脱出

　複数の店員に取り押さえられ、服を掴まれている儀礼。
身代わりの術よろしく、儀礼は上に着ていたヤンの服を脱ぎ去る。
冬場には寒いその下の格好で、儀礼は表へと飛び出した。
バクラムの待つベンチには儀礼の白衣が置かれている。
その白衣に身を包み、儀礼はすぐ側に生えていた、大きな木へとよじ登る。
葉の落ちた枯れ木のような枝からは、儀礼の姿は丸見えだが、普通の服屋の店員には手の届かない高さではある。
そこで儀礼は太い幹を背にして膝を抱える。
「バクラムさん、僕もう帰りたいです。」
ポロポロと儀礼のズボンの膝には、涙がこぼれ落ちて吸い込まれる。

「男なら、めそめそ泣くなっ！」
下から怒鳴るバクラムの、その、厳しい言葉が温かい。
やはり、儀礼の目からは別の涙が出てきて止まらない。
ショップの店員が、儀礼を追いかけて店を出てきたようだ。散り散りに道を左右に走っていく。
儀礼は見つからないように、白衣のフードを目深く被った。
黒い長袖シャツの少女を探す彼女たちには、白衣の儀礼は見つけられないだろうと儀礼は僅かに安堵する。
さすがに、下着姿のままでは、ワルツとヤンも出ては来られまい。
儀礼の涙は、ようやく治まってきた。

「お前ら、やりすぎだ！」
バクラムが、主にワルツに向かって怒鳴っている。
「はいはい。やりすぎたよ、悪かったなギレイ。」
赤茶色の髪、オレンジ色の瞳のワルツが、淡いオレンジ色のドレスに身を包み、苦笑するように儀礼を見上げている。
ドレス姿の女性を見下ろすというのは、なかなかいい光景だった。
襟元の締まったワルツのドレスには、胸元の高い位置にワンポイントの飾り穴が開いている。
普通に立った儀礼の身長では、ドレスのデザインにしか見えなかったことだろう。
長く綺麗な足がストッキングで隠され、スリットの開いた片側にしか見えないのは、少し残念な気がしたが。

「あのっ、すみませんでした、ギレイさん。あんなにお店の方が乗り気になるなんて思わなくて。止めることもできないなんて、護衛として、その、お恥ずかしいです。」
首を小さくかしげて申し訳なさそうに、儀礼を見上げるヤン。
いつもの暗い色合いの服ではなく、瞳の色に似た、鮮やかな黄緑色のドレス。
日に焼けていない肩を出し、ドレスよりも薄い緑色の長手袋でひじの上までを覆っている。
幾重にも重ねられたスカートの布地は、逆さにした満開の花の様に見えた。
長い黒髪は、三つ編みのあとをふわふわと残して、腰の長さまで下ろされている。

「いいよ、もう。」
するりと儀礼は地面へと飛び降りる。
その足元では金属音どころか、着地音すらしなかった。ふわりと白衣のすそが遅れて落ちる。
「二人とも、綺麗。」
にっこりと笑って儀礼は二人の姿を褒める。
照れたようにヤンが微笑み、ワルツはにやりと笑い返した。

「ギレイ。元はと言えば、お前が原因でもあるんだぞ。」
バクラムが、眉を寄せた状態で儀礼を見る。
「原因？僕、何かしました？」
心当たりがなく、儀礼はバクラムのように眉をしかめて聞き返す。
「お前がやった魔法石と魔石の粉の仕掛けだ。あれでワルツは怪我をして――」
「怪我！？ホント！？ごめん、どうしよう。僕、ふざけたつもりで……。」
バクラムが全てを言い終える前に儀礼は叫ぶようにして驚き、ワルツに謝る。
「あんな仕掛け、皆ならすぐに解除すると思って。威力も部屋の中寒くするぐらいのつもりで、ホントに、冗談のつもりで、まさか怪我するなんて、ごめんなさいっ。」
しょんぼりと肩を落とし、今度は儀礼が深く謝る番だった。

「いいって、怪我って言ってもあざ一つだ。あたしも今回のはやりすぎたと思うからさ。おあいこな。」
くしゃくしゃとワルツは儀礼の頭を撫でる。
薄い絹でできたグローブで撫でられるのは、儀礼はなんだかくすぐったい気がした。
「威力、強すぎました？何度か試したんだけど、やっぱり長時間離れちゃったからかな。」
真剣な顔で儀礼は自分の仕掛けた装置を思い起こす。
失敗があるのなら、成功するまで調整したくなるのが研究者の性さがだ。

「強すぎたって言うか、ヒョウが嵐の様に降ってきて、部屋はめちゃめちゃで、なぁ。」
ワルツが振り返れば、ヤンは首を傾げる。
「私は、その場にいなかったので、ごめんなさい。」
何かを思い出したように、ヤンは明らかに儀礼から瞳を逸らせて、身を震わせた。
その姿に、儀礼は首を傾げる。
「待てよ。あれは結局コルロが引き起こしたのか……？」
腕を組み、片方の眉をしかめてワルツが言う。
あの時、最終的に仕掛けを動かし『氷嵐アイスストーム』を巻き起こしたのは、コルロであった。

「ではぜひ、コルロさんにも女装を。」
自分一人が被害に合うことに納得できず、儀礼は提案する。
三人が同時に、無言で儀礼を見た。
「あの、コルロさんには事情がおありなので。」
「あいつは、まぁ、今回のでいいだろ。」
「あれはあれで十分まかなえる範囲だな。」
ヤンは遠慮がちに、ワルツは腕を組んだまま、バクラムは苦笑するように、それぞれが儀礼にコルロの罰ゲーム免除を訴える。

　そう言えば、この場に居ない護衛の二人。
儀礼はアナザーの言葉を思い出す。『約２名、ユートラスに潜入中』と。
「あの、大丈夫なんでしょうか？！」
儀礼は顔を蒼くして三人に尋ねる。
「お前の女装よりは違和感あるから目立つだろうが、問題はない。」
にやりとワルツが笑って言う。
潜入は目立ってはいけないのではないだろうか、彼らは一体何をやっているのだろう、と儀礼は頬に汗を流す。

「大丈夫だから、安心しろ。奴らには移転魔法がある。俺も使えれば行ったんだが今回は残りだ。」
儀礼の肩に大きな手を置き、バクラムが言う。
その温かい手と声を聞けば、儀礼は本当に安心できるような気がした。
「そうだ、バクラムさん。聞きたいことがあったんです。古代の武器を直せる人っていませんか？」
壊れた蒼刃剣のことを思い出し、儀礼は可能性のあるバクラムに問いかける。
その質問に、バクラムだけでなく、ワルツも眉を動かして反応した気がした。

「古代の武器？古代遺産と言うことか？」
眉間にしわを寄せ、悩むようにバクラムが言う。
「実は知り合いが『蒼刃剣』という武器を持っているんですが、それが壊れていて。崩壊は起きてないんで、基礎は残ってるんです。何とかならないでしょうか？」
願うように儀礼はバクラムを見上げる。
「実物を見てみないことには何とも言えんが、俺の師匠の弟ならば何とかなるかもしれん。しかし、もうかなりの歳だ。武器を鍛え直せるとは思えん。弟子がそれ程の腕に育っていることを願うしかないな。」
顎に手を当て、難しい表情でバクラムは言った。
「可能性があるなら、お願いします。その剣、どうしても直したいんです。」
剣が直ったからと言ってヒガの人生が戻るわけではないが、それが儀礼には重要なことのように思えたのだ。

　それに、古代遺産を直せる人間には、儀礼は大いに興味があった。
しかし、それを顔に出すことはしない。
バクラムの表情を見れば、その人たちとの間に、何かわだかまりのようなものがあるのかもしれないと、感じ取れた。
「わかった。一度その剣とやら見せてもらえるか？それから連絡を取れるかやってみる。」
「ありがとうございます！剣は管理局に預けてあるので、後で届けますね。どこに持って行けばいいですか？」
「じゃぁ、悪いが家うちに届けてくれ。後で住所を送る。ついでに俺も、少し頼みがある。」
「はい。わかりました。」
にっこりと笑って答えた儀礼の周囲に、複数の人の気配。

　近くはない。近付いてはいないが、確実に儀礼を捉えている反応。
「あの……ヤンさん、僕を送ってくれませんか？今すぐ。」
儀礼を取り囲む、ランジェリーショップの店員の気配に、ヤンたちも気付いていた。
気付いて、困ったような苦い笑いを浮かべている。
女性たちの表情は必死で、走り回ったことで息を上げていた。
目には苦しさからか、思い余るものがあってなのか、恨みがましいほどに涙を溜めている。
間違っても引き受けるつもりはないので、その顔を見ながら断り続けることは、儀礼には物凄く気の重い作業に感じられた。

　足元に白い光の陣が広がり、儀礼は大きく安堵の息を吐いた。

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