ギレイの旅

千夜ニイ

クガイの見た光景

 『蜃気楼』が気絶したように眠る女性を抱えて病院に入るまでを、クガイは確かに確認した。
そっと気配を消し、窓の外から様子を見ていれば、女性が目覚め、蜃気楼と呼ばれる少年は顔を青ざめた。
逆に、女性の方は顔中を赤く染めていた。


 そして、少年は病室を飛び出した。
クガイはすぐに後を追う。
ところが、追おうとして、少年の気配がないことに気付く。
たった今まで目の前の病室にいたというのに、病室から病院の出入り口までの間に、クガイはその姿を見失ったのだ。
慌てて病院の周辺を探す。
気付けば、なにやら大勢の者が金髪に白衣という、クガイと同じ特徴の人物を探していた。
ただし、その町中で走り回る者たちが探しているのは、少年ではなく女性のようだった。


 その時、クガイは一瞬だけ強い殺意のようなものを感じ取った。
探している『蜃気楼』の気配に似ている気はしたが、白衣に身を包む少年に、戦える技術があるとはクガイには思えなかった。
それでも一応確認するために、クガイはその気配を感じた方、管理局へと足を運んだ。
受付前の広い待合室。そこに倒れている身なりのいい男。
やはり『蜃気楼』の姿はそこにはなかった。
「何があったんだ?」
待合室に座る町のおばさんらしい者にクガイは話を聞いてみる。
「それがさぁ、お兄さん。その人、この町のえらい貴族のお坊ちゃんなんだけどね。今、若い娘に断られて、ショックで気絶しちゃったのよ」
おほほほ、と楽しそうに顔を見合わせて、中年の女性たちは笑う。
「いっつも威張ってて、ちょっと目障りだったからすっきりしたわ」
別の女性がいい、あっははは、とまた待合室に響き渡る声で笑い出す。
「頼んでもないのに、町の整備してやったって、偉そうに工事費用集めた割に、工事したのって自分の家の周りだけでしょ。屋敷から町の外と管理局に行く道だけ綺麗にして、暗い裏通りも、廃墟もそのままだしね。」
今度は不満げに語る婦人たち。


「あの女の子だって逃げて正解よ。きらきらした金髪で、サングラスかけても分かるくらい可愛い顔した子。可哀想に、あんな家に入ったら前の奥方様みたいに、人形の様に扱われて早死にしちゃうわ。」
眉をひそめるように女性の一人が言う。
「本当よ。前の奥様は確かに綺麗だったけど、日に焼けるから外出もダメ、食事も全部制限つき、奥様の世話をしてたメイドが、旦那様のあまりの注文の多さに次々辞めたって。そんな人間じゃないみたいな生活私なら耐えられないわぁ」
「あんた、私たちは働かなきゃ、ご飯も食べられなくなるわよぉ」
豊満な体型の女性に、隣りの女性が叩くようにして笑う。


 女性たちの言う、貴族の男を振った娘の特徴が、『蜃気楼』と一致することにクガイは小さく笑う。
クガイの探す少年は、本当にここにいたようだった。
噂される貴族の男の方をチラリと見て、クガイはその男がただ気絶しているのではないと気付いた。
ひどい顔色をしている。
一見したところ外傷はない。クガイはそっと男に近付き、その体を魔法で調べる。
驚いたことに、意識はある。しかし、男の体のほとんどの機能が麻痺していた。
そして、床に着いた男のこめかみ部分には放っておけば命に関わるような骨折と内出血。
冷たい床に放置されたまま、貴族の男は誰にも気付かれずに命を終えようとしていた。
それも、自分たちを嘲笑う悪い噂を聞かされながら、長い時間をかけて。


 随分と趣味の悪い所業にクガイは渋い顔をして、男の治療を開始する。
これをやった者は素人ではない。この大勢人がいる待合室の中で、誰にも気付かれることなく、この男を倒した。
それも、目立った外傷も与えず、ただ黙って死んでいくように脳にダメージを与えた。
人体の構造を知り尽くした者。そしてその者は、それを成せる身体能力を持っていることになる。
研究者の証である白衣の少年が、クガイの前から姿を消したことにようやく納得がいった。
『蜃気楼』その名の通り、クガイは目をくらまされていた。
男の治療を続けるクガイの側で、女性たちはまだ取りとめもない噂話を続ける。
倒れた貴族の男を誰も介抱しようとしない、町の現実。


「でも、旦那様と言ったら、引退して恋人の所にいるんでしょ?」
「引退しても、未だに全権握ってるらしいわよ。息子に何一つ自分でさせないんですって」
声を潜めるようにして話しだす女性たち。潜めた声でも十分、待合室中に聞こえる大きさだった。
「それで、聞いた? その恋人の娘。連れ子だから自分の娘じゃないのに、今度どこかに娘として嫁に出すって。政略結婚じゃない、今時。でも、相手が喜んでるらしいのよね。」
さらに声を潜めるようにして、女性たちは迫力のある低い声で話し出す。
「そんなことまで? その娘っていくつよ。旦那様の恋人ってまだ若いんじゃなかった?」
「二十歳になってないんじゃないかしら。ほら、ここ数日ずっと管理局ここに来てた黒い髪の綺麗な女の子。知ってるでしょ。」
言いながらその女性が自分の肩の高さに、切りそろえた髪を表す。
こそこそと潜めた声はやはり待合室に届きわたる。
「去年から決まってたらしいわよ。まだ若いから来年って一年猶予はあったみたいだけど、相手は50過ぎのおじさんだって。結婚したってすぐ寿命じゃない。自分と同じ位の歳の男によく娘をやれるわね。」
「だから、自分の娘じゃないからよ。育ててやった恩があるだろって、断れないわよね。」
楽しそうに、貴族にダメ出しを続ける町の女性たち。


「あ、そう! その女の子。『花巫女はなみこ』に占ってもらったらしいわよ」
一人が声を高めてそう言った。
「『花巫女』ってあの、絶対当たるって評判の?」
他の女性の声も勢いを増した。
「そうよ、それで、ここに何月何日にあなたを救う王子様みたいな人が現れるって、言われたんですって!」
楽しそうにそう言った女性は隣りの女性の肩を叩く。
「嘘っ、王子様。いいわぁ、言われてみたいわ。あなたに王子様が現れますって。」
うっとりした様子で明らかに結婚している中年の女性が語る。
「あはは、それで騙されるのよね、若い娘は。」
うふふふ、とまた楽しそうな笑いが巻き起こる。


「それでその娘、ここに来たあの綺麗な男の子の後追いまわしてたのね。」
興味津々と言った感じに、一人が大きく頷く。
「だって、その『花巫女』に言われた日にちぴったりにあの男の子がここに来たのよ。」
隣りの女性の膝をバシバシと叩いて、最初に花巫女の噂を出した女性が語る。
「うっそ、じゃ、本当に当たりなの!?」
驚いたように別の一人が言う。
「ええ? でもあの子って、女の子じゃないの? 今さっきそこの坊ちゃまを振ってった相手よね?」
全体の話を遮るように一人が大きく手を振る。
「男の子でしょ、見えないけど、本人がそう言ってたもの。一昨日? その前だったかしら。」
「三日前でしょ。ここにその子が入ってきてすぐ、空気変わったもの。坊ちゃまがたまたま来てて、もう眼が釘付け。」
くすくすと笑い出す女性たち。


 女性の噂話は長い。むしろ、尽きない。
治療を終え回復したはずの貴族の男が、しばらくの間、顔色をなくして起き上がれずにいたのだった。


「私は何をしていたのだろうな。」
女性たちが気まずそうに立ち去った後、静かになった管理局の待合室で呆然とした様子で立つ貴族の男が言った。
「一般人と貴族の間には相容れぬものもある。」
クガイは知っている。ほとんどの場合、暗殺などを行おうとするのは貴族など上流階級の者だけだ。
「だとしても、私は物を知らぬ過ぎたようだ。」
男は腰に携えた宝剣を抜いた。そこに描かれた数々の古代文字。
男の家に伝わるそれは、剣というよりは杖の役割を担っていた。
『お前たち、戻れ。』
剣に向けて、貴族の男がそれだけ言えば、すぐに、大勢の使用人たちが管理局の待合室へと駆けつけてくる。
「あの人物が本当に男だと言うなら、私の探していた者ではなかったようだ。」
小さな声で言って、男は悲しげに瞳を伏せた。


「お前には世話になったな。名はなんと言う? 仕事はあるのか?」
貴族の男はクガイに向き直って真っ直ぐに問う。
「俺はクガイと言う。仕事は、仲間と共に……これから俺達のあるじを口説くところだ。」
管理局の扉、消えた蜃気楼を求めてクガイの視線は遠くを見つめる。
「そうか。なら、引き止めることはしない。」
貴族の男は納得したように首を振る。
そして、一つ息を吐くと男は表情を引き締めた。
「私にはやることがあるようだ。我がホリングワース家は姿を変えなくてはならない。」
真剣な瞳で男は透明に輝く宝剣を見つめる。
「私は父に代わって、全てを引き継ぐ。」
決意した男の瞳には輝きが溢れていた。覇気ある者の漲る精神力。
それには少し、クガイの心も揺れた。
「手を貸そうか?」
クガイの問いに、男は自信に満ちた笑みを返す。
「必要ない。私には頼りになる部下たちがいる。」
男の言葉に、何人もの使用人や護衛らしい男たちが頷く。
これから男がやろうとしていることを理解してなお、付き従うと、そう言う男たちが。


「そうだ、クガイ。あの婦人たちの言っていた女性が誰だか知らないか? 黒髪のという。父が迷惑をかけたらしい。」
まだ管理局に残っていないか、というように男はきょろきょろと首をめぐらせる。
「それなら、まだ病院にいるはずだ。夢の中にいるよう……いや、夢の中にいたかったのか」
病室のベッドの上、夢見心地で微笑む女性を思い出し、クガイは苦い笑いを浮かべる。
「義理の妹になるようだ。迎えに行ってもいいものだろうか? 父を憎んでいれば私のことも憎いかもしれないが。」
引きつるような苦い笑みで使用人たちに指示を出す男。
「……直接迎えに行って、説得してみてはどうだ?」
女性たちの噂話を思い出し、クガイは不思議な縁を感じてそう言った。
三日前に管理局に来た、『蜃気楼』儀礼。その美しい幻想のような人物を、同じ時に二人の者が目に留めた。
その二人の間から『蜃気楼まぼろし』が消えたなら。


 絶対に当たるという占い師は告げた。その日、女性を救う存在がその場に現れると。

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