ギレイの旅

千夜ニイ

儀礼の風邪

 その朝、マッシャー家に電話がかかってきた。
かけてきたのはディセード・アナスター、儀礼の友人。
「助けて欲しい。」
力のない声でその男は獅子に向かってそう言った。


 それからすぐに馬車に乗って、獅子と白がアナスターの屋敷へと向かった。
到着した二人の見たものは――。


 リーシャンに膝枕され、ディセードの弟であるトラヴィスに、額の濡れタオルを取り替えてもらい、ディセードたちの母親に手を握り締められ、という、手厚い看護を受ける儀礼の姿だった。


「どうしたんだ。」
その状況に呆然としながらも、何となく何が起きたのかを理解して、獅子は呆れた様子で一応ディセードへと問いかける。


「ギレイが熱を出して……。悪いのはリーシャンなんだ。その……。」
言いにくそうに、一度ディセードは言葉を切る。
「ギレイが風呂に入っている最中に、浴室に乱入したらしい。」
「本当に女の子じゃないのか、確かめただけじゃない。私はどっちかと言ったら、兄さんより、恋人のメロディーの味方なの。もし兄さんが浮気でもしてるんだったら、絶対に証拠を掴んであげなくちゃ。」
悪びれた様子もなく、リーシャンは膝元にある儀礼の頭を撫でる。
その髪は酷く汗をかいて頭にはりついているが、儀礼にもう、寒がっている様子はない。


「相手は成人した男だぞ! 自分のした事を知れ!」
反省した様子のないリーシャンへとディセードは怒鳴る。
そして、ゴホンと咳払いを一つ。
「それでだ、儀礼は驚いて水を浴びて飛び出してきたらしいんだ。この寒い中で。それで、夜中から熱を出して、――」
「家族中ひっくるめて、この状態だと。」
ディセードの言葉を引き継いで、納得したように頷きながら獅子は答えた。


 実際は、アナスターの家族だけではなく、使用人たちまでもが、かいがいしく儀礼の世話を焼いている。
しかし、なぜディセードは獅子へと助けを求めてきたのか。
熱や風邪ならば医者を呼べばいい。
Sランクの『蜃気楼』に対して、手厚い看護をするというのも、その身柄を預かっている家としては、間違ってはいない対応だ。


 儀礼は風邪をひいたくらいで死ぬほど弱くもない。
そして、弱くもない儀礼が熱を出した時の状況を、獅子は十分によく理解していた。
獅子は横たわる儀礼へと近付く。
儀礼の潤んだ瞳が獅子を捉えた。
熱に浮かされ、涙を含んだ切なげな瞳、苦しそうな息を上げ、上気した頬と赤い唇を汗で湿らせている。
もう何年も見慣れてきた、少女のような儀礼の顔。
これに獅子は覚えがあった。


 高熱に浮かされた儀礼はいつもこうなる。
そうして、周りの者はこの弱々しい瞳に捉えられると、逆らうことができない。
「医者には診せたんだろ。薬飲ませて寝かせときゃ治るって。心配いらねぇよ。」
「やだ。獅子も一緒にいて。」
帰ろうと部屋を出ようとする獅子を、儀礼が呼び止める。


「ふざけんな。お前、自分が幾つだと思ってんだ。周りに迷惑かけるのもいい加減にしろ。」
ゴン、と音をさせ、獅子は儀礼の頭を殴る。
「うう。痛い。」
幼い子供のように、儀礼は瞳からぽろぽろと涙をこぼす。


「……熱は。」
さすがに、熱の影響が強いらしいと判断して、獅子はディセードへと問いかけた。
「39度。」
ディセードが答える。
「心配ねぇ。そのうち下がる。」
獅子は言い切る。
この状況の儀礼は、あまり相手にしてはいけない。
長い付き合いから獅子はそれを学んでいた。


 いつの間にか、白までもが、リーシャンたちに混ざって儀礼を囲んでいる。
流れ出た涙をハンカチで拭いていた。
「白、あんま近くにいると移るぞ。お前らそっくりなんだから。」
「えっ!?」
顔が似ていると風邪がうつるのだったろうか?
白は何度か首をかしげる。


「しろぉ~、一緒に寝よう。」
そう言って、儀礼は寝ぼけたように白の服を引っ張る。
その姿はひどく幼い子供のように見えた。


「お前、何考えてるんだよ。」
慌てて、白を引っ張る儀礼の手をディセードは止める。
この中で、白が少女であると知っているのは、当人達を除けばディセードだけである。


「大丈夫だよ、父さん。分かってるって。もしシロが暴れたり、襲ってきたりした時にはちゃんと『倒す』から。約束どおり。」
儀礼は視点の定まらない瞳でディセードを見て言った。
「誰が、父さんだ。」
呆れてディセードが言う。
白のことを、犬のシロと勘違いしているようである。
それにしても、約束どおりに『倒す』とは、なんだろうか。物騒な約束である。


《シロはオオカミの血が濃かったからな。儀礼はシロを拾ってきて、助けた後に父親と約束したんだ。元気になるまで。ってな。》
暖炉の中から出てきて、説明するようにフィオが白に語る。
まるで、他の連中に言って聞かせろとでも言っているようである。
《元気になったら村から追い出す。でも、もしその前に儀礼や他の子供達を襲うようなことがあったら、迷わず始末するって、儀礼が、礼一と約束したんだ。》
深く考えるような瞳で、フィオは儀礼を見ていた。


《俺はずっと見てきた。礼一のことも、エリのことも、誰より、生まれたときから儀礼のことを。》
薬が効いてきたのか、儀礼はうとうととし始めた。
その体がまた冷えないようにと、フィオは暖炉の熱を少しだけ上げて部屋を暖める。
《こいつ、学校で育ったんだ。小さい頃は学校の方を家だと思ってたくらい。両親が、ずっと学校にいたからな。赤ん坊のこいつも教室にゆりかご置いて、育ったんだ。》


「ギレイ君、学校で育ったんだって。」
白が言えば、ディセードが頷く。
「3歳位まで、学校の方が家だと思ってたって言ってたな。だから、学校にいる全員が家族だと思ってたって。」
《学校に入学したらさ、こいつは他の生徒と変わらなくなったんだ。風邪をひいたら家で寝て休む。他の子供にうつさないようにな。》
フィオはまるで儀礼の熱を測るように額に手を当てた。
《俺が、熱を取れればいいのにな、俺は熱を与えることしかできない。》


 白は、フィオの言いたいことが分からず、何を伝えるべきなのか判断に困っていた。
《こいつの家は、誰もいないんだ。6歳で、風邪ひいて、苦しくて寝込んでても、誰も面倒見に来てくれなくて。叫んでも、呼んでも、泣いても、誰もかけつけて来ない。学校では、赤ん坊の儀礼が泣くたびに、大勢の生徒がかけつけて構ってくれていたのにな。急に、一人でぽつんと放り出されたんだ。》
過去の辛い出来事を思い返しているように、フィオの表情は暗い。


《エリと礼一の言った「他の子にうつすといけないから」って言葉を儀礼は理解してたんだよ。》
だから、儀礼は一人で過ごした。
泣いても、苦しさに叫んでも、誰も来ないことに気付いた瞬間から、儀礼は両親に心配をかけてはいけないと、理解してしまった。


《こいつは、両親にこうやって、他のやつにするみたいに甘えたことがないんだぞ。あいつら、鈍いんだ。》
歯噛みするようにフィオは両拳を握り締める。
フィオを取り囲む炎が少し熱くなった。


《俺達がいる。》
フィオは言った。
《いつだって、俺達がいる。だから儀礼。お前は一人じゃない。我慢しなくていい。俺達は迷惑だなんて思わない。白、子供が一人で泣き叫んでる姿ってのは、見てて辛いぞ。俺達の姿には、気付かない。……一人じゃなくていいんだ。こいつは大勢に囲まれていいんだ。》


「えっと、つまり?」
白はやはり、フィオの言いたいことが理解できない。
言っている言葉の意味は分かる。
しかし、それは精霊の言う言葉なのだろうか。
心を持つ、人間のようなせりふ。


《朝月が妖魔の能力全開だ。》
そこでフィオは、ニィと、いたずらな笑みを浮かべて、白はようやく、儀礼の腕輪が白くまばゆく輝いていることに気付いた。
このままではこの屋敷にいる全員が朝月の(儀礼の)とりこになってしまう。


「朝月さんっ!!」
白の叫びに、朝月が姿を現した。
いつものように、顔を隠したままで。
《フィオ、そう人聞きの悪い言い方をするな。私は少しばかり力を強めただけ。お前が暖炉に火をつけたのと変わらない程度の力だ。》
《お前の力は異常なんだよ。やりすぎだって言ってんだ。少しは加減を覚えろよ。何度それで儀礼が変な奴に連れ去られそうになったことか。》
怒ったようにフィオは朝月に食ってかかる。
白の守護精霊が怯えるほどの力を持つ朝月に、フィオは負ける気がないらしい。


「んで、どうなってるんだ?」
一人、精霊たちの騒動に耳を傾ける白に、今度は獅子が問いかけた。


「よくわかんないんだけど。具合悪いのに、ギレイ君が一人でいたらかわいそうだからって、精霊たちが人を呼んでるみたい……。」
困ったように白は説明する。
「ああ。それでか。」
何かに納得したように、獅子はうなずく。


「儀礼が休むと、いつも花が咲くんだ。学校から儀礼の家に向かう道。それを土産によく利香と見舞いに言ったな。冬場でも咲くから利香が珍しいって言ってたな。」
「えと、今いるのは大地の精霊じゃなくて、火の精霊と光の精霊なんだけど。」
花を咲かせるのは大地の精霊だ。そのころまだ、儀礼の側にいる大地の精霊、エイは存在していなかったはずだ。


「精霊がいるの!? 見えるの!?」
瞳を輝かせて言ったのはリーシャンだった。
「そっか、その青い瞳、あなた『精霊の繋ぎ人』ね。儀礼の弟って言ったわよね。儀礼の弟なら、私の弟みたいなものだわ。お兄さんが心配でしょ。今日はうちでゆっくりしていきなさいよ。」
リーシャンが勧める。
実際、白は儀礼の風邪の様子も心配だった。
それ以上に、暴走しそうな朝月のことも気にかかっていた。
白はその日、アナスター家に泊まることになった。

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