。」
儀礼はにっこりと微笑んだ。


「王都の学校に行ったとか、途中で辞めてしまったとか、そういうことなら知ってますよ。それから、シエンに帰ってきて、学校を始めたらしいです。」
儀礼の知っている父親とは、教師をしている姿だ。
後は、Sランクになってから『アナザー』に知らされた、『黒鬼』の監視としての役目。
それは、今なら、理解できることだった。


 儀礼の監視には、アーデスやワルツたちが就いている。
それを、儀礼は嫌だとは、もう思わない。
むしろ、信頼を置いて、護衛してもらっているのだと、思っている。
儀礼の父、礼一と、『黒鬼』重気、との間にも、そのような信頼関係が成り立っているのだと、信じている。


「……話が逸れたな。エリザベス・ジェシカ・ランデ・アルバドリスクスだ。本当に知らないか?」
報告書をペラペラとめくりながら、アーデスは再び儀礼へと問いかけた。
「知りませんね。有名な人なんですか? 名前から考えると、王族ですね。でも、現国王は、ルーカス・サイラス・ロイド・アルバドリスクス、ですよね。」
「何が、長い名前だ。記憶してるんじゃないか。いや、数十万の人間の名前を記憶してるんだったか、お前は。」
名前の羅列のリストを思い出して、呆れた思いでアーデスは儀礼を見る。


「……だから、どうしてそういうのを知ってるんです?」
疑うように目を細めて、儀礼はアーデスを見上げる。
「情報元があるからな。」
「じょうほうもと。アナザーめ。今度なんか仕返ししてやる。」
口元に拳を当てて、儀礼は真剣な表情で考え込み始める。


「それは面白そうだな。」
ふっと、アーデスは笑みをこぼし、それから、手元の資料を見て、苦笑に変える。
「また、話が変わってるぞ。」
気が付けば、話が逸らされているような気がする。


「今のは、先にアーデスが逸らしたんでしょう。」
頬を膨らませて、儀礼は不満げに呟く。
その手元には、やはり、遺跡のマップがあり、新しく発見されたトラップの設置箇所などを、記していく。
「聞いてますよね、私の話。」
とりあえず、アーデスは爽やかな微笑みを浮かべてみた。


 ザザザッと、音がしたかと思えば、儀礼の使っていたテーブルの上は綺麗に片付いている。
「聞いてますよ、真剣に。何か、重要な情報が出てきたんでしたよね。」
背筋を伸ばして、ずっと前からそうしていたとでも言わんばかりに、儀礼は色付き眼鏡に手を当てて、思慮深く佇んでいる。


「エリザベス・ジェシカ・ランデ・アルバドリスクス。」
そう言ったきり、儀礼は黙り込んだ。
何か分からないざわざわとした感覚が、体の中を駆け巡ったからだ。
分からない、けれど、危険。
儀礼の全身に、鳥肌が立っていた。


「僕には、関係のない、話ですね。」
無理やり話を終わらせようと、儀礼は自分の両腕を抱え込むようにして、話を切り上げる。
「それが、そうともいかない。」
真剣な表情で、アーデスは儀礼の正面に立つ。


「俺達の調べてきた情報の全てだ。読め。」
ずっと、手に持っていた資料を、アーデスは儀礼に手渡した。
不思議そうに儀礼はその紙の束に手を伸ばす。
その書類が、ものすごく重たいものででもあるように、儀礼はゆっくりと受け取った。

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