ギレイの旅

千夜ニイ

その頃、シエン村

 ――儀礼が穴兎と会話していたその頃、儀礼たちの生まれ育ったシエン村では。――


「エリさん。寒いですから、部屋に入ったほうがいいですよ」
儀礼の家の前、ベンチに腰掛けていたエリに気付き、拓は微笑む。
「もう少しだけ」
そう言って笑い、エリはまた遠い空を眺める。それは、今儀礼のいる国、フェードの方角。
拓は慣れた様子でその家の中に入り、柔らかい布を持って戻ってくると、エリの肩にそのショールを掛けた。
次に着ていた上着を脱ぐと拓はそれをエリの膝に掛ける。


「ありがとう」
そう言って、エリは照れたように微笑む。
「冷やさない方がいいですから」
にっこりと拓も微笑む。それから、拓はエリのお腹に視線を移した。
「もう、目立ってきたわね」
少し、はにかむようにしてエリはお腹を撫でる。
「触ってもいいですか?」
拓はそっと手を伸ばす。
「ええ」
ふふと笑って、エリはその手をお腹に触れさせる。
「いるんですね、ここに」
拓は大切な者を見るように、そのお腹に頭を近づける。
「俺の子が」


「そこにいるのは間違いなく私の子だよ……」
瞳を輝かせる拓に、呆れたように訂正したのは儀礼の父親、礼一。
「俺のお嫁さんが」
そのお腹に触れ、拓はめげる様子もなく、言い直す。
「まだ、女の子かもわからないから」
苦笑するようにエリが言う。
「いえ。是非、女の子を産んでください」
エリの手を取り真剣な表情で拓は言う。


「兄様、恥ずかしいからやめて」
利香が顔を真っ赤にして、家の中から毛布を持って出てきた。
拓の上着をエリのひざから外し、その毛布をエリのひざにかける。


拓が団居まどい家に着いた所から、一部始終を利香と礼一は見ていた。
これが、ここしばらく、夕方の団居家でよく見られる光景。
身重になったエリを手伝うために、利香は学校とエリの自宅にほぼ毎日手伝いに来ている。
拓は、その利香を迎えに来たのだ。




「拓君、その子はまだ生まれてもないから。普通に、付き合う相手を探した方がいいと思うよ?」
ほんの数年前まで教え子だった青年に戸惑うように、礼一は本来の道を促す。
これでも拓はこのシエンの次期領主である。この村を背負って立つ人間になる。
そして拓は幼い頃からその片鱗を確かに見せていた。優秀な人物になるはずだったのだが。


「でも俺、約束しましたよね。もしエリさんが女の子を産んだら俺の嫁に下さいって」
拓は言う。
エリは困ったように頷く。確かに、そんな約束をしていた。十年以上前に。


「でもね、拓くん。この子にも選ぶ権利があるだろ。選ぶのはこの子だ。まだ自我もないんだぞ」
礼一が言う。
「利香と了だって生まれてすぐに親同士が許婚に決めたじゃないですか。利香、了と結婚するの嫌か?」
拓が聞けば、利香は赤い顔で首を横に振る。
「ほら。俺だって、絶対この子を幸せにしますから。了みたいに置いてって泣かせるなんてことも、絶対しません」


 真剣な顔で拓は礼一に向かい合う。それはもう、幼かった教え子ではない。
次期領主の妻ならば、生活に困ることもないだろう。何不自由なく暮らしていくことができる。しかし、それはやはり、親が勝手に決めていいものではない気がした。
「どんなに言われても、この子が自分で決めて、幸せになると言わなければ許すわけにはいかない。君にはきっともっと素敵な人がいるはずだよ。拓君に似合う年齢の合った素晴らしい人が」
礼一も真剣に拓と向かい合う。ここで譲るわけにはいかない。どんなに、毎日頼まれても。


「あの、礼一、拓君。二人とも、せめてこの子が無事に生まれてからにしましょうよ。そういう話は」
エリが困ったように二人の言い合いを止める。
子供はまだ腹の中。生まれるには数ヶ月かかる。
男の子か女の子かも分からないのに、もう嫁に出す相談だ。気が早いにも程がある。


「そうよ、兄様が悪いの。毎日毎日。本当に私、恥ずかしいんだからね」
利香が顔を赤くして文句を言う。最近の拓の浮かれようは明らかにおかしい。実の父親である礼一よりも拓の方が喜んでいるので、妙な噂まで出たのだ。すでに誤解は全て解けたが。


「そうだ、エリさん。イチゴ売ってたから買ってきたんです。食べてください」
反省した様子もなく、拓はエリに玄関の端に置いていた紙袋を手渡す。
この寒い季節に、その辺の店でイチゴを扱っているわけがなかった。
「わざわざ買って来てくれたの? この季節じゃ高かったんじゃない? 悪いわ」
それがわかるエリは遠慮してなかなか受け取ろうとはしない。


「値段なんか気にしなくていいですよ。元は儀礼のなんで。あいつも家族なんだから協力させなきゃ。だから気にしないで受け取ってください」
にっこりと拓は笑う。儀礼の名を出せば、エリはそう、と微笑み、ありがとうと受け取る。
儀礼のガラクタ置き場にある物を売ったら相当な値になったので、元は儀礼の金なのは間違いないだろう、と拓は笑う。


「……礼一、本当に儀礼には知らせないの?」
受け取った紙袋を膝に乗せ、エリは不安そうに礼一を見上げる。
「あいつが自分から連絡してこないのが悪い。私だって、儀礼が連絡くれたらすぐに教えるつもりだったのに、村を出てから一度も連絡してこないんだぞ!? 来たのは管理局からのSランク認定による資料の管理についての通知」
礼一は溜息と共に左手で額を押さえる。


「しかも、拓君たちから聞く話ではあいつらは次々と誰かに狙われて、一つ所にも居られない状況」
礼一の右手が拳を作り、強い苛立ちに、揺れる。
「旅を楽しんでるならいい。楽しんで、忘れてるならまだいいんだ。……儀礼は僕らを頼らない」
命を失いかけてなお、何にも言ってこない息子に、礼一は自分の無力を痛感していた。
苦しそうな礼一の言葉に、エリが悲しそうに眉を寄せる。


「父が死んだ時から感じていた。あいつは、本当は逃げ出そうとしていたんじゃないか? ここから、僕らから」
礼一の父、修一郎の描いた物を理解し、毎月王都から大量の本を借り、ついにはネットと言う環境を扱いだした儀礼にとって、このシエンと言う村、ひいてはドルエドという国さえ狭すぎたのではないか。


「――」
エリが、口を開こうとして、それより早く、
「団居先生、子離れできてないんじゃないですか?」
拓が笑うように言った。
「儀礼君、いつも私が行くと、父さん母さんによろしくって、必ず言うもの。頼らないんじゃなくて、頼らないようにしてるんだと思います」
二人を元気付けるように利香も微笑む。


「儀礼のことなんか気にしないで、エリさんは今はお腹の子のことだけ考えてください。是非元気な女の子を」
「兄様は結局それなのね」
困ったように利香が笑う。
「だいたい、儀礼のことなんか心配したって無駄なんだよ。あいつ、本気で楽しんでますから。毎日。死に掛けたのだって、こっちが心配してんのに、あのちびは、野草と間違って毒草食っちまったくらいにしか思ってないんですよ!」
エリへの説得に思わず熱がこもり、拓は素が出てしまったことにコホンと咳払いをする。背筋を伸ばして、拓は続ける。


「あいつには了がついてますから。なんたって、今は『黒獅子』ですよ。あの了が」
「九九を覚えなかった了坊が……」
成長したなぁ、と感慨深そうに礼一が言う。


「そう言うわけで、エリさん心配しないでくださいね。お腹の子に悪いです。可愛い子になってもらわないと。では、今日は暗くなるので利香を連れて帰りますね。また明日来ます」
拓は上着を羽織り、利香を促す。
「では、お邪魔しました。団居先生、エリ先生、また明日、学校で」
利香は二人に手を振って拓の後を追う。




「兄様、本当に儀礼君に知らせなくていいの?」
暗くなり始めた道を歩きながら、利香が隣を歩く拓に話しかける。
利香には護衛機がある。知らせようと思えば、いつでも呼びかければいいのだ。
必ず、儀礼か獅子が聞いてくれるはずだから。


「いいんだよ。自分で連絡しない儀礼が悪い」
拓は、機嫌の悪い様子で答える。
「でも……家族だよ?」
団居の家を振り返るようにして利香はまた、拓に問いかける。
「新しい家族ができるのに、何も知らされないなんて、儀礼君がかわいそうな気がする」
利香は迷うように、小さな声で言う。


「いいから、利香。黙ってろよ」
念を押すように、拓は利香の顔を覗き込むめば、威圧されたように利香は身を縮めた。
「そんな大事なこと、人伝に聞くものじゃないだろ。自分で直接聞いた方がいい。利香も、了には直接会った時に教えてやればいいだろ。儀礼には内緒でさ」
いたずらするような笑みを浮かべて、拓は利香に囁く。


「了様と、内緒話……」
考え込むように押し黙った利香は、拓がにやりと笑ったことに気付かない。
その口元は音も無く、『ちょろい』と動く。


 儀礼は多分、連絡をしない。怒られるのが苦手な儀礼が、怒られるのがわかっていて、自分から家に連絡を入れるわけが無いのだ。
だから、儀礼は拓に連絡を入れる。


『しばらくは危険だから利香を近づけるな』と。


 そんな短いメッセージを受け取るために拓はわざわざ遠い町の管理局にまで行ってきた。
転移陣を使った先の、暖かい気候のその国でイチゴが売っていて、拓はエリのために思わず買ってしまったのだ。
以前、町の管理局の偉い人間が、礼一に深々と頭を下げているのを拓は見かけていた。
そんな所で、礼一に見られたくないメッセージは開けられない。


 儀礼は無事でもないのに無事だ、とその父親を騙せるほど、器用な奴ではない。
しばらくは、儀礼から実家への連絡は無いだろう。そして利香から知らされる可能性も無くなった。
あとは、その間に礼一さえ説得すれば、拓は可愛い未来の花嫁を手に入れられる。

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