ギレイの旅

千夜ニイ

黒い影

「ドルエドに行きたいの?」
白の言葉を確かめるように儀礼が言えば、白は大きく頷く。
部屋についたシャワーを浴びて、着替えを済ませれば、白は先程よりはいくらか健康的な姿に見えた。
髪や肌はまだ乾いたように荒れているが、その青い瞳にはしっかりとした強い意思が宿っている。
「一緒に行くはずだった人と、はぐれちゃって。でも、ドルエドに行けば助けてくれる人がいるから、なんとか一人でも行こうと思って。」
白は唇を噛み締めるようにして顔を俯ける。細いその顔が影になれば、よりいっそう悲壮感が高まる。
「お前よりしっかりしてるな。」
そんな白と、白衣の裾の丈を詰めている儀礼とを見比べ、面白そうに獅子は儀礼に向かって言った。


「うるさい、獅子。じゃぁ、ドルエドに知り合いがいるんだ。送ってってあげるよ。車だから歩くよりずっと速い。ねぇ、獅子。」
儀礼が呼びかければ、ああ、と軽い返事で獅子は請け負う。
「あの、でも。……ありがたいけど、大丈夫。私は一人で行けるから。」
強い光を瞳に宿して、白は言う。
おそらく白は、命を狙われていることを、危険に巻き込むと思って言えないのだろう、と儀礼は感じた。
倒れている子供を助けるような人間は、命を狙われている子供を見過ごすことなどできないだろうと。
命を狙われることを、言えない。それは、儀礼にも覚えがあった。


 しかし、プロの暗殺者に追われ、たった一人で逃げて、儀礼よりも幼い子供が、助けを求めない。
縫い終わった白衣を膝に載せて、その下で儀礼は拳を握り締める。
「……そんなに弱ってちゃ無理だよ。今の君を一人にはできない。少なくとも一週間は体を休める必要がある。」
儀礼は白衣に袖を通し、指の出る黒い手袋をした。
「歩いてドルエドまでなんて、子供の足で何週間かかると思ってるの? その間には盗賊だっているし、人攫いだって出るよ。」
強い口調にならないよう、儀礼は優しく白に語りかける。信頼を得なければならない。
信用してもらわなければ、この子は自分で言う通り、一人で行ってしまうだろう。


「そんなに、いないだろ。」
儀礼の言葉が大袈裟だと言わんばかりに、獅子が茶々を入れる。
「ついこないだ、名指しで上位Aランクに、命狙われた奴に言われたくないな。」
声の調子を落とし、儀礼は獅子に向き直る。
「ああ、お前が商品にされかけたのも、ついこの間だったな。」
にやりと笑って獅子が言い返す。
儀礼は言葉に詰まった。そのうえ情報を狙われ、変な貴族の配下に追い掛け回され、知らない女性につけ回された。分は儀礼の方が悪い。


「……まぁえっと、僕らは訳ありになることもあるけど。白の命が脅かされるようなことには絶対しないから。安心していいよ。」
今の会話はなかったことにして、にっこりと儀礼は白に笑いかける。
「それ、全然安心できねぇだろ。特にお前がしょっちゅう人攫いに狙われるとか。同じ顔してんだし。」
獅子が儀礼の努力が台無しになるようなことを言う。
「大丈夫、僕より白のが小さい分、可愛い。」
二人の会話に圧倒されたようにキョトンとしている白を見て、儀礼は頷く。
「フォローになってねぇ。」
「僕のが美人だって言えばいいの!?」
叫ぶようにその言葉を言って、儀礼の目には涙が浮いてきた。


 獅子が、真っ直ぐに白に向き直る。
「白、俺はまだギルドではBランクだが、大きな武術大会での優勝の経験もある。Aランクの冒険者にも負けるつもりはない。こいつは、光の剣って言って頼りになる武器だ。」
獅子がそばに置いてあった剣を持って鞘から引き抜く。
「光の剣っ!!」
その剣の名は知っていたようで、白の瞳が大きく開かれた。
「俺は『黒獅子』。お前が何に怯えているのかは知らないが、側にいる限りは俺が守る。この剣は強い奴と戦うほど俺に力をくれるんだ。だから、俺の強化のためだと思って、気にせず頼れ。」
その剣を煌かせ、獅子はにやりと笑う。
伝説の剣の効果は絶大だった。獅子を見る白の瞳が尊敬に変わる。
儀礼はいいところを獅子に持っていかれてしまった。


「死にかけたくせに。」
ポツリと儀礼はぼやく。
「お前もな。」
獅子に言われ、儀礼は自分も致死量の薬品で死にかけた過去を思い出す。
「あいこか。」
儀礼は納得したように頷いた。
「……他にもあるのか?」
あっさりと認めた儀礼の言葉を、怪しむように獅子が儀礼を睨む。
アーデスとの一戦はワルツが割って入った。『闇の剣士』の時にはトーラがあった。
「ない。」
自信を持って儀礼は答える。
命を狙われ続けても、儀礼が実際に命の危機を感じたことは少なかった。


「僕、食べる物取ってくるよ。獅子、白のこと頼むね。」
にっこりと笑ってそう言うと、儀礼は部屋を出て食堂へと向かった。
泊まっている客が少ないのか、広い廊下には人がいない。


(ああ、本当に。誰だか知らないけど、正解だよ。)
静かな廊下を進みながら、儀礼は心の中で呟く。
(『シャーロット』に僕を上書きしたこと。)
儀礼は薄っすらとした笑みを浮かべる。氷のような冷たい笑み。
脳裏に浮かぶ、やせ細った少女の姿。ふらつきながらも、怯えるように、走り続けた後ろ姿。
(……来い。僕を狙って来い!)
誰だかも知らない、少女の敵に向けて、儀礼は呼びかけるように期待する。


 『あなたは敵に狙われる』『反撃せよ』。
それと似た状況に、トニアのメッセージが儀礼の頭に浮かんだ。
(返り討ちにしてやる!)
にやりと冷酷に上がる儀礼の口端。
白衣のポケットの一つから、黒い煙が立ち上った。
その黒い煙は儀礼の背後に、人の目に映るほどにはっきりと、黒い影を作り出していた。

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