ギレイの旅

千夜ニイ

 儀礼はワルツたちとの買い物の後、結局翌朝まで起きなかった。
慢性的な睡眠不足に、体が一気に休息を求めたらしい。
精神的なダメージのせいだとは、儀礼は思いたくなかった。


 儀礼が起きた時には、他の4人はすでに起きていて、なぜか、獅子の機嫌がすこぶる悪かった。
「お前が利香のベッドで寝るから。」
起きてすぐ、目の覚めるような怒りの気配に、恐る恐る儀礼が聞いてみれば、そんな答えが返って来た。
「ご、ごめん。」
震える声で、儀礼は利香と獅子にあやまる。


 どうやら、儀礼は別の部屋を取るべきだったらしい。
それにしても、なぜ獅子は拗ねたように怒るのだろうか。
本気で怒るようなことでもないので、その程度で儀礼に取っては助かるのだが、不気味な静けさという気がして、ならない。


「利香が、お前の隣りで寝てた。」
朝食の後らしい獅子が、テーブルの上に頬杖を付き、儀礼から視線を逸らすように、窓の方を見て、その事実を告げた。
「……は、い?」
獅子の、その言葉の意味が儀礼には、よく理解できない。
儀礼が寝た時にはベッドの上は空だった。儀礼が起きた時も、ベッドの上には儀礼だけだった。
「いや、知らない。」
儀礼は思い切りよく首を振る。


「だって、儀礼君よく寝てたし、動かすのも可哀想だから。大丈夫、儀礼君小さいから一緒に寝れたよ。」
にっこりと、その原因のお嬢様は言った。明らかにおかしい、一言を。
「……みんなで、僕をからかってるとか。」
そういう理不尽なことをやって楽しむ男が室内に一人居るのだ。
拓は、獅子と反対の席で、知らないと言わんばかりに勝ち誇った顔で笑っている。
妹の問題行動に、なぜ笑えるのか、儀礼にはもう理解できない。


「確かに、お前起きなかったもんな。そうとう疲れてたんだとは思うけどよ。」
真っ青な顔の儀礼を見て、怒るに怒れないというような、苛立たしさ満開の顔で獅子は窓の外を睨む。
「ちょっ、待ってよ! そこはさ、別の部屋借りたり、せめて僕より、白と一緒に寝かすとかさ、考えようよ。寝ちゃった僕が悪いけどさ。」
特に、年長者であるはずの人間に、儀礼は道義を説く。


「俺が白と寝ても良かったんだけどな。」
「却下。」
にやりと笑う拓に、儀礼は否定を投げつける。
手ではなく、拓は座ったまま、足でマクラを蹴り返した。
「なんて奴、蹴るなよマクラを。外道め。」
自分の投げた枕を受け取り、儀礼は小さく不満を口にする。


「起こしてくれればよかったのに。僕が寝たの、夕方前だったろ。用事あるから、また出てくつもりだったんだけどな。」
困ったように頭をかき、それから儀礼は大きく伸びをした。
「まぁ、何にしろ? 二人とも起きてたんなら、僕の無実は証明されてるわけだ。」
すっきりとした表情で、にぃ、と口を大きく広げて笑い、儀礼は二人の男の目の下を指摘する。


「利香ちゃんダメだよ、無用心。獅子がかわいそうだ。」
着替えの服を持ち、儀礼はシャワー室へ向かう短い道中、利香の前で止まった。
食後のお茶を飲んでいた利香は、首をかしげるようにして儀礼の顔を見上げた。
どこに問題があるのか、わかっていないらしい。


「僕、男だから。」
真剣な顔で、儀礼は利香の顔を覗き込んだ。
正面に立つ儀礼を、利香は大きな黒い瞳でじっと見つめ返す。
黒曜石のようにつややかに輝く濡れた瞳と、影を作るほどに濃く長いまつげは、思わず手を伸ばして触れてみたくなる美しさ。
静かな一瞬の後、おもむろに利香が白い手を、儀礼の髪へと延ばした。


「儀礼君、ねぐせ付いてる。可愛い。」
にこにこと利香は無防備に、儀礼の頭を撫でつけた。
「……っ直してくるから。」
わかってない、と儀礼の心に浮かんでくるのは、怒りよりも惨めな気持ちだった。
視線を逸らして、滲んでくる涙を隠す。


「いっそ、獅子と寝ればよかったじゃん。」
涙混じりに、口を尖らせ儀礼が言えば、頭を撫でる利香の手が止まった。
ああ、そこは赤くなるのかと、儀礼は大きな溜息を吐く。
自分は一体なんだと思われているのか、と。


 僅かに震えて見えるほど身体に緊張を走らせ、恨めしそうに儀礼を見上げる、真っ赤に染まる少女の顔は、とても可愛らしいものだった。
「いとうつくしうていたり、だっけ?」
くすりと笑うと、今度は儀礼が利香の頭を撫で返す。
「三寸ばかりなる人って、利香は三寸(9cm)かよ。古いもん持ってくるな、お前。」
呆れたように拓が返す。
「褒めたんだよ。」
にっこりと儀礼は笑う。


「なら、お前は一寸だな。」
にやりと、見下したように儀礼を見て、拓は笑う。
「法師は、立派な若者になりました。」
そう言って、仕返しできたことに満足し、くすくすと笑いながら儀礼はシャワー室へと入っていく。


「何だって?」
儀礼の言った言葉の意味を理解できず、獅子は苦い顔でその背中を見送った。
「わかんない。」
困ったように白は首を傾げる。
「とても可愛らしく座っていた、だとさ。その前に来る言葉は、三寸ほどの『小さい人』って意味だ。」
拓が面倒そうに答え、残っていたお茶を飲み干す。


「小さいって言われてそれかよ。ガキ。」
明らかに、儀礼に聞こえる大きさの声で拓が返した。
シャワー室からは、聞こえないと言わんばかりの大量の水音が聞こえてきた。


「英君のことみたいだね。」
利香の肩を見て、笑いながら白が言った。
そこにはずっと、あぐらをかいて英が座っている。
《俺か?》
自分を指差し、楽しそうに英が笑う。
10cmに満たない小さな体、3歳ほどの無邪気に笑う幼子は、白の目にはとても可愛らしく見えた。


 その英が、突然眼つきを鋭くし、本体である護衛機に飛び乗った。
同時に、獅子が剣を持って扉の方へと歩き出す。
大きさの違う、よく似た二人が真剣な顔で扉を見つめる。
 コンコン、と遠慮するような小さな音で扉は鳴った。
客が来るには、少し早い時間だった。

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