ギレイの旅

千夜ニイ

極北の研究室

 ヤンが儀礼をラチしてきたと聞き、アーデスの研究室を訪れるワルツ。
フロアキュールの拠点ではなく、アーデス個人の研究室。
北限に近い寒い地域にあるアーデスの研究棟。外には無数の罠が張り巡らされ、魔法障壁、物理障壁、とにかく、外からはまともに入れないようになっている。
危険極まりない場所だが、パーティのメンバーは特殊な転移陣を使うことにより簡単に入れるようになっていた。
そこは……


 暖炉があるとはいえ、外は吹雪きそうな位に冷える。
三人掛けの大型ソファーにひざを抱えてガタガタと座り込む儀礼。
いつも着ている白衣はなく、明らかに薄着だ。
「お前、なんでそんな寒そうな格好してんだよ」
ワルツが呆れたように言って近付く。
「ワルツさんに言われたくありません」
その声は震えている。
当のワルツは、肌のほとんどを布で覆っておらず、鎧だけが体の要所を隠している。
「あたしのはこれで完全防備なんだよ。温度快適。ドラゴンのファイアブレスもブリザードも効かないんだよ」
ふっふっふ、と自慢そうに語るワルツ。
「いいなぁ……」
心底羨ましそうに見る儀礼。
「ギレイの服はどうしちまったんだ? そんな薄着でヤンに連れて来られたわけあるまい?」
儀礼は黙って机の方を指差す。


 布張りの豪華な椅子に座り、レンズを片目につけ、様々な機器で儀礼の白衣を調べているアーデスの姿。
「ああ、あれか。いつもと変わらないから気にもしなかったよ。儀礼の服、大事なもん入ってんじゃないのか? いいのか? あれ」
「今日はAランク相当の物しか入ってません。ヤンさんに取り返すの手伝ってって言ったら、ごめんなさいって、どこかに消えてしまいました」
ガタガタと震えながら儀礼が言う。ヤンが自分から消えたのか、消されたのか、儀礼にはわからなかった。自力で消えたならまだいい、と思っている。


「しょうがねぇ、あっためてやるか」
にやりとワルツが笑って、儀礼の隣りに座る。
しょうがないのが、アーデスなのか、ヤンなのか、儀礼なのかはわからない。
「ワルツって、ウォームかファイヤー使えたっけ?」
首を傾げる様に聞く儀礼。その儀礼を、ワルツは抱きしめる。
「ちょっと、ワルツさんっ!?」
顔を赤くして儀礼は慌てる。目の前にはワルツの胸元。
「あったかいだろ」
笑うようなワルツの声。
言われてみると確かに暖かい。暖かい、と言うか寒くないのだ。
体中を空気の幕が覆ったような感覚で、外気の冷たさをまるで感じない。
「これがあたしの鎧の効果だよ。真冬の吹雪の中でも南国気分さ」
あはは、とワルツは笑う。
「本当にあったかい」
温かい湯に浸かっているような穏やかな感覚。儀礼はそのまま目を閉じた。
「おい、ギレイ? 寝ちまったのか……というか、この状況で寝られるって、あたし、女としたらどうしたらいいかねぇ」
ふにふにと儀礼の頬をつついてみる。起きる気配はない。
「放っといたら風邪ひくし、うちのリーダーが迷惑かけてんだし、しゃぁないか」
そう言ってワルツはしばらく儀礼の暖房代わりになることに決めた。


 数十分後。
「おい、ワルツ。護衛が寝てるってどういう状況だ」
アーデスの声にもワルツは起きない。
気持ち良さそうに笑みを浮かべ、よだれを垂らすいきおいで口を開けたまま眠っている。


「まったく。寝たふりがうまいな」
アーデスが儀礼の上に白衣を落とす。もちろん、とても重い。
「気付いてたんですか」
バツが悪そうに目を開け、儀礼は白衣を受け取る。
「寝てる時と起きてる時の魔力の放出量は違うからな」
「やっぱり、観察してましたね。趣味が悪い」
睨むように儀礼は言う。
「趣味、というより癖だな。周りにいる人間の状態を把握するのは」
悪びれもせずアーデスは言う。


「それ、二重構造なんだな。外、内、袖の中、収納だらけじゃないか。しかも、白衣を外せば衝撃吸収材のホルダーに武器の詰め合わせか」
儀礼が白衣を羽織るのを見て笑うようにアーデスが言った。それ一つで戦車以上の攻撃力、鎧並みの防御力。
白衣は洗濯するために外せなくては困るのだ。ポケットの数が多すぎて一々詰め直すのが面倒で、最終的にホルダーを使うことになった。
「おかげで暖かいんですよ」
口を尖らせて儀礼は言う。怒るところはしっかり言っておかねば。
「その辺の物を使えばよかっただろ」
寒がっていた儀礼に対してだろう。随分と軽く言ってくれる。
「何が仕掛けてあるのかわからないのに、使えませんよ」
ソファーのわきにある毛布やコートを見て儀礼は言う。ワルツが危険と言い切る場所なのだ。
「さすがに俺が使うものにまで仕掛けてないさ」
と、言いながら、何かの呪文を唱えてから掛かっていた上着を羽織るアーデス。
まったく説得力がない。


 研究者の『意図せず』所で『偶発的』に『起こってしまった』実験は、罪を問われない場合が多い。
例えば、儀礼の部屋に勝手に入ってきて、勝手に机の上の液体を飲んだ獅子。儀礼の罪になっていない。
それは、データ収集のチャンスだ。高ランク者の個人の研究室など、一種の無法地帯だ。
とは言え、あまりあからさまではすぐに怪しまれてしまうが。
「残念だな。Sランク者の対応が見られるかと思ったんだが」
「その装備を奪っておいて、冒険者ランクDの僕に何をしろと言うんです」
無茶を言うにも程がある。


 二人の会話に気付いたのだろう、ワルツが起きた。
「護衛が熟睡とはどういうことだ、ワルツ」
口の端を上げてアーデスが言えば、あはは、とバツが悪そうにワルツも笑う。
「子供の体温って暖かいな、と思ってたら、思わずね」
言いながら、ワルツはもう一度儀礼を抱きかかえる。
強制的に連れてこられ、子供と言われ、身動きもできず、わがままな大人たちに振り回され、泣きたい気分の儀礼だった。

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