ギレイの旅

千夜ニイ

精霊 フィオ

「何でいつも騒ぎになるんだよ!」
宿の部屋に戻るとすぐに、怒った様子で拓が儀礼の胸ぐらを掴む。
《お前は一度焼け死ね。》
その間にフィオは割り込み炎を滾らせる。
かかる火の粉に顔を歪ませて、身体を強張らせているのは儀礼の方だったが。


「あの……タク、私のせいだから。ギレイ君は悪くないの。」
拓には見えない精霊とのやりとりに、白は困ったように三人の間に割って入る。
おまえのせいでもないだろう。あいつらが悪い。酔っ払いどもが。見境の無い奴は人前に出てくるんじゃねぇよ。》
炎の塊をゆっくりと弱くさせて、フィオは白の前へと飛んできた。
《お前はエリと一緒で、俺が見えるんだな。》
観察するようにフィオは白の顔の前へと浮き上がる。
すぐさま、遮るように青い精霊シャーロットが両手を広げて、フィオの行く手を阻んだ。


《何だ? お前?》
フィオが少し首を傾げて問いかける。
儀礼にも白にもよく似た美しい水の精霊。
《私はシャーロット。彼女の守護精霊。怪しい者を近付けることはできないわ。》
真っ直ぐにフィオを見て、警戒するようにシャーロットが言う。


《守護精霊っ!!》
驚いたようにフィオはシャーロットをまじまじと見る。
《確かに……似てる。まさか、でも。……お前の名は『シャーロット』なんだな?》
確認するようにフィオはシャーロットへと問いかける。
不思議そうに首を傾げながらも、シャーロットは頷いた。


《そうか、俺はフィオだ。大体600年位生きてる。お前の主と契約するつもりも、害を与える気もない。安心しろ。悪いな、お前と似てる奴を前に知ってたから……。》
苦笑するようにフィオは言った。
ものを知らないトーラや、規格外の朝月とは違って、フィオには常識があるようだった。
あくまでも、精霊の世界での常識だが。


《それより、白。儀礼に文句の一つも言っといてくれ。こいつが呪われたナイフなんて邪気の塊を持ち歩くから、俺たち、体を持たない精霊は近寄れなかったんだ。取り込まれちまうからな。》
フィオの言葉を肯定するように、嬉しそうな様子で、たくさんの精霊たちが儀礼の周りに集まっている。
まだ力の弱い姿の淡い者、近所にいただけであろうこの土地の精霊らしい者、あちこちを流れる風の精霊たち、自然界に自然に存在する小さな精霊達がひと時だけ、儀礼のそばに寄り添っていく。
そんな感じに思えた。


 誰もが、楽しそうに、愛しむように儀礼の髪を撫でたり、肩に乗ったり、周囲を飛び回ったりしている。
その部屋いっぱいに周り中から集めたかのように、たくさんの種類の精霊達が集まっていた。
こんな光景を、白は今まで見たことがない。


「えっと、ギレイ君。精霊が、――火の精霊のフィオが、ギレイ君が呪われたナイフを持ってたから、近寄れなかったって怒ってる。取り込まれちゃうんだって。」
白が伝えると儀礼は困ったような、戸惑ったような顔をした。
そして。
「ごめん。」
部屋に備え付けられていたランプに向かって儀礼は謝った。
残念ながら、フィオはそっちの方向にはいない。


「ギレイ君。あの、フィオはランプの精じゃなくて、火の精霊だから、どこにでもいられるの。今は、ギレイ君の左側に。」
白は説明する。
「そっか。ごめん。」
儀礼は左を向いてもう一度謝った。


「僕、強くなりたくて。」
《知ってる。》
落ち込んだように弱々しい姿で説明を始めた儀礼に、分かっていたと言いたげにフィオは頷く。


「弱いままじゃ、情けなくて。」
《お前は弱くなんてない。俺達が守るから。絶対に守るから。》
フィオにとっては儀礼が10年成長したところで、5歳の頃と大して変わっていないと思っていた。
それほどに、精霊にとっては短い時間。
幼い儀礼を、傷つけないために、フィオや、朝月や多くの精霊たちは守ってきた。


「フィオが……フィオたち皆が力を貸してくれるのは分かるんだけど。僕の力で強くなりたかったんだ。フィオは消えかけたって言ったよね。そういう風になるのが嫌だから、精霊も、人間も……。だから、僕はもっと強くならなきゃって思ったんだ。」
真剣な顔で儀礼は見えない精霊に向かって語りかけた。


《お前を放っておくなんて、俺たち精霊にはできないんだ。お前の魔力が求めてる。》
くしゃくしゃと、小さな手でフィオが儀礼の髪を撫でる。
《たぶん、これも呪いなんだな。お前、両親から引き継いじまったんだ。でも、だからこそ、俺達にとっては守らずにはいられない。捉えられずにはいられない。気にするな儀礼。俺達は好きでお前の側にいる。》
大人のような表情で精霊フィオは儀礼に語る。
ゆらゆらとランプの炎が優しく揺れていた。


 白は戸惑いの表情で語り合う儀礼とフィオ二人の存在を見ていた。
儀礼の言葉は精霊のフィオに届いている。
しかし、白は今、フィオの言葉を儀礼に伝えていない。
なのに、二人は会話しているように語り合っていた。


「お前が弱いのは元からだろ。」
儀礼の言葉を呆れたように聞いていた拓が言った。
当然、フィオの声は拓たちにも聞こえない。
《うるさい。お前の悪の所業は全部見てきてんだ。だが、もう、見てるだけじゃないぞ。》
拓の前に浮かび上がり、フィオが炎を漲らせる。
「ほら。」と言って、拓はいつものように儀礼へと殴りかかる。


 それを、かわそうと身構えた儀礼の前に、透明な赤い障壁が現れた。
それは揺れる炎を纏っていて、炎の球体となって、儀礼の周囲を包んでいた。
しかし、中にいる儀礼は炎の熱さを感じてはいない。
障壁に手を着いた拓が拳の焼ける熱に眉を歪ませる。
「くっ。」
腕を押さえる拓に白は慌てて駆け寄り、癒しの魔法をかける。


「何これ……。」
驚いたように儀礼は炎の障壁を見つめる。
《儀礼が力をくれたから、もう俺は、お前が射る弓矢の矢羽を燃やす程度の力しか持たない、弱小精霊じゃないぞ。》
嬉しそうに、力強い笑みでフィオは笑う。
《さぁ、かかってこい! 悪人め!》
火の障壁の中で、フィオは燃え上がって拓を挑発する。
障壁に包まれる儀礼を睨み付ける拓。
その怒りに儀礼は身をすくめる。
肌の焼ける感覚に恐ろしくて身動きができない。


 いつもいつも、そんな自分を、儀礼は情けなく思っていた。
呪われたナイフを持っていれば、そんなことはなかった。
だが、それはただ儀礼が強くなったと思い込んでいただけ。


「……ギレイ君。フィオの張った障壁だよ。それと、フィオの火の粉が、飛んでる。ギレイ君、熱くない?」
なんと言ったらいいのか、しばらく白には分からなかった。
精霊と人間。
見えない者には、その存在を理解するのは難しい。
見えない火の粉に、顔を歪め、聞こえない声と会話する儀礼。
本当にそうなのか。本当に、姿が見えず触れることができないのか。白には信じられなかった。
儀礼の行動はすべて、見えない精霊達と繋がっている。


「フィオの火の粉? ずっと……ずっと?」
儀礼が幼い頃からずっと、怖かった肌を焦がす怒りの感覚。
それが、自分を守るための怒りなのだとしたら。
「フィオ。ありがとう。僕は大丈夫だよ。負けないから。拓ちゃんとの勝負は武器も魔法もなしだ。一対一の勝負なんだ。それに勝てなきゃ――。」
そこで儀礼は言葉を切った。
精霊への会話に言葉は必要ない。


(それで戦わなきゃ、僕は『シエンの戦士』として認めてもらえないんだ。未来の領主に。)
偉そうにそう語った儀礼だったが、実力の差は明らかで、今日も儀礼はあっさりと拓に負けを認めることになるのだった。


《こいつをシエンから追い出せばいい。》
フィオが苛立たしげに言う。
「たまにね、拓ちゃんが領主になるの心配になるときがあるんだけど、……そうなると、領主を継ぐのは利香ちゃんと獅子になるんだよね。獅子が領主なんて考えたら、さ、もっと怖いことになるから。シエンの里がなくなるから。やっぱり拓ちゃんには、領主になってもらわないと困るよね。」
掠れるような、小さな声で、儀礼は呟いた。
そのタイミングに、やはり、儀礼が精霊と会話ができないとは思えない白だった。

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