ギレイの旅

千夜ニイ

儀礼の旅

「ディセードくん。おお、その方がそうか!!」
その時、大きな声と共に、白髪の男性が現れた。
背は低めだが、歳の割に元気そうな高齢の男性だ。


 そして、いきなり儀礼は両手で握手を無理やりされ、腕をぶんぶんと振り回された。
「初めまして、私がこの社の社長のケントリー・ハウストです。」
「初めまして、ハウストさん。お会いできて光栄です。」
よく、状況が理解できないが、儀礼はとりあえず、無難な挨拶を心がけた。


「社長、その子は何者ですか、勝手に研究所内に、無関係な者を入れないでいただきたい。」
所長が厳しい口調で社長に詰め寄る。
「お前っ、なんて無礼な口の利き方を。気を悪くされたらどうしてくれるんだ。」
声を潜めているが、どすの聞いた口調で社長は言い返す。
一触即発というような状況に、儀礼の肌はじりじりと焼ける。


「失礼をいたしました。」
場の、空気をシンと静まり返らせるような凛とした声で、儀礼は静かに頭を下げた。
その儀礼が作り出した空気に、誰もが一瞬飲み込まれていた。
「私は、ドルエドの『Sランク』、ギレイ・マドイと申します。この度は、フェードの技術の結集する場、コーテルへと招待いただき、まことにありがとうございます。」
『Sランク』の言葉に、周りにいた者達は事実、言葉を失い顔色を青くする。


「この街の技術は私に取っても大変、刺激的なもので、充実した時間を過ごすことができました。」
頭を上げて、儀礼は続ける。
「しかし、集結しているからこそのフェードの技術。互いに認識し合う情報の速さがフェードの国家。魔法と科学と古代の技術の合わさった場に、小さな乱れが起きれば、いずれ、全解体とまで崩壊の道ができてしまいます。私のような若輩者が口を挟むのは奢り高いものと思いますが、どうか、もう一度よく話し合い、考え直すことをお勧めいたします。」


 深淵な思慮をその表情に表して、儀礼は忠告した。
国のトップと呼ばれる人物達に。
微妙なバランスの上に成り立つこの国の、街の素晴らしさを、失うことになりかねない、歪なひび割れに。
そして、もう一度丁寧に頭を下げると、固まって、動けずにいる面々を背に回し、儀礼はディセードを伴ってその場を後にした。


 いつの間にか外は夜の街。
高いビルの窓から見えるのは、空中に浮かぶような、たくさんの明かり。
見上げて歩く儀礼は子供のように瞳を輝かせる。
遺跡の技術を使って作られた、フェードの技術の結集された街。
それは、本当に美しかった。


 以前のユートラスの兵士の娘を連れて行った、『コーテルに属しながらフェードに情報を渡さない一派』にディセードは関係していた。
しかし、それはあくまで裏の顔『アナザー』として、表側はただの一社員。
他のメンバーも皆、普通のコーテルの研究員だ。
活動はひっそりと行われている。
そういう、いびつな組織が他にもこのコーテルにはある。


 ディセードの父親はディセードが情報科コースへと進学したことで、このコーテルへと関わることができた。
コーテルに入れるかどうかで、フェードの中での立場は大きく変わってくる。
しかし、やはり魔力のないアナスター家は、このコーテルの中でも軽んじて見られている。


 ディセードの連れて来た、儀礼、子供に対して、仕事場に他国の人間を連れ込むとは何を考えているのかと、ディセードは上司から叱責を受けた。
入場する許可は『アナザー』が取っていたのだが。
そして厄介なことに、社内にあった派閥争いに、儀礼たちは巻き込まれた。
コーテルの歪さは、そんなところにもあった。


 しかし、事実儀礼はドルエドの人間だ。
ドルエドのSランク。
スパイと言われてもおかしくない立場ではあった。


 その時、儀礼は毅然とした態度でコーテルの代表者たちと相対した。
その様にディセードは驚いた。
その威厳は間違いなく、Sランク、『蜃気楼』と呼ばれる者の姿。
いつもの、イタズラ好きの少年の顔ではなかったのだ。
あの『蜃気楼』の投げかけた言葉は、きっと今日のうちにコーテル中に響き渡り、何かが変わる予感をディセードは感じた。


「僕は揺らいじゃいけないんだ。」
明かりの浮かぶコーテルの町を歩きながら、深い、深淵な知性を称える瞳で儀礼はディセードにそう言った。


「蜃気楼なんて『かげろう』みたいに空気に揺れるものだろう。」
気負う儀礼の心を和らげようとディセードは試みるが、儀礼は真剣な表情を変えない。
どこか悲しそうにも見えるほど、小さな笑みを作る。


「僕は人殺しだよ。僕の背には何十万という人がいるんだ。僕は『蜃気楼』だ。望もうと、望むまいとSランクを与えられて、それだけの権利も義務も持ってる。」
もう、子供ではいられないのだと、その表情が語っていた。


「覚悟はできてるんだ。僕はもう管理局の『蜃気楼』なんだ。」
金色の髪、茶色の瞳、真っ白な衣。儀礼は薄暗い夜道に自分の姿を現すように両腕を広げる。
一つの街どころか、国も、世界も飲み込んでしまうほどに大きな力を持った研究者。
体を大きく見せるかのようなその姿はしかし、コーテルというビル郡の中では、あまりにも小さな存在だった。


「そうだな、お前は『蜃気楼しんきろう』だ。だからこそ、他のSランクよりも広い幅がある。知ってるか? 蜃気楼はいつでも見られるものじゃない。現れるには条件が必要なんだ。そして、見えているそれは、本物の幻。」
ディセードはくしゃくしゃと儀礼の頭を撫でる。


「お前は幻の名をもらった。いつでも人の正面に立つ必要はない。身代わりになれるほどの実力を持った護衛までいるんだからな。」
まだ、子供でいてもいいのだと。一人で全てを背負うことはない。
ディセードよりもずっと若い儀礼が、一人で世界と向き合うのはあまりに無力だ。


「俺だっている。ギレイ、お前が世間に見せる世界は、おまえ自身が思っているより、もっと明るくきれいなものだよ。」
天使だと、奇跡だと、そう呼ばれる『蜃気楼』。
その情報が固定されないのは、人々の噂が、普通の想像に留まらないところにもある。


 世界は滅びに向かっているというわけではない。
しかし、苦しむ人々は世界中のどこにでもいて、儀礼はそういう人々に奇跡を見せる。


 奇跡の元を生み出したのは、儀礼の祖父で。
その奇跡を世界に広めるように旅をして回る少年の旅程は、さながら、巡礼者のような――。
儀式的な『儀礼の旅』のように思えてくる。
生まれるべくして修一郎が生まれ、旅立つべくして、この少年は旅立ってきた。


 ディセードは『世界』の思惑のような、世界が動く不思議な感覚を味わっていた。

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