TKG〜時をかけるゴリラ〜
TKG〜時をかけるゴリラ〜
ガラガラ。
教室のドアが勢いよく開く。
「モグモグ……。よぉし、じゃあ道徳の授業を始めるぞー」
上下黒のジャージに、インナーは白のタンクトップ。そのタンクトップの胸元からは漢らしい胸毛が大量に顔を出している。如何にも熱血教師というような風貌のこの男は、なろう小学校六年三組の担任坂口マイケルだ。
濃ゆい顔で今日もバナナを頬張っての登場。教師としてはあるまじき姿だったが、彼の圧倒的なカリスマ性はそんな愚行すら許される程のものだった。
「起立、気をつけ、礼。着席」
日直の号令に合わせて、生徒達が椅子に腰を下ろす。
「いやぁやっぱり朝飯はバナナに限るよなぁ! 本当美味いわぁ! なぁ田辺。お前も食うか?」
坂口が一番前の席に座る坊主頭の田辺少年に、糖度四十を誇るプレミアムバナナを一本差し出す。
「先生、食べていいの?」
少し戸惑う田辺少年。
「いいに決まってるウホッ! 糖分は頭の栄養だウホッ」
やけに上手いゴリラのモノマネにクラスの生徒達は手を叩き大爆笑。
田辺少年も笑いながらバナナを受け取り、美味しそうにそれを頬張った。
その姿を見た他の生徒達は
「田辺ばっかりずるーい」
「あたしにもちょうだいよー」と坂口に糖度四十を誇るプレミアムバナナをねだった。
「わかった。わかったよ! みんなの分もあるから焦るなぁ」
坂口は教壇の上に、大量の糖度四十を誇るプレミアムバナナを並べた。
それに群がる生徒達。
その光景は、まるでゴリラの群れのようだった。
一見すると無茶苦茶なことをしているように見えるが、糖分をしっかりとってから勉学に励む事はとても合理的だったし、何よりも生徒達とのこの距離感が、坂口と生徒の間に絶対的な信頼関係を生み、授業を円滑に進めるのであった。
「よし、みんな食べ終わったなぁ。それじゃあ今日の道徳の授業は『TKG』についてだ。みんなこれがなんの略かわかるかぁ?」
「たまごかけごはーん」
「たまごかけごはん」
「テクニカルキンタマゴエモン」
「こんにちは僕ドラエーモン」
「たまごかけごはん」
「玉ねぎかけごはん」
「たまごかけごはん」
「たまごかけごはん」
坂口の問いに生徒達は我先にと大きな声で答える。
坊主頭の田辺。女子クラス委員の阿部。クラスのムードメーカー、わんぱく小僧瘡蓋丸。そして眼鏡少女、時尾かけ子といった個性豊かな面々も声を張り上げている。六年三組の生徒達は、大変元気が良くて素晴らしい。
「なんか少し変なこと言ってるやつもいるが、TKGと言えばそう! 『時をかけるゴリラ』だ」
坂口の聴力は異常に良かった。それは二キロ先の家の中でのコソコソ話をも聞き取れるほどのものだった。
結果、自分のクラスの生徒達の答えに『時をかけるゴリラ』というワードはなかったのだが、他のクラスの担任が口にした『時をかけるゴリラ』というワードを拾ってしまったのだ。
聞き慣れない『時をかけるゴリラ』という言葉に生徒達はドン引きしてしまっている。
ドンマイケル。
「ということで早速『時をかけるゴリラ』という話を読んでみようと思う。みんな教科書十ページを開いてくれ」
生徒達のドン引きを一切気にしない坂口。彼のこのメンタルの強さも、生徒達から人気を得ていた理由の一つであった。
坂口の指示通り十ページを開くと、そこには一頭の寂しそうなゴリラと眼鏡を掛けた少女の姿が描かれていた。
***
遠い遠い昔。人類がまだ四足歩行をしていた時代。
木や花、草などもほとんど生えていない、物寂しい荒野に一頭のゴリラがいた。
そのゴリラは、元は大きな群れを率いていた勇ましいオスのゴリラだった。
だが、今は彼の周りに生きた仲間達はいない。彼の周りにあるのは黒い毛に覆われた只の肉の塊だった。
「ウホッウホホッ」
彼は雄叫びをあげ、仲間達を荒野の崖の上から落としていった。それがこの群れの供養の儀式だった。
数十頭の仲間達を崖から落とす事は、圧倒的な力を持つ群れのリーダーである彼にとっても、大変な重労働である。息を切らしながら、ようやく最後の一頭を落とした。
「ウホッウホホイッ」
最期の言葉を呟き、崖から力無く飛び降りた。
凄いスピードで落ちていく中、彼はこんな結末になってしまった原因をあれこれ考えていた。
そして強く願った。
『こんな結末は絶対に嫌だ!』と。
すると落ちていくスピードが更に増した。グングンスピードを上げ、遂にそのスピードは音や光の速さすら超え、最終的には時間すら超えてしまったのであった。
「ウホッウホッ」
「ウホーホッウホホホイッ!」
右を見てもゴリラ。左を見てもゴリラ。下から見ても横から見ても、沢山のゴリラ達が盛大に盛り上がっている。
どうやらリーダーゴリラは、あの惨劇の前日にタイムリープしたらしい。そう、自分が群れのリーダーに選ばれたあの祭りの夜に。
「ウホッウホホホハッ?」
圧倒的なカリスマ性を持つ彼も所詮はゴリラだ。自分がタイムリープした事には全くもって気付いていない。
「ウホヘホ〜ンウホホ〜ンン」
「ウホホホホッ。ウホハヌ〜ン」
「ウホホ〜」
混乱している彼のことなどおかまいなしに、メスゴリラ達が次々と群がる。もちろん今夜の相手をしてもらうためにだ。
「ウホホウホホ。ウホホホイホホイ」
彼は今夜全員の相手をするようだ。この性的な強さも群れのリーダーには欠かせない重要なものだった。
メスゴリラ達をなだめ、彼は一人、集落から少し離れた小さな川に用を足しに行った。
ブリ。ブリブリブリリトニースピアーズ!!!
川に着いて数秒後、物凄い爆音と共に肛門から大量のブリちゃんが飛び出した。
彼の特殊な形状をしたアーナルドシュワルツェネッガーはいつも軽快で綺麗な音色を奏でる。
目を瞑って聴けばオーケストラの演奏と聴き間違えるほどだ。
その音色は一部のゴリラ達からは『ゴリラの円舞曲』と呼ばれ、聴いたものは幸せになれると言い伝えられていた。
スッキリした彼が顔を上げると……目の前には眼鏡をかけ、黒いワンピースに身を包んだ少女がニコリと優しく笑っていた。
ビックリした彼はお尻を拭くのも忘れ、咄嗟に威嚇する。
「ゴリラさん怖がらないでいいんだよ。それにう○ちの後はお尻を拭かなきゃだめよ」
彼の大きな体、そして鋭い牙を見ても尚、少女は優しく声をかけ、トイレットペーパーを差し出した。
「ウホホ?」
初めて見るトイレットペーパーに戸惑いながらも、使い方を必死に考える。どうやら興味津々のようだ。
「これはねー、こうやって使うの」
戸惑う彼を見かねた少女は、ジェスチャーでトイレットペーパーの使い方を教えた。十八歳以下には見せられない姿だ。いや、このあまりに破廉恥な姿は、十八歳以上であっても見てはいけない姿かもしれない。
ここでも彼の能力の高さが存分に発揮された。ジェスチャーで教えてもらったとはいえ、初めて見るトイレットペーパーを完璧に使いこなし、あろうことか残りのトイレットペーパーの先端部を三角に折り曲げて、次に使うゴリラが気持ち良く使えるように配慮したのだ。
この適応力とモラルの高さに少女もビックリした。なぜならこんなこと人間にだってそう簡単にはできはしないのだから。
「ウホッウホホホッ」
すっかり心を許した彼は、少女と意思の疎通を図ろうとした。
「なんて言ってるんだろう……。困ったなぁ」
当然ゴリラの話す言葉など少女には分からない。少女は暫く考え込んだ。
そして閃いた。
自分もゴリラ語を話せばいいのだと。
「ウホピョッウホホピョッ。こんな感じで大丈夫だよね」
少女はゴリラ語で『あたしは未来人なの』と伝えたつもりだった。
元々黒い彼の頬が赤黒くなった。そして両手で顔を隠しながら恥ずかしがっている。
そんな彼の姿を見て少女は『可愛いゴリラさん』と思った。
「ウホピョピョッウホホッ?」
「ウホピョンピョッウホッホッーイウホホホン」
※「あなたに渡したいものがあってきたのよ」と話しているつもり。
「ウホッーイウホホイ?」
「ウホホピョナ」
※「それがこの糖度四十を誇るプレミアムバナナよ」と話しているつもり。
ゴリラ語のキャッチボールは思いのほかスムーズに行われた。彼のリアクションから、少女は自分の思いが伝わっていると確信した。
少女は大きなダンボールに入った糖度四十を誇るプレミアムバナナを彼の前に運んだ。少しでも世界の動物さん達が、お腹いっぱいになればいいなという慈愛の精神が原動力となっていた。
「ウホッーイウホ」
ゴリラ語のキャッチボールのせいで、彼は糖度四十を誇るプレミアムバナナ=二木道三だという、とんでもない勘違いをしてしまった。
糖度四十を誇るプレミアムバナナの匂いを嗅ぐと、彼は物凄くはしゃいだ。皮の中から香る僅かな甘い匂いから、本能的にこれが美味しいものだと感じたのであろう。
何度も頭を下げお辞儀する彼。もはや人間に見えてしまうが、彼はれっきとしたゴリラだ。そして群れのリーダーだ。
その重いダンボールをいとも容易く持ち上げ、彼は群れの元へと戻っていった。
群れの元へ戻った彼は、少女からもらった糖度四十を誇るプレミアムバナナを、仲間達に説明して配った。
その美味しそうな匂いにみんなが喜び、勢いよく皮ごと口にすると今までにない大きな歓喜の雄叫びが荒野に轟いた。
そして宴は夜遅くまで続いた……。
朝起きると彼の目の前には、あの悪夢のような光景が再び広がっていた。
そう。仲間達が全滅しているのだ。
ピクリとも動かない、黒い毛に覆われた只の肉の塊を見て彼は気付いた。
「ウホホ……」
少女が持ってきた糖度四十を誇るプレミアムバナナ。それを皮ごと食べたゴリラ達。そして恐るべき順応力で唯一皮をむいて食べたリーダーゴリラ。ここから考えられる真相は一つだった。
出荷の時期をコントロールする為、バナナに塗布された熟成促進剤。その熟成促進剤は確かに毒性のあるものだが、商品として売られるからには当然厚生労働省の定める基準値を超えてはいない。
人や動物が誤ってバナナの皮を舐めても決して死ぬことはない。それどころか病気になるなんてこともない。
だが、それは現代での話だった。
少女が時を超えて糖度四十を誇るプレミアムバナナを持ってきたこの時代、人工の薬品添加物など存在しない。それ故にゴリラ達はその弱い毒ですら免疫を持っていない為、命を落とした。
少しでも世界の動物さん達が、お腹いっぱいになればいいなという、少女の慈愛の精神が仇となったのだった。
『時をかけるゴリラ』前編
※本作品はノンフィクションである。
***
「はい、前編はここまでだぁ。それじゃあ感想を聞いていくぞー。阿部どうだった?」
悲しい前編の結末に生徒達の表情は暗い。
「ゴリラさんも少女も可哀想……」
みんなを思いやれる女子クラス委員の阿部は言葉を詰まらせていた。
「そうだよなぁ。可哀想って意見もあるよな。じゃあ瘡蓋丸どうだった?」
次に坂口が指名したのは、クラス一わんぱくな瘡蓋丸少年だ。
「そんなん結果的にゴリラ殺したんだからさぁ、その眼鏡が全部悪いに決まってんじゃん! マジありえねーウホー。ギャハハ」
嫌な笑いの誘い方ではあったが、クラスのムードメーカーである瘡蓋丸がふざけると、殆どの生徒がつられて笑った。
一人の少女を除いて……。
「ほれ、ふざけない! まぁでも瘡蓋丸のような意見も当然あるよな。けど何が正解ってのはないんだ。感想だからな。自由に感じ取っていい。でだな、今日の授業で考えてほしいテーマは『良かれと思ってやったことが必ずしも相手の為になるとは限らない』ということだ。大なり小なりこういうことって実際によくあるからな。例えばーー」
キーンコーンカーンコーン。
キーンコーンカーンコーン。
授業のまとめに差し掛かった時、坂口の声を遮るようにしてチャイムが鳴った。
「あー、もう終わらなかったぁ! とりあえずプリント配っておくから次回までに各自やってくること。いいな! それじゃあ日直、号令頼む」
「起立、気をつけ、礼」
教室を出て、職員室へ向かう坂口。
「先生!」
それを一人の少女が止めた。瘡蓋丸の発言に唯一笑わなかった眼鏡少女、時尾かけ子。タイムトラベルをして、糖度四十を誇るプレミアムバナナをゴリラに渡した張本人だ。
「ん? どうした時尾」
少しかがんで、かけ子の目線に自分の目線を合わせる坂口。そして優しく笑いかけた。
「先生、あのね……あたしね……」
今にも零れ落ちそうな涙が乱反射を繰り返している。
その姿を見て坂口は全てを察した。
「大丈夫だ時尾。ゴリラ達はみんな無事だ。さっきの話には続きがあってだな、あのあとリーダーのゴリラはタイムリープを何回も何回も繰り返すんだ。仲間を救えるまでな。そして十回目、ようやく皮をむいて食べるというところに辿り着いた。その結果な、栄養失調で命を落としそうだった小さなゴリラ達が、何頭も救われたんだ。誰かを思う気持ちってのはな、種族を超え、言葉を超え、そして時間さえも超えて、胸にちゃーんと届くんだよ」
そう言って坂口の大きくてゴツゴツした手が、かけ子の頭を撫でた。
その瞬間、かけ子が必死に堰き止めていたダムは一気に決壊した。
次々と流れ出る涙の小便を、彼は黒い毛に覆われた指で拭った。
そして耳元で
「ウホッウホホ」と囁いた。
その聞き覚えのある懐かしいゴリラ語を聞いて、ハッと顔を上げたかけ子。
だがそこには坂口の姿もリーダーゴリラの姿もなかった。
そしてそれ以降、なろう小学校で坂口マイケルという教師を見たものは誰もいなかった。
教室のドアが勢いよく開く。
「モグモグ……。よぉし、じゃあ道徳の授業を始めるぞー」
上下黒のジャージに、インナーは白のタンクトップ。そのタンクトップの胸元からは漢らしい胸毛が大量に顔を出している。如何にも熱血教師というような風貌のこの男は、なろう小学校六年三組の担任坂口マイケルだ。
濃ゆい顔で今日もバナナを頬張っての登場。教師としてはあるまじき姿だったが、彼の圧倒的なカリスマ性はそんな愚行すら許される程のものだった。
「起立、気をつけ、礼。着席」
日直の号令に合わせて、生徒達が椅子に腰を下ろす。
「いやぁやっぱり朝飯はバナナに限るよなぁ! 本当美味いわぁ! なぁ田辺。お前も食うか?」
坂口が一番前の席に座る坊主頭の田辺少年に、糖度四十を誇るプレミアムバナナを一本差し出す。
「先生、食べていいの?」
少し戸惑う田辺少年。
「いいに決まってるウホッ! 糖分は頭の栄養だウホッ」
やけに上手いゴリラのモノマネにクラスの生徒達は手を叩き大爆笑。
田辺少年も笑いながらバナナを受け取り、美味しそうにそれを頬張った。
その姿を見た他の生徒達は
「田辺ばっかりずるーい」
「あたしにもちょうだいよー」と坂口に糖度四十を誇るプレミアムバナナをねだった。
「わかった。わかったよ! みんなの分もあるから焦るなぁ」
坂口は教壇の上に、大量の糖度四十を誇るプレミアムバナナを並べた。
それに群がる生徒達。
その光景は、まるでゴリラの群れのようだった。
一見すると無茶苦茶なことをしているように見えるが、糖分をしっかりとってから勉学に励む事はとても合理的だったし、何よりも生徒達とのこの距離感が、坂口と生徒の間に絶対的な信頼関係を生み、授業を円滑に進めるのであった。
「よし、みんな食べ終わったなぁ。それじゃあ今日の道徳の授業は『TKG』についてだ。みんなこれがなんの略かわかるかぁ?」
「たまごかけごはーん」
「たまごかけごはん」
「テクニカルキンタマゴエモン」
「こんにちは僕ドラエーモン」
「たまごかけごはん」
「玉ねぎかけごはん」
「たまごかけごはん」
「たまごかけごはん」
坂口の問いに生徒達は我先にと大きな声で答える。
坊主頭の田辺。女子クラス委員の阿部。クラスのムードメーカー、わんぱく小僧瘡蓋丸。そして眼鏡少女、時尾かけ子といった個性豊かな面々も声を張り上げている。六年三組の生徒達は、大変元気が良くて素晴らしい。
「なんか少し変なこと言ってるやつもいるが、TKGと言えばそう! 『時をかけるゴリラ』だ」
坂口の聴力は異常に良かった。それは二キロ先の家の中でのコソコソ話をも聞き取れるほどのものだった。
結果、自分のクラスの生徒達の答えに『時をかけるゴリラ』というワードはなかったのだが、他のクラスの担任が口にした『時をかけるゴリラ』というワードを拾ってしまったのだ。
聞き慣れない『時をかけるゴリラ』という言葉に生徒達はドン引きしてしまっている。
ドンマイケル。
「ということで早速『時をかけるゴリラ』という話を読んでみようと思う。みんな教科書十ページを開いてくれ」
生徒達のドン引きを一切気にしない坂口。彼のこのメンタルの強さも、生徒達から人気を得ていた理由の一つであった。
坂口の指示通り十ページを開くと、そこには一頭の寂しそうなゴリラと眼鏡を掛けた少女の姿が描かれていた。
***
遠い遠い昔。人類がまだ四足歩行をしていた時代。
木や花、草などもほとんど生えていない、物寂しい荒野に一頭のゴリラがいた。
そのゴリラは、元は大きな群れを率いていた勇ましいオスのゴリラだった。
だが、今は彼の周りに生きた仲間達はいない。彼の周りにあるのは黒い毛に覆われた只の肉の塊だった。
「ウホッウホホッ」
彼は雄叫びをあげ、仲間達を荒野の崖の上から落としていった。それがこの群れの供養の儀式だった。
数十頭の仲間達を崖から落とす事は、圧倒的な力を持つ群れのリーダーである彼にとっても、大変な重労働である。息を切らしながら、ようやく最後の一頭を落とした。
「ウホッウホホイッ」
最期の言葉を呟き、崖から力無く飛び降りた。
凄いスピードで落ちていく中、彼はこんな結末になってしまった原因をあれこれ考えていた。
そして強く願った。
『こんな結末は絶対に嫌だ!』と。
すると落ちていくスピードが更に増した。グングンスピードを上げ、遂にそのスピードは音や光の速さすら超え、最終的には時間すら超えてしまったのであった。
「ウホッウホッ」
「ウホーホッウホホホイッ!」
右を見てもゴリラ。左を見てもゴリラ。下から見ても横から見ても、沢山のゴリラ達が盛大に盛り上がっている。
どうやらリーダーゴリラは、あの惨劇の前日にタイムリープしたらしい。そう、自分が群れのリーダーに選ばれたあの祭りの夜に。
「ウホッウホホホハッ?」
圧倒的なカリスマ性を持つ彼も所詮はゴリラだ。自分がタイムリープした事には全くもって気付いていない。
「ウホヘホ〜ンウホホ〜ンン」
「ウホホホホッ。ウホハヌ〜ン」
「ウホホ〜」
混乱している彼のことなどおかまいなしに、メスゴリラ達が次々と群がる。もちろん今夜の相手をしてもらうためにだ。
「ウホホウホホ。ウホホホイホホイ」
彼は今夜全員の相手をするようだ。この性的な強さも群れのリーダーには欠かせない重要なものだった。
メスゴリラ達をなだめ、彼は一人、集落から少し離れた小さな川に用を足しに行った。
ブリ。ブリブリブリリトニースピアーズ!!!
川に着いて数秒後、物凄い爆音と共に肛門から大量のブリちゃんが飛び出した。
彼の特殊な形状をしたアーナルドシュワルツェネッガーはいつも軽快で綺麗な音色を奏でる。
目を瞑って聴けばオーケストラの演奏と聴き間違えるほどだ。
その音色は一部のゴリラ達からは『ゴリラの円舞曲』と呼ばれ、聴いたものは幸せになれると言い伝えられていた。
スッキリした彼が顔を上げると……目の前には眼鏡をかけ、黒いワンピースに身を包んだ少女がニコリと優しく笑っていた。
ビックリした彼はお尻を拭くのも忘れ、咄嗟に威嚇する。
「ゴリラさん怖がらないでいいんだよ。それにう○ちの後はお尻を拭かなきゃだめよ」
彼の大きな体、そして鋭い牙を見ても尚、少女は優しく声をかけ、トイレットペーパーを差し出した。
「ウホホ?」
初めて見るトイレットペーパーに戸惑いながらも、使い方を必死に考える。どうやら興味津々のようだ。
「これはねー、こうやって使うの」
戸惑う彼を見かねた少女は、ジェスチャーでトイレットペーパーの使い方を教えた。十八歳以下には見せられない姿だ。いや、このあまりに破廉恥な姿は、十八歳以上であっても見てはいけない姿かもしれない。
ここでも彼の能力の高さが存分に発揮された。ジェスチャーで教えてもらったとはいえ、初めて見るトイレットペーパーを完璧に使いこなし、あろうことか残りのトイレットペーパーの先端部を三角に折り曲げて、次に使うゴリラが気持ち良く使えるように配慮したのだ。
この適応力とモラルの高さに少女もビックリした。なぜならこんなこと人間にだってそう簡単にはできはしないのだから。
「ウホッウホホホッ」
すっかり心を許した彼は、少女と意思の疎通を図ろうとした。
「なんて言ってるんだろう……。困ったなぁ」
当然ゴリラの話す言葉など少女には分からない。少女は暫く考え込んだ。
そして閃いた。
自分もゴリラ語を話せばいいのだと。
「ウホピョッウホホピョッ。こんな感じで大丈夫だよね」
少女はゴリラ語で『あたしは未来人なの』と伝えたつもりだった。
元々黒い彼の頬が赤黒くなった。そして両手で顔を隠しながら恥ずかしがっている。
そんな彼の姿を見て少女は『可愛いゴリラさん』と思った。
「ウホピョピョッウホホッ?」
「ウホピョンピョッウホッホッーイウホホホン」
※「あなたに渡したいものがあってきたのよ」と話しているつもり。
「ウホッーイウホホイ?」
「ウホホピョナ」
※「それがこの糖度四十を誇るプレミアムバナナよ」と話しているつもり。
ゴリラ語のキャッチボールは思いのほかスムーズに行われた。彼のリアクションから、少女は自分の思いが伝わっていると確信した。
少女は大きなダンボールに入った糖度四十を誇るプレミアムバナナを彼の前に運んだ。少しでも世界の動物さん達が、お腹いっぱいになればいいなという慈愛の精神が原動力となっていた。
「ウホッーイウホ」
ゴリラ語のキャッチボールのせいで、彼は糖度四十を誇るプレミアムバナナ=二木道三だという、とんでもない勘違いをしてしまった。
糖度四十を誇るプレミアムバナナの匂いを嗅ぐと、彼は物凄くはしゃいだ。皮の中から香る僅かな甘い匂いから、本能的にこれが美味しいものだと感じたのであろう。
何度も頭を下げお辞儀する彼。もはや人間に見えてしまうが、彼はれっきとしたゴリラだ。そして群れのリーダーだ。
その重いダンボールをいとも容易く持ち上げ、彼は群れの元へと戻っていった。
群れの元へ戻った彼は、少女からもらった糖度四十を誇るプレミアムバナナを、仲間達に説明して配った。
その美味しそうな匂いにみんなが喜び、勢いよく皮ごと口にすると今までにない大きな歓喜の雄叫びが荒野に轟いた。
そして宴は夜遅くまで続いた……。
朝起きると彼の目の前には、あの悪夢のような光景が再び広がっていた。
そう。仲間達が全滅しているのだ。
ピクリとも動かない、黒い毛に覆われた只の肉の塊を見て彼は気付いた。
「ウホホ……」
少女が持ってきた糖度四十を誇るプレミアムバナナ。それを皮ごと食べたゴリラ達。そして恐るべき順応力で唯一皮をむいて食べたリーダーゴリラ。ここから考えられる真相は一つだった。
出荷の時期をコントロールする為、バナナに塗布された熟成促進剤。その熟成促進剤は確かに毒性のあるものだが、商品として売られるからには当然厚生労働省の定める基準値を超えてはいない。
人や動物が誤ってバナナの皮を舐めても決して死ぬことはない。それどころか病気になるなんてこともない。
だが、それは現代での話だった。
少女が時を超えて糖度四十を誇るプレミアムバナナを持ってきたこの時代、人工の薬品添加物など存在しない。それ故にゴリラ達はその弱い毒ですら免疫を持っていない為、命を落とした。
少しでも世界の動物さん達が、お腹いっぱいになればいいなという、少女の慈愛の精神が仇となったのだった。
『時をかけるゴリラ』前編
※本作品はノンフィクションである。
***
「はい、前編はここまでだぁ。それじゃあ感想を聞いていくぞー。阿部どうだった?」
悲しい前編の結末に生徒達の表情は暗い。
「ゴリラさんも少女も可哀想……」
みんなを思いやれる女子クラス委員の阿部は言葉を詰まらせていた。
「そうだよなぁ。可哀想って意見もあるよな。じゃあ瘡蓋丸どうだった?」
次に坂口が指名したのは、クラス一わんぱくな瘡蓋丸少年だ。
「そんなん結果的にゴリラ殺したんだからさぁ、その眼鏡が全部悪いに決まってんじゃん! マジありえねーウホー。ギャハハ」
嫌な笑いの誘い方ではあったが、クラスのムードメーカーである瘡蓋丸がふざけると、殆どの生徒がつられて笑った。
一人の少女を除いて……。
「ほれ、ふざけない! まぁでも瘡蓋丸のような意見も当然あるよな。けど何が正解ってのはないんだ。感想だからな。自由に感じ取っていい。でだな、今日の授業で考えてほしいテーマは『良かれと思ってやったことが必ずしも相手の為になるとは限らない』ということだ。大なり小なりこういうことって実際によくあるからな。例えばーー」
キーンコーンカーンコーン。
キーンコーンカーンコーン。
授業のまとめに差し掛かった時、坂口の声を遮るようにしてチャイムが鳴った。
「あー、もう終わらなかったぁ! とりあえずプリント配っておくから次回までに各自やってくること。いいな! それじゃあ日直、号令頼む」
「起立、気をつけ、礼」
教室を出て、職員室へ向かう坂口。
「先生!」
それを一人の少女が止めた。瘡蓋丸の発言に唯一笑わなかった眼鏡少女、時尾かけ子。タイムトラベルをして、糖度四十を誇るプレミアムバナナをゴリラに渡した張本人だ。
「ん? どうした時尾」
少しかがんで、かけ子の目線に自分の目線を合わせる坂口。そして優しく笑いかけた。
「先生、あのね……あたしね……」
今にも零れ落ちそうな涙が乱反射を繰り返している。
その姿を見て坂口は全てを察した。
「大丈夫だ時尾。ゴリラ達はみんな無事だ。さっきの話には続きがあってだな、あのあとリーダーのゴリラはタイムリープを何回も何回も繰り返すんだ。仲間を救えるまでな。そして十回目、ようやく皮をむいて食べるというところに辿り着いた。その結果な、栄養失調で命を落としそうだった小さなゴリラ達が、何頭も救われたんだ。誰かを思う気持ちってのはな、種族を超え、言葉を超え、そして時間さえも超えて、胸にちゃーんと届くんだよ」
そう言って坂口の大きくてゴツゴツした手が、かけ子の頭を撫でた。
その瞬間、かけ子が必死に堰き止めていたダムは一気に決壊した。
次々と流れ出る涙の小便を、彼は黒い毛に覆われた指で拭った。
そして耳元で
「ウホッウホホ」と囁いた。
その聞き覚えのある懐かしいゴリラ語を聞いて、ハッと顔を上げたかけ子。
だがそこには坂口の姿もリーダーゴリラの姿もなかった。
そしてそれ以降、なろう小学校で坂口マイケルという教師を見たものは誰もいなかった。
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