ギレイの旅

千夜ニイ

バクラムの家2

 儀礼は案内されて、リビングに通された。
全員が余裕で座れそうな広いその部屋のソファには、先客がいた。
「……何で、いるんですか。」
思わず、儀礼の口から言葉が漏れてしまった。
「休みでな。」
ユートラスにいるはずの、金髪・緑の瞳の先客は、ティーカップを片手に、我がもの顔でくつろいでいた。


「ハハハ、忘れていた。うちの長男だ。」
冗談めかしてバクラムが言う。
「初めまして。」
バクラムの長男と言う人に、儀礼は頭を下げてみた。
「ユートラスの遺跡のマップがいくらか手に入ったんだが、……初めて会う人間には見せられませんね。」
その男は見映えの良い顔に合う、爽やかな笑顔を見せた。


「お久しぶりです、アーデスさん。お元気そうで何よりです。日頃から並々ならぬ苦労をおかけし、大変申し訳ないとばかり思ってました。」
遺跡探索の先駆者に向かい、儀礼は胸に手を当て、心の内を訴えた。
「変わり身の早い。」
呆れたようにアーデスが苦笑する。


「いえ、正直なところです。」
手を胸から外し、儀礼はアーデスに近付く。
その人物がやっているのは、ユートラスへの潜入と言う危険な仕事。
それも、護衛として儀礼を守るためだ。
「無事な姿が見れて安心しました。ありがとうございます。」
にっこりと儀礼は微笑む。
初めに感謝を伝えるべきだったと儀礼は反省する。
いるはずのない人間の姿に、動転している場合ではなかった。


「正直、ですねぇ。」
あっけに取られた様子で、アーデスは儀礼を見た。
その言葉に、上位研究者失格と言われたような気がして、儀礼は小さく瞳を伏せる。
奪われてならない情報を持つなら、心の内を読まれることに、警戒しなければならない。
「……外では気をつけます。」
今一度、『Sランク』であることの自覚を持ち、儀礼は顔を上げた。


 アーデスは何か考えるようにして口を開く。
「では、マップは後で送っておきましょう。」
「やった! ありがとうアーデス!!」
アーデスの言葉に、喜色満面に瞳を輝かせて、儀礼は笑った。
両の手は嬉しそうに拳まで握り締めている。
その姿からは、内心を隠す気があるようにはまったく見えなかった。


「……本当に正直ですね。」
呆れたようにアーデスは呟いた。
コレをアーデス達はたくさんの敵から守らなければならないのだ。
世界を滅ぼすような情報を大量に持った子供。
潜入したユートラスの動きは、アーデス達が思っていたよりも本格的なものだった。
頭の痛くなる思いでアーデスは溜息を吐いた。


「そっか、正直じゃないんだよね。」
突然、儀礼は考えるように拳に手を当て、目を細めた。
儀礼の視線の先、座っているアーデスの額に汗が浮く。
「……お前、本気でコロスぞ。」
低い、アーデスの声に儀礼はゆるやかに視線を逸らした。


「左目、どうしたの? 長い時間眼帯でもしてた?」
視線を逸らしたまま、儀礼は聞く。
「――。」
アーデスは何も言わず、深呼吸するように大きく息を吐いた。
「怪我じゃないみたいだけど……。」
儀礼は首を傾げる。
「……ものもらいだ。」
麦粒腫ばくりゅうしゅ。アーデスでもかかるんだ。」
驚いたように儀礼は瞬く。


「お前、次に無断でやったら、命の保証しないぞ。」
目を鋭く尖らせ、アーデスは儀礼に警告する。
「ちょっと『見た』だけじゃないですか。」
口を尖らせ、儀礼は不満をもらす。
「それが、凶悪だって言ってんだ。」
頭を抱え、アーデスが項垂れるように言った。酷く疲れているようだった。




「ギレイ、お前も立ってないで座れ。」
バクラムに言われ、自分以外が皆、すでに座っていることに儀礼は気付いた。
しかし、今の立ち位置だと自然、儀礼はアーデスの隣りに座ることになる。
いや、別に文句があるわけではないのだが。


「あ、そうだ。バクラムさん、これがお願いした『蒼刃剣』です。」
背中からその長い剣を取り出し、儀礼はバクラムに差し出す。
それが背中にあったために儀礼は座ることができなかった。
「お前、またどうやってこれがそこに入ってた……。」
バクラムが頬を引きつらせる。
「ぎりぎりフードで隠れてただけです。」
事も無げに儀礼は言った。


 そこにばたばたと年長の三人が入ってきた。
どうやら自分達の部屋に上掛けを置いてきたらしい。
先程の布を巻いたような服ではなく、普通の服になっている。
体の大きなカナルが、空いていた二人掛けのソファーにどかりと腰掛ける。
長男のシュリはバクラムの隣りのスペースに座った。
長女のラーシャが、さっき儀礼のいたアーデスの隣りに座った。
そのラーシャの膝の上に、2歳のネルイが自分でよじ登って座った。
それは、ここでは当たり前の光景らしい。


 儀礼は近くに空いている一人がけソファーがあったので座らせてもらう。
ラーシャがよく見える位置にいるのは、偶然だ。
隣には奥さんのメルと小さなチーシャ。ピクリともせずよく眠っていた。
アーデスの体に、やんちゃそうな末弟ケルガがよじ登っている。
子供に慣れているというか、動じていないアーデスに、儀礼は笑えてきた。


「なんだこれは! どう使ったらこんな風になるんだ。」
驚いたというバクラムの声に、儀礼はそちらに意識を戻す。
そこにあるのは醜いほどにゆがんだ細い剣。
研いで研いで、磨り減らしたかの様ないびつな刃。
「えっと、いろいろありまして……。」
まさか、殺人鬼の使っていた物だ、等とは小さな子供達の前では言えない。


 バクラムの声に驚いたのか、1歳の女の子ミーが母親のメルの所までよちよちと歩いてきた。
その一歩の幅が凄く狭くて、可愛い。なかなか進まないので、儀礼は思わずゆっくりと眺めてしまった。
「あこ、あーこ。」
メルの服を引き、しきりに何かを言うミー。残念ながら、儀礼の言語能力でも理解できなかった。


「あー、ミーごめんね。母さんはチーシャ抱っこしてるから、ミーは『お兄ちゃん』か『お姉ちゃん』に『抱っこ』してもらって。」
メルが、所々の言葉を強くして、丁寧にミーに語り掛けた。
こんなに小さいのに、それで分かるのだろうかと見ていたら、しばらく泣きそうな顔でメルの服を引いていたミーが隣に座る儀礼を見た。


「来る?」
儀礼は思わず、両手を出してしまっていた。
小さなぬいぐるみの様な体は、すんなりと儀礼の手へと寄ってきた。
その可愛らしいものを儀礼は膝の上へと抱き上げる。
柔らかい感触、暖かい体温、ミルクのような小さい子特有の匂い。
「この大きさで動いてるのが不思議です。」
今度はさらに小さな神秘を、儀礼は抱きしめてみた。


「この剣がどうなってたって?」
バクラムの声にはっとし、儀礼は膝の上の温かいミーから『蒼刃剣』へと視線を戻す。
「元はその芯の上に、加工された青い刃がありました。なんとかならないでしょうか。」
不安そうに儀礼は尋ねる。
「予想以上だな。これでよく形を残していると思える程だ。本来なら崩壊が起きていておかしくない状態だな。」
難しい顔でバクラムは唸る。
古代遺産は何千年もの間、形を保っている頑丈な物だが、その物を構成している魔法や核となる物質に損傷があると、あっという間に崩壊を起こして壊れてしまう。


「町を壊す位、普通に使えたらしいんですが。」
儀礼の言葉に子供達が目を見開いた。口を滑らせたらしい。
「あの……木箱で作った偽物の町です。えっと、剣の練習用にね。」
幼い子供達に、儀礼はにっこりと笑ってみせる。
驚いたような顔をしてはいるが、こくこくと血色良く頷く姿は納得してくれたらしい。
青い顔で引かれでもしたら、儀礼はきっとバクラムに睨まれる。


「ギレイ。そのフォロー、俺達には無効だぞ。」
引きつった顔でシュリが言った。カナルとラーシャが視線を逸らして、頷いている。
青い顔ではないので、大丈夫だろう。
「シュリ達なら問題なし。」
儀礼はまた、にっこりと笑う。


「もう少し用心しろ、ギレイ。」
呆れたようにアーデスが言った。
「あ、はい。すみません、配慮が足りず。」
小さな子供の前で、不用意なことを言ってしまった儀礼は、バクラムに頭を下げる。
「それじゃない。その、警戒心のない顔だ。」
何がおかしいのか、口元を押さえ、笑うようにしてアーデスが言った。


「笑顔も悟られなければ、ポーカーフェイスですよ。」
にっこりと儀礼はアーデスに笑ってみせる。
その隣りで、たまたま目が合ったラーシャが、慌てたように儀礼から目を背け、隣のアーデスを振り返る。
アーデスの笑みが引きつった。
「お前の笑顔はある意味、害だな。」
「酷い言いようですね……。」
儀礼は傷ついた気分で視線を逸らし、膝の上の柔らかいミーと、隣りでスヤスヤと眠る赤子の寝顔に癒された。


 儀礼に背を向け、アーデスを振り返ったラーシャの顔が真っ赤に染まっていたことなど、儀礼に気付くよしもなかった。




「ギレイ、お前昼飯食ってく時間あるだろ。」
バクラムが儀礼に言う。
「いえ、その前においとまします。」
「用事があるのか?」
儀礼が答えればバクラムが問う。
「用事はないですが、……急に来てそこまでご迷惑おかけできません。」
もともと剣だけ渡して儀礼はすぐに帰るつもりだったのだ。


「いや、用事がないなら少しうちの事に付き合ってくれないか。頼みたいことがあってな。ああ、大したことじゃないから身構えるな。」
背筋を伸ばした儀礼にバクラムは手の平を見せて振る。
「娘たちがはりきって昼飯を作るって言うんだ。食ってけ。」
バクラムがラーシャたち三人の娘を見て微笑んだ。


「うん。あの、あんまり上手じゃないかもしれないんだけど。良かったら食べてって。」
立ち上がったラーシャが赤い顔をして儀礼に言う。
朝食どころか、昨夜の夕食もとっていない儀礼に、断る理由はなかった。
「うん。ありがとう。ごちそうになります。」
にっこりと儀礼が笑えば、メルーとタシーが「わぁー」とか「キャー」とか言う声を上げ、揃って立ち上がり、ラーシャと共にリビングの奥へと走っていった。
そこがキッチンらしい。
女の子がいると華やかでいい。


「それでな、ギレイ。俺の仕事のことなんだが、子供達には護衛だとは言ってあるんだが、信じてもらえなくてなぁ。」
困ったようにバクラムが後ろ頭をかく。
「昔っから家を空けることが多くて、子供らのことも妻に任せっきりだったんだが。お前の護衛になってからは家にいる時間も増えて、収入も増えて、うちは随分楽になった。」
バクラムは笑う。


「なのにこいつら、特にシュリがな、俺がやばい仕事に手を出して、高い金を貰ってるんじゃないかって疑ってな。」
バクラムがシュリを見た。
シュリはその目を真っ直ぐに見つめ返している。本気で、疑っていたらしい。
それも、疑ったことを間違っていると思っていない。
名のある冒険者である父親にも、挑む目。


「本当に、バクラムさんにはいつもお世話になってます。護衛は……危険な仕事だと思います。心配するのは家族なら当然ですよね。」
バクラムが普段やっている仕事は、護衛と言っても儀礼の側に付くことではない。
儀礼に害をなすと判断された組織に乗り込み、内部を物理的に破壊、扉を壊して自力での脱出劇。
また別の時には、入り口を破壊して正面から侵入、ボスを倒してやはり自力脱出。
……子供達に話せる内容の仕事ではない。
やばい仕事で高い報酬。シュリの言うことは間違っていなかった。


「あの、ごめんなさい。」
目に涙を浮かべて儀礼が謝れば、バクラムが大きな声で笑い出す。
「違うんだ、ギレイ。こいつ、俺が守ってるのが、裏の組織のボスか何かだと思ったんだと。一緒に遊ぶようなつもりで、しばらく観察させてやってくれ。」
シュリの肩を叩いてバクラムが言う。
「……もういい、わかったよ。親父のボスはこいつなんだな。」
儀礼を見て、溜息のように深い息を吐き、それから、シュリはすっきりとした笑顔を見せた。


 幼い妹を膝の上に乗せ、その綺麗な金色の髪をヨダレまみれの手で引っ張られても、楽しそうに微笑えんでいる人物が、悪い人間だとは、シュリにはもう思えなかった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品