ギレイの旅

千夜ニイ

非我の想人剣

「蒼刃剣、『ヒガのソウジンケン』って、別の意味もあるんだって、知ってました?」
瞳を瞬かせて、男に問うように儀礼は首を傾げる。
その男は先程、獅子と死闘を繰り広げた黒鬼への復讐者なのだが、楽しそうに語らう儀礼に、それを理解している雰囲気はない。
男は、小さく首を横に振った。呆然とした、何もかもを理解できないというような、力ない顔で。
「ヒガは非我。われにあらずって意味で、ソウは想う。ジンは人。そして剣。『ヒガの蒼刃剣』って人は、『我に非ず、人を想う剣なり』って言ったんだって。」
儀礼はにっこりとした笑みを浮かべる。
儀礼の言う言葉の意味が、他の者には誰一人として、理解できていなかった。
「その蒼刃剣の使い手は、私は人を想う剣であるって。自分のためでなく、誰かのためを思ってのみ戦う剣なんだって。」
自分は剣である。大切な者を想い、守るために戦う剣。そのためなら、己さえ失ってもいいと。


 儀礼はベッドの脇に立てかけられていた、原形を留めていないヒガの殺人鬼が使っていた細い剣を見る。
悲しそうにその刃を撫でた。削られてしまったそこには、獅子倉の道場にある蒼刃剣と同じように、美しい蒼い刃があるはずだった。
 儀礼が最初に埋めた骨、それは今でも記憶に残っていた。
大切な人を守った男。
「僕は好きです、その言葉も、その人も。」
隙間のありすぎる鞘に、細い剣を納めて返せば、驚いたように男の瞳から涙が零れ落ちた。


 壊れた男の心。誰にも理解されず、惨めに踏みにじられた父親の死。
その全てに、男は意味を与えられた気がした。
男の父は間違っていなかったと、大切な者を失ったことを怒るのは当然の権利なんだと。
だからこそ、黒鬼は男の父に一人で相対した。
その恨みを受けるのもまた、当然の報いであると受け止めて。
 そして黒鬼もまた、家族を守る者だったのだ。
長い時をかけてようやく、男の中で淀んでいた心が解け出した。


「大丈夫ですか?」
遠慮したようにしながらも、儀礼は男を心配してその顔をのぞき込む。
敵である『殺人鬼』の怪我をさすがにクガイは治してくれなかった。
なので、この男の治療は儀礼が施した応急処置だけだった。しばらくは動けるような傷ではない。
「もう一度、言ってくれ。父の死に意味があったと。」
情けない自分を恥じるようにしながらも、涙を拭い、男は目の前の人物、儀礼の袖を掴む。
それが、夢であるのではないかという思いを、現実にしてほしいと。
「あなたのお父さんは大切な人たちを守るために戦った人です。個人的な意見ですけど、僕は、そのお父さんのこと好きです。」
にっこりと笑って、儀礼は言う。窓の閉じた冬の午後の室内に、暖かい風が通り抜けた。


 男の瞳に力強い光が宿る。
「ずっと暗い中にいた気がする。目の覚めたような……。いつの間にか歳をとって。年甲斐もなく……」
そう言って、男は苦い顔をする。
「なんだか、俺もまた人のことを想えそうな気がしてきた。父の、ように……。」
遠いものを見るように、目を細めて、男は天井を見上げていた。
「お前のおかげだな。」
そして、その想いをつげる告げるつもりはない、と瞳に映しだして、男は目の前の人物へ視線を移す。
その想いは間違いなく男の心に活力を与えているようだった。
「いえ、僕は何もしてないです。あ、気絶させました。すみません!」
その男の様子にまったく気付く様子のない儀礼が、また、男の目の前で深く頭を下げている。


 ちぐはぐなやり取りを始めた儀礼とヒガの殺人鬼。
「……誰かあの男に儀礼が男だって教えてやったか?」
獅子の言葉に室内にいた者は首を横に振る。
そして面々は戦闘態勢を解き、『蜃気楼』に振り回される可哀想な男を憐れんだ。


「獅子倉の道場にある『蒼刃剣』、ヒガさんのお父さんの形見だし、返してあげられないかな?」
儀礼が振り返って、獅子に問う。獅子倉の道場の跡取り息子に。
ちなみに、ヒガは男の名ではない。
「返すって、あるのシエンだろ。武器は好きに使ってよかったから、持ち出すのは簡単だろうけど、どうやって取って来るんだよ。」
遠いシエンを指で示すように獅子は腕を伸ばした。
「移転魔法で……。」
儀礼は獅子の表情を伺う。
「俺、帰ったら絶対ぜってぇ出れないから行かないぞ。」
「僕もちょっと、家に連絡してなくて帰りづらいというか見つかりたくないというか。」
きっぱりと儀礼の顔を見て言う獅子と、視線を逸らすように斜めに顔を俯ける儀礼。
「場所させ教えてくれたら取ってこようか?」
困った様子の二人を見かねて、移転魔法の使えるというマフレが申し出る。


「だめっ! 殺されちゃうっ」
マフレの服を掴むようにして儀礼が止めた。
「「何でだよ。」」
呆れたように獅子とマフレが同時に言った。
「だって、ドルエドはまず魔法での侵入に厳しいし、シエンは僕の家があるから魔法に関しても厳重警戒になってるし、外から歩いて入ろうとしても、不審者とみなされたら重気さんに殺されちゃうっ!」
目に涙を浮かべて儀礼が語る。
「……お前、俺の親父を何だと思ってんだよ。」
呆れを通り越し、少しの怒りを混ぜて獅子は言う。
獅子の知る限り、重気はシエンの村では派手なことはしていないはずだ。
せいぜい熊や魔獣をしとめる程度。


「そうだ! 拓ちゃんに頼んで持ってきてもらおう。」
いいことを思いついたと言うように儀礼は涙を拭い、うんうん、と大袈裟に頷く。
「だから、どうやって頼むんだよ。」
獅子が、苛立ったように言う。
「受付でパソコン借りて、持って来てってメッセージ送るだけ。拓ちゃんがどうやって持ってくるのかは、僕は知らない。」
にっこりと儀礼は笑った。




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 蒼い刃の『ソウジンケン』にはもう一つ、当てはまる文字があった。
それを儀礼達はまだ知らない。
その字は『双陣剣』。
男の持つ剣と、男の父の剣と、双振りの剣が揃い陣を成す。
それは二本の剣の操者の心が合わねば使えぬ、双子の剣の起こす奇跡。
必要なのは、強大な魔力強い精神力、同じものを見据える協調力。
蒼い刃の剣が呼び出す、古代の儀式魔法陣。死者に力を与える、神秘の力。


 十何年も昔の話し、蒼い刃を煌かせ、他人のために戦う男を、ヒガの人々は『ヒガの蒼刃剣』と呼び、誰もが敬い慕っていたという。
しかし最後の時、蒼刃剣は己のために刃を振るった。それはもう、他人を想う剣ではなった。
けれど死んだ後に、男は己の過ちに気付く。男の背中には、連れて来てはいけない者が付いていた。
我を失い黒鬼に挑む息子の姿。


『立派な父を失いたくはなかった』
『若い息子を死なせなくはない』


 息子の死の間際、その時輝いた一瞬にも満たない蒼い光。
死んだはずの男の手は、息子にとどめを刺そうとした黒鬼の拳を捕らえた。
『双陣剣』は死者を動かす。けれど、死者に剣は操れない。
父親が死んでなお、剣を動かしたものを、奇跡と呼ぶものなのかもしれなかった。


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