ギレイの旅

千夜ニイ

薄れる影

 ネネは机の上の水晶を眺めていた。
天候の女神、水光源に出会ってから、確実に、儀礼の運命に現れる影が薄くなっている。
これが、女神の祝福の息吹の効果なのだろうか。
あの時、――女神と視線が合った時、確かにネネの思考を読み取られたような、何かを感じた。


『蜃気楼を助けて欲しい。』


なぜ、ネネがそこまであの少年にこだわるのかは分からない。
けれど、死なせてはいけない。
「『Sランク』だから。」
ネネは小さな声で呟く。
この間もそうだった。


(なぜ……。)
少年の笑顔が脳裏に浮かぶ度に、真剣な瞳が思い出されるたびに、死なせてはならないと、ネネの胸の内で警鐘が鳴る。
ドクン、ドクン、と脈が打つ。
ネネの未来を見る力に、少年の、儀礼の何かが引っかかる。


「仕事を請けねば国が滅びる……。」
以前、ネネが儀礼に占った結果の言葉だ。
「でも、仕事を請けたら……。」
また、ネネの胸の内で警鐘が鳴る。


 その影はもう、薄らぎ始めている。
けれどまだ、完全には消えていない。
「まだ、私にはやることがある。」
未来を見る占い師として、情報屋『花巫女』として。


 ネネは瞳を閉じて、水晶の薄い影を散らす。
そして、そこに光を照らし出した。
「光はある。」
まばゆい光、儀礼の側に、いくつもの光の欠片が集まってくる。
ネネもその光の欠片に含まれていくのが分かる。
光はより強いものに。


「影を、消し払うほどの力に。」
ネネは再び瞳を閉じて、その光をも消し去る。
「全ての運命はあなたしだい。……ギレイ。私はあなたを……死なせない。」
水晶球をかばんの中に丁寧にしまうと、ネネは人々の寝静まった宿を後にした。


***********


 儀礼たちが拓と利香を見送った後には、すでにネネの姿は宿になかった。
いつの間にかどこかへと行ったようだ。
情報屋『花巫女』として、仕事のあるはずのネネはとても忙しいはずだ。
一つところにじっとしてはいないのだろう、と儀礼は結論付けた。
近くにいないことに、今は安堵を感じている。
何気に、『花巫女』に関わる時にも高確率で騒動に遭遇している。


しろ~ぉ。なんか、フィオがずっと怒ってるみたいなんだけど、理由わからない?」 
宿の部屋に戻ると儀礼は白へと問いかけた。
今朝、姿が戻ってすぐからずっと、儀礼の肌には焼けるような熱さが続いている。
その元を探すのだが、周囲に儀礼に対して苛立った人間はいない。
と、なると、この怒りの正体はその炎を身に纏った精霊フィオ自身に他ならない。


《聞いてくれよ、白。あの女神、俺達のことなんか考えずにギレイに加護を与えたせいで、ギレイに近寄れなかったんだぞ。弱くても神だ……ギレイを包み込む女神の力のせいで俺達の力まで無効化されたんだぞ。》
白が儀礼に視線を向けると、その間に割り込むようにして赤い精霊フィオが飛び込んできた。
《あいつのせいで、ギレイは弱くなるし、怪我するし。なんか、ちょっと変になるし。ろくなことしないな、水光源って、神は。》
怒りの余りに炎をたぎらせて、フィオは熱く語る。


「そ、そうなんだ。」
困ったように汗を流しながら白は答える。
それから、儀礼へと説明する。
「えっと、ギレイ君の側に寄れなかったって、何か、女神の加護のせいだとかって、怒ってる。みたい。」


「そんなの僕のせいじゃないよ。フィオ、もう怒るの止めて。」
涙目で、儀礼は虚空へと訴える。
残念ながら、そこにフィオは居ない。
儀礼はフィオに話しかけようとする時、無意識にランプを見る癖があるようだ。


 しかし、儀礼の言葉は通じたようで、フィオは纏う炎を小さくさせた。
ほっと、儀礼は表情を緩める。
「また、守ろうとしててくれたんだね。ありがとう。」
儀礼は微笑む。
《守れてねぇよ。傷だらけだったじゃねぇか。それに、あいつ絶対何かした。あれから、変だぞ、お前の魔力の流れ……。》
真剣な表情で、フィオは考え込むように儀礼の瞳を覗き込む。


「魔力の流れ?」
言われて白は儀礼の周りを見てみるが、特に、今までと変わったことは感じられない。
《確かに、契約の気配が薄まった感じがするわね。》
ふわりと精霊シャーロットが浮き上がり儀礼を観察する。


「契約?」
白は首を傾げる。
儀礼には、契約した精霊がいるのだろうか。
しかし、今まで一度も会ったことがない。


「魔力? 契約?」
白の呟いた言葉に儀礼が首をかしげていた。
二人の間に「?」が飛び交う。


「お前ら、二人で何やってるんだよ。暇なら出発しようぜ。」
お互いに顔を見合わせて首を傾げ合う、偽の兄弟に、獅子は呆れたように口を挟んだ。
誘拐犯一味は捕縛したが、そんなにすぐに治安が良くなるわけではない。
仕事がなければ、特に用のない通過するだけの町のなので、早々に出発してしまいたいところである。


「そうだね。荷物まとめて出発しようか。でも、雨、まだ止んでないんだよね。」
面倒そうに儀礼は呟く。
水光源のもたらした雨は、この町にも降り注いでいる。
暖かい雨粒は、奇跡の現象として、にわかにこの地域で人々の会話の中で活気付いている。


「起こした張本人がここにいるって知られたら嫌なんだろ?」
にやりと笑って獅子が言う。
儀礼の考えをよく知っている。それだけ長く、一緒に居る。


「よし、出発!」
言うと同時に、儀礼は荷物を纏め始めた。


「ギレイ君、体はもう、大丈夫なの?」
そんな儀礼に、心配そうに白が聞く。
「なんともない、むしろ軽いくらい。いいね、動きやすい体って。」
着ている白衣の襟を握り締めて、儀礼は大きく頷いている。
「と、言うかね、白。昨日の一日は忘れて。なかったの。いい?」
ずいっ、と白の目の前に顔を突き出して、儀礼は白の目を睨むように見つめる。


「わ、わかった。」
少し、後ろに下がると白は静かに肯定した。
「獅子もね。忘れるんだよ!」
強く指を突き出して、儀礼は獅子の顔を指差した。
「……ああ。」
頷かなければ、強制的に記憶を消去でもしそうな迫力だった。
できるかどうかは、わからないが、『Sランク』などと位置づけられた少年だからこそ、やってのけそうな気がして、獅子も素直に頷いたのだった。

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