ギレイの旅

千夜ニイ

貴重書庫

 領主の息子に連れられて、屋敷の奥まった廊下を案内される儀礼。
 人気の無い薄暗い道は少し不気味だ。
 本が日に焼けないように、日当たりの悪いところに棟を建てたのだろう。
 換気のための窓が北側だけについている。今は用心のためか全てがしっかりと閉じられていた。


 書庫の前には二人の見張りが付いていた。夜会が行われているためかわからないが、これは本格的だ。
「どうされました? 若様」
 見張り兵は祝宴の最中なのを訝しむ。
 領主の息子は見張りに儀礼を紹介すると、扉を開けるように命じる。
「ご苦労様です」
 微笑む儀礼。それだけで、兵士たちの警戒心を奪った。そして、領主の息子に向き直る。
「ここまで案内してくださってありがとうございます。でも祝宴の最中にあなたが長く抜けてはまずいですよね。一人で見れますのでお戻りください」
 儀礼が遠慮気味に言うと、儀礼の背を押すように手を回す。
「私のような若輩がいなくとも、父がいれば大丈夫です。それに、貴女を疑うわけではないのですが、ここには貴重な物ばかりあるので一人で入れるわけにはいきません」
 そう言いながら、書庫へと入る。後ろ手に、見張りたちに下がれと合図する。
 中に入ると男は明かりをつけ、扉を閉める。ガチャリと外から鍵をかける音がした。


 ずらりと並ぶ書棚に儀礼が近付こうとするのを男が止める。がっしりと腕を掴まれている。
(ああ、やっぱこれを先にどうにかしなきゃだめか)
 目の前の貴重書物にはやる気持ちを抑え、儀礼は男に見えないよう苦い顔をする。
(効きすぎてんのかな、幻覚のコロン。こないだは広い遺跡に一瓶だったからなぁ)
 後で調整が必要かな、と危機感も無く考えながら、指先で銀色の指輪をいじる。
 にっこりと笑うと儀礼はその指輪を男の首元に押し当てた。


 ガクリと男がその場に崩れる。
 儀礼の細い指には似合わないその太い指輪には麻酔針が仕込まれていた。
 いつも使う銃の弾より眠らせる時間は短くなるが、痺れ薬よりは長い時間動けなくできる。
 スプレー型の麻酔薬でも良かったのだが、
「データ収集したいもんな」
 指輪の針を元通りに戻し儀礼は一人つぶやいた。


「……さてと!」
 書棚に向き直ると儀礼は口元に笑みを浮かべた。部屋中の本に瞳は輝いている。
 まるで、いたずらに心躍らせる子供のようである。
 棚の端からざっと目を通していき、見たことの無い本を手に取っていく。
 全体を見終わる頃には十数冊の本を抱えていた。
 さすがに貴重書を集めているだけある。内容は見たことがあっても、初版本や、写しの前の手書きの原本があるのだ。
 ついこの間国立の図書館で読みあさったので、世界中の殆どの本を読んだ気でいたのに。
 まだまだ、知らない物がたくさんある。
 ドルエド、アルバドリスク、フェード、ユートラス。近隣の国の言葉に翻訳された同じ本など並べると実に興味深い。
 本を床に置くと、儀礼は本棚を背もたれにしてその横に座り込む。
 寝ている男が視界の端に入ることを確認する。
 床は石でできていて少し冷たいが、儀礼は椅子に座るより、この方が落ち着くのだ。


 それから二時間ほどが過ぎた。
 儀礼は積み重ねた本が無くなったことに寂しさを覚える。
 領主の息子はまだ眠ったままだ。薬の聞き具合によってはそろそろ起きるかもしれない。
 本を元通りに戻しながら、儀礼は名残惜しそうにもう一度書庫を見回す。と、何か違和感を感じた。
「何か変だ」
 一番奥の書棚と壁。一見何の変哲も無いが、儀礼は近付いてよく見る。
 やはり、書棚を何度も動かした後があり、壁と柱の位置が合っていない。
 にやりと笑うと儀礼はその壁へと近付く。わずかに風の流れを感じる。
 書棚を力いっぱい引けば、ガラガラと、レールの上を動くような音。その書棚の裏に、金属製の扉があった。


 当然のごとく鍵がかかっている。
 持っていた針金で開けてみようとするが、思ったよりも硬い。もう少し太いワイヤーのような物があれば……。
 ふと、儀礼は領主の息子の存在を思い出す。鍵を、持っているかもしれない。
 近付き、仰向けにして鍵を探す。
 内側の胸ポケットの中に二つの鍵があった。片方はこの書庫の鍵だろう。
 もう一つの、少し大きな鍵は――。
 嬉しさに儀礼の口が勝手に笑う。儀礼はその重たい扉を開いた。

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