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ギレイの旅

千夜ニイ

 止まっていた時は長いようだったが、実際には1分にも満たない時間だった。
誰が止める間もなく、儀礼は人質にされた女性のもとへ歩み寄る。
涙を浮かべ震えていたのは、受付にいた可愛いお姉さん。
その柔らかそうな白い首からは、一筋の血が流れていた。
突きつけられているのは研ぎ澄まされた小さなナイフ。
涙に濡れた瞳の中には、溢れるほどの恐怖が映りこんでいた。


「おはようございます、お姉さん。」
にっこりと儀礼は、その女性に微笑んだ。大きな白いタオルを頭の上に被ったままの姿で。
涙の浮いた女性の目が、何度も瞬きを繰り返す。
微笑む儀礼をその瞳に捉え、安心したように恐怖がゆっくりと消えていった。
震える体の緊張が解けていったようだった。


「お前、いきなり来て、なんだ! これが見えないのか?」
女性の首にナイフを突きつけている男が、儀礼に怒鳴るように言う。
その手がさらに女性の首へと刃先を押し付けようとしていた。
にやりと儀礼の口は笑う。


「僕の武器も、見えないんだね。」
深い響きを込めて儀礼が言った瞬間に、男の手元からはナイフが消えた。
目に留まらぬ速さの、素早い何かが、男の手の側を下から天井へと通り過ぎたのだ。
「なっ、何が――」
呆然とする男達に笑みを見せたまま、儀礼はその名を口にする。


「朝月。力、貸して。」
その言葉だけで、たちまち部屋の周囲に、正体不明の魔力が沸き起こった。
シュシュシュッと何かのすれる音が反響する。
シュシュシュッ……
「うわぁっ!」「ぐわぁっ」「ぐおっ」
音と共に、盗賊のような男たちが、次々と呻き声をあげ、金属の網のようなものに絡め取られていく。
ある者は床に抑え付けられ、ある者は天井に吊るされ、三人、四人、十人、十四人、十七人。
あっという間に、その場にいた盗賊達は銀色の網にくるみ取られた。
ついでに、儀礼が仕掛けてもいない電気が勝手に流れた気がしたが、視線を逸らし、儀礼は気付かなかったことにした。


 カラン、と最初に天井へと絡め取ったナイフが床に落ち、高い音を立てた。
安心して力が抜けたのか、女性がひざから崩れ落ちる。
側にいた警備兵がとっさにその体を受け止めた。
「ありがとう、朝月。」
全てを確認し、感謝を込めて、儀礼は腕輪の石に唇を付ける。
白い石は応えるように力強く光り、朝月は嬉しそうに見えない顔を綻ばせた。


「今のは……。」
金属の網から免れた警備兵たちは、起こった現象を理解できずにいた。
「魔法……なのか?」
儀礼の左手の腕輪を見て一人が呟けば、別の一人が首を振る。
「……詠唱がなかった。」
それなのに、強大な魔力が動いたのだ。
突然現れた、無防備とさえ言える姿の少年の所業に、魔力を感知できた者は呆然と立ち尽くす。


「えっと。それで、こっちの人たちは……。」
そんな警備兵たちを見て、迷うように儀礼は指を揺らす。
「やめとけ、この町の警備だ。」
捕らえるべきか考えている様子の儀礼に、呆れたように獅子が答えた。
「で、儀礼。あれは何だ。」
絡め取られた盗賊達を指差して、獅子は聞く。


わな。」
にっこりと儀礼は笑った。
「何で、罠がこの部屋にあるんだ。」
片手で額を押さえて獅子は問う。正確に言うなら、部屋の中だけではなかった。
天井を含めた部屋中の壁と、目の前の廊下の壁にいたるまで、ずっと壁の模様だと思っていた『淡い銀色の線』が全て、儀礼の仕掛けたワイヤーでできていたのだ。


「拓ちゃんが、白をいじめた時用。」
にっこりと、儀礼は微笑む。当たり前のことのように。


 ゴンッ。
獅子の拳が儀礼の頭に炸裂した。
「僕、悪いことしてないのに。なんで殴るんだよ。」
痛む頭を抑え、涙目で儀礼は獅子を見上げる。
儀礼が乱入せず、獅子と拓で解決していたならば、敵も部屋も廊下も血まみれになっていたことだろう。
宿の主に怒られない分、むしろ感謝して欲しい程だった。


「お前、あの男たち知ってるな?」
断定として、獅子は儀礼を問い詰める。
確実にそうと分かるほど、儀礼の一連の行動には、ためらいがなかった。
その怒りの気配に、儀礼は身を縮ませる。
「……4人だけ。」
片手で指を四本だし、小さな声で呟いた。
「人違いで、襲ってきて……眠ってもらった、かなぁ……。」
視線を逸らし、地面にでも話すように儀礼は囁く。


「犯人こいつです。」
儀礼の背を押し、獅子は警備兵へと突き出す。
「えぇっ!? そんな、あれは正当防衛です。すみません、本当に囲まれて、1対4でした。」
何のことだかはわからないが、このままでは何かの犯人に仕立て上げられると儀礼は危機を感じた。
目の前にいるとても背の高い屈強な男に、儀礼は怯えたように説明した。


「正直に、女に間違われて襲われたって言っちまえよ。」
ニヤニヤと笑いながら拓が言う。
「囲まれただけだっ。この格好見てよ! どう間違えたら僕が女に見えるって言うんだ。」
拓に向かい、怒ったように儀礼は頭上のタオルを取り払う。
下はズボンを穿いているが、上は裸だ。
この状態で女と間違われるなど、よっぽど幼い子供でなければありえない、と。
ですよね、と問いかけるように儀礼は警備兵という男達を見た。


 タオルの下から現れたのは、濡れた金の髪、湿った白い肌に、怒りで桜色に染まった頬。
少女のような愛らしい顔立ちに、艶めく赤い唇、掴めば折れてしまいそうな頼りない細い腕。
小さな体が、透き通った大きな瞳で伺うように見上げれば、正義感ある大人たちは思わず保護欲をくすぐられる。


「もう、大丈夫だからねっ!」
ギュッと、儀礼に飛びつくようにしてそう言ったのは、震えて怯えていたはずの女性だった。
「怖かったわよね。」
なぜか、抱きしめられ、儀礼は濡れた頭を撫でられる。
それは、幼い子供に対する態度にとてもよく似ていた。
半裸の状態で抱きつかれ、笑っていいのか、泣いていいのか、とりあえず抱き返してみるかと、儀礼が思案していれば、目の前で女性の首から血が流れ出る。
儀礼は慌てて持っていたタオルで血を拭い、絆創膏で傷を止めた。
幸い首は綺麗で――――。幸い傷は綺麗で痕は残らないと思われた。


「あいつら、俺に襲われたとか言ってきたんだと。」
廊下に放り出した盗賊達を示し、不満そうに獅子が言った。
「獅子に? なんで?」
手当て道具をズボンのポケットにしまい、儀礼は驚いたように目を開いた。
獅子にやられて、あんなに元気でいるわけがない。


「あんな男たちの言うことを聞くんですか?」
血に染まったタオルを見て、儀礼は訴えかけるように警備兵に問いかけた。
すぐに、背の高い警備兵が答える。
「ああ、悪かったな。どうやら非はあちら側にありそうだ。俺は、この町で警備隊長を任されている。」
男が手を出したので、握手かと思えば、その手はなぜか儀礼の頭の上へと置かれた。
ごつごつとした大きな手が、儀礼の頭を撫でる。
「怖いことを思い出させてすまないが、話を聞いてもいいか?」
幼い子供にでも話しかけるような丁寧さで目元を緩め、男は儀礼を見下ろした。
(断ってもいいだろうか……。)
引きつった笑みで儀礼は背の高い警備隊長を見上げた。


「あの、冷えたから浴び直して来ます。」
ばさりとタオルを肩に掛け、待たせてやる、という意思たっぷりに儀礼は警備隊長に告げる。
「んなもん、後にしろよ。」
儀礼の思惑を知ってか知らずか、獅子は警備兵たちを待たせることを非難する。


「待て、儀礼。お前に必要な物だ。」
拓がテーブルの上から何かを持ってきた。
「必需品だろ。排水口にでも流されたら、帰って来れないぞ。」
親切そうな笑顔で拓はのたまう。お椀と箸を差し出して。
「っっ誰が一寸法師だ!!」
儀礼はそれを突き返した。
もし竹筒が出てきたなら、盗賊同様、召し捕っている所だ。


 くすくすとその場にいた者たちが笑い出した。
「なんにしろ、一度事情を説明して欲しい。その、服を着てからでかまわないからな。」
咳払いをいくつか混ぜて、背の高い警備隊長が言った。
その目は、儀礼の方を見ようとしない。
排水口に流されるほど小さいと、肯定されているようで、儀礼にはもう我慢できなかった。
警備兵たちを黙らせるために、儀礼は白衣を取りに、シャワー室へと入っていった。


 すぐに出てきた儀礼は、白衣に身を包むいつもの姿。
鎧ほどの重さがある、ワイヤーを巡らせた仕掛けだらけの白衣と、その下のホルダーを繋ぎ合わせた防弾ベスト。
モニターになっている薄茶色の眼鏡に、左手の甲にキーボードが付いた、指先の出る黒い手袋。
電磁石や、刃の出る仕掛けがあるために底の分厚い、重い靴。
それが儀礼のフル装備。


「……同一人物だよな。」
その姿の儀礼を見て、警備隊長は何度も瞬く。
「明らかに体型が一致しないのだが。」
困ったように、獅子達を振り返る。


「あれか。何て言うんだ?」
顎に手を当て、儀礼を見ながら、獅子は考える。
身長を増すための靴を確かシークレットブーツと言う。ならば――。
「シークレットスーツ。」
儀礼の白衣を指差して、獅子は言った。


 それを聞き、儀礼は一瞬眉を寄せた。しかし、すぐに表情を和らげる。
「まぁ、機密シークレットなのは否定しないよ。」
両方の手をポケットにつっこみ、儀礼はくすりと、意味深な笑みを浮かべた。
部屋中の壁の模様が、勝手に動き出していた。

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