ギレイの旅
日常へ
ヤンに送られ、白い移転魔法の光に乗って、儀礼は冬景色のアーデスの研究所から自分の借りた管理局の研究室へと戻ってきた。
時刻は深夜を回っていて、地下にあるその研究室には明かりなど一切あるわけがないのに、白い光が消えた後も、その室内にはランプの灯す赤々とした光があった。
ランプの小さく揺れる光は、黒いソファーの上に横たわる、黒い大きな塊を映しだす。
黒髪、黒い瞳、黄色い肌。
隙のない気配に、闘気をまとい戦うシエンの戦士。
その姿を見た瞬間に、儀礼は生まれ育ったあたたかい村の空気を感じた。
(帰って来た)
途端に、儀礼はそう思った。そこがシエンどころか、ドルエドですらないことを知っているのに、儀礼は安堵した。
(もう、人は死なない)
なぜそう思ったのか、儀礼自身にもわからない。獅子が、人を殺したことがないからか、それとも人を人だと思っている人間だからかもしれない。
儀礼は何も言ってはいないのに、理解しているかのように怒りを抑え、迎えてくれる友人。
平穏なシエンの村に暮らす獅子を、儀礼は自分の戦いに巻き込みたくなかった。
『こういう輩を殺すとことに何も思わない』、それはアーデスの言った言葉。
だが、儀礼もそういう人間になるはずだった。儀礼の護衛で居続ければ、獅子もそうなるはずだった。
戦いに慣れた冒険者達のように、管理局の上位には、人を自分の研究のための実験材料としか思わないような者が大勢いる。
自分の情報を守るために、儀礼はそういう人間たちと張り合っていかなければならないのだ。
手の内を見せず、心を読ませず、いかに自分を有利にして相手を蹴落とすか。
そんな戦いに、獅子は向いていない。
そういう連中に、いつ傷付けられ消されるかわからない。
もしくは心を失くし、伝説上の『黒鬼』のように恐れられる存在になるかもしれない。
けれど、その必要はないと言ってくれた人たち。
彼らは心無い人間ではない、間違いなく温かい人たちだった。
新しい装備で、儀礼はその実力を確かめる。
大幅に変わってはいるが、根本的には同じ。儀礼の扱う道具と、儀礼に力を貸す精霊たち。
――『精霊使い』という種類の魔法使いがいるらしい。儀礼はそれに近いのだと彼らが教えてくれた。
儀礼を助ける精霊たち。でも、儀礼にはその存在を見ることができない。確かめることができないのだ。
それなのに、見返りを求めず力を貸してくれる優しい存在たちを、戦いに使っていいとは儀礼には思えなかった。
それまでは。
『少なくとも、その腕輪についてるものと、以前炎のいたずらをした精霊はあなたに手を貸して戦うことに前向きだと思いますよ。とても攻撃的なタイプのようですから』
儀礼の手に、ティーネの古城に儀礼が落としてきたライターを返しながら、アーデスが言った。
『ですよね』
と振り返ったアーデスに、ヤンが怯えるように頷いていた。白い糸の出た腕輪に、ヤンはまだ近づけないらしい。
儀礼を助けてくれる精霊のことを儀礼はずっと『人を守る存在』だと思っていた。
けれど、その『精霊使い』というものの話を聞くと少し違っているようだった。
契約した精霊に力を借り、普通の魔法使いと同じように戦ったり癒しを与えたりできるらしい。
契約していない上に、頼んでもいないことを精霊が勝手にやるのは異常らしいが。
魔法使い、と言われても儀礼にはぴんとこない。やはりそれは儀礼に取っては本の中の世界だった。
しかし、力を貸してくれる精霊ならば、いつも身近に感じていた。
儀礼は渡されたライターに火を灯した。
決して大きくはない炎。小さな風にもゆらゆらと揺れて弱い息でも消えてしまいそうだった。
「力、貸してくれるの?」
儀礼は戸惑いながらもその炎に語りかけた。
炎が大きく揺れる。まるで笑っているようだった。
「人を傷つけて……戦うためでも?」
迷いながら儀礼が問えば、じりじりと肌の焼ける気配。
慌てて周囲を見回すが、その室内に儀礼に怒りを放つ者などいなかった。
儀礼は驚いたように炎を見つめる。
「……一緒に戦ってくれる?」
儀礼が問えば。
待ってました! とばかりに、小さなライターから天井を覆うほどの火柱が上がった。――
******************
『一緒に戦ってくれる?』
『俺はいつでもそのつもりだ。お前の方こそ、戦う気があるのか?』
******************
力いっぱいに狭い室内を荒らしまわっ――暴れ回った後、儀礼は研究室の床に寝転がった。
「眠い」
儀礼が言えば、獅子は苦笑してソファーに倒れこんだ。
「俺も」
人気のない地下の研究室だからよかった。
もしも宿で戦っていたら、二人は確実に追い出されていたことだろう。
研究室の壊れた設備を見回し、儀礼は頬を引きつらせる。
「……何があった」
ソファーの上から獅子の声。
『何かあったか?』、ではなく『何があった』と獅子が問う。
「ちょっと……楽しい人達が、いなくなって」
研究室のほこりだらけの天井をながめ、儀礼は悲しい笑みを浮かべる。
「そうか」
「ほんとに楽しい人たちで……」
生きる道を示せなかったことが悔やまれて仕方ない。
儀礼のやることに、いちいち引っかかった『闇の剣士』たち。
だがそれは、「アーデスならばできる」と彼らが思っていたからだと、儀礼は知っている。
アーデスならば死者をよみがえらせる。
アーデスならば透明人間を生み出せる。
アーデスならば文明を超えた機械すら創造する。
超人的に語られる『双璧』のアーデスは十分それに見合う実力を持っている。
嫌われているだけではない。
引きずり下ろさなければ超えることができないと、誰もが認めるほど、冒険者としても研究者としても完璧な人間。
本人に手が出せないならと、身内を捕らえようとする程に。
目の前で消えた人たちを思い出し、浮いてきた涙を儀礼は真新しい白衣の袖で拭う。
その動作を獅子に見咎められ、儀礼は思わず二番目に悲しかったことを口にした。
「……女に間違われたっ」
「それ、いつものことだろ」
とすっ、と儀礼の頭にソファーの上から獅子の手刀が落ちた。
儀礼は頭を押さえる。
「ごめん。ちょっと、用事あって。出かけてた」
管理局の儀礼の借りた部屋で、長い時間待っていたらしい獅子に、儀礼は謝る。
勝手な噂話を流した儀礼に獅子は怒っているはずだったのに、それを抑えて儀礼の話を聞いてくれた。
「ああ。で、もういいのか?」
「うん」
儀礼は笑う。
「全部片付いたから。帰ろう、獅子」
黒髪、黒瞳の獅子を見れば、儀礼はまたシエンを思い出す。
まだ、そこには帰れない。だから新しい町へ、見たことのないものを求めて。
祖父の生み出した車に乗って、話に聞くだけだった世界をもっと知りたいと。
長く忙しい一日を終えて、儀礼は帰る。
旅を続ける日常へ。
時刻は深夜を回っていて、地下にあるその研究室には明かりなど一切あるわけがないのに、白い光が消えた後も、その室内にはランプの灯す赤々とした光があった。
ランプの小さく揺れる光は、黒いソファーの上に横たわる、黒い大きな塊を映しだす。
黒髪、黒い瞳、黄色い肌。
隙のない気配に、闘気をまとい戦うシエンの戦士。
その姿を見た瞬間に、儀礼は生まれ育ったあたたかい村の空気を感じた。
(帰って来た)
途端に、儀礼はそう思った。そこがシエンどころか、ドルエドですらないことを知っているのに、儀礼は安堵した。
(もう、人は死なない)
なぜそう思ったのか、儀礼自身にもわからない。獅子が、人を殺したことがないからか、それとも人を人だと思っている人間だからかもしれない。
儀礼は何も言ってはいないのに、理解しているかのように怒りを抑え、迎えてくれる友人。
平穏なシエンの村に暮らす獅子を、儀礼は自分の戦いに巻き込みたくなかった。
『こういう輩を殺すとことに何も思わない』、それはアーデスの言った言葉。
だが、儀礼もそういう人間になるはずだった。儀礼の護衛で居続ければ、獅子もそうなるはずだった。
戦いに慣れた冒険者達のように、管理局の上位には、人を自分の研究のための実験材料としか思わないような者が大勢いる。
自分の情報を守るために、儀礼はそういう人間たちと張り合っていかなければならないのだ。
手の内を見せず、心を読ませず、いかに自分を有利にして相手を蹴落とすか。
そんな戦いに、獅子は向いていない。
そういう連中に、いつ傷付けられ消されるかわからない。
もしくは心を失くし、伝説上の『黒鬼』のように恐れられる存在になるかもしれない。
けれど、その必要はないと言ってくれた人たち。
彼らは心無い人間ではない、間違いなく温かい人たちだった。
新しい装備で、儀礼はその実力を確かめる。
大幅に変わってはいるが、根本的には同じ。儀礼の扱う道具と、儀礼に力を貸す精霊たち。
――『精霊使い』という種類の魔法使いがいるらしい。儀礼はそれに近いのだと彼らが教えてくれた。
儀礼を助ける精霊たち。でも、儀礼にはその存在を見ることができない。確かめることができないのだ。
それなのに、見返りを求めず力を貸してくれる優しい存在たちを、戦いに使っていいとは儀礼には思えなかった。
それまでは。
『少なくとも、その腕輪についてるものと、以前炎のいたずらをした精霊はあなたに手を貸して戦うことに前向きだと思いますよ。とても攻撃的なタイプのようですから』
儀礼の手に、ティーネの古城に儀礼が落としてきたライターを返しながら、アーデスが言った。
『ですよね』
と振り返ったアーデスに、ヤンが怯えるように頷いていた。白い糸の出た腕輪に、ヤンはまだ近づけないらしい。
儀礼を助けてくれる精霊のことを儀礼はずっと『人を守る存在』だと思っていた。
けれど、その『精霊使い』というものの話を聞くと少し違っているようだった。
契約した精霊に力を借り、普通の魔法使いと同じように戦ったり癒しを与えたりできるらしい。
契約していない上に、頼んでもいないことを精霊が勝手にやるのは異常らしいが。
魔法使い、と言われても儀礼にはぴんとこない。やはりそれは儀礼に取っては本の中の世界だった。
しかし、力を貸してくれる精霊ならば、いつも身近に感じていた。
儀礼は渡されたライターに火を灯した。
決して大きくはない炎。小さな風にもゆらゆらと揺れて弱い息でも消えてしまいそうだった。
「力、貸してくれるの?」
儀礼は戸惑いながらもその炎に語りかけた。
炎が大きく揺れる。まるで笑っているようだった。
「人を傷つけて……戦うためでも?」
迷いながら儀礼が問えば、じりじりと肌の焼ける気配。
慌てて周囲を見回すが、その室内に儀礼に怒りを放つ者などいなかった。
儀礼は驚いたように炎を見つめる。
「……一緒に戦ってくれる?」
儀礼が問えば。
待ってました! とばかりに、小さなライターから天井を覆うほどの火柱が上がった。――
******************
『一緒に戦ってくれる?』
『俺はいつでもそのつもりだ。お前の方こそ、戦う気があるのか?』
******************
力いっぱいに狭い室内を荒らしまわっ――暴れ回った後、儀礼は研究室の床に寝転がった。
「眠い」
儀礼が言えば、獅子は苦笑してソファーに倒れこんだ。
「俺も」
人気のない地下の研究室だからよかった。
もしも宿で戦っていたら、二人は確実に追い出されていたことだろう。
研究室の壊れた設備を見回し、儀礼は頬を引きつらせる。
「……何があった」
ソファーの上から獅子の声。
『何かあったか?』、ではなく『何があった』と獅子が問う。
「ちょっと……楽しい人達が、いなくなって」
研究室のほこりだらけの天井をながめ、儀礼は悲しい笑みを浮かべる。
「そうか」
「ほんとに楽しい人たちで……」
生きる道を示せなかったことが悔やまれて仕方ない。
儀礼のやることに、いちいち引っかかった『闇の剣士』たち。
だがそれは、「アーデスならばできる」と彼らが思っていたからだと、儀礼は知っている。
アーデスならば死者をよみがえらせる。
アーデスならば透明人間を生み出せる。
アーデスならば文明を超えた機械すら創造する。
超人的に語られる『双璧』のアーデスは十分それに見合う実力を持っている。
嫌われているだけではない。
引きずり下ろさなければ超えることができないと、誰もが認めるほど、冒険者としても研究者としても完璧な人間。
本人に手が出せないならと、身内を捕らえようとする程に。
目の前で消えた人たちを思い出し、浮いてきた涙を儀礼は真新しい白衣の袖で拭う。
その動作を獅子に見咎められ、儀礼は思わず二番目に悲しかったことを口にした。
「……女に間違われたっ」
「それ、いつものことだろ」
とすっ、と儀礼の頭にソファーの上から獅子の手刀が落ちた。
儀礼は頭を押さえる。
「ごめん。ちょっと、用事あって。出かけてた」
管理局の儀礼の借りた部屋で、長い時間待っていたらしい獅子に、儀礼は謝る。
勝手な噂話を流した儀礼に獅子は怒っているはずだったのに、それを抑えて儀礼の話を聞いてくれた。
「ああ。で、もういいのか?」
「うん」
儀礼は笑う。
「全部片付いたから。帰ろう、獅子」
黒髪、黒瞳の獅子を見れば、儀礼はまたシエンを思い出す。
まだ、そこには帰れない。だから新しい町へ、見たことのないものを求めて。
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