ギレイの旅

千夜ニイ

儀礼の記憶

 儀礼が熱を出し、精霊たちが好き放題した翌日。
儀礼は前日のことをケロッと忘れていた。
「覚えてないって……、冗談だろ。都合よく、忘れた振りでもしてるんじゃないのか?」
疑うようにディセードは儀礼に問いただす。


「だから、何のことを? 僕、熱出したって? 丸一日寝てたんじゃないの? 愛華の整備途中だったのに。」
言いながら、儀礼はその愛華の整備に専念している。
つまり、ディセードとの会話は言葉半分だ。


「お前……部屋から誰かが出ようとするたびに泣いて、行かないでって引き止めて、人が入ってくれば、一緒に居てって頼み込んで、……昨日のお前の部屋がどういう状況だったと思ってるんだよ。」
泣き出しそうな『蜃気楼』というよりも、『天使のような子供』に、家中の者がつかまっていた。
ディセードたちとは別のパーティーに出ていた母と弟が夜遅くに帰って来たのだが、その二人も、見た瞬間に儀礼の放出される魔力に捉われた。


 魔力。
あれはもう魔力と呼んで差し支えないだろう、とディセードは思った。
ディセードの知る、世間一般の魔力とは大分かけ離れているが、他に表現の仕様がない。
無理に表現するとするなら、『妖魔』上位悪魔の使用する『魅了』の力だ。


 家族全員が操られているのでは、と思い、解析に儀礼の部屋を出ようとしたディセードに向かっても、儀礼はポロポロと涙を流して「行かないで。」と言うのだ。
切ない声の響きで、幼子が、子犬が、助けを求める。
(いいや、あれは成人した人間の、まやかしを見せる『蜃気楼』だ。)
自分の頭に言い聞かせて、ディセードは電話を手に取った。
その状況を救う手を。


 儀礼の幼い頃からの友人、『黒獅子』へと。
その結果は、「ほっとけ。」という、無情――いや、単純なもの。
「こいつは、この状態になると面倒だ。ある程度世話したら、後はもう放っとくのが一番だよ。」
獅子は言った。
「きりがないからな。」と。


 言われた通りにしておけばよかった、と今さらながらディセードは溜息を吐く。
屋敷中の者、揃って『蜃気楼』に失礼があってはならない、と一生懸命、世話を焼いたというのに、『覚えてない』。
記憶障害だろうかと、解析装置を使って確かめたが、異状は見当たらなかった。
「もう治ったって。僕、元気。」
そう言い張って、その後、本人は車の整備へと集中してしまった。


 ディセードはもう一度電話を手に取る。
「黒獅子か? ギレイに昨日の記憶がないんだが……。」
獅子は、昨日、ギレイの様子を見た後に、白を残して、一人でマッシャー家の屋敷へと帰ってしまった。
まぁ、許婚がそこにいるのだから、当然ともいえるのかもしれないが。
面倒を押し付けられたような気がしないでもなかった。
いや、預からせてくれと言ったのは、ディセードだったのだが。


「ああ、だろうな。いつものことだ。自分の都合の悪いことをはすぐに忘れやがる。」
不機嫌そうな声が受話器の向こうから聞こえてきた。
いつも、儀礼から家族や村の友達のことは聞いていたが、こうしてみると、儀礼本人のことで穴兎ディセードが知らないことが意外にあるものだと、気付いた。
同じ様に、儀礼にも、ディセードの家族のことなど、ほとんど話してはいなかったが。


「儀礼にとってはそれが普通だから気にするな。」
ディセードへと気を回したように獅子が言う。
「それより、今回もまた何たらって、家のパーティーとかいうのに、招待されたんだが、断る方法って知らないか?」
電話の向こうから、面倒そうな声が聞こえてきた。
「ないな。マッシャー家にやっかいになっているなら、行った方がいい。でなければ、その家の面目を潰すことになる。儀礼も連れて行くから、退屈しないように何か考えておくよ。」
噂に聞く『黒獅子』の幼い一面に心の中だけで小さく笑い、ディセードはそう答えて、電話を切った。
その背後に、白い影。


「うおっ!! ギレイか! 驚かすなよ。」
「ねぇ、屋敷の人たちが変なんだけど。やたらと世話焼きたがるし、頭撫でてくるし。」
気配をって、人の背後にいた少年が、そんなことを言う。


「お前がやらせたからだろ。」
「何をだよ。」
「頭撫でさせたり、手、握ったり、水飲ませてもらったり。」
儀礼の顔色は青白くなる。
「本当に? またか……。記憶にないんだけど……いや、……なんとなく? ある……か?」
大勢の人に囲まれていたような気はする、と儀礼は頼りなさげに言う。
一生懸命に首を捻って、記憶を呼び起こそうとしているらしい儀礼。


 昨日の一日は、高い熱に浮かされての言動と行動だったらしい。
今の儀礼はもう、通常運転だ。
しかし、気配を消して人の家の中をうろつくのは、やめてもらいたい。
守るべき『蜃気楼』を突然見失って、警備たちがうろたえている。
(こいつ、本当に冒険者ランクDかよ。)
その情報を、今すぐに書き換えたくて仕方ない、とディセードは思えてきた。


「あ、そうだ。白と一緒に買い物行きたいんだけど、魔石売ってるいい店、知ってる?」
「魔石か。裏通りになるが、手頃なのから、いいものまで扱ってる良心的な店があるぞ。」
少し考えてからディセードは答えた。
裏通りにこの、目立つ二人を送り出していいものかは悩むところだが、そこらのごろつきが、この『蜃気楼』に手を出せるとは、今のディセードには思えなかった。


「ありがとう。これから行っても平気かな? すぐ戻るし。」
ディセードが出席しなければならないパーティーがあることは、儀礼も知っていた。
それに儀礼を連れて行くということも、『蜃気楼』とばれなければいいと了承した。
まだ時間はある。昼過ぎから始まるパーティーなので、間に合うだろう。
「ちゃんと帰って来いよ。まぁ、白がいるなら、大丈夫か。」
「待って、僕のがお兄さん。」
手の平を出して、儀礼はディセードの発言を止める。


「いや、昨日の様子を見る限りでは、十分、白のがしっかりしていたな。お前、5歳児と変わんねぇよ。」
「体調の悪いときなんて、誰でも調子の悪いものでしょ。」
頬を赤く染め、膨れた顔で儀礼は言う。


「調子悪い人間が、気配を絶ってうろつくな。」
「もう元気になったし。それに、別に気配も消してないよ。足音消してるだけだもん。獅子達ならすぐに気付くよ。」
何でもないことのように儀礼は言う。
「そういうのを、気配を消すって、言うんだろ?」


「違うよ。気配はもっとこう、エネルギーを内側に隠すって言うか、抑えるって言うか……。」
そう言うと、儀礼から完全に「音」がなくなった。
ディセードには「音」でしか判断できない。
なぜなら、間違いなく儀礼は目の前にいるからだ。
なのに、まるで石像か何かのように意思を感じない。
『人形』。
あまりにその言葉がぴったりな容姿の儀礼に、ディセードの背中に、ぞくりと寒気が走った。


「僕にできるのはこんな程度。獅子たちのはすごいよ。本当に気配絶っちゃうから。山の中とかじゃ見つけるの大変。かくれんぼなんて絶対ずるいよ。僕が温度センサー使って体温追っても仕方ないよね。」
くすりと儀礼は笑う。
「お前らのそれはもう、世に言う『かくれんぼ』じゃねぇよ。」
今まで文字で聞いてきたシエンの『普通』を、改めて、言葉で否定するディセードだった。


 儀礼が白と出かけてから、ふとディセードは思い至った。
高熱を出した儀礼の周りで、心配するように、自分の存在を示すように、魔力を放出しまくっていたらしい精霊たち。
儀礼が、魔力に関しての記憶に乏しいのは、ディセードのよく知るところだ。
それは、ディセードが魔力や魔法に関しての情報を、儀礼に教えることを諦めるほどの状態だった。


 高い熱の中、精霊たちの魔力を、無意識に儀礼が感じ取っていたならば。
「魔力に関したものは、儀礼の記憶に残らない……。」
確定的なものではないが、今までの経験との一致に、なにかそら恐ろしい感覚に捕われて、ディセードは粟立った自分の腕をさすった。

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