ギレイの旅

千夜ニイ

氷の谷3

 落ちていく感覚が長い。相当深い穴だ。
 儀礼は袖の中のワイヤーを伸ばし、獅子へと投げつける。獅子の腕に絡まったそれを瞬時に巻き取る力を利用して上に。
 投げるように上に向かわせる。獅子の身体能力ならば地上に辿り着けるだろう。
 そう思っていた儀礼を恐ろしい怒気が襲う。こんな寒気のする状況だと言うのに、じりじりと肌が焼けるようだ。
 袖のワイヤーを逆に引っ張られる。
 上にいる獅子よりさらに上方へ。薄明るい地上が見えて、空中へ放り出されたような浮遊感。
 くん、と袖を引っ張られたかと思うと、ワイヤーを剣で切り落とした獅子の姿。
「なに、やってんだよ!」
 叫ぶのもむなしく、獅子は闇の中へ落ちていった。


「獅子! 獅子っ!!」
 必死で叫ぶ儀礼の腕を誰かが掴んだ。
「ばかかっ、自分も落ちるつもりかよ」
 再び穴に落下を始めた儀礼の腕をワルツが地面の切れ目で掴んでいた。獅子の言っていた気配はワルツだったようだ。
「だめだ、二人はもたないんだっ」
 とっさに儀礼は叫ぶ。
 ぼこっとそのワルツの足元が大きく崩れた。ワルツは慌てて儀礼を引き上げるようにして飛び退った。
 それでもまた地面は崩れる。ワルツは儀礼を抱えるようにして、数度後ろへ飛び下がった。
「獅子っ! 僕はいいんだっ、獅子を助けないと! 連れて帰るって約束したんだ! 待ってる人がいるんだっ!!」
 狂ったように叫び暴れる儀礼をワルツが羽交い絞めにして抑える。
「落ち着け、ギレイっ!」
 耳元でワルツが叫ぶ。


 はっとして儀礼が振り返れば、真剣な顔のワルツとその背後にはアーデスまでいて。ちらりと儀礼を見ると、暗い闇の中へ、ためらいもなくアーデスは飛び降りた。
「お前が落ちるよりも、あいつらの方がずっと生き残る可能性が高い!」
 Aランク冒険者の、力強い発言。
 怒鳴るように言われ、儀礼は体の硬直とともに落ち着きを取り戻す。
「きっと大丈夫だ」
 今度は優しく言われ、儀礼は肩の力を抜いた。


 ぱちっと火のはぜる音がした。
 周りには凍りついたような木々と人が淡い光を発している。
 小さな焚き火でも、巻き起こす上昇気流でたまに噴出す霧を防ぐことができていた。
「今は待つしかないさ。あいつらの無事を祈ってな」
 心配して俯く儀礼を笑うようにワルツは言う。


 アーデスが飛び降りた後、霧の分析、遺跡の探索、すぐに取り掛かろうとした儀礼をワルツが引き止めた。
 AAランクと言われる『双璧』のアーデスの心配など、するだけ損ということかもしれない。
「お前にも、待ってる人がいるだろ」
 ワルツが火の中を見つめたまま言い出した。
「親とか、友達とかさ」
 何故ワルツがそんなことを言い出すのかわからず儀礼は首をかしげる。
「さっき、言ってただろ。黒獅子には待ってる人がいるって。まるでお前には待ってる奴がいないみたいじゃないか」
「そういうわけじゃないよ、さっきは必死だったから。利香ちゃんとか、獅子倉の道場の子達とか、頭に浮かんだら獅子を必要としてる人がいっぱいいるって思って」
 恥ずかしくなったのか、儀礼はごまかすように木の枝で地面に何かを書き始める。
「最初に会った時に言ったけどさ。あんたは恩人なんだよ」
 地面から目を上げ、意味を解釈しかねてワルツを見る。
 儀礼はあれ以前にワルツに会った覚えも、何かをした覚えもない。


「あたしのばあちゃんがさ、毎日毎日飽きもせず花の種を植えてたんだ。芽が出るわけないのに、あたしと妹には入るなって言って、立ち入り禁止の『死の山』のロープの中でさ」
 儀礼は瞬きも忘れ、真剣な顔になる。
「ばあちゃんは子供の頃そこに家があって、ばあちゃんの兄弟は死の山の影響で死んだって。ばあちゃんは、自分が死ぬのは寿命なんだって言ったけどさ……。あの辺は治安も悪くてさ。さらわれて、始末に困った犯人にあんなとこに投げ込まれた友達がいた。あそこで死ぬ人間は本当に苦しむんだ。家族も苦しむんだ。そんで、他人は苦しんじゃいけないんだ」
 ワルツは隠すように瞳を伏せる。
「その弱ってく友達がさ、あたしらは幸せに生きろって。楽しそうにしててくれって。親はうちの子は無事でよかったって。もう、子供心に辛かったんだ」
 儀礼の知らない世界の事実。当事者のそれはいたずらに事件を起こした儀礼にはひどく重たい。


「だからあたしは、木槌もって、金槌持って、気付けばこんな武器持って、悪い奴らを追っかけ回して、ぶっつぶして」
 重い話をしていたはずだが、いつ武器の話になったんだろう。
「あたしはいいことしてるんだって、思ってた。でも、何も変わらなかったよ。あたしが恐れられただけだ」
 若い娘が治安の悪い町で恐れられるほど、何をしたと。
「妹の遠慮した目が悲しかった……」
 本当に悲しそうにワルツは微笑んだ。
 儀礼の胸が痛む。


「ある日、何年も会ってなかった妹があたしのとこに走ってきたんだ。近付きもしなかったギルドの中に。『おばあちゃんの花が咲いた』ってな。涙こぼして、それは嬉しそうに」
 思い出しているようなワルツの顔はひどく優しい。
「あたし、わかったよ。あたしはみんなのそういう顔が見たかったんだ。ああ、よかった、幸せだっていう」
 ワルツは真剣な顔で儀礼を見つめる。
「そん時だよ。あたしはあんたの助けになりたいって、思ったんだ。実験のためだったとか、名声のためだったとか、そんなんどうだっていい。今、あの場所にばあちゃんが周りに植えた花の種が飛んで一面、花が咲いてんだ」


 ワルツは自分の中には凶悪な物しかないと思っていた。恨みや暴力が生まれついての性質だと。
 ワイバーンを討ち潰す度に感じる爽快感がその証明だとさえ思っていた。
 妹に連れられて見た一面の花畑。花を揺らす風がワルツの中を駆け抜けたのがわかった。
 自分の中に、凶悪以外のものがあると、気付いた瞬間だった。


「あんたが死の山を壊してくれて、あたしは救われたんだ。それがどんな人間でも。邪魔な奴を殺せと言えば殺す。盗めと言えば盗む。守れと言うなら命かけて守るよ」
 ワルツの真剣な瞳と告白めいた言葉に、儀礼の頬が熱くなる。
 あまりの照れくささに、儀礼は俯いた。
 儀礼が何かをしたわけじゃない。実際にミサイルを発射させたのは獅子だ。儀礼は使うつもりなど無かった。ワルツが勝手に恩義を感じてくれているというだけ。
 儀礼は必死に自分を宥める。
「僕が極悪非道な人間ならどうするんですかっ」
「そうは見えないけどな」
 火のはぜる音がして、ケラケラとワルツは笑った。

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