ギレイの旅
研究室の危険
研究室に入れば、そこが宿の一室の様に綺麗な空間だと、白にもわかった。
位の低い研究室ではない。
そこそこに値の張るいい部屋のはずだ。
「よかった、結界のある広い部屋借りれて。今日、知り合いが遺跡のマップを届けに来てくれるはずなんだよね。製図の機械があると便利なんだ。あとデータ取り込むためのスキャナーと、大きなモニターでしょ、パソコンも足りないから2台は借りないといけなかったし。ぅぁあ、ほとんど流れて来ない遺跡の情報だよ! 攻略されてるのかな、まだの遺跡もあるのかな? ユートラスだよっ! ユートラ……聞かなかったことに、して。」
見て分かるほどテンション高く、嬉しそうに大きな機械をいくつも並べていた儀礼が、自分の口を押さえ、ぴたりと動きを止めて、ぎこちなく白を振り返った。
「ユートラス」それは白の聞きたくない国の名前ではあったが、今の儀礼の行動から考えると、儀礼の受け取ろうとしている遺跡のマップというのは、元はユートラス内部に入り込んだスパイか何かから流された情報のようだった。
つまりユートラスの『極秘情報』。
それが誰からの情報でどのようにして儀礼に流れてきたのかはわからないが、ユートラスの敵であるなら、その相手は白の敵ではない。
敵の敵は友。
白は黙って、こくりと頷いた。
その情報を掴んでくるスパイの大元がこの儀礼だとは、白も思うまい。
儀礼にも自覚はない。操っているのは、現状『アナザー』だ。
「まだ少し時間あるな。お茶でも入れる?」
時計を見て、儀礼は呟く。
「あ、私やるよ。」
ポットとやかんを持った儀礼を見て、今まで繊細な機器類を相手に手伝うこともできず、手持ち無沙汰だった白は慌てたように走り寄る。
「あれ? お湯、入ってるよ、ギレイ君。」
ポットの中には、湯気の立つ熱そうな湯が満たされていた。
「ああ。それはそのまま使ったらだめだよ、白。」
そう言って、儀礼は入れられたばかりと思える湯を流し台に捨ててしまった。
それから丁寧に、ポットややかんや、カップを洗っていく。
どれも、使われた形跡もないほど、綺麗に磨かれたものだった。
儀礼の行動に白は首を捻る。
「管理局の物はね、何があるか分からないから、そのまま使うのは危険なんだ。」
困ったような笑みを浮かべて、儀礼は言う。
しかし、この部屋に入る直前に、受付けの優しそうな女性がここを綺麗にしたと言っていた。
ポットに入っていたお湯も、その女性が用意してくれたものなのだろう。
「あの人を疑ってるわけじゃないんだよ。」
白の表情から、考えていることを読み取ったのか、儀礼は白の目を見てそう言った。
「でもね、結界が張ってあっても入り込める魔法使いはいるし、鍵を使わずに扉を開けられる人だっている。あの人がこの部屋を綺麗にした後で、そういう人物がこの部屋に入り込んでないとは言い切れないだろ? もし、ここで僕や白に何かあったら、一番に疑われるのは、掃除をしたと言ってくれた彼女なんだ。」
綺麗に洗い終えたやかんに水道から流れる水を一口飲んで、安全と確認してから入れ、儀礼は火にかけた。
「ああいう親切な人に迷惑をかけないためにも、こういうのは大事なことなんだ。僕の身の責任は、僕にある。だから、自分を守るための最低限はしなくちゃいけない。」
コンロの炎を見つめる儀礼の表情は真剣だった。
「それにね、白。ここは中クラスの部屋だからこれだけど、いつも借りる下位の方の部屋だと、返す時に掃除しないのは当たり前、『うっかり薬品こぼしました』って言って、次に部屋に入った人が倒れたり、『実験中にちょっと跳ねちゃったみたい』なんて言って、コップの中に薬品が塗られてたり、なんてことが当然の様にあるから。」
儀礼の表情から、すでに真剣さは消えていた。
何かを悟ったような、呆れたような、苦笑と言える微笑み。
「ほとんどの薬が効かない獅子の体はちょっとうらやましいよ。絶対あれ『黒鬼』の血の効果あるよ。考えられないもん。アレで無事なんて。」
うつろな目をして、儀礼はあさっての方向を見上げた。
何が「無事」なのだろうか。白は冷や汗とともに首を傾げる。
そう言えば、獅子は自分が実験体になっていたというようなことを言っていた。
それを儀礼が黙っていたと……。
「身の回りの物の確認は大切だよ。他人の研究室なんて、仕掛けだらけだと思った方がいいから。公共の研究室なんて、未必の故意【悪気はあるが、わざとじゃない】どころか、完全に故意の試し場になってるからね。」
今度は、くすくすと冷酷に笑い出した儀礼の底の知れない表情に、白はなにか寒気を覚えた。
「楽しいよ? 一つ一つ、誰かが仕掛けた物を見つけるの。仕掛けの内容と成分、誰が仕掛けたかまで調べて管理局に提出すると、ちゃんと報酬が出るんだ。小遣いだけじゃ部品が買えない時には、本当助かった。」
くすくすと薄っぺらに笑っていた儀礼が、いつの間にか白の肩に頭を乗せていた。
ずしりとするほどではなく、軽く預けるだけのその仕草は、甘えていると言うよりは、落ち込んでいるように白には思えた。
「……そのほとんどが、自分に向けて仕掛けられてたものだった場合、どうしたらいいんだろうね。」
「え?」
耳元で言ったはずの儀礼の声が、小さすぎて白にはよく聞き取れなかった。
聞き返した白の声は、お湯の沸いたことを知らせる笛の音で掻き消えた。
「あ、お湯沸いた。紅茶にする? コーヒーにする? 緑茶にする? 麦茶? 抹茶? アップルティーと、グリーンティーと、ココアもあるよ。」
楽しげな表情で、儀礼はポケットから次々にお茶などの缶を出し、白の前に並べていく。
いきなりたくさんの缶が目の前に並び、白の目は悩むように大きく揺れた。
「混ぜる?」
にやりと、いたずらな光を瞳に浮かべて儀礼は笑う。
「え?」
「抹茶とココアは、凄い色になるよ。苦そう。コーヒーと紅茶も、分量気を付けないと香りが混ざって微妙。醤油とコーラは絶対ダメ。」
「ショーユ? コーラ? って、何?」
頭にたくさんのハテナを浮かべて、白は速すぎる展開に混乱する。
くすくすと楽しそうに笑う儀礼は、元気のあふれる姿で、そこに嘘偽りがあるようには見えない。
「色が似てるんだ、調味料と飲み物。混ざってることに気付かないから凶悪だよ、フフフッ。それで、白、どれ混ぜる?」
笑いながら儀礼は白に尋ねる。
いつの間にか、白はどれかを混ぜることになったらしい。
「え? えっと、ギレイ君?」
やったことがあると言いたげな実験内容、逃げ場のない状況で、白は考える。
もしや、獅子の言う実験体とはこういうことだろうか、と。
「うーん、残念。どくだみ茶は持ってないんだ。薬草系か。今度考えておくよ。」
「毒??? え? 言ってない。私、言ってないよ。」
焦った声で白は言う。そんな危なそうなもの、注文した覚えはない。
言ってないよね、と自分の言葉が不安になり、白は頭の中でアルバドリスクの言葉を何度かフェードの言葉に置き換えて確認する。
《からかわれてるわ。》
呆れたようにシャーロットが言う。
先程の、儀礼の小さな声がシャーロットには聞こえた。
思わずと言うように零れてしまったらしい、愚痴のような縋る言葉。
《照れ隠しね。本当、子どもみたい。》
弟という存在に遠まわしな感謝をする儀礼を見て、くすりとシャーロットは微笑んだ。
もし白が精霊であったならきっと、言葉で通じなくとも、流された魔力で気付いたことだろう。
「透明な赤褐色の高温の液体に、琥珀色の粘性のある常温の液体を混ぜ……。」
「普通で、普通でいいよ、ギレイ君。」
白は結局、普通の紅茶を入れてもらった。
ハチミツとジャムとその他のどれにするか聞かれて、ハチミツにしてもらった。
どんな味になるか分からないものを飲む勇気は、残念ながら白にはなかった。
位の低い研究室ではない。
そこそこに値の張るいい部屋のはずだ。
「よかった、結界のある広い部屋借りれて。今日、知り合いが遺跡のマップを届けに来てくれるはずなんだよね。製図の機械があると便利なんだ。あとデータ取り込むためのスキャナーと、大きなモニターでしょ、パソコンも足りないから2台は借りないといけなかったし。ぅぁあ、ほとんど流れて来ない遺跡の情報だよ! 攻略されてるのかな、まだの遺跡もあるのかな? ユートラスだよっ! ユートラ……聞かなかったことに、して。」
見て分かるほどテンション高く、嬉しそうに大きな機械をいくつも並べていた儀礼が、自分の口を押さえ、ぴたりと動きを止めて、ぎこちなく白を振り返った。
「ユートラス」それは白の聞きたくない国の名前ではあったが、今の儀礼の行動から考えると、儀礼の受け取ろうとしている遺跡のマップというのは、元はユートラス内部に入り込んだスパイか何かから流された情報のようだった。
つまりユートラスの『極秘情報』。
それが誰からの情報でどのようにして儀礼に流れてきたのかはわからないが、ユートラスの敵であるなら、その相手は白の敵ではない。
敵の敵は友。
白は黙って、こくりと頷いた。
その情報を掴んでくるスパイの大元がこの儀礼だとは、白も思うまい。
儀礼にも自覚はない。操っているのは、現状『アナザー』だ。
「まだ少し時間あるな。お茶でも入れる?」
時計を見て、儀礼は呟く。
「あ、私やるよ。」
ポットとやかんを持った儀礼を見て、今まで繊細な機器類を相手に手伝うこともできず、手持ち無沙汰だった白は慌てたように走り寄る。
「あれ? お湯、入ってるよ、ギレイ君。」
ポットの中には、湯気の立つ熱そうな湯が満たされていた。
「ああ。それはそのまま使ったらだめだよ、白。」
そう言って、儀礼は入れられたばかりと思える湯を流し台に捨ててしまった。
それから丁寧に、ポットややかんや、カップを洗っていく。
どれも、使われた形跡もないほど、綺麗に磨かれたものだった。
儀礼の行動に白は首を捻る。
「管理局の物はね、何があるか分からないから、そのまま使うのは危険なんだ。」
困ったような笑みを浮かべて、儀礼は言う。
しかし、この部屋に入る直前に、受付けの優しそうな女性がここを綺麗にしたと言っていた。
ポットに入っていたお湯も、その女性が用意してくれたものなのだろう。
「あの人を疑ってるわけじゃないんだよ。」
白の表情から、考えていることを読み取ったのか、儀礼は白の目を見てそう言った。
「でもね、結界が張ってあっても入り込める魔法使いはいるし、鍵を使わずに扉を開けられる人だっている。あの人がこの部屋を綺麗にした後で、そういう人物がこの部屋に入り込んでないとは言い切れないだろ? もし、ここで僕や白に何かあったら、一番に疑われるのは、掃除をしたと言ってくれた彼女なんだ。」
綺麗に洗い終えたやかんに水道から流れる水を一口飲んで、安全と確認してから入れ、儀礼は火にかけた。
「ああいう親切な人に迷惑をかけないためにも、こういうのは大事なことなんだ。僕の身の責任は、僕にある。だから、自分を守るための最低限はしなくちゃいけない。」
コンロの炎を見つめる儀礼の表情は真剣だった。
「それにね、白。ここは中クラスの部屋だからこれだけど、いつも借りる下位の方の部屋だと、返す時に掃除しないのは当たり前、『うっかり薬品こぼしました』って言って、次に部屋に入った人が倒れたり、『実験中にちょっと跳ねちゃったみたい』なんて言って、コップの中に薬品が塗られてたり、なんてことが当然の様にあるから。」
儀礼の表情から、すでに真剣さは消えていた。
何かを悟ったような、呆れたような、苦笑と言える微笑み。
「ほとんどの薬が効かない獅子の体はちょっとうらやましいよ。絶対あれ『黒鬼』の血の効果あるよ。考えられないもん。アレで無事なんて。」
うつろな目をして、儀礼はあさっての方向を見上げた。
何が「無事」なのだろうか。白は冷や汗とともに首を傾げる。
そう言えば、獅子は自分が実験体になっていたというようなことを言っていた。
それを儀礼が黙っていたと……。
「身の回りの物の確認は大切だよ。他人の研究室なんて、仕掛けだらけだと思った方がいいから。公共の研究室なんて、未必の故意【悪気はあるが、わざとじゃない】どころか、完全に故意の試し場になってるからね。」
今度は、くすくすと冷酷に笑い出した儀礼の底の知れない表情に、白はなにか寒気を覚えた。
「楽しいよ? 一つ一つ、誰かが仕掛けた物を見つけるの。仕掛けの内容と成分、誰が仕掛けたかまで調べて管理局に提出すると、ちゃんと報酬が出るんだ。小遣いだけじゃ部品が買えない時には、本当助かった。」
くすくすと薄っぺらに笑っていた儀礼が、いつの間にか白の肩に頭を乗せていた。
ずしりとするほどではなく、軽く預けるだけのその仕草は、甘えていると言うよりは、落ち込んでいるように白には思えた。
「……そのほとんどが、自分に向けて仕掛けられてたものだった場合、どうしたらいいんだろうね。」
「え?」
耳元で言ったはずの儀礼の声が、小さすぎて白にはよく聞き取れなかった。
聞き返した白の声は、お湯の沸いたことを知らせる笛の音で掻き消えた。
「あ、お湯沸いた。紅茶にする? コーヒーにする? 緑茶にする? 麦茶? 抹茶? アップルティーと、グリーンティーと、ココアもあるよ。」
楽しげな表情で、儀礼はポケットから次々にお茶などの缶を出し、白の前に並べていく。
いきなりたくさんの缶が目の前に並び、白の目は悩むように大きく揺れた。
「混ぜる?」
にやりと、いたずらな光を瞳に浮かべて儀礼は笑う。
「え?」
「抹茶とココアは、凄い色になるよ。苦そう。コーヒーと紅茶も、分量気を付けないと香りが混ざって微妙。醤油とコーラは絶対ダメ。」
「ショーユ? コーラ? って、何?」
頭にたくさんのハテナを浮かべて、白は速すぎる展開に混乱する。
くすくすと楽しそうに笑う儀礼は、元気のあふれる姿で、そこに嘘偽りがあるようには見えない。
「色が似てるんだ、調味料と飲み物。混ざってることに気付かないから凶悪だよ、フフフッ。それで、白、どれ混ぜる?」
笑いながら儀礼は白に尋ねる。
いつの間にか、白はどれかを混ぜることになったらしい。
「え? えっと、ギレイ君?」
やったことがあると言いたげな実験内容、逃げ場のない状況で、白は考える。
もしや、獅子の言う実験体とはこういうことだろうか、と。
「うーん、残念。どくだみ茶は持ってないんだ。薬草系か。今度考えておくよ。」
「毒??? え? 言ってない。私、言ってないよ。」
焦った声で白は言う。そんな危なそうなもの、注文した覚えはない。
言ってないよね、と自分の言葉が不安になり、白は頭の中でアルバドリスクの言葉を何度かフェードの言葉に置き換えて確認する。
《からかわれてるわ。》
呆れたようにシャーロットが言う。
先程の、儀礼の小さな声がシャーロットには聞こえた。
思わずと言うように零れてしまったらしい、愚痴のような縋る言葉。
《照れ隠しね。本当、子どもみたい。》
弟という存在に遠まわしな感謝をする儀礼を見て、くすりとシャーロットは微笑んだ。
もし白が精霊であったならきっと、言葉で通じなくとも、流された魔力で気付いたことだろう。
「透明な赤褐色の高温の液体に、琥珀色の粘性のある常温の液体を混ぜ……。」
「普通で、普通でいいよ、ギレイ君。」
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