ギレイの旅

千夜ニイ

別れの朝

 魔力を知らない儀礼が、魔力を大量に送り込んでいる自身の魔法石を信頼し、契約もしていない、気まぐれな精霊が、自分を必ず助けてくれると信じている。
その心がまた、精霊に力を与えていることを儀礼は知らない……。


 『蜃気楼』は知らない。
自分が、世界最強の『魔法具マジックアイテム』を作り上げていることを。


「だから、ディーも信じて。僕はそんなに弱くないから。言っただろ、もう、子ども扱いするなって。」
にこりと笑う少年は、いたずらな笑みも浮かべるし、世界を飲み込むような深遠な瞳をすることもある。
「僕も、ディーの腕、信じてるから。」
にっこりと、今度は嬉しそうに微笑む。
この少年が、旅立つべくして旅立ってきたのなら、ディセードは今、出会うべくして出会ったのだと、なんとなく、思った。


世界を動かす『蜃気楼』に、必要だと言われる力を、ディセードはまた、手にしていた。
『アナザー』。ネットの支配者は、『蜃気楼』の情報の守り手。
そして、番人でもある。
時折、自ら滅びようとする、又は、世界を滅ぼそうとする厄介な『Sランク』。
出会っていて、よかった。
知らないままでは、きっとこれから守りきることはできない。


「お前は、危なっかしくて、見てられねぇよ……。」
呆れた声で、ディセードは言う。
「ディーもね。」
くすくすと儀礼は笑う。


紫色のワイバーンの瞳、トーラ。銀色の腕輪に付いた白き精霊、朝月。儀礼の大切にする車の愛華。
儀礼を守るために、命を燃やす火の精霊、フィオ。
精霊たちが守る少年。蜃気楼は、そういう存在。
そして、蜃気楼は、世界に奇跡を起こす。
その夜は、拓と利香を見送り、全員久しぶりにゆっくりと眠った。


 翌朝、町はまだ、お祭りモードだった。
早朝から、初詣に出かける人々や、売り物を出す露店の商人たち。
「白、これ、お前に預けておく。持っていてくれないか?」
ディセードは白へと手の平に乗る大きさの、小さな白いオオカミのぬいぐるみを渡す。
「私に?」
不思議そうに白は首を傾げる。
「ギレイな、ちょっと心配なんだ。なるべく見ててやってくれ。これには集音機とカメラと発信機が仕込んである。いざと言う時には役に立つだろうから、ギレイに直接渡しても使わないと思うから、な。」


「え?」
その小さなぬいぐるみの内部の物に、白は目を丸くする。
集音機とはつまり、盗聴機のことだろう。
そんなものを渡されても、どうしたらよいのだろうか。


「ギレイを守るために必要な物だ。俺の魔力を込めたから、ギイレは多分、存在に気付かない。だから、一緒に居る間だけでも、ギレイのこと、頼むな。黒獅子は魔法にも機械にも疎いから、任せられないんだよな。」
困ったようにディセードは後ろ頭をかく。
こんな物を白に預けるのはどうかとディセードは悩んだ。
しかし、儀礼の危うさを知った限り、放っておくことはできない。
それになにより、これは『再利用』させてもらった物なので、気が咎めるということもなくなった。


「動力を確保するために時々、魔力を通してくれないか、白以外にできる奴がいないだろ。」
ディセードは白いオオカミ型のぬいぐるみを示して言う。
魔力で動くということは、これは魔法具でもあるらしい。


「あいつ、心配だろ?」
儀礼を見て、ディセードは白へと問いかける。
白も儀礼の姿を眺めて、しばらく考えるようにしていたが、こくりと頷いた。
「えっと、わかりました。預かっておきます。」
「ああ。持っててくれるだけでいいから。車の中にでも飾ってくれててもいいし。」
にっと、口の端を上げてディセードは言う。
白は、はい、と素直に頷いていた。


 新年の明るい町の雰囲気の中、別れを惜しむ気配もない、明るい笑顔で、儀礼がディセードの元へとやってくる。
リーシャンや両親との別れを済ませてきたようだ。


「ありがとう。たくさんお世話になったね。」
にっこりと笑って儀礼はディセードに言う。
「本当に、忙しい日々だったな。お前の日常に巻き込まれるのは大変だって分かったよ。黒獅子も白も本当、よくやっていけるよ。」
憎まれ口を叩きながら、ディセードの顔も笑っている。


「……分かってるかな、ディー。僕が自分からしたことって、そんなにないんだけど。巻き込まれてるのは、僕。メロディーのこととか、コーテルのこととか。手紙の依頼に関してだって、相手が僕の名を使ったり、容姿を使ったり、僕はいつの間にか勝手に巻き込まれてるだけ。僕が自分から何かしたわけじゃないでしょ。」
自分が、正しいことを言っているかのような口調で、儀礼はしたり顔で頷いている。
「いつでも狙われてる奴の言うセリフか? お前のデータへの不正アクセスは、天文学的桁数だぞ。」
やはり、わかっていないと、ディセードは呆れて苦笑する。


 Sランクになった時点ですでに、少年は世界を巻き込んでいるのだ。
それに気付いていない少年に、忠告の意味を込めて、ディセードにできる防衛を続けることを伝える。
それが、ディセード・アナスターの、『アナザー』としてできる最大の仕事。


「そこは、ディーに任せます。」
あはは、と軽く笑って儀礼は頭を下げる。
「それじゃぁね、ディー。『また来年』。」
にやりとした笑みを浮かべて儀礼は言う。


 年が明けたばかりだと言うのに、儀礼は次の年のことを口にする。
どうせ出発したとしても、すぐに、ネットでの会話が始まると言うのに。


「『再来年』でもいいぜ。」
その笑みを受けて、ディセードもまた、にやりと笑い返す。
意味深に口の端を上げて。
「……。」
儀礼は笑顔を固め、無言でディセードの顔を見つめた。


「それじゃ。ホントにありがとう。またね。バイバイ。」
「ああ。またな。」
慌しく手を振ると儀礼は車へと走り出す。
そして、車の周囲を念入りに調べだす。


「何してるの? ギレイ君。」
ギレイの奇妙な行動に、不思議に思って白が聞く。


「ウサギ知らない? なんか、ウサギのぬいぐるみとか、人形とか、ロボットとか。」
そう言いながら、儀礼は車の中までも調べていく。
「きっとディーが何か仕掛けたはずなんだ。盗聴器とか、カメラとか、発信機とか。」
バタバタと動き回る儀礼に、心の咎めた白は、白いオオカミのぬいぐるみを差し出す。


「あのっ、ギレイ君、これ……。」
「あ、可愛い人形だね。シロみたい。」
「ディセードさんにもらったの。」
白は説明する。


「よかったね。白にぴったりだよ。ああ、あそこの露店でも売ってるね。」
お守りとしても人気のある、白い狼のぬいぐるみは、新年の露店でもたくさん売られていた。
「それよりさ、白。ウサギだよ。ウサギ探して。」
儀礼は白の言葉を聞き流したかのように、ウサギのぬいぐるみを探している。


『儀礼は多分、存在に気付かない。』
ディセードの言った、意味の分からなかった言葉の意味が、ようやく白にも理解できた。
本気で、儀礼はこのオオカミのぬいぐるみには一寸の気も捉われずに、ありもしないウサギの形の何かを探している。


 そうして、10分ほど探しても見つからなかったことに諦めて、儀礼は探すことをやめた。
「絶対、何か仕掛けたと思ったんだけどなぁ。」
儀礼が『来年』と言った時に、ディセードは『再来年』と返してきた。
ありもしないほど先の未来を使う言葉は、儀礼たちの間では、いたずらをした時の合言葉のようなものだった。
儀礼はディセードの部屋に盗聴器とカメラとスピーカーを仕掛けてきた。
もちろん、いたずら目的で、脅かしてやろうという単純なものだ。


 そうしたら、ディセードは『再来年』と言ったのだ。
儀礼の仕掛けを見破った上で、さらにイタズラを仕掛け返したと、そう取れる言葉。
なのに、儀礼には何も見つけられなかった。
仕掛けたと思われる車の下にも、中にも何もなかった。
不思議そうに首をかしげながら、儀礼は車に乗った。
今度こそ、本当の別れだ。


 けれど、寂しくはない。
この出会いが嬉しかっただけで、もう会えないわけでもないし、楽しいこともたくさんあった。
儀礼が車に乗り込めば、白と獅子も順に車に乗る。
「それじゃぁ、本当にお世話になりました。」
儀礼はもう一度、丁寧にアナスター家の面々に挨拶する。
使用人たちまでもが、名残惜しそうに屋敷の前に並んでくれていた。


「またね。」
「気をつけてな。」
短い言葉だけを交わして、儀礼は車を発進させた。
これからは車で王都へ向かい、そこを過ぎてから、ドルエドの国境へと向かうことになる。

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