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ギレイの旅

千夜ニイ

精霊 トーラ

「僕はシャワー浴びてくるけど、その間もおとなしくしてるんだぞ。」
睨むように獅子を見て、儀礼が言う。
「ああ。」
剣の手入れをしながら、獅子は適当に返す。
ヒガとの戦いで怪我をした獅子は、傷自体は魔法で治っていても、流れ出た血までは回復していない。
食事と増血剤で動ける程度にはなったが、普段のトレーニングをするほどには戻っていない。
獅子の普段のトレーニングがすでに、普通の運動量ではないのだが。
「安静にな。」
もう一度、儀礼は獅子に釘を刺す。


 部屋の四隅にベッドが置かれた四人部屋。
扉から入って右側のが白、その奥の窓際が獅子のベッド。
儀礼は左側の窓際のベッドに荷物を置いているが、一晩中テーブルで機械をいじっていたので、寝てはいなかった。
獅子と白のベッドの間にシャワー室への入り口がある。


 歩き出そうとした儀礼が一度止まる。
「あ、そうだ白、この子見てて。」
そう言って、儀礼は白の寝ているベッドの足元に、綺麗な紫色の宝石を置いた。
「見ててって?」
この子、と言ってもそれは石だった。犬や猫ではない。じっと見ていればいいのかと白は首を捻る。
「ごめん、なくなると困るから置いといて。」
言い方がおかしかったことに気付き、儀礼は苦笑して言い直した。


 儀礼がシャワーを浴びに行った直後、獅子は上に着ていた長袖のシャツを脱ぎ出す。
「仕方ない、おとなしく室内でやるか。」
しかめっ面で言いながら、床にうつ伏せに寝転がり、片手での腕立て伏せを始める。
その手の平は床についていない、獅子は指だけで体を支えている。
「2、3、4…………105、106……。」
白の見ている前で、その回数はあっという間に増えた。
(あれ確か、騎士の人たちがきついって言ってたメニューだ……。)
白の頬に汗が流れた。


 その回数が200を超えると、獅子は、支える手を反対にする。
「7、8、9……。」
そちらもやはり、あっという間に数を増やしていく。
「……実は簡単?」
あまりに簡単そうに見えるので、白にもできるのではないかという気さえしてきた。
《そんなわけないでしょ。》
聞いたことのない声が白の耳に響く。くすくすと笑う、可愛らしい小さな声。


 白はキョロキョロと周りを見回した。
部屋の中には今、獅子と白しか居ないはずだ。
いや、シャワー室に儀礼がいて、白の隣りには青い精霊が飛んでいるのだが。
《ふふ、こっちよ。》
声は白の正面からした。
白の目の前、白いベッドの上に置かれた紫色の大きな宝石。
それは、ワイバーンの瞳と呼ばれる高価な宝石だと、白は知っていた。
しかし、その宝石の上にチョコンと座る可愛らしい女の子は、白の見たことのないものだった。


 ふわりと、そのピンクに近い紫色の少女は飛び上がる。
白の精霊よりも少し大きさは小さいが、年齢は上の様にも見えた。主に女性らしい、体型が。
長い髪は一つに括られ、袖が短く胸元が広めに開いた、体のラインにぴったりと沿った紫色の服。
腕を覆う長いグローブと、短いスカートに、ももまである長いブーツ。
縦に線の入った、紫色の宝石のような目と、勝気そうな表情。
思ったより幼い顔をしていたが、やっぱりとても美人だ。
そして、何より気になったのが、白の見たことのない、その精霊の背に生える、膜の様に広がった紫色の翼。
まるで、ドラゴンの翼のようだった。


 白の知っている、精霊の透明な翼ではない。
それでも、その存在はトレーニングを続けるシシには見えないようで、やはり精霊なのかと白は思う。
《精霊連れなんて珍しいと思ったら。やっぱりあなた、私が見えるのね。》
白の目の前に飛んできて、にっこりと嬉しそうに紫色の精霊は笑う。


 慌てたように青い精霊が、その精霊と白の間に割って入った。
守護精霊は1対1で契約した精霊。
主を守る責任があるのと同時に、他の精霊が主に近寄るのを嫌う性質がある。
《大丈夫よ。別にその子と契約したいわけじゃないから。》
にっこりと笑って、紫色の女の子は、ブンブンと青い精霊の手を握る。
まるで、乱暴な握手の様に。


《私はトーラ。見て分かる通り、この宝石の精霊ね。》
ふわりと、トーラは自分の宝石の上へと戻る。
《あの子が名前をくれたから、私は私になった。》
くすりとトーラがシャワー室の方を見て笑う。
「あなたは、ギレイさんの守護精霊なの?」
小さな声で白は聞いた。
精霊が見えなくても、精霊とは契約ができる。
白の兄は精霊を見ることはできないが、守護精霊を持っていた。


 トーラはケラケラと楽しそうに笑い出した。
《違うわ。私はただの精霊。気ままに、自由に。》
楽しそうにトーラは、宝石の周りをくるり、ふわりと飛び回る。
そしてまた、白の目の前に止まる。
可愛らしい紫色の精霊。
目の前で、体自体は小さいけれど、はっきりと見えた胸の谷間に、白は慌てる。
白の見慣れた青い精霊は、全身を隠すような青い衣で覆われているのだ。


《最近、静かで退屈だったから、話がしたかっただけ。》
今度は、青い精霊の前に止まり、にこりとトーラは笑う。
《あなたの名前は?》
トーラが白の青い精霊に聞く。
白にそっくりな精霊は困ったように、白を見た。答えてもいいのか聞いているようだった。
「いいよ。お友達だね。」
にっこりと嬉しそうに白が笑えば、白によく似た青い精霊も嬉しそうにふわりと笑う。
優しさのあふれる、温かい美しい笑み。
似ている顔なのに、白にはそんな顔はできない。やっぱり精霊は特別美しいのだと、白は思う。


《私は彼女の守護精霊。水のさがを持つ王の系統。》
由緒正しい生まれと、尊厳高き契約の元にあるのだと、精霊は語る。
《契約のもとに与えられし名は、『シャーロット』。》
厳かに、青き精霊シャーロットは名乗った。


《シャーロットね、よろしく。私はトーラ。》
トーラは嬉しそうに笑い、精霊シャーロットの手をブンブンと両手で握って振った。
誇り高き「精霊」のはずの、トーラの粗雑な動作に、青き精霊シャーロットは戸惑う。
《トーラ。》
《なに?》
満足したようにトーラは、ひらりと飛んで最初に見たときの様に宝石の上に座る。
そこから、腹筋を開始した獅子の動きを観察している。


《私は名乗りをあげました。あなたの生まれは?》
首を傾げるようにシャーロットはトーラの隣に降り立つ。
そんなシャーロットに気付いて、トーラは宝石の上で身をずらした。
空いた宝石の半分を示して、トーラはポンポンと叩く。
まるで、隣に座っていいよ、と言うように。
その人形のような小さな精霊の、あまりに可愛い仕草に、白は微笑む。


 白の連れているシャーロットは17、8歳くらいの容姿だが、その性格はずっと大人っぽい。
詳しくは白も知らないのだが、シャーロットほどの力を持つ精霊になるには、数千年の時間が必要らしい。
そして今出会った、体は小さくても、はっきりとした容姿と体型、強い個別の意識を持つ精霊。
14、5歳ほどに見える顔立ちのトーラも、強い力を持っていると思われた。


《私は竜の眷属、ワイバーンより生まれた石。》
シャーロットが隣に座ったことを確認して、トーラは笑顔で語りだす。
《竜として十余年、石として4年、姿を得て二月ふたつき。》
その言葉に、シャーロットが驚いたようにトーラを振り返る。
《二月!?》
こくんと、トーラは大きく首を振る。
《二月で、姿を保てるはずがないのに……。》
驚いて、けれどそのものが目の前に居て、シャーロットは仕方なくそれを認める。
《幼いわけね。》
大人の笑みでトーラを見るシャーロット。
白はうつ伏せる様に寝転がり、夢中になって小さな二人を見守っていた。


《気付いた時にはこの姿で。気付いた時にはここにいて。》
言いながら、トーラはそっと椅子にしている紫色の宝石に触れた。
その宝石の中には、よく見れば傷の様に何かが刻まれていた。
《自由に、気ままに、……あの子を守るの。》
にっこりと楽しそうに、戻ってきた儀礼を見て、トーラは笑った。
精霊らしい綺麗な笑み。


 床でトレーニングをしていたはずの獅子は、いつの間にか窓際に、今までもずっとそこに居ました、というなりで座っている。
脱いでいたはずのシャツも元通りだ。
《言っちゃって、シシが倒れそうだって。》
ニヤリと笑ってトーラが言う。白の知る精霊とは違う、人間の子供のようないたずらな笑み。
「え? あのっ。」
言いかけて、白は戸惑う。
何事もなかった様に静かに座っている獅子は、大量の汗をかいてはいるが、それは今まで激しいトレーニングをしていたからで、決して具合が悪いようには見えない。
「ん? 何?」
白の声に気付き、にっこりと儀礼が微笑む。精霊シャーロットに似た、優しい笑顔。
《ほら、早く早く。》
笑いながら白の手元でトーラが急かす。


「シシさん、大丈夫かなって……。」
大丈夫そうなんだけど、と思いながら白が言えば、突然、獅子を見て儀礼の目が鋭くなる。
「何かしてた?」
にっこりと振り返って、白に微笑む儀礼だが、その目が笑っていなかった。
綺麗な精霊とは似ても似つかない、妖しい笑み。
「え? え、と。騎士のメニュー?」
思わずそう言ってしまって、「騎士」はまずいかと、白は焦る。
しかし、儀礼にそれを気にした様子はなかった。
「そう。ありがとう。」
笑って、そう白に言った。それから、獅子に向かって歩いていく。
騎士は普通の言葉なのだと白は安心した。


 ゆっくりと、獅子に近付き、壁に寄りかかるように座る獅子を、儀礼は突然、蹴り倒した。
思い切りではない、わざと倒すように足で押した感じだった。
それで、獅子が床に崩れる。
「はい、お兄さん。立てなくなるほど何やってんだよ。安静にしてろって言っただろ!」
笑うように近付いて、最後は怒って言う儀礼。
仕方なさそうに儀礼は、獅子の腕を引っ張って引きずり上げるようにベッドに乗せる。
「あのな、単純に血が足りてないんだよ。あと2日も薬飲めば治るから、その間おとなしくしてろって言ってんだろ。」
溜息とともに、呆れたように儀礼が言う。


「しょうがない奴だろ。ありがとう、白。」
戻ってきて、にっこりと笑う儀礼はまた、精霊のような優しい笑い方。
「私は、何もしてないから。」
ありがとうと、言われても困ると、白は顔を俯ける。
「心配してくれただろ。優しいな。」
大して、年の差もないはずなのに、儀礼は子供にするように白の頭を撫でた。
その仕草に、思わず家族を思い出して、白は泣きたくなった。
けれど、それでは負けてしまう気がして、泣きたくなくて、白はトーラを儀礼に示す。
「私じゃなくて、この子が。」


 本当に、その宝石の精霊、トーラが白に教えてくれたのだ。だから、白は本当のことを言っただけ。
たとえ、それが儀礼に伝わらなかったとしても。
そう思うと、なんだかまた白は寂しい気がした。
儀礼が受け取れば、宝石は淡く光る。
「そっか、ありがとう、トーラ。」
楽しそうに笑って、儀礼は宝石に唇を付けた。
宝石に座るトーラは、当たり前の様に、儀礼の鼻にキスを返す。美しい笑みを浮かべて。
淡く、紫色に宝石は輝く。


 その光景を黙って見ていた白。
(……魔力取られてるって、教えてあげた方が良いのかな?)
心の中で自身の守護精霊に白は尋ねる。
《働きへの対価だから、問題はないのだけれど……。》
青い精霊が困ったように首を傾げる。
幼いはずの精霊の、強力な魔力の理由が、分かった気がした二人だった。

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