liquid

じゃぐち

余暇

 東条あかりと別れ、1週間という暇を得た私は、何となく外へ出歩いている。既に2日は経過しており、時間は刻々と過ぎていた。今までの1年間、山で暮らしていた為に、慣らしておこうという気持ちがあった。世間では、夏休みを迎えており、街は人で賑わっていた。

 夏のギラギラした太陽に、ビル間を風がそよぐ事無く停滞した、モワモワした空気のダブルパンチで、汗をかき、Tシャツと肌を糊付けした。コンビニエンスストアに行き、アイスか何かを買おうかと迷う。手で顔を仰ぐ私の目の前に、1人の女性が現れる。涼しげな表情を浮かべている。しかし、彼女もまた汗をかき、ブラウスが半透明がかる。女性は夏場、苦労が絶えない様で、男性の私は、申し訳ない気持ちにさせられる。どの様な格好をしても気にしないで済むからである。彼女は、私に声をかけてきた。

「ティッシュお一ついかがですか?」

ティッシュ配りの様だ。周りを見渡しても同じような風景が伺えた。久しぶりのティッシュ配りやビラ配りを見て、感動する。山に居た時も、度々、買い物の為に街へ来る事は有ったけれど、気持ちに余裕が無かったせいか、イマイチ覚えていないなかった。

「あ、どうも」

ティッシュを渡される。ティッシュの広告を確認するだけでも、ワクワクする。新しい美容室がオープンしたのだという。髪は自分で切っているので、利用する機会は無いだろうと思い、ポケットに入れる。私一人で楽しんでいるのではないかと心配になり、妹に声をかけてみる。他人からすれば、今日は、妹をイヤホンに変えているので、少々、変な電話をする少年程度に移るだろう。

「レイ。何処か行きたい所、有る?」
「……」
『何処か行きたい所が有るかを聞かれたら、適当に場所を言ってくれたら、楽なんだけれどな』

私の小言に対して妹は、笑っていた。東条あかりと出会った為だろうか、以前よりも少しだけ明るくなった気がする。妹は1年、山籠もりしていた為に、精神衛生状態が良くなかった。能力に気が付いたのは、事件に遭ってから相当時間が立っていた上、上達するまでに時間を費やした。その為に妹は、私の体の中に入り込んでいなければ、ならなかった。外に出ていない間は、視覚的な情報も入手しずらい様で、暗闇にいる気分だった様だ。

 あかりに縛られていた間は、眼を閉じていたので、完全なブラインド状態だった為、犯人について妹は分からない状態だったと後で聞かされた。

 私が思考を張り巡らしている間、衝撃が襲う。

ドンっ バサー

注意が散漫になっていた様で、女性とぶつかる。ビラ配りの人の様だ。地面にばら撒いてしまう。

「すみません」
「どこ見て歩いてんだよ」

女性は不機嫌そうだった。配り始めの様で、ビラは大量に地面へと放り出された。女性は中腰姿勢になり、地面に撒かれたビラを回収し始めた。私も一緒になって拾う。私が悪いとは言え、仕事でその様な態度を取っても良いのだろうか。私も少し立腹しながら、悶々と回収する。時や人が違えば、恋に発展する事さえ、ありそうなシチュエーションに出会うも、現実を直視させられる。
"人を探しています"のポスターである。どうやら仕事では無く、個人的に動いている活動家の様だ。道理で、タバコを咥えながら配っていたのかと納得する。感じが悪いが、それでも熱心な様だ。

「見つかると良いですね」

相手は、私を無視して離れて行った。顔はよく見る事は無かったが、年上の女性で、苦労も多いのだろうと譲歩し、私も離れて行った。煙草を吸えば吸うほどストレスに繋がるのではないかと忠告もせず。 


 冷たい物のついでに、昼食を取ろうと最寄りのコンビニエンスストアへ立ち寄ろうとする。その入り口で肩を叩かれる。『久しぶり』と気さくな声と共に。

 私は振り返る。声の主に向かって。それは、高校に通っていた時の友人の1人だった。名前は、林拓郎ハヤシタクロウ

「妹さん元気か? お前とは学校辞めて以来、会って無かったな」
「妹は、まだ少し体調が良くない。夏休み明けになったら学校に通い始める予定」

学校を辞める際、妹が重度の病気となり、私が働かなくては、ならなくなったという話をしていたのだ。実際にアルバイトをして、生活費を稼いではいるが、暫くの間、休みを取っている。アルバイトの事は言ってはいないが、この平日昼間に歩いている姿を見れば、クビにされたのだと思うだろう。私には誤解をされるより何より、妹を元に戻す方が優先だ。誤解されても構わないと思っていた。

 1年も離れていたのだ。学校の友人も学校から離れれば、感情も変わるだろうし、既に相手は、友人を辞めているかもしれないと思った。

「コンビニに用があったところに悪いな。引き止めちゃって。1年振りだからか嬉しくなって」
「いや、良いんだ。コンビニなんて、いつでも行ける。お前とは、簡単に会えるもんでもないし」

新しい住所を教えた訳でもなく、連絡を取り合っていた訳でもない私にとって、久し振りの友人に出会えた事を偽りなく喜んだ。先程までの不安感から来たネガティブな気持ちは何処かに行ってしまった。きっと、東条あかりに出会った妹も同じ気持ちだったに違いない。

 林も私の言葉を非常に歓迎している様であった。

「照れる事いうじゃねぇか。仕方ない、何か奢ってやる。まぁタダでは奢らんけどな」 

林の含み笑いから、学校に通っていた頃を思い出す。林は、私と違ってサッカー部のエースで、モテるタイプの癖に、私に恋愛相談を持ちかける。自分で恋愛もした事もない私を揶揄う為に。それでも、嫌な気持ちは無い。互いを信頼していたからだ。だからこそ、妹について本当の事を伝えられない事を、後ろめたく思う。

 私達は、近くの公園まで行き、そこのベンチに腰掛けた。緑が多く、夏休みの少年少女は駆け走る。遊具を使って跳ね回る。噴水が水しぶきを上げ、太陽光に反射し、小さな虹が見える。1年も経つと日常の光景が眩しく映り、生命力の力強さと瑞々しさに心が打たれる。老人になった様な気分だった。

 ベンチに座るや否や、先程コンビニで、奢ってもらったオニギリを広げ、林は話しかける。

「お前も知ってるだろ、あの時の彼女」
「まだ、付き合ってたのか」

鎌川彩カマガワサヤカを指している事が分かった。鎌川は、ピアノで活躍している有名人で、大きな大会で入賞という経歴を持っている。ピアノの得意な妹曰く、簡単に取れる様なモノでは無いとは言っていた。

《私じゃ絶対に取れないと言わない事から、妹のピアノに対する情熱と練習量からすれば、取れない事は無いという自信が伺えた。妹はピアノが得意である》

「鎌川が、どうしたんだ?」
「ピアノのコンクールが近いているんだけれど、どうも変な事件に関わってしまって」
「変な事件?」
「例の連続盗難事件」

山小屋には、テレビが無い。その為に、情報は雑誌の立ち読みくらいで、最後に見た時には、同一集団による2、3件という話だった。連続という話ならば、2桁になっている事だろう。盗賊の話は、巷でも噂になっていた。どうも不良集団が、強力なバックを手に入れた為にド派手に、武器や道具を使って犯罪に手を染めている。という話だ。

 不良集団が犯罪を行っている事までは特定できているのに、逮捕出来ないのは、その武器や道具が現場に証拠を残さないという不思議な現象を起こしており、新たなる被害者が誕生し、直接目撃するなり、映像が無ければ、証拠が足りないのだという。

 林の話では、鎌川の楽譜が奪われて、練習に困っているという話らしい。鎌川は楽譜を見て、落ち着くタイプらしく、本番前まで持っていないと落ち着かない人なのだと言う。

「盗まれた楽譜を取り戻す事は困難だから、せめて、坂月の妹からアドバイスを貰えないかなと。病人なのは分かるけれど、文字メッセージとか、通信機器を通してとか、頼む。夏休み明けに退院するなら大丈夫そうかなと」

妹は事件以来、あまり話さなくなっていた。そんな状態で、妹に頼んでも良いのだろうか。

「アドバイス貰えるかは分からないけれど、コンクールはいつ?」
「4日後の昼」

東条あかりとの約束には、まだ余裕がある。出来る事ならば、友人の力になりたい。

「アドバイス貰えたら、電話するから」
「おう! 待ってるぜ」

そこで私は、林と別れた。短い時間だったが、有意義な時間だった。それにしても楽譜を盗むなんて、とんだ愉快犯もいたものだ。目的も、動機も分からない。だからこそ愉快犯なのだろうが、私自身が力を手に入れたなら、その様に使うのだろうか。人助けに使えないのだろうかと考えるが、不良なのだから、そういった考えを起こしてしまうのだろう。しかし、不良になった理由もあるのだろうと考える。

 それにしても、妹の反応を聞かない限り、話は進む事はない。

「どう? レイ。出来そう」

妹は乗り気では無かったが、取り敢えず、承諾してくれた。妹は、ピアノが好きだった筈なのに、どうも遠ざけている気がする。自分1人では弾けなくても、私の体があれば、どうにか、なりそうな問題なのに。私に対して、遠慮しているのだろうか。

 時刻は夜になった。夜虫や夜鳥が鳴き、うるさい。この時刻まで放置していたのは、すぐに返信すれば、妹が簡単に会える存在だと思われてしまう為、時間を引き延ばしにしていたのだ。林に連絡する。

「妹がアドバイス出来そうだ」
「それは良かった。坂月も鎌川の練習見にこいよ。嫌だ。は無しだからな」

鎌川へのアドバイスをする事になったのだが、私も林と一緒に鎌川のピアノの様子を見る羽目になった。

妹を1人にして、家に置いておくのは危険な上、鎌川の元に行けば、私がアドバイスしている様に見えてしまう。どの様にしたものか。

 次の日になった。私は一つのアイデアを携え、林の通信機器で指定された場所へ向かう。

 鎌川の家に到着した。林は、玄関前で、緊張しながら立っている。彼女の家に、別の男を入れる事に対し、何の抵抗も無いのだろうか。いや、林にとっては、鎌川の成功の方が大切なのだ。林は嫉妬し、目的を見失う様なバカでは無い。改めて、そう思った。

「準備は良いな?」

林は、ニコやかにインターフォンを押し、鎌川の母から『どうぞ』の声がかかる。

「二階まで上がって。母さんはお茶を用意していて」
鎌川の練習部屋は広く、落ち着きがあった。グランドピアノが真ん中にドシっと構えられていた。練習に余計なものなど一切ない。鎌川のピアノに対する意気込みを、そこから感じた。私は、美術コンテストの前に、漫画を読みふけってしまう事が多々あった。鎌川は余念など残したくないのだろう。それでこそ応援のし甲斐が有るというものだ。

 それから3日間鎌川の家に行った。妹のアドバイスは録音と称して、音楽プレーヤーに変化させて事なきを得た。

 事件が起こったのは、本番当日だった。

「私の靴が無い」

それは、鎌川の声だった。私達は、本番まで見に行くという話になり、コンサート会場の控え室まで来ていたのだ。

 本番の衣装は、前日に納入する事が決められており、安全面の為、エントリーしたモノ以外の衣装は、当日、身につけられない様にされていたのだった。

「どうにかならないのか? 坂月にも手伝ってもらったのに」
「どうにもならない。ルールだから」
「そんな事って……。ダメ元で大会本部に連絡しよう。彩」

鎌川の順番までは、時間が無い。母親が自作した物で、買い物で解決する様な問題では無いのだと言う。母親は、今日は仕事でいない。

(ミチル兄さん。私に良い考えがある)
(でも、そんなことしたら……)
(心配しないで)

私は妹の言葉を受け止め、コンサートパンフレットの裏、白地を鎌川に向ける。

「靴を事細かに教えてくれないか?」
「坂月。お前が絵がうまいのは知っているけれど、裁縫までは時間も道具も足りない。それよりも、今できる事をした方が賢明だろう。それとも何か策があるというのか」
「大丈夫だ。林。私を信じろ」

 その後、鎌川に靴の説明をされた。私はそれをスケッチしていく。鎌川が、この日の為にかけてきた思い、母親への感謝の気持ちが、靴に対する説明からも伝わる。

 林は、元気の良い奴だが、いい加減と誤解されてしまう事が多い。そんな林を鎌川が冷静にリードしているのだと分かる。そうでなければ、性格の違う2人が1年も付き合う事は出来ないだろう。

 私は、スケッチしたモノを、控室外、誰もいない所でひっそりと妹にイメージを流し、靴の形にして、鎌川と林に見せる。

「おい、坂月。それどこで手に入れた?」
「大会本部の人が、落とし物だって。今は、そんなことはどうでも良い。この靴、魔法がかけられていて、お昼の12時を過ぎると魔法は解けてしまうんだ」

鎌川は、お昼の12時と魔法という単語に微笑みを隠せなかったが、ジョークとして受け止めてくれた。鎌川もジョークを交えて返答する。

「ありがとう。最高の演奏にするわ。既に、王子様役は決まっているけれど、貴方は立派な魔法使いよ」

鎌川は小悪魔の様に笑みを浮かべる。演奏は、妹のアドバイスもあったせいか、練習以上に、素晴らしい演奏を披露していた。妹は靴にもなり、尽力していた。誰に称賛されるわけでもなく、正に、縁の下の力持ちとして。それでも、私は妹を称賛する。妹が、いなければステージは完成していなかったのだと。

 それでもやはり、このステージは鎌川の物だ。もし友人が彼氏でなければ、盗難の集団の様に、奪ってしまうかもしれないと思う程に、演奏する鎌川は輝いていた。

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