ギレイの旅

千夜ニイ

精霊を見る瞳

 嫌なことが続いてその青年はいらだっていた。
「誰も、俺の話をまともに聞いてくれない。」
青年は吐き捨てるように地面に向かって文句を言う。
(皆、自分を馬鹿にしている。)
そんなことを思いながら歩いていた時、突然カラン、と高い金属音を鳴らし、青年の足元に何かが降ってきたのだ。


 地面を見ると、装飾用とも言えるような柄の美しいナイフが落ちている。
思わず上空を眺めるが、雲ひとつない晴天。
少し、戸惑いながらも青年はそのナイフを拾った。
小さいが手の平には、ずしりと重みを感じる。
鞘はなく抜き身で、けれど、刃先には磨かれたかのように曇り一つない。


「きれいだ。」
青年はその刀身に見入っていた。
銀色のそれは、光の加減かどこか黒ずんでいるようにも見えるが、それがまた、青年の心を惹きつけた。


 『魔』と呼ばれる闇が、青年の意識を飲み込んでゆく。


 ピピピピッ バサバサ……
その異常を感じ取ったのか、小さな鳥たちが羽ばたいて逃げてゆく。
それを目の端に捕らえた青年は、……薄い笑いを口元に浮かべ、そのナイフを振るった。
 ザシュッ
手ごたえは軽かった。
ただ空に線を描いただけ、それだけで、一羽の小鳥は地面に落ちた。
片羽を落とされた小鳥は赤く染まりながらバタバタと地面でもがいている。
それがなぜか青年には愉快だった。
可笑しな笑いがこみ上げてくる。


楽しくて、もっと何かを切り刻みたい。そう思った。
「ヒーィッハッハッハッハ……!!」


青年の行動を見ていた通行人が悲鳴を上げた。
それは力のないただの女性だった。
黒い刃は存在を示すように太陽の光を、銀色に反射していた。


*******


外から聞えた悲鳴に最初に動いたのは儀礼だった。
自分の呪われたナイフを取り戻すため、ドアから飛び出してゆく。
それを見送る前に、獅子が窓から飛び降りた。
 ※ちなみにここは3階である。


 ダンッ
着地すると同時に獅子は周りの状況を確認する。
一人の青年が、銀のナイフを持ち、不気味に笑っている。
足元には傷ついた小鳥。
青年の体からは、黒い煙のようなものが湧いて揺らめいている。
「なんだ……?」
先程儀礼の背後にも見たその黒い煙に警戒するように、獅子は青年に向かい、構える。
青年はうつろな目で、獅子を捉えた。


 青年は銀のナイフを構える。
いや、黒い煙が青年の体を動かしているように、獅子には見えた。


「まずいね。」
階段を降りてきた儀礼が軽く息を弾ませながら言う。
呪いにとらわれた人はたいてい、人を越えた身体能力を得る。
そしてうつろな目をした彼は、すでに意識を呪いの邪念にまかせてしまっているようだった。


「気絶させてナイフ奪えばいいんじゃないのか?」
青年に向き合ったまま、獅子は背後の儀礼に答える。
儀礼はその言葉に目を見開き、そして、笑う。
(簡単に言ってくれるよね。)


 目視できるほどに増長した邪気に対し、獅子は遅れを取る気がないらしい。
追いついてきた白が、獅子と並び青年に構えた。
地面で苦しむ小鳥に白は顔をしかめる。
「かわいそうに……。」
白の小さな声に、青年は笑う。
「くはははっ! こんな鳥一匹が、哀れむほどの存在か?」
苦しむ鳥を蹴って、青年は白の前まで飛ばす。


「ひどい!」
白は慌てて、傷付いた小鳥を両手で包み込んだ。
獅子は怒気と共に闘気をまとう。
そして固まる儀礼。
いつもの儀礼の様子に獅子は、安堵と苦笑を混ぜる。


「白、儀礼を頼む。」
そして、気を引き締めると、獅子はナイフを構える青年へと向かった。
「ってか、白に頼むって僕の存在って何だよ?」
自分より小さな少年に頼むと言われ、動けない儀礼は苦笑いだ。


 白は、怪我した小鳥を抱えたまま、儀礼のそばまでやってきた。
「ギレイ君は頭脳専門なんだっけ?」
問いかける白に、儀礼は困ったように答える。
「そう言うわけじゃないんだけどね。今は獅子が意地悪してるから……。」
「?」
ギレイの答えに、白は不思議そうに首をかしげる。


 青年は、怒りどころか意識自体が希薄で、儀礼にとって動けなくなるようなものではない。
獅子は、白のように一羽の鳥が傷付いた程度であれほど怒る人間ではない。
明らかに、あのナイフを呪われた状態のまま持っていた儀礼に対しての怒気である。
じりじりと肌の焼ける、久しぶりの感覚に儀礼は顔をしかめる。


 そこで、白が驚いたように目を見開いて儀礼を見た。
白の青い瞳には、儀礼を守るように炎を纏う火の精霊が映っていた。
勢い余って炎の火の粉が儀礼の体に降りかかっているのは……まぁ、愛嬌だろうか。
そのほかにも、するすると、属性の違う精霊たちが儀礼の周りに集まってくる。


「ギレイ君は、精霊に愛されてるんだね。」
微笑むように言う白に、今度は儀礼が驚いた。
儀礼の母、エリと同じことを言う、と。


「そっか。白の瞳も深い青、精霊が見えるんだよね。僕の母もよく言ってたよ。僕には精霊は見えないんだけどね。」
少し、硬直がとけたのか、儀礼は白に微笑む。
精霊たちに包まれた儀礼の優しい笑み。
十日も儀礼のそばにいたのに、白は儀礼が精霊に愛される人間だと気付かなかった。
朝月やトーラ、英、愛華、精霊たちに好かれていはいるが、それは、契約した時のように儀礼が精霊たちに魔力や愛情を注いでいるからだと思っていた。
精霊が見える力を持ちながら、こんなにも、精霊に愛される存在に気付かなかったとは。


(ううん。ギレイ君があの呪われたナイフを持っていたから、その邪気で精霊たちが近づけなかったの?)
嬉々として儀礼を守ろうとする精霊たちに、白はとても温かな気持ちにさせられた。
そして、十日前に白を守る精霊シャーロットが儀礼を『味方』と言った理由がわかった。
精霊に愛される者は、精霊たちに守られる心優しき存在。


 白は、手の平に乗る小鳥に意識を向けた。
(私を守る精霊よ、力を貸して。傷つくものに癒しを。)
白の手が薄く光り、鳥の傷をふさいでゆく。
失った羽を戻すことはできないが、小鳥は起き上がり、元気そうにさえずり始めた。
白の手の上で片羽を羽ばたかせるが、バランスを崩して、すぐに転んでしまう。
その光景に白の目には涙が滲んだ。


ぽん、と白の頭に儀礼の手が置かれた。
「十分だよ、白。この子はちゃんと生きてる。」
「……うん。」
白は小鳥を大事そうに、両手でそっと包んだ。

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