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ギレイの旅

千夜ニイ

守護精霊を連れる者

 少女は必死で逃げていた。
自国を出て、見知らぬ場所で、必死に逃げ回っていた。
少女の敵はどこに潜んでいるかもわからず、一瞬たりとも気を抜くことができなかった。


(私を逃がしてくれたあの二人は無事だろうか。)


 何度となく繰り返した不安を少女はまた心の中で唱える。


(アルバドリスクの騎士の中でも優秀な彼らだ、きっと大丈夫。)


 自分を励ますように少女は胸の前で拳を握る。
そう信じなければもう、少女はその場にでも崩れてしまいそうだった。
その痩せ細った体からは、何日もまともに食事をしていないことが伺える。
いつ襲われるかわからず、眠ることすら怖くて、少女はささいな物音でも、びくりと目を覚ましてしまう日々を過ごしていた。


(一人。たったひとり。)


 胸の前で握った拳で、少女は今度は服の胸元を握り締める。不安な心を支えるように。


《私がいるわ》


静かな、音にならない声が少女の耳に響く。
心配そうに少女の顔を覗き込む、手の平ほどの大きさしかない小さな存在。
精霊。
そう、呼ばれるもの。
その精霊の顔は、少女にとても良く似ていた。
少女をもう少し成長させ、健康的にしたならば、その精霊とそっくりの美しい姿になると想像できる。
大概の精霊がそうである様に、その精霊もまたとても美しい容姿をしていた。
人間であるならば、美女または天女と称される、人を魅了してやまない美貌の持ち主。
姿かたちは人によく似て、背中には透き通るような薄い羽を持ち、その精霊の属性である水の性、青い光を放っていた。
服なのか、精霊そのものの体なのか、青く美しい布の様な物で精霊の体は覆われていた。


 いつも少女の側にいて、その身を守るための存在、守護精霊。
その力の強さを表すように、青い精霊の放つ光は普通の精霊よりも、とても強いものだった。
この小さな精霊だけが今の少女を支える全て。
あとはただ恐怖と、父や母や兄、妹たちを守るためと思って、少女は必死に生き延びていた。
このフェードという国では目立つ金の髪と、宝石のような青い瞳を、泥にまみれ、擦り切れた布を目深くかぶって隠している。


 すでに、風は凍えるように冷たい季節だった。
精霊の結界でわずかにしのいでも、じきにたえられない本格的な冬になる。


(逃げるんだ。今の私にできるのは、姿を隠して、存在を消して、逃げ回ることだけ。)


白い息を吐き出して、少女は進み続ける。


(なんて、小さな存在。)


苦しそうに少女は眉をしかめる。


(それでももっと小さくなりたい。敵に見つけられないほどに。)


 少女の体は痩せ細っていた。
ここ2、3日では走る体力すらなく、ふらつくこともあった。
当然と言えば当然で、少女の体を見渡してみれば、肉付きもなく、肌は傷つきつやを失っている。
顔色もひどく悪く、目の周りなどくぼんでいるように青黒くなっていた。
今また、小さな地面のへこみに足を取られ、少女は地べたにその身を横たえた。


(これが私。)


 ほんの数ヶ月前の少女には、想像すらできなかった悲惨な姿だった。


(これで、逃げ切れるの? あいつらから。)


冷たい土に体温を奪われ、少女の中で不安だけが増してゆく。


 《大丈夫、きっと。元気を出して。》


少女の不安な心を感じ取ったように、精霊はまた音のない声で優しく励ます。
青く輝く、光と慈愛に満ちた美しい存在。
少女を守るためだけに力を使うと約束(契約)した守護精霊。


(大丈夫。絶対、またあの国に帰れる。あの暖かい、私の家に。)


 自分に鞭打って、少女は立ち上がる。
きっと、いつ倒れてもおかしくない。もともと少女はそんなに強いわけではなかった。
だから、少しでも早く安全な場所へ。
少女を助けてくれると約束してくれた、ドルエド国内へ入らなくてはいけなかった。


 しびれるような足を持ち上げて、よろけるように少女は走り出す。
歩くことは、不安で仕方がなかった。
誰かに顔を見られるかもしれず、なにより、見えない敵がいつでも追いかけて来ている気がして。


 人通りのそう多くない商店街から抜け、出た道を真っ直ぐに走り続ける。
(もうすぐ人里を離れる。)
人に紛れて隠れることはできなくなるが、かわりに誰かに見つかる可能性も減る。
(私の容姿は目立ちすぎる。)


 少女が必死で走っていく先から、誰かがやってきていた。
フードの隙間から見えた金色の髪に、一瞬にして、少女の体中に恐怖が走った。
だが、よく見てみれば、相手は子供だった。
少女よりは年上だが、自分を追っている連中とは思えず、少女は安堵する。
だが、勢いのついた体は止まらず、そのままただすれ違い、少女は金髪の少年を通り過ぎた。


《味方……》


 精霊が、小さくささやいた気がした。
(ミカタ?)
言葉の意味も理解できずに、少女はただ必死に走っていた。
いつものように。
そして、「味方」の言葉に、少女を守ってくれた騎士達を思い出した。
そのどちらとも違った、今すれ違った少年(少女?)。


 わかったのは、鮮やかな金髪と、色のついた眼鏡。
それと、少女がなぜか感じた、なつかしい雰囲気。


 勢いに任せて走っていた少女だが、人家が見えなくなった辺りでついに、体がふらついた。
そこへ、どこからかわずかな温もり、暖かい風を感じた。
見ると、車と呼ばれる、少女の国アルバドリスクにはなかった乗り物。
このフェードではかなり普及していた。
今まで誰かが乗っていたのか、エンジンと思われる部分が熱を発している。
わずかな風除けと、ぬくもりを求めて、少女の体は勝手に引き寄せられていく。
立ち止まっている暇などないのに、そう思っても少女にはもう、体を起こせる気もしなかった。


 最低限、辺りに気を配るのを忘れないようにして、少女は車に張り付くように体を持たせかけた。
守護精霊が、心配そうに少女の頬に触れる。
澄んだ水のような冷たい手。でもそこから確かに、少女の体の中に、ぬくもりが送り込まれてくる。
消耗し切っているはずなのに、少女を回復しようとする精霊。


「ごめんね、私はいいから。大丈夫。少しだけ、休むね。」
少女は目をつぶることすらできない。周囲から意識を離せない。
でも体だけは少しでも、そう、せめてまた走り出せるだけ。
少女は大きく息を吸って、それからゆっくりと整うのを待つ。


 短い時間が経った。
その少女の視界の端に、先程すれ違った二人組みの少年がやってくるのが映った。
(この方向なら、きっとこの車の持ち主だ。離れなきゃ。)
今の少女は、下手をすれば泥棒とも間違えられる、みすぼらしい姿だ。
事情も説明できないのに、誰かに見つかるのは少女に取って、とても怖いことだった。


 だが、少女の体は重く、車に寄りかかりながら立ち上がるのがやっとだった。
それ以上は動けずにいると、精霊が不安そうに少女の服を引っ張る。
《休んで》
それはもう、少女の体が持たない、ということ。
守護精霊の力が及ばなくなりつつある、ということ。


 二人の少年が少女に向かって、走ってくるのがわかった。


(逃げなきゃ。)


 そう思っても、少女の体は動かない。
前を走ってくるのは黒髪で長身。
黒髪緑瞳のフェード人かと思ったら、しかし、その瞳は獣のような黒だった。
少女の体はびくりと震える。


 その後ろから来たのは金髪の少年。
「大丈夫?」
心配そうな声が聞こえた。
恐る恐る少女が顔を上げると、外された色眼鏡の下からは茶色の瞳が現れた。
アルバド人でもユートラス人でもない。
そのことに、少女は安堵した。
少なくとも敵ではなく、少女のことも知らないかもしれない、と。


 それ以上に、なんだか暖かい空気を感じて、ダメだと思っても、少女の体からは力が抜けていった。

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