ギレイの旅

千夜ニイ

ドラゴン研究の責任者

「で、ギレイ様。何で勝手に責任者が私の名前になってるんです?」
スカイウィング育成プログラムの作成資料を見て、アーデスが爽やかな笑顔で問いかけている。
爽やかだが、確実に闇の見える笑顔だ。


「……。」
儀礼は固まったまま、資料の責任者名を書き直した。
その名前は、ベクト。
儀礼の部下になりたがっていて、魔物の研究をしていた研究者の男だ。


 儀礼は、魔剣『マーメイド』の資料作成のために、そのベクトには世話になっていた。
魔物の研究をしているのだから、適任だろうと、儀礼は勝手にその名前を出す。


「どこの誰だかもわからない研究者を、責任者にしないでください。ちゃんと、自分でやったことは自分で責任を取りましょう。」
儀礼の書いた資料を、アーデスはさらに修正し直す。
『最高責任者、ギレイ・マドイ』。


「うう。僕はまだ、旅の途中でして……。」
「では今すぐにあのスカイウィングの子供は処分してしまいましょう。」
アーデスはあっさりと提案する。
「すみません、分かりました。僕が責任者をやります。」


 儀礼は観念して、その役を引き受ける。
何が起こるか分からない、人間にドラゴンがまともに育てられるかもわからない、何もかもが初めての、手探り段階での研究だ。
それでも、儀礼はそれをやることに決めたのだ。
殺せないから、生かす。


 それは、儀礼にとっては、魔物でも人間でも同じだということが、今回のことで判明した。
また、管理局に目をつけられることを、とアーデスは深い溜息を吐く。
それでも、その研究が成功すれば、人類の歴史には画期的な役割をもたらす。
人類と、魔物との共生という生き方までもが、見出せるかもしれないのだ。


 魔物、その正体不明な存在を、手なずけることができるかどうかは、まったく分からないのだが。
「ベクトさんが、定期的に封魔を施せば、周囲への影響はないのではないかとメッセージをくれました。」
「だから、そのベクトというのが、誰なんだ?」
呆れた表情でアーデスは儀礼を見る。


 儀礼のその目は、その人物を信頼しきっていて、偽りなどないとでも言いたげである。
「魔物研究の専門家です。以前、世話になったことがありまして。その時に、僕の持ってた資料も渡してあるんです。」
「Sランク資料を一般人に渡したんですか?」
驚いたようにアーデスが目を見張る。


「ううん、Aランクの分だけだよ。僕、魔物に関してはそんなに資料持ってないし。シエンにはたくさん魔獣は出たけどね。」
くすくすと笑いながら儀礼は言う。
懐かしい、シエンの森のことでも思い出したようだ。


「それで、ギレイ様。スカイウィングを12体も育てるとなると、専門の施設を用意しなければなりませんが? それから、研究員ですね。」
「もしかして、僕。また、配下増やした……?」
若干、顔色を青くしながら儀礼は言う。


「もしかしてじゃなくて、そうなるのが当たり前だろう。そうなることが分かってて、引き受けたんじゃないのか? 自分で育てるつもりはないんだろう?」
確かにそうなのだ。
儀礼は、心当たりの魔物研究員に、ドラゴンの育成を丸投げして面倒を見てもらうつもりだったのだが、責任者という、重い役割が、儀礼へと回ってきてしまった。


 何か問題が起きた場合に、責任を取るのは、――。
「当たり前のことか。僕が始めるって言ったんだもんな。」
真剣な表情で、納得したように儀礼は作成した資料を束ねる。
「うん。僕が責任者だよ。『蜃気楼』の名において、ドラゴンの育成を研究する。」


 今度は、もう迷いなく、儀礼はアーデスへと言い放った。
初めから、その覚悟をしておかなければならなかったのだ。
儀礼よりも、しっかりしているからと、何事もアーデスに押し付けてはいけない。
儀礼の言ったことの責任は、儀礼が持つべきなのだ。


「まぁ、手伝いくらいはするさ。」
思い悩んだような儀礼の表情を見て、アーデスは笑うようにそう言う。
まず、第一に、妨害工作をされないように見張ること。
第二に、ドラゴンたちが人間に危害を加えないように見張ること。
そういうことが、アーデス達、儀礼の下に付く者の仕事になってくる。


 儀礼は、『Sランク』とは、ただ、人の上に立っていればそれでいい、という研究者たちもいる位だ。
もっとも、Sランクに認定されるような研究者達は、自分が研究に没頭するような、研究好きだからこそ、Sランクにまで登りつめたのだが。


「また、お世話になります。」
儀礼は、丁寧に頭を下げた。
いつも、いつも、世話になってばかりだ。
儀礼は護衛をしてくれているアーデス達に、何も返せてはいない。
そのことに、少しの悔しさを感じる。


 しかし、アーデスは笑う。
「本当に、お前のやることは、いちいち、見ていて飽きないな。」
可笑しそうにアーデスは笑う。
揃えた書類の束を、パラパラとめくって、他に、アーデスに押し付けられている仕事がないかを念入りにチェックする。


 油断をすれば、このSランクの少年は、アーデスなど身動きもできない程の状況を作り出せることができるのだ。
アーデスは、それをドルエドの氷の谷で実感している。
そして、そのことを、本人はまったく気付いていない。
いや、気付いていて利用しようとしているのかもしれないとも思えるのだが、その辺りが微妙で、気を抜くことができない。


 何事も、自然体で、なんでもないことのようにやってのけるから、この少年は危険なのだ。
アーデスはもう一度資料をめくり直す。
おかしな点はない。
二度、書き直された責任者の名前欄以外には。


「ギレイ、その封魔ってのはどういうことだ? ここには詳しく書かれていないが、普通の研究者でもできるのか?」
「あっ。神官の協力が必要ですね。」
パチパチと瞳を大きく瞬かせて、儀礼は今気付いた、というように、重要事項をポロリとこぼす。


「……。お前を責任者にしておくのは、確かに危険な気がしてきたな。」
Sランクを背負ってはいるが、実際には、まだ15歳の少年なのだ。
人生の経験が、少なすぎる。
それも、その経験のほとんどを、未開とも言えるような、田舎の地で過ごしてきたのだ。


「だから、アーデスさんたちの協力が必要なんです。」
にっこりと、人を惹きつける、笑顔で儀礼は微笑む。


「はぁ。これも仕事か。」
アーデスはことさらに深い溜息を吐く。
その様は、疲れきっているようにも見える。
「大丈夫?」
心配そうに儀礼はアーデスの顔を見上げた。


「早く成長してください。」
アーデスは儀礼の頭の上に手を置いた。
二人の間には、身長差が30cm程ある。
「……あれ? 今そこ……?」


 儀礼は引きつった笑みのまま、懐から銀色の改造銃を出す。
「そのケンカ買った。」
ダンッ。
と軽い音と共に、儀礼の銃からはゴム弾が発射される。
アーデスはそれを軽々と避けて交わす。


「ちょうど、射撃の訓練に的が欲しかったんだよね。」
にやりと笑って儀礼は銃の上部をスライドさせ、銃身に弾を送る。
「人間を的にするとは、凶悪に育ったものですね。」
「やだなぁ、ただのゴム弾だし。当たっても痛くないから、避けなくていいよ。」


 爽やかな笑みを浮かべながら、研究室内で楽しそうに喧騒を起こす高ランクの二人。
その精神面には、それほどの年齢差は感じられなかった。
いつの間にか、差は埋まる。
儀礼の年齢は、間もなく16歳になろうとしていた。


「ギャァ。」「グギャァ。」「ジャギャー。」
暴れ回る儀礼とアーデスを見て、研究室の隅っこの檻の中で、子ドラゴンたちは不思議と楽しそうに鳴き声を上げていた。
強い者は本能で理解する。
野生の生き物の性なのかもしれなかった。
部屋の中に満たされた、清浄で強力な魔力に、子竜たちは嬉しそうに鳴き声をかわしていた。


 翌日、子ドラゴン達を引き取りに来た研究者たちは、野生のドラゴンと聞いていたのに、あまりに儀礼に懐いた様子に驚きを隠せずにいた。
「いつの間に手なずけたのですか?」
「やはり、『蜃気楼』様は普通の人とは違うのですね。」


 なんだか、納得の出来ない儀礼だった。

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