ギレイの旅

千夜ニイ

氷の谷の忘れ人5

 アーデスは静かな町の中にいた。
情報元のこの町は夜に活気を起こす。
昼間はまだ、眠った状態にある。
多くの店は硬く扉を閉ざし、歩く人もまばらだ。
誰もいない広い道を、冷たい風が枯れ葉と共に吹き抜けていく。


「背後から気配を消して近付くな。」
アーデスは低い声で相手を威圧した。
しかし、帰ってきたのはくすくすと可笑しそうに笑う声。


「だって、『双璧』のアーデスの背後を取れるなんて、早々ありえませんよ。」
そこに立っていたのは、黒いニット帽に、茶色のコートを羽織った、どこにでもいるような少年だった。
いや、目深く帽子を被ってはいるが隠れきれないその顔は、とても整っていて、少女とさえ見間違えそうだった。


「普通の格好もできるんですねぇ。」
儀礼の服装を見て、感心したようにアーデスは言う。
「普通ってなんだよ。僕はいつも普通の服装だよ。上に白衣着てるだけで。」
不満そうに口を尖らせて儀礼は言う。


「……それで、装備が普段と変わらないってどういうことですか?」
儀礼の立ち姿を一通り見回して、今度は呆れたようにアーデスが言う。
「だって、これから危険のある場所に行くのに、装備を怠るわけにはいかないでしょう。」
また、くすくすと可笑しそうに儀礼は笑う。
その装備は、城一つ相手取れる重兵器だ。


「私があなたの護衛だって事、忘れてませんよね。」
「あれ? まだちゃんと、護衛のつもりあったんだ。」
アーデスの言葉を茶化すように儀礼は笑う。


 ここへ、アーデスと儀礼の二人で来ることにあたり、一悶着あった。
まず、戦闘力の低い儀礼を、危険な敵地へ連れて行くわけにはいかないということだ。
それを儀礼は、自分の装備を見せつけることで納得させた。
どこの国にケンカを売りに行くのだ、という装備だ。


「世の中の治安のために、檻にでも入れておきますか。」
当然のことのようにアーデスは言った。
危険人物に、危険動物扱いされた気分だった。


 護衛に関して、相手の店が店なだけに、ワルツやヤンは連れて行けない。
家庭のあるバクラムを連れて行くのも、家族問題になりかねない。
仕事としての名目があるとしても、だ。


 当初、コルロとアーデスで情報の確認をしに来るはずだった。
しかし、儀礼が自分が行くと言って聞かなかった。
それが、『蜃気楼』に関わる仕事だから、と。
クロエの探している妹が、死んでいるかもしれない。
そういう思いが、儀礼の気持ちを逸らせていた。
何もせずにはいられない。


 そこで、コルロには後方支援に回ってもらった。
前回の店での二の舞になる可能性もある。
いきなり多数の用心棒に囲まれて、町中で攻城戦をやらかすわけには行かないのだ。
コルロの魔法火力も攻城兵器といい勝負ではあるのだが、儀礼と違い、加減を心得ている。


 どこの店にも秘密というものはあるものだ。
儀礼は、それを暴く目を持っている。
興味深そうに周囲を見回している儀礼に、アーデスは溜息を吐く。


 気配を消し、周囲を警戒し、儀礼は一人で何事にも対処できるような態勢でいる。
自分の身も守れないお坊ちゃまのお守りよりはずっと楽ではあるが、これでは、アーデスのいる意味がない。
アーデスでさえも踏み込むことをためらうような、そんな危険なトラップが儀礼を取り巻く周囲一帯に張り巡らされているのだ。
護衛の存在を完全に無視している。


「あなたは、私を一体なんだと思ってるんですか。」
「友達。」
一瞬、儀礼の周囲への警戒が解かれた。
迷いなく答えた儀礼の顔に、ふわりとした笑みが浮かぶ。


 言った本人が嬉しそうな笑顔だ。
寒い冬の空気の中に、春のような暖かい草の香りの風が満ちる。
「僕は、自分の身は自分で守る。でも、僕の力及ばない時には、力、貸してね。」


 出会った時より半年。
泣き虫だった少年は、いつの間にか、大人のような笑みを浮かべるほどに成長していた。


 人気のない道を、慣れた様子で歩いていくアーデスの後を儀礼は付いていく。
あちこちから、姿は見えないが、確かに、儀礼達を追跡する気配を感じる。
ただの町ではない証拠だ。
居心地の悪い空気に、儀礼はできる限り気配を消して歩いた。


「おい、後ろを歩きながら気配を消すな。はぐれても見つけられないぞ。」
後ろを振り返ったアーデスが儀礼に言う。
「だって、空気が重たいんだもん。」
「お前みたいな子供が珍しいからだろ。どうどうと、金持ちの坊主の振りをしてろ。」
「僕、平民。」
さらに帽子を深く被って、儀礼は言う。


「誰が平民だ、誰が。色町の用心棒一人買い取っておいて。」
ふざけた口調でアーデスが言い返す。
「僕じゃなくて、サウルの研究所だもん。」
そっぽを向き、自分は無関係とばかりに、屁理屈をこねる儀礼。


 クロエはサウルの研究所で冒険者として、護衛をすることになった。
常に狙われている研究所。
守り手は何人いても余りはしない。
それよりも、情報の漏洩など、信用できるかどうかが重要なのだ。
その点、自身が氷の谷の住人であったクロエは裏切りの心配がない。


「ここだ。」
低い声で、ある建物の地下への階段を示してアーデスが言った。
階段の置くには、古びた木製の扉があり、その前には、用心棒らしい、体の大きな男が一人立っている。
ゆっくりと、慣れた動作で階段を下り、アーデスが扉の前の男に何かを話しかける。
何度かやり取りをして、男が頷くと、ゆっくりと扉が開かれた。

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