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ギレイの旅

千夜ニイ

氷の谷2

 氷の谷と呼ばれるそこは確かに美しく、不思議な所だった。
 谷を挟む山には葉のない木々が淡く青っぽく光りながら立ち並び、その木々は凍っているようにきらきらと輝く。
 夜目に見ても月の光を反射してまばゆいばかり、幻想的に美しい。
 しかし、今はそこを歩くものもいない。夜行性の獣も、小さな生き物も、夜闇のふくろうも。
「妙だな」
 耳を澄まして獅子が言った。
「何の気配も無い」
 うん、と儀礼もうなずく。


 谷へ入る手前に小さな小屋があった。谷を観光する客のガイドでもしていたのだろう、入ってすぐに谷の案内図が積み重ねられている。
 そこから谷のほとんどが見渡せた。谷の入り口とほぼ真っ直ぐな道で、出口の向こうに町らしき明かり。
 途中の道が少し、窪んでいてよく見えないが、地図の通りならここから二時間ほどで向こうの出口に着くようだ。
 机の上に「通行者名簿」と書かれたノートが置いてある。通行者というより、ガイドを頼む観光客の名簿みたいだった。
 その、最後の欄にしっかりと、二人の名が記されていた。拓と利香の名が。
「やっぱりここに来たんだ。二人とも」
 名簿の名に触れ儀礼の顔が青くなる。


「何か他に手がかりが無いか調べてみようぜ」
 言いながら獅子が部屋中を荒らし始める。戸棚を開け、ベッドをひっくり返し、机の中を引っ掻き回す。
「獅子、これじゃ泥棒が入った後みたい」
 苦笑しながら儀礼が言う。
「何か見つかったのかよ」
 獅子の苛立ちに儀礼は身を硬くする。
「何も。怪しい所がなくて。隠し戸棚に入ってたのもお金だけだし。隠し部屋も、地下に繋がる通路もない。外との連絡も町とだけ。向こうの町から行方不明者が出てるから注意しろって連絡を最後に、ここの主も行方不明だ」
 獅子は部屋を荒らすのをやめた。
(金のありか、隠し部屋、連絡のやり取り、どっちが泥棒っぽいって?)
 獅子は呆れる。
「つまり、犯人じゃないってことか」
「うん」


 儀礼はもう一度窓から谷を眺めた。
「あそこ、だよね」
 谷に入った人間が、谷の出口に出ていない。怪しいのはここからでは見えない窪んだ道。そこで、何者かに連れ去られたのか。
 出入り口を使わずに、どうやってここから連れ出したのか。
 山を登ろうにも、夜ですら明るく見えるこの場所で、見つからずに多くの人を連れ去るなんて無理だ。
 ヤンのような移転魔法を思い浮かべる。しかし、ドルエドに魔法使いは少ない。犯罪に手を出せば、すぐに個人を特定されるだろう。
「行ってみるしかないか」
「もともとそのつもりだろ」
 頷き合うと二人は車に乗ってその谷へ進んで行った。


「あの山、妙だ」
 小屋の近くでアーデスがつぶやく。
「妙って? 確かに変な木だけどな」
 遠くを見るように目の上に手をかざしてワルツが谷を見る。
「右側の山だ。魔力を感じる」
「魔法使いでもいるってのか?」
 右側の山に目を移し、ワルツはより目を凝らす。淡く光る木々がきらきらと目に光をつき刺す。
「確かに、普通じゃないな。あの辺に遺跡でもあったか?」
 ワルツが聞けば、アーデスは笑む。
「報告はないな。しかし、研究施設が登録されている」
「何の研究施設だか」
 ワルツは大きなハンマーをくるりと回した。


「霧だ」
 儀礼が車を止める。谷の中程に差し掛かった時だった。
 あの小屋からもこの辺りからよく見えなくなっていた。道が窪んでいたのではなく、この霧がかかっていたせいかもしれない。
「多分、何かあるとしたらこの霧の中だ」
「見るからに怪しいよな」
 獅子はいつでも抜けるように剣を握っている。
「人の気配、ないよね」
 確かめるように獅子に聞く。
「ああ。今は何も感じない」
 人が来たら連れ去るために誰かがずっと見張っていると思ったのだが、さすがにこんな夜中では誰もいないのかもしれない。


 獅子の探る気配を感じ取ったのか、小さなねずみが木の陰から飛び出してきた。
 驚いたように車から離れ、道の先へ走っていく。
『ほら、見てごらん。かわいい白ねずみだろ』
 また、記憶の奥の声が囁く。
(違う、あれはただの茶色いねずみだ)
 声を振り払うように、儀礼は拳を握り、落ち着くために大きく息を吐いた。
 走っていたねずみの体がきらきらと輝きだす。
 儀礼は目を擦った。それでも、まちがいない。ねずみは走りながらきらきらと光を放つ。
「まさか、なんで。まずい」
 儀礼は車を後退させる。
「どうした?」
 眉根をよせて獅子が尋ねる。利香たちを探しに来たはずなのに、このまま帰るつもりかと。
「霧からいったん抜けよう。もし、僕の知ってるものならまずい……」
 儀礼の声はかすかに震えていた。
 獅子は訝しんで首をかしげる。
「僕は、思い違いしてたのかも。……連れ去られたんじゃない。動け、ないんだ」
「動けない? どういうことだ」
 儀礼は車のボタンを押す。フロントからプロペラのような何かが出て、風を起こす。
 段々と強くなる風に、霧は少しずつ飛ばされていった。


 そこには、見晴らしのいい一本道と、たくさんの青く光る人の形があった。
「なっ!?」
 獅子が言葉を失う。
「昔見た、剥製を作る薬に同じような効果があった。きらきら光って、そのまま固まるんだ。生きたまま」
 儀礼は周りを確かめてから車を降りる。
 そこには人ばかりでなく、鳥や小動物の姿も多くあった。
「氷の谷と呼ばれるからには、ここの木は昔からこうだったんだと思う。でも、ここにいる人たちは違う。みんな最近行方不明になったんだ。たまたまここを通って、あの霧を吸い込んだから」


 4、50人はいるのではと思われる凍りついたような人の中から、拓と利香を探す。
「いたっ! いたよ獅子!!」
 その姿を見つけて儀礼は叫ぶ。獅子が駆け寄ってきた。
 利香の足元に儀礼のあげた護衛機が落ちている。何のための護衛だ。何の役にも立っていない。
 儀礼は涙が出そうだった。どうしてもっと早く気付かなかったんだ、と。
 拓の手が利香の腕を掴んでいる。異常に気付いて離れないようにしたのかもしれない。拓の真剣な顔。
 なのに、獅子が触れる利香の顔は笑っている。儀礼は力が抜けた。思わずしゃがみこむ。
「利香ちゃん。なんてのんきな顔してんだよ」
 きっと、「兄様、きれいな谷ね」なんて言ってたんだろう。


「すぐ、戻してあげるから」
 儀礼は立ち上がる。
「霧の成分を分析してって……ああっ。霧を全部吹き飛ばさなきゃよかった」
 儀礼は頭を抱える。
「まてよ、この木が霧の無い時からこの状態なら、霧と同じ成分を含んでるかも。木の樹液から成分が取れる!」
 言いながら、儀礼は道の端に走り、生えている木の幹にナイフを当て樹液を回収する。手につかないよう、慎重に。
「この辺り全体の木が硬化。霧……何かあるなら水? それとも地下?」
 ぶつぶつと考え込む儀礼の側へ剣を構えた獅子が寄ってくる。
「儀礼、誰か来る」
 儀礼を背に庇うようにして来た道の方を睨む獅子。
 しかし、儀礼には足音も人影もわからない。光を放つ人の形の方ばかりが目立って見える。


 シュー
 何か、空気の漏れるような小さな音が儀礼の耳に聞こえてくる。
 でもそれは獅子の睨む前方ではなく、儀礼の左側。山の斜面の方。
 シシューッ!
 大きな音を伴って、斜面から白い霧が噴出した。
 すぐに気付いた獅子と儀礼は離れるように飛びのく。
 その着地した先で、ぐらりと二人の足場が崩れた。
「うわあっ!」
 薄い地面の下に何か巨大な空間があったらしく、地の底に飲み込まれそうな闇を作り出している。
 ただの地面陥没ではない。こんな薄い地面の上に今まで道があったのなら、それは古代の力でしかありえない。
 その古代の力は、何らかの原因で崩壊した。
 落ちていく感覚の中で、儀礼の頭にそんな答えが浮かんでいた。

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