ギレイの旅

千夜ニイ

【閑話】領主の子

 シエンの村の領主の館。
 広い広いその家の淡いレースや花柄で可愛らしく飾られた一室。
 そこで長い黒髪の少女は箪笥を開く。


襦袢じゅばん掛下かけした白打掛しろうちかけ


 末広すえひろ・ 筥迫はこせこ綿帽子わたぼうし


 帯にかんざし懐剣タカラモノ


 利香は仕舞ってあるそれを一つ一つ、細い指で数える。歌うような声。
 利香の母が結婚式に着たものを、利香に合わせて少しだけ直してある。
 懐剣かいけんは獅子の父に貰った物。
 飾りが綺麗で女性が持っていておかしくないが、月に一度は獅子の父、重気じゅうきが手ずから手入れしてくれている一級品。


 小さな頃から、利香はこれを数えるのが好きだった。いつか着るからと。それは卒業したら。あと何年、あと何ヶ月、あと何日。
 指折り数えて楽しみに、楽しみに待っていた。
 けれど、獅子は旅に出てしまった。利香を置いて……。


「了様」


 利香の目に涙が浮いてくる。獅子が旅に出るなら止める気はなかった。
 するすると、ひざを着くようにしゃがみこめば利香の長い髪が床に流れる。もうすぐ結うからと、そう思うと切れなかった。


「一緒に、行きたかったです」


 利香の目からついに涙があふれた。


 廊下を歩いていた玉城拓(たましろ・たく)は、開いていた扉からうっかり妹の部屋を見てしまった。
 そこには、床に座り込んで泣き伏す妹の姿。許婚である獅子が村を出て行ってから、利香はずっとそんな調子だった。
 はぁ、と拓は深い息を吐く。


 コン コン
 扉を叩けば利香が振り向く。


「なんて顔してるんだお前は」


 泣き顔の利香に机の上に置いてあったハンカチを渡せば、グスグスと目元を拭う利香。


「町に行ったら桜餅がいい色してて、思わず買っちまったんだ。食べないか」


 拓は緑色の葉に包まれたピンク色のもちを包みから出す。優しい色合いが確かに目をひいた。


「兄様、こんな所で開けて、母様に怒られるわよ」


「食べちまえばわからないよ」


 言いながら葉のついたまま餅に食いつく拓。


「まったく、儀礼のやつ車持って行きやがって。町に行くのも不便でしょうがない」


 そう言う拓だが、町に行く時には年嵩の友人たちに無条件で馬車を出させていた。
 拓が「町に行くぞ」と一言言えば、無言で馬と馬車を引いてくる友人たち。
 荷物を運ぶために連れて行って、荷物が乗らないからと置いて帰ってくる。
 それがシエン領主の長男、玉城拓という男だった。


「あんなやつ自転車で十分だ」


 不満げな表情の拓を見ながら、利香は自転車で旅をする儀礼を想像してみる。
 疲れたぁ、と言ってすぐに目に涙を浮かべていそうだ。


(可愛らしい儀礼君)


 くすりと笑って利香もピンクの餅を一口かじる。


「おいしいっ」


 鼻に抜ける桜の香り、優しい甘み。


「あ、綺麗。中にも桜色のあん」


 久しぶりに顔を綻ばせる利香。


「だろっ。俺も中まで色つきと思ってなくてさ」


 残りを一口で放り込むと拓は安心したように笑う。
 元気の出てきた利香に拓は一枚のチラシを見せた。


 『ストーフィムの町 剣術大会』と書かれている。


「仕事の依頼しにギルドに行ったら置いてあってさ。昔それ見に行った時も、桜餅食べたよな」


「兄様、あれはお団子よ」


 ふふっ と利香が笑う。


「そうだったか? ま、いいや。了がいれば連れてってやったのにな。あいつ好きそうだろ」


 獅子の名に利香は一瞬悲しそうな目をしたが、気を取り直したようににこりと笑う。


「了様なら腕試しだ、って言って乱入するわよね。それできっと優勝するの」


 利香のその自信がどこからくるのかわからないが、いいところまで行くのは間違いないだろう。


「はは。それよりお茶が飲みたくなったな」


 口の中の甘みが続き、拓が変な顔をしている。


「私が淹れるわ」


 部屋を出ようとする利香を手で遮り、拓は腰の袋からもう一つ桜餅の包みを取り出した。


「母様の分?」


 利香が首を傾げて問えば、拓は愉快げに微笑む。


「いや、母様にはもう渡したよ。これはエリさんの分」


 エリは儀礼の母親の名だ。


「じゃ、俺はエリさんにお茶をいただいてくるから」


 そう言って拓は利香の部屋を出て行った。

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