メンタリスト

むらもんた

松田亜矢 5

「ヤバいっ! 終電の時間ギリギリだ。亜矢ちゃんは電車? 時間大丈夫?」


 カバンに荷物を詰め込み、焦りながら亜矢に聞いた。


「あっ、私も電車です。〇〇駅から乗るので急げばまだ間に合うかな」


 亜矢も急いで帰りの準備をしている。
 会計を済ませようと亜矢が財布を出そうとしたが、俺は手でそれを制した。


「俺も〇〇駅だからこんな時間だし駅まで一緒に行こうか。まだ間に合うはずだし! マスターとりあえずこれで。明日お釣りもらうわ」


「悪いですよ。払います!」


 お互いの身長差の関係で、首を横に振り、払うと言った亜矢が上目遣いしているように見えた。
 狙ってやっているんだとしたら、亜矢は女性の特権を完璧に理解し、使いこなしている事になる。だが俺には亜矢がそんな事を狙ってやるような子ではないと、今までのやりとりで確信していた。


「ご馳走するって言ったよね。今日は本当に助かったから! それより急ぐよ」と亜矢を急かした。


 ーーカランカランーー
 バーのドアを開けて2人は駅に向かった。


 外に出て最寄りの駅まで、俺達は駆け足で急いだ。
 3月の夜は1月、2月の刺すような寒さはないが2人の吐く息は少し白かった。


「はぁはぁ。亜矢ちゃん大丈夫? キツかったら言ってね! にしてもギリギリだなぁー」


 俺は少しだけ息を切らしながら笑った。
 日頃の運動不足が響いているようだ。


「ふぅ……大丈夫です! 心肺機能や肺活量も舞台で鍛えられてますから。間に合うかなぁー」と言った亜矢も少し笑っている。


 駅に着き改札口に向かいながら
「よし! なんとか間に合ったね。じゃあ俺あっちだから行くね。今日は本当にありがとう。いつでもバーにいるからまた話しよう」と俺は言った。


「間に合ってよかったぁ。こちらこそご馳走様でした。話できてよかったです。また聞いてください! 私、女優になる夢頑張ってみます! じゃあ私はあっちなんで。おやすみなさい」


 軽く頭を下げ、すぐ振り返りホームに向かった亜矢。
 背筋が伸びて堂々と歩く姿からは夢に向かって進もうとする意志が伝わってきて、迷いなど微塵も感じられなかった。






 今回は終電時間ギリギリの電車に乗ろうとする事で一緒にドキドキする環境を作った。
 恋愛の心理状態に錯覚させるという吊り橋効果を最後の最後にもってきたのだ。




 電車に乗った俺は、家に着くまで今日の事を振り返った。


 話してみると亜矢は最初見た時とはかなり印象が違った。
 かなり真面目で人に気を遣える子だった。だけど随所に自分を見て欲しいという自己顕示欲も強く感じた。
 きっと家庭環境の都合上、親からあまり見てもらえていなかった影響だろう。 
 あと亜矢の声は凄く澄んだ良い声だった。舞台ではかなり活きそうだ。
 まぁとりあえず今日は合格ってとこだな。あと2回くらいで落とせれば言うこと無し。


 そんな事を考えながら、1人乗った終電でフッと笑みを浮かべた。
 周囲から見たら、もしかしたら少し不気味だったかもしれない。




 ーーカランカランーー


 翌日、開店1時間前にいつものバーにまた足を運んだ。
「うーす。頼まれてた写真と絵はこの辺に飾ればいい?」


 俺は一眼レフのカメラを首に下げ、片手にスケッチブックを持ちながら尋ねた。


「おう。もうできたのか。相変わらず仕事が早いな! そうだなぁ……その辺適当にセンス良く飾っといてくれ」


 キュッキュッとグラスを拭きながらマスターが答えた。




 写真と絵は凄くいい。それぞれその一瞬に色々な情報が詰め込まれている。写真ではそのものの感情がグッと閉じ込めらていて、そこには嘘偽りのない姿が写し出される。
 また絵ではそのものの感情の他に書き手の感情も滲み出てくる。それを想像して見ると絵は全く別の物に見える時がある。
 心理学の応用にと勧められた2つだが、今ではどちらも趣味の範疇を超えている。




 写真と絵を飾りながら聞いた。
「昨日のやりとりどうだった? マスターから見て変なところなかった?」


「ほんとメンタリストってのは恐ろしいな。余りに自然に仲良くなっていくもんだから、事情を知っている俺からしたら恐ろしかったぞ! しっかしまぁ、個性個性っていうが人の感情なんてものは結局セオリー通りになるんだなぁ」とマスターは感心した表情をしている。




「そうなんだよ。結局、人は幾つかに分類された中でのテンプレートでしかやりとりできないんだよ……。まぁあの子を落としたら10万だからな! マスター」


「わかってるよ! 告白させたらな」






   ーーーーーー1か月前ーーーーーー


 開店前のバーにはシャッシャッという俺の絵を描く音だけが響いていた。


「なぁ拓海。お前いっつも1人で店来てるけど友達とか彼女とかいないのか?」


「彼女は今はいないわ。友達はいないわけじゃないけど……てか心理学を勉強してると1人の方が落ち着くんだよ!」


 心理学を勉強するようになってから俺は人に対してある疑問を抱いていた。
 人の感情や思考、個性とは?
『お腹の空いている子供にクッキーをあげました。すると子供はとても喜びました』
 Aの条件下の人にBをすると〇〇な気持ちになる。
 このAやBに当てはまる事を色々研究してデータを集める事で、人間の感情を法則化する事が出来る。
 こうなるとAとBと〇〇の様々なシチュエーションでのテンプレートが完成する。
 これを独自に研究してからは、ほぼ全ての人がテンプレートでのやりとりをしているように見え、個性が感じられなくなった。
 そして相手に抱かせたい感情を決めて、そこから逆算する事で誘導する為に何をすればいいかが分かるようになった。


 他人を自分の思い通りに出来ると言えば羨ましく思われるかもしれないが、大切な友人や愛する恋人の知りたくもない相手の思惑や狙いすら手に取るように分かってしまう……
 こんな状況ではまともに対人関係を築くのは無理だった。
 そして気付くと俺は1人を好むようになっていた。


「そうか。ならよ拓海! 彼女もいなくて、これといってやりたい事もないならメンタリストとして俺と賭けをしてみないか? 恋愛で!」と少し挑発的に言ってきた。


 1人を好むようになっていた俺だが、この店とマスターの雰囲気は居心地が良くて好きだった。
 自分の価値観を押し付けることもしないから何でも話しやすかったし、良い意味でも悪い意味でもとにかく人間臭かった。
 自分自身に無いものを求める人間の性質を考えると俺がマスターに心を許すのは必然だったのかもしれない。
 それらの理由から、マスターと2人きりのこの時間だけはメンタリストとしてではなく、普通の松岡拓海でいられた。
 兄弟がいないから分からないが、多分兄という存在に近いのかもしれない。
 唯一なんでも話せる存在。そう俺がメンタリストだということも。


「賭け? 恋愛ってことは女を落とすとか? まぁやりたいこともないし、いいかも!」


 売られた喧嘩は買う主義だ。


「普通にやったら簡単に落としてしまうだろ? だから何個か条件をだそう。まず1つ目は落とす女性はこの店にきた客で俺が合図を送った子な。2つ目は相手に告白させて付き合う事。自分からだと余裕そうだからな。付き合ってしばらくしたらうまく別れてくれよ! それが出来たら俺がだした指の数掛ける10万やるよ。どうだ?」


 長身の身体で笑みを浮かべ、賭けのルールを述べた。
 さすがに相手から告白させるのは少し難しいルールだった。だがそれが俺のモチベーションになった。


「相手から告白ね。少し難しくなるけどやってみようかな。報酬も美味しいしね」


 ニヤリと答えた。






 ーーーーーー現在ーーーーーー


「多分今日は亜矢ちゃん来ないからまた頼まれてた絵を描くわ。この写真に写っている女性がバーテンの格好をしているものを描けばいいんだよね? なにかこの人の性格とか教えてもらえると描きやすいんだけど」


 写真には黒髪の綺麗な女性が優しく笑っている。
 遺影か? まぁなんでもいいか。深く詮索しないのがマナーだし、どのみち頼まれた事をこなすだけだ。




「そうだなぁ……とにかく馬鹿正直で底なしの明るさだったな。まぁそんな感じで頼むわ」


 そう言ってグラスを並べ終えた。



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