ISERAS イセラス
二章 10.終焉
「イコ缶!」
犬が食べても猫が食べても良いリアクションをとってくれる。そう、それは素晴らしいペットフード。
原材料こそ不明だが、実家(母)の手料理のような安心感のある味というキャッチフレーズでとても人気がある。
開けた途端に漂うスメルに、犬も猫ももうひと嗅ぎ惚れ。
「んでこのイコ缶をどうする!」
「開けて匂いを漂わせるんだ…赤外線センサーにもカメラにも特定されない、超好都合、王手だぞ…」
ラミアさんはそう言って急ぎDAYSの制御コンピュータに手を伸ばす。
俺は彼らの存在をすっかり忘れていた。
焦ってそれどころじゃなかったんだ。許してくれギドウ、サカキ。
後でいっぱい甘やかしてやるから。
「イデアに耳打ちをしておいたんだよ。『こいつらの様子がおかしいと思ったら、迷わず博物館の近くまで行かせろ』って。あと『明日まで飯は食わすな』とも言っておいた」
回廊を走り抜ける’’何か’’を赤外線センサーが捉えた。
「巡回員、動体だ、動体が居るぞ」
「未確認移動物体を確認、本館警備員は直ちにエリアCへ向かっ…修正、エリアBへ向かって下さい」
『何が居るって言うんですか!?』
「センサーだけでは検討が付かない…。カメラはまだ直らないのか!?」
「特殊な加工が施されていて手の打ちようが無いっすよ! 機械系エンジニアでもいない限りは…!!」
「それだけ巧妙な小細工をな…強敵だ、気を引き締めろ巡回員」
「……」
彼らには、しがない人生だったと嘆く時間も無かった。
開封したイコ缶から漂う気体をパタパタと手で扇ぎ、ギドウとサカキを誘導する。
「そんなんでギドウとサカキを動かせるのか…?」
「大丈夫、あいつらなら」
俺の思い出にはいつもギドウとサカキが居る。俺を裏切る様な事は絶対にすることは無かった。
いや、何が起ころうと俺は信じてる。
それに、ラミアさんが言うに、あいつらは今猛烈に腹が減っている。
あいつらの食欲を考えれば…。
「…ん?ここってこんな認証あったか?」
ラミアさんから出た不穏な独り言に、扇ぐ手が一瞬止まる。
彼の手も数秒止まっていたが、また動き出して、入力を再開した。
「手応えあるか?レクル」
「残念だけど、イコの心は読めないから無理だね」
だが、俺は今こうしてあいつらを信用している。
信じてくれとは言わない、俺はただ真っ直ぐ前を見ているだけ。
額からつたった汗で視界がぼやけた、
瞬きを一度だけしたその時だった。
「…終わった」
「おぉ!もう終わった!?」
「あとはギドウとサカキが走って来るのを待てばいける!」
「ラミア…?」
セラには、ラミアの考えている事が見えていた。
彼の恐怖と、それを隠そうとする心。
焦点が合わせられない位の焦り。
両腕がぶらんと垂れ下がる。
「俺は試されてるのか…’’俺に’’」
「終わったって…何が終わった…?今度は何が起きたんだラミア?…」
ラミアが見つめるディスプレイには、パスワードの入力画面が映し出されていた。
その横にはASURA語に似た’’TWO’’の文字が羅列している。
「間違ったコードを入力したら……やっぱり出るよな…あれが」
不安気な口調でラミアはそう言って、レクルの方を見る。
「ラミア…さん?」
俺は両肩をガシッと掴まれた。
「レクル! 何か思い出せないか…何でもいいんだ、俺と出会う以前の出来事を!」
「え、えぇ!? …」
「お前の持っている記憶とは別の記憶が、なんて言うか…その、頭の隅にあるような、そんな気はしないか!?」
「記憶…」
俺はは脳内を隈なく探した。
記憶の中に正しいパスワードを見つけ出すヒントがあるとのんだのだろう。
ただならぬ期待と責任を感じる。
「思い出せ! なにか出せるはずなんだ、お前なら!」
───おもいだせ───
何を思い出せばいい。
’’あの時’’からを境に記憶が広がらないって言うのに。
自分とは別の記憶…。
夢の中の自分…、イサラスへ好意を持っていない自分…。
別の自分が知っているであろう4ケタのパスワード。
パスワードパスワードパスワード…。
〜ARES〜
意味不明な単語が頭にふわっと浮かんだ。
《入力に成功しました》
「!?…レイドのプロテクターを一時解除…?」
表示された文字の羅列を早くも読み取ったラミアは、肩から手を退けて頭を抱える。
「やめてくれ…俺の思考を読むんじゃねぇ! ’’あいつ’’の弟だろ!、如何して死体を蹴るような…こんな真似を…」
「ラミアさん…?」
DAYS船内から警報音が鳴り響き、危機が迫っていることをわなわなと知らされる。
そして、あの光が訪れた。
「まぶしい…!!あがっっっ!!」
「この光!?」
セラが感情と共に放つあの青白い光(PFW)が、DAYS船内全てを覆い尽くす。
そしてそれは今までのピリピリした空気とは、全く比べ物にならない位の’’痛み’’だった。
まるで全身を釘で刺されたかの様な感覚が俺達を襲う。
「あぁぁぁ!!!」
「ぐぅぉお!!」
「いやぁぁ!!!」
ゼータ以外の人間がその場に倒れ込み、悶え苦しむ。
「クソっ!!何なんだよこの光!!、どうすりゃいいんだよっ!!」
どうしようもないこの強烈な痛みに、俺の思考は停止する。
何も考えられなくなる。
痛みだけの世界に迷い込んだ俺は全く抗うことが叶わず、
自然と死を望んだ。
「……」
数秒経ち、船内が本来の明るさを取り戻すと警報音もそれと同時に鳴り止む。
「お前ら大丈夫か!?」
「平気…」
「なんとかな……。レクルは…?っ!!レクル!!」
俺は、心の宿らない人形の如く地べたに倒れこんでいた。
ゼータに揺さぶられるも、身動き一つする事なく静止している。
「おい…レクル、死んでないよな…おい!!」
いくら体を揺すった所で結果は変わらなかった。
何故なら心臓が完全に停止してるから。
レクルの口元に耳をやったゼータが、それをしっかりと確認した。
「息してない…なんで…レクルだけが…」
「PFW、さっきの光を過剰に受けるとこうなっちまうんだ…レクルは。心臓の動きがぴたっと止まって、ただの物体に…」
ラミアは静かにそう答える。
その時のゼータからは、叫びよりも寧ろ笑い声が出て、止まらなかった。
「終わった…か、ははは…確かにな。これからどうすればいいんだ」
徐々に崩れていく精神は、ゼータの口を無駄に早く動かす。
だが、この気を紛らわす力は持ちえない。持ち得るはずがなかった。
「帰って寝よう、忘れようぜ。なぁ二人も…!」
「…いや、まだだ」
ラミアの口からそう零れた。
それを耳にしたや否や目を尖らせて、ゼータがラミアの顔の目の前へズカズカと歩み寄る。
「確かにここで引いたら、この作戦も成功しなければ、イサラスとも一生会えなくなるかも知れない…。けど…!、こんな状態でイサラスを連れ戻したってどうなるってんだよ!!」
「ゼータ…」
パニックに陥っていたゼータは、ラミアの呼び掛けにも気づけず、絶望を口にする。
「何でこうなった…おかしい…嘘だ!!終わってんだろ!!」
「終わった?……何が終わったの? まだ想定の範囲でしょ、ねぇラミア」
「あぁ、流石セラだ、なんでもお見通しか」
「は…?」
二人の口調は、状況に対してあまりにも軽々しいものだった。
イコ缶だの終わっただの言っていた時よりも余裕があるかのように思える。
ゼータは戸惑った。
「吹っ切れたのか…?頭いっちゃったのか…?」
「ゼータ、私に対しては敬意を払うんじゃなかったの? せめて『頭がお逝きになりました?』と言って…」
「は、はぁ…?」
そんな状況でボケるはずが無い。
セラはゼータの言うことを否定しなかったのだ。
涙すらも出せないで居ると、ラミアが
しんどそうに腰を上げ、未だ寝そべるレクルの元へ寄った。
「いてて。ほら、起きろレクル。いや」
《相棒》
ドゴンという轟音と共にDAYS船体が大きく揺れ動き、台座がきしむ音が床を伝って響いた。
外部からの衝撃だと直ぐに感づいたセラは、静かにその場を離れ出入口へ向かった。
憮然とするゼータも、それに釣られるようにして追いかける。
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