ギレイの旅
遡ること三日前
それは事件解決の日より遡ること三日前。儀礼達がその町に着いた日のこと。
「はぁ……」
管理局の待合室で、見るからに身分の高いと思われる男が深い溜息をついている。
上質な布で作られた服、宝石でできたボタン、高価な腕時計などの装飾品。
苦悩するように伏せられた顔は若く見えるが、理知的な落ち着きからその男は30代半ばだと思われた。
腰に提げられているのは、ものすごく高そうだが、とても実用できるとは思えない、クリスタルで作られた宝剣。
「はぁ~~ぁ」
また、その男が落ち込んだように深い息を吐く。
受付で、研究室を借りる手続きをしている儀礼の真後ろで、だ。
さっきから、儀礼の背後で行ったり来たりを繰り返し、この男はこれ見よがしに、儀礼の真後ろで大きな息を吐く。
儀礼が管理局に入ってきてからずっとだ。うっとおしいことこの上ない。
「どうかなさいましたか、ホリングワース様。何か当方の手違いでもございましたでしょうか?」
儀礼に対する手続きを終えた受付けの女性が、今気付いたという風にその男に話しかける。
とても心配そうに首を傾げて、女性は男の顔を伺っている。
実に、見事な演技だと儀礼は感心する。
カウンター内部の、男からは見えない位置にある女性の手元では、書類の裏に、はなまるが描かれ簡易な線でくきや葉っぱが描き足され、根っこまでが生えた。
「いやいや、トニア君。君は管理局の受付という重要な仕事の最中だ。私の本当に個人的なことで手数をかけるわけにはいかないよ」
大仰に、男が首を振る。君に、用はないとそう含ませて。
「まぁ、そうですか。それは差し出がましいことをいたしました。」
受付の女性は目を伏せると、男に軽く会釈をする。
位の高い者に対しての丁寧な対応に見えた。
その手元で、丸と線だけで描かれた棒人間が、一筆で描かれた蝶を追い掛け回したりなどしていなければ。
女性は、儀礼に対しその絵を隠すつもりはないようだった。
その絵が、儀礼はとても気になる。
儀礼の資料の中に混じる、『ギレイくんのお絵かき講座』と題された講座でもなんでもない、へたくそな絵の保管場所。儀礼の父が勝手に作っていた。
幼い頃、祖父の書く文字の一つ一つに意味があると教えられ、儀礼は自分の描く絵にも意味を持たせた。
小さな子供が作った自分だけの文字。
もし、その講座の絵に女性の描いた絵を当てはめるなら、『この町で管理局にまで及ぶほどの支配力を持った家の者が、あなたを手に入れようと狙っている』。
代々続く有力者、周囲への影響力があり、儀礼を狙うという、その面倒そうな男が消えるまで待とうと、終わった手続きを続ける振りをして、儀礼は女性の描く絵に太陽や、雲などを描き足してみた。
それは、儀礼に取っては確認の作業でもあった。
『太陽』は確認。『雲』は疑問。
「この書類の記述はこれでいいんでしょうか?」
少し不安そうな顔で儀礼は聞いてみる。
「よろしいと思います。できればもう少し詳しくかいていただけると助かるのですが」
やはり、真剣な面持ちで『書類』を見て、女性は答えた。
『儀礼の言葉』が、通じたらしい。
「わかりました。親切に教えてもらえてとても助かります」
大きく頷くようにして儀礼は答えると、真剣な顔でその『書類』に草や木などを描き加え、よく分からない芝居も続ける。
女性が可愛らしくデフォルメされたクマを描いたので、儀礼は隣りにウサギを描きこむ。目を描くために赤いペンを借りた。
「本当に、トニア君は素晴らしい局員だろう。私も日ごろから世話になっているのだがね……」
気付けば『書類』に熱中していた儀礼の背後から、男が無理やり会話に割り込んできた。
面倒ごとはやはり、避け切れないらしい。
儀礼の描いたウサギが、いつの間にか赤いペンにより女性の描いたクマに襲われていた。
『クマ』は敵。『ウサギ』は友人、もしくはあなた。
儀礼の視線に気付き、女性はくるりと紙を上下反転させ、その上で親指を立てた。それは、「やっちまえ」という風情だった。
至る所に大勢いるという、この貴族の男の支配下の者。
『あなたは狙われる』と儀礼にだけ分かる言葉で知らせてくれた女性。
つまり、儀礼を『蜃気楼』と知る女性は、敵と儀礼を反転させた。『反撃せよ』。
「ありがとうございます、仕事があるのでこれで」
受付けの女性、トニアに丁寧に頭を下げ、儀礼は研究室の方ではなく、外に繋がる扉に向かって歩き出す。
男を無視して儀礼が通り過ぎようとすれば、慌てたように男は大きな声で一人、話し出す。
「あぁ! こんな歳になってまで、独り身でいるなんて、なんて寂しい男なんだ私は。ホリングワース家に生まれて、何一つ不自由なく暮らしておきながら、未だ運命の人に出会えていない」
受付けの前、広い待合室の中、男は何かの芝居でも始めたらしく、大きな声で大仰にうなだれている。
儀礼の結論、変な人には関わらないのが一番。『反撃』の必要すらない。
何も見なかったことにして、儀礼は管理局の扉に近付く。
「待ってください!」
制止の声が、儀礼に向かって叫ばれた。
人違いだと思いたいが、皆、男を避けるように壁際に寄っているので、扉の前には儀礼しかいなかった。
いや、人垣がその男から儀礼までの道を作っているかのようだった。
「私は、今日という日に、ついに、貴女という運命の相手に出会えたのです!」
しぶしぶと振り返った儀礼の背後に、その男は迫っていた。
瞬間的に下ろうとして、すぐ後ろが扉であることに儀礼は舌打ちする。
「大きな誤解です! 全てが勘違いです。まず最大の間違いに、僕が男であることです! あなたの運命に僕は一切! 関係ありません」
いっさい、と言う言葉にことさら力を込めて儀礼は言った。
「そのような、誰にでも分かる嘘を……。何か事情がおありなのでしょう。私が、できる限りの手を使い、必ず、あなたを救ってみせます!」
何を勘違いしているのか、また舞台張りの大袈裟な身振りと情感のこもった声で、憐れむように優しい笑みを浮かべて、男は儀礼の手を取った。
こういう、人の上に立つ人間は時として、他人の話を聞かない。
自分の都合のいいようにだけ解釈し、全てを自分の力として誇示し、自分の利益のために利用する。
この男にとって儀礼の『容姿』は利用価値があるらしい。
周囲にいた使用人らしい男たちが有無を言わせず、儀礼に近付こうとするので、儀礼は改造銃を取り出した。
身分の低い者には銃という物を知らず、効果がないこともあるが、彼の様に上流の者は、しっかりとその武器の恐ろしさを知っているようだった。
実際には、儀礼の銃は出回っている銃とは違うのだが、その勘違いが脅しには丁度いい。
儀礼は改造銃を男の首に突きつける。
「下がって、距離を取ってもらいましょうか。彼の命が大切ならば」
にっこりと笑って、儀礼は男の使用人たちに言う。
屈強な護衛らしい男たちが、儀礼の隙を伺うようにゆっくりと下がりながら警戒する。
「変な気は起こさないことですよ。びっくりして手に力が入ったら、引き金を引いてしまうかもしれません」
護衛の男たちに言い聞かせ、儀礼はその首に銃を押し付けたまま貴族の男の体を引き寄せる。
「さ、下がるんだお前たち」
顔を青ざめた男が、向き合う位置で見えるようになった使用人と護衛たちに言う。
「顔色が悪いですよ、疲れているみたいですね」
男の注意を引くように耳元で言い、男に気付かれないようにして、儀礼は背後の扉を開く。
「さて、お休みの時間です!」
口の端を上げて、儀礼は銃の引き金を引いた。
ガクリと膝の折れた男を、儀礼は護衛たちに向かって蹴り出す。
「疲れてるみたいだから、休ませてあげてくださいっ」
叫ぶように言い捨て、眠った男を護衛が受け止める隙に、儀礼は扉の外へと逃げ出した。
儀礼は気付かなかったが、この日の待合室には、肩で切りそろえられた黒髪のきれいな女性も座っていた。
それから、町を歩けばあの男の使用人らしい者が次々に儀礼の後をつけてきた。
そんな中に混じる、5人のがらの悪い男たち。儀礼を取り囲んで執拗に付きまとう。
「俺達の兄貴分があなたに会いたがってるんだ。一緒に来てもらえないか?」
その背景を儀礼は貴族の男だと思い込んだのだ。
「はぁ……」
管理局の待合室で、見るからに身分の高いと思われる男が深い溜息をついている。
上質な布で作られた服、宝石でできたボタン、高価な腕時計などの装飾品。
苦悩するように伏せられた顔は若く見えるが、理知的な落ち着きからその男は30代半ばだと思われた。
腰に提げられているのは、ものすごく高そうだが、とても実用できるとは思えない、クリスタルで作られた宝剣。
「はぁ~~ぁ」
また、その男が落ち込んだように深い息を吐く。
受付で、研究室を借りる手続きをしている儀礼の真後ろで、だ。
さっきから、儀礼の背後で行ったり来たりを繰り返し、この男はこれ見よがしに、儀礼の真後ろで大きな息を吐く。
儀礼が管理局に入ってきてからずっとだ。うっとおしいことこの上ない。
「どうかなさいましたか、ホリングワース様。何か当方の手違いでもございましたでしょうか?」
儀礼に対する手続きを終えた受付けの女性が、今気付いたという風にその男に話しかける。
とても心配そうに首を傾げて、女性は男の顔を伺っている。
実に、見事な演技だと儀礼は感心する。
カウンター内部の、男からは見えない位置にある女性の手元では、書類の裏に、はなまるが描かれ簡易な線でくきや葉っぱが描き足され、根っこまでが生えた。
「いやいや、トニア君。君は管理局の受付という重要な仕事の最中だ。私の本当に個人的なことで手数をかけるわけにはいかないよ」
大仰に、男が首を振る。君に、用はないとそう含ませて。
「まぁ、そうですか。それは差し出がましいことをいたしました。」
受付の女性は目を伏せると、男に軽く会釈をする。
位の高い者に対しての丁寧な対応に見えた。
その手元で、丸と線だけで描かれた棒人間が、一筆で描かれた蝶を追い掛け回したりなどしていなければ。
女性は、儀礼に対しその絵を隠すつもりはないようだった。
その絵が、儀礼はとても気になる。
儀礼の資料の中に混じる、『ギレイくんのお絵かき講座』と題された講座でもなんでもない、へたくそな絵の保管場所。儀礼の父が勝手に作っていた。
幼い頃、祖父の書く文字の一つ一つに意味があると教えられ、儀礼は自分の描く絵にも意味を持たせた。
小さな子供が作った自分だけの文字。
もし、その講座の絵に女性の描いた絵を当てはめるなら、『この町で管理局にまで及ぶほどの支配力を持った家の者が、あなたを手に入れようと狙っている』。
代々続く有力者、周囲への影響力があり、儀礼を狙うという、その面倒そうな男が消えるまで待とうと、終わった手続きを続ける振りをして、儀礼は女性の描く絵に太陽や、雲などを描き足してみた。
それは、儀礼に取っては確認の作業でもあった。
『太陽』は確認。『雲』は疑問。
「この書類の記述はこれでいいんでしょうか?」
少し不安そうな顔で儀礼は聞いてみる。
「よろしいと思います。できればもう少し詳しくかいていただけると助かるのですが」
やはり、真剣な面持ちで『書類』を見て、女性は答えた。
『儀礼の言葉』が、通じたらしい。
「わかりました。親切に教えてもらえてとても助かります」
大きく頷くようにして儀礼は答えると、真剣な顔でその『書類』に草や木などを描き加え、よく分からない芝居も続ける。
女性が可愛らしくデフォルメされたクマを描いたので、儀礼は隣りにウサギを描きこむ。目を描くために赤いペンを借りた。
「本当に、トニア君は素晴らしい局員だろう。私も日ごろから世話になっているのだがね……」
気付けば『書類』に熱中していた儀礼の背後から、男が無理やり会話に割り込んできた。
面倒ごとはやはり、避け切れないらしい。
儀礼の描いたウサギが、いつの間にか赤いペンにより女性の描いたクマに襲われていた。
『クマ』は敵。『ウサギ』は友人、もしくはあなた。
儀礼の視線に気付き、女性はくるりと紙を上下反転させ、その上で親指を立てた。それは、「やっちまえ」という風情だった。
至る所に大勢いるという、この貴族の男の支配下の者。
『あなたは狙われる』と儀礼にだけ分かる言葉で知らせてくれた女性。
つまり、儀礼を『蜃気楼』と知る女性は、敵と儀礼を反転させた。『反撃せよ』。
「ありがとうございます、仕事があるのでこれで」
受付けの女性、トニアに丁寧に頭を下げ、儀礼は研究室の方ではなく、外に繋がる扉に向かって歩き出す。
男を無視して儀礼が通り過ぎようとすれば、慌てたように男は大きな声で一人、話し出す。
「あぁ! こんな歳になってまで、独り身でいるなんて、なんて寂しい男なんだ私は。ホリングワース家に生まれて、何一つ不自由なく暮らしておきながら、未だ運命の人に出会えていない」
受付けの前、広い待合室の中、男は何かの芝居でも始めたらしく、大きな声で大仰にうなだれている。
儀礼の結論、変な人には関わらないのが一番。『反撃』の必要すらない。
何も見なかったことにして、儀礼は管理局の扉に近付く。
「待ってください!」
制止の声が、儀礼に向かって叫ばれた。
人違いだと思いたいが、皆、男を避けるように壁際に寄っているので、扉の前には儀礼しかいなかった。
いや、人垣がその男から儀礼までの道を作っているかのようだった。
「私は、今日という日に、ついに、貴女という運命の相手に出会えたのです!」
しぶしぶと振り返った儀礼の背後に、その男は迫っていた。
瞬間的に下ろうとして、すぐ後ろが扉であることに儀礼は舌打ちする。
「大きな誤解です! 全てが勘違いです。まず最大の間違いに、僕が男であることです! あなたの運命に僕は一切! 関係ありません」
いっさい、と言う言葉にことさら力を込めて儀礼は言った。
「そのような、誰にでも分かる嘘を……。何か事情がおありなのでしょう。私が、できる限りの手を使い、必ず、あなたを救ってみせます!」
何を勘違いしているのか、また舞台張りの大袈裟な身振りと情感のこもった声で、憐れむように優しい笑みを浮かべて、男は儀礼の手を取った。
こういう、人の上に立つ人間は時として、他人の話を聞かない。
自分の都合のいいようにだけ解釈し、全てを自分の力として誇示し、自分の利益のために利用する。
この男にとって儀礼の『容姿』は利用価値があるらしい。
周囲にいた使用人らしい男たちが有無を言わせず、儀礼に近付こうとするので、儀礼は改造銃を取り出した。
身分の低い者には銃という物を知らず、効果がないこともあるが、彼の様に上流の者は、しっかりとその武器の恐ろしさを知っているようだった。
実際には、儀礼の銃は出回っている銃とは違うのだが、その勘違いが脅しには丁度いい。
儀礼は改造銃を男の首に突きつける。
「下がって、距離を取ってもらいましょうか。彼の命が大切ならば」
にっこりと笑って、儀礼は男の使用人たちに言う。
屈強な護衛らしい男たちが、儀礼の隙を伺うようにゆっくりと下がりながら警戒する。
「変な気は起こさないことですよ。びっくりして手に力が入ったら、引き金を引いてしまうかもしれません」
護衛の男たちに言い聞かせ、儀礼はその首に銃を押し付けたまま貴族の男の体を引き寄せる。
「さ、下がるんだお前たち」
顔を青ざめた男が、向き合う位置で見えるようになった使用人と護衛たちに言う。
「顔色が悪いですよ、疲れているみたいですね」
男の注意を引くように耳元で言い、男に気付かれないようにして、儀礼は背後の扉を開く。
「さて、お休みの時間です!」
口の端を上げて、儀礼は銃の引き金を引いた。
ガクリと膝の折れた男を、儀礼は護衛たちに向かって蹴り出す。
「疲れてるみたいだから、休ませてあげてくださいっ」
叫ぶように言い捨て、眠った男を護衛が受け止める隙に、儀礼は扉の外へと逃げ出した。
儀礼は気付かなかったが、この日の待合室には、肩で切りそろえられた黒髪のきれいな女性も座っていた。
それから、町を歩けばあの男の使用人らしい者が次々に儀礼の後をつけてきた。
そんな中に混じる、5人のがらの悪い男たち。儀礼を取り囲んで執拗に付きまとう。
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