唯一不変の切札

白結 陽

第九章 激戦

 朝日が昇り、強い日差しが粋の瞼を突く。まったく、暦の上では夏など過ぎているはずなのに、今年は未だに暑い。こんな暑いのに毛布など掛けていられるか、と無意識にそれを蹴飛ばした。
 すると眠りが浅くなったのか、妙に現実味のある声が聞こえてくる。
『ユズリ! ユズリ!』
 女性のようで、しかし人間らしくない声だ。空気を伝ってこない声の感覚……。
 粋はぼんやりと目を覚ました。見覚えがあるようで、そんなに馴染みのない場所。普段は地下に直行するのだから、一階への認識などはそんなものだ。だから、ここにいることには違和感があった。
「あれ、僕どうして……」
 手元に刀がないのでアトエにも訊けない。だというのに、近くからは霊素体独特の、空気を伝わない声が聞こえる。
『天馬の刃……っ!』
 半身を起した粋に、ユシュが反応する。声がする方には、ソファで毛布をかけられ、ぐっすり眠るユズリの姿があった。平和そうで、幸せそうな顔。どんな夢を見ているのだろうか。
 緑頭の傍には赤いポシェットがある。確か夕凪がそれをプレゼントして、その後……。
「ユシュ、どういう状況?」
 寝起きのせいか頭が上手く回らない。
『説明する前にユズリを起こして!』
「いや、でも気持ちよく寝ているのを起こすのは悪いし……」
『急いで!』
 珍しく声を張るユシュに負け、粋は渋々ユズリの体を揺すった。なかなか起きず、徐々に強くすること三〇秒。長いまつ毛が揺れ、金色の瞳が粋の顔を覗いた。
「……あえ、夕凪しゃんは?」
 一言目がそれか。彼女らしいと言えば彼女らしいが。
「起きたよ」
 粋はあくびをしながらユシュに告げた。最後まで言わないうちに、ユシュは焦りながらも言葉を紡ぐ。
『ユズリ、大変。実は……』
 夕凪がアグマのところへ向かったという事実とその経緯、さらには彼らの覚悟を小さな二人に手早く伝えた。
「……っ!」
 ユズリの顔から血の気が失せる。
「どこっ、どこに行ったの!」
『たぶん千石研究所。霊素の波動が二つ、衝突してる』
「千石研究所……」
 ユズリは噛み締めるように呟き、粋は驚いている。
「ちょっ……そんな遠くまで感じ取れんの?」
『普通は無理。だけどこの二つの波動は大きすぎる』
 ということは、また聖霊騎士団のシステムが落とされているのだろうか。あり得る話だ。
 ユズリは勢いよく立ち上がった。
「ユシュなら、わたし達なら力になれるよね」
 答えに詰まる問いだ。アグマには勝てるはずもないが、それでもいないよりは助けになると思った。しかし実際に霊素の波動を感じ取ってしまい、その考えは一変する。
 もしも可能性というものを目視できるのならば、きっと砂の一粒よりも小さいものだが、夕凪にも勝ち目があるように感じられる。それほどの強大な接戦を前にして、世界樹の双葉が未熟な憑装者を引き連れて如何ほどのことができるだろう。それは天馬の刃でも同じことだ。役に立たないどころか、足手まといにしかならない。夕凪が朝霧と二人だけで立ち向かった理由が、今は理解できる。
 ではなぜユズリの名を呼び続けたのか。
「ユシュ?」
 不安そうにユズリが小瓶を見つめる。ユシュはこれから取るべき行動がわからない。
そんな困り果てた彼女たちの手を引く者があった。
「なにボサっとしてんの。行くよ、ユズリ」
『待って。私達が行ったところで、あの人を困らせるだけかもしれない』
「えっ……?」
 ユシュの言葉でユズリにも迷いが生まれる。ところが粋は微塵も怯まない。
「それが何?」
 耳をほじりながら尋ねる。まさか開き直られるとは思わず、ユシュは困惑する。
「こっちは心配かけさせられてんの。迷惑をかけ返して何が悪いってのさ」
 ものすごい詭弁をふっかけてきた。
「人間なんて、そういうものをかけ合って生きてるもんだし、そもそも遠慮するような仲でもないし。ていうか、僕達をわざわざ眠らせて行ってるんだから、僕達が追おうとすることくらい向こうもわかってるでしょ。だったら期待には応えないと」
 ユシュが特別口論に弱いのだろうか。先程も夕凪に口論で負けた。今も粋が並べる言葉を聞いているうちに、だんだんそんな気がしてくる。
『でも、世界が……』
「ダメだったら引き返せばいいよ。世界か、一人の人間か、そんなの僕には選べない。だったら欲張ってどっちも選ぶ。何もしないで諦めてたまるか」
 通信機で連絡を取ると間もなく瑞音が飛んできた。彼女の手には粋がいつも持ち歩いている長物の袋が握られている。
「……まあ、無理にとは言わないけどね。瑞音はどうする?」
「ついてったげる。笹巻さんを叩き起こしといたから、もうすぐ本部も全面支援してくれるはずだよ」
 粋は日本刀を取り出し、瑞音は軽いストレッチをする。
「で、ユズリとユシュは?」
 今にも入口から飛び出していきそうな体を抑えて、粋が尋ねる。
「わたしは……」
「行きたいなら、あたしは協力するよ。紫電の魔槍……この物々しい名にかけて、最っ高の援護をしてみせる。ユズリちゃんみたいなかわいい子からなら、ワガママも迷惑もどんと来いって感じだし、それは久遠寺さんも同じだと思うな」
 行きたいなら――ユシュがユズリを呼び続けた理由が、それなのかもしれない。失くしたくないもの、譲れないものがある。危なかった。ユズリにとっての希望、彼女の笑顔、どちらも消えかかっているというのに、指を咥えて見ているところだった。
 そもそも言ったはずだ。ユズリの命も夢も、どんな望みも守ってみせると。
『ユズリ、好きにしたらいい。どんな道を選んでも、私はついて行くから』
 少女は迷い、考え、困った先で、赤いポシェットが目に入った。こんな素敵なものをくれたのに、まだ何も返していない。二度に渡って助けてくれたお礼も、ちゃんとできていない。なによりやっと会えたのだ、ずっと傍に居たい。
 色々な思いが噴き出してくるのに、その全てが同じ答えを示している。
 ユズリはおずおずと口を開いた。
「……わたし、行きたいです。夕凪さんのところに」
 そして迷いをふっ切るように、声を大にした。
「わたしも連れて行ってください!」
 聖霊騎士団の二人は、彼女の手を取った。戦い慣れた彼らの手は、繋いでいるだけで頼もしく感じられる。
「そうと決まれば善は急げってね。粋、あたし達を連れて飛べる?」
「余裕。僕を誰だと思ってんのさ」
 憑装した粋の背から、真っ白い翼が生える。
「愚問だったかな。聖霊騎士団が誇るエース、天馬の刃だもんね」
「そゆこと。二人とも、ちょっと速いけど落ちないでよ」
 粋はユズリの手を離し、瑞音と繋ぎ直す。眼帯の少女はユズリの小さな体を片腕で抱き、胸にピタリとくっつける。まもなく、一団はロケットのように飛び出した。
 センサーが働く暇もなく自動ドア――それも強化ガラス製のものを突き破り、天高くに舞い上がる。
「うわ、わ……っ」
 初めての大空でユズリは少し恐怖するが、すぐに夕凪を想って心を鎮める。この程度で恐れていたら、この先の戦いに耐えられない。
「怖かったら目でも瞑っておいて」
「だ、大丈夫です……」
「あたしのこと、抱きしめ返してもいいんだよ?」
「あっ、べつに大丈夫です」
 翼が通った後に煌めく滴が落ちる、とても幻想的な風景ができあがった。

 遠くに研究所を囲む森が見えてきた辺りだ。背後から強い霊素の波動を感じた直後、衝撃波が飛行を続ける三人を襲った。粋は回避が間に合わずに肌を切り裂かれ、墜落寸前のところでどうにか持ちこたえる。女性二人を庇うまでは、どうにかできたらしい。
不愉快な湿気と明確な悪意を含んだ風の刃――ユズリには覚えがあった。攻撃の主を確認するとやはり、見慣れた憑装者の姿。どこまでも意地の悪い面構え。一部のみではなく、完全に竜と融合した白い姿……白竜の憑装者だ。残忍な黒い眼、鋭い角と牙、爪。禍々しい翼が迫りくる。
 森は見えるところまで来たが、まだ結構な距離がある。寂れた住宅地の路上に粋は緊急着陸した。
「瑞音たちはさっさと千石研究所に向かって」
 柄に手がかかり、重い金属音が鳴る。
『待って、三人で戦った方がいい。あれは手強い』
「いいんだよ。どうせ向こうも一人じゃないから、すぐ援軍が来るに決まってる。全員で相手していたら間に合わない」
 翼を広げ、腰を落とす。それを見た瑞音は、ユズリを連れて走り出した。
「ダメですっ、その人はホントに強いんです!」
「安心して。うちの天馬の刃もホントに強いから」
 まだ空を飛んでいる白竜人が、その場を脱しようとする二人を認め、そちらに向かって加速した。長い爪から不穏な空気の乱れを感じる。また衝撃波を放とうとしているのか。
 粋は地面を蹴って飛翔、抜刀しながら腕を狙って斬りつける。抜刀術もそうだが、接近が速すぎる。白竜の憑装者は思わぬ粋の実力に驚き、とっさに防御の体勢をとる。刀は狙い通りの腕を捉えた。
 強い衝突音。刃にも鱗にも傷はつかず、弾けるように離れた。
 粋に緊張が走る。先の攻撃、今の防御……この相手は、これまで戦ってきた鬼羅の戦闘員とは格が違う。
「……前に会ったよね」
 夕凪がアグマを裏切った現場にいたはずだ。あの時は怯えていたせいで弱そうに思えたが、よくよく考えると彼らの強さを理解できていたとも取れる。粋はそこまで恐怖を感じなかったのだ。この男、あるいは粋よりも強いのかもしれない。
「ああ。君は久遠寺の知り合いだったか。……聞いたことがある。聖霊騎士団にはペガサスの霊素体と日本刀を使う若きエースがいると。二つ名は確か、天馬の刃――それが君か?」
「いや、違うけど」
 しれっと言い切る。男は反応に困った。素材に哺乳類の霊素体を使うペガサスは、竜とは比べものにならないほど希少だ。そして持っているのは日本刀。確信めいたものがあるのに、本人は違うと言っている。
「……とまぁ、なんの面白みもない冗談はさておき。僕は聖霊騎士団所属、天馬の刃。朝に目が覚めるほど不本意だけど、相手になる……しかないんだろうね。こっちが今忙しいって言っても帰ってくれそうにないし」
 粋は大袈裟に溜息を吐いた。鍛え上げられた肺活量を余すことなく発揮した、アスリートや音楽家もびっくりの大きく長い溜息だ。さすが、普段が普段だけに無気力さの演出は秀でている。その上での、この呟きだ。
「ああ、そうか。ビビらせれば、膝をガックガクさせて帰ってくれるのかもしれないね。あの時みたいに」
 白竜人の眉が痙攣にも似た動きをする。が、さすがは世界樹ユシュが鬼羅の中で最も警戒している者だ。噴火するように怒るかと思いきや、軽く堪えてみせた。
「なるほど。そうして煽り、精神を乱して戦いを有利にしようという魂胆か。浅ましいな、天馬の刃。話を聞く限りでは聡明で果敢な人物だと思っていたのだが」
 失望、呆れ、そういった類の感情が、白竜人からありありと放たれている。
 粋は舌打ちをした。さすがに楽をさせてはくれないか。……まあ、二人を逃がす分の注意を引けただけでも、満足しておこう。冷静になったつもりで、しっかり標的を間違えてくれたことには感謝しなければ。
ついでに油断もしてくれれば儲けものだが、そちらには期待できそうにない。
「残念だ。残念だが……見逃してはやれないな。ここで君を殺せば組織の連中も喜ぶだろう。彼女を追うのは、それからでも遅くない」
 やはり目的はユズリのようだ。遅くない、などと言うのは、彼女が自らを狙う神の前へと向かっていることを知らないのか。とすると粋の憑装反応を追って来たのか、あるいはユズリとユシュの微弱な常時憑装も捕捉できるのか。よくわからない。
 どうであれ、今は気にする必要もない。
「それはこっちも同じこと」
 粋は左脚を前に、刀を右斜め下に引いて構える。あからさまに斬り上げを目的としており、回転も加えると見ていい。あまりにも攻め手がわかりやすい構えだ。
 それは粋も承知の上だ。しかし、そうでもして力を込めなければ白竜の鱗を貫けない。すくなくとも、今の最高潮を目指している過程の霊素量では。
「一応礼儀は見せておこう。私は鬼羅の特務班所属、結城火雨だ。いざ参ろう」
「くんな。焦んなくても、こっちから行ってあげるからさ」
 粋は右脚にビキビキと蓄積させた力を解放し、地を滑るような超高速ダッシュで間合いを詰める。やはり構えから予想できる通りの斬撃。ただし、その速度は予想どころか常識を軽く超えていた。刃が体を捉える寸前で、火雨は緊急回避を試みる。
 だが天馬の刃は、軌道を変えて彼を追う。追っては避けられ、避けられては追い、大地や空中を舞台に激しく暴れまわり、それが何度も繰り返される。
「――ふッ!」
 風を斬って飛んできた刀を後方回転でかわし、火雨は爪を振り切った。粋は反射的に後退して爪そのものは回避した。しかし直線上に放たれた衝撃波がグンと伸び、天馬の刃を捉える。
 ペガサスの憑装者、粋の体は竜のように鱗で守られていない。身体能力の向上と強い意志力で耐久は上げられるが、守備能力に秀でているわけではないのだ。粋の制服は一部が切り裂かれ、露出した肌には真紅の筋が走る。
 やはり強い――お互いにそう思う。これまで天馬の刃は基本的に瞬殺することを強いられてきた。そうしなければ仲間が殺されてしまう。ゆえに強引でも身を傷つけてでも敵に突撃していく癖がついてしまった。今も手早く片付けなければならない。もしもそういった事情がなければ、この攻防で傷を負ったのはどちらかわからない。それが双方共通の認識だ。
「戦いに於いて焦りは禁物だ、天馬の刃」
「うっさい」
 粋は水面下で沸騰している激情に身を任せ、翼を爆発させるように羽ばたかせる。それに加えて先ほどと同様のダッシュ。速度が更に上がり、空気が強烈に振動する。
 火雨の対応は常にカウンター狙いだ。戦術自体は単純。それでも攻撃一点の粋には特に効果的だ。しかし聖霊騎士団で最速を誇る剣士、天馬の刃が相手では実行も容易ではない。
 まさに猪突猛進で攻め続ける粋の刀は徐々に速度を上げていき、迎撃はおろか、火雨は回避すらままならなくなっていく。空中で迫る刀身をくぐって爪を伸ばした時だ、死角から強烈な回し蹴りが火雨の側頭部を捉える。粋はそのまま下方に力を向け、地面に叩きつけた。
 ペガサスの脚力を得た粋の足技は驚異的で、落ちた火雨の体はアスファルトを割った。落下中に放たれた風の刃が、粋の体を斬り刻む。天馬の刃は怯むことなく重力を味方に、剣を両手持ちした急降下攻撃を仕掛け、すばやく体勢を整えた火雨が正面から応じる。
 刀と爪の衝突――お互いの体がみしみしと悲鳴を上げる。
「オォアアアッ!」
 火雨が咆哮を上げながら左の爪で粋のわき腹を狙う。両手で刀を振り下ろしている粋は迫る爪を蹴り上げ、そのまま踵を落とす。その蹴撃は、甲高い音を立てて白竜の角に止められた。
 火雨はニタリと笑みを浮かべる。
「……あまり憑装者の角に触れるべきではないぞ」
 青白い電光が走り、強い電撃が粋の体を襲う。架空の生物をモチーフとした霊素体に生えている角には、エネルギーが集中している場合がある。迂闊だった。粋も天馬の角を生やすことは可能だが、そこから何かを発することはできないがために、そんな活用法があるとは思いもしなかった。
 粋は全身が痺れて握力が弱まり、刀を取り落とす。
 そこで形勢は一気に傾いた。
 爪と蹴り、角の電撃を織り交ぜた猛攻が粋を襲う。普段、防御に徹するほど追いつめられることがなく、慣れない素手での戦闘となってしまった粋は為す術もなく嬲られ続ける。顔が左右に弾けとび、体が地を転がって血だまりを作る。
「かはっ――」
 膝を腹部にねじり込まれ、粋は吐血する。次いで折れまがった背中に肘打ち、さらに先の膝で跳び膝蹴り。力強い連撃で、粋の寝ぐせ頭が跳ね上がった。そこにトドメと言わんばかりの両掌底が打ち込まれ、天馬の刃は脱力しながら寂れた民家に激突し、瓦礫に埋もれた。
 戦いの場に静寂が走る。
「……天馬の刃。刃をなくせばこんなものか」
 なんとなく虚無感にさいなまれながら、粋が手放した刀を見下ろそうとして視線の行き場に困った。冷たい光を放つ名刀がどこにも見当たらない。火雨は民家の瓦礫を注視する。
「――いつつ」
 天馬の翼が民家の残骸を散らし、血まみれの少年が手元から銀の光を引いて現れる。痛めつけられている最中に拾ったものだ。粋はポケットから血で汚れた新品の包帯を取り出し、器用に左手と口を使って、反対の手と日本刀を縛り付けた。
「また落としたら敵わないからね」
 と言いつつ、痺れが取れていないだけだ。痛みで握力が鈍っていることもある。それは火雨もお見通しだ。
 見え透いた嘘。それ以前に圧倒的な戦況。あの状況下で刀を取り戻したことは称賛に値するが、それでも火雨から天馬の刃に対する興味が失せていく。
「……聖霊騎士団最強の一角もこの程度か。我々は少し慎重すぎたのかもしれないな。こちらが主戦力を揃えれば、君たちの組織を潰すことも容易そうだ」
「よく言うよ。さっきの蹴り、効いてるくせに!」
 突然、火雨の膝がガクンと曲がる。頭部への衝撃が遅れて影響したのだ。天馬の刃は隙を逃さず刀を振るう。上半身を逸らせて回避した白竜人の角を横目に流し、ぐんと加速した粋は歯を食いしばって互いの頭部を衝突させた。
「ぐぁ……っ!」
 火雨の脳内に火花が踊り狂う。視界は明滅し、体が揺れる。しかし硬い鱗に頭をぶつけた粋はそれ以上にダメージを受けているようで、息を乱し、肩を上下させて立ちつくしている。
 白竜の黒い眼が最大限に開いた。綺麗華麗とは程遠く荒々しい、誇りも捨てたように必死でがむしゃらな天馬の刃。その無様な戦い方が気に食わず、噛みつかれたような抵抗を受けた自分自身も腹立たしい。
 火雨は懐から鈍光を放つ物体を取り出した。冷徹なクロガネの筒が粋に向けられる。
「なっ――」
 粋は身を固くした。通常兵器は憑装者には効かない。例えば粋の日本刀が機能するのは、刀身に霊素を伝えているからだ。霊素は意志によって意味をなすもので、だから近接武器しか使えない。
 だが科学は進歩するものだ。それに伴い霊素体に対する銃を作成することも理論上では可能となっている。
 対霊銃――その引き金に収縮した白竜の爪がかけられる。
「終わりだ。これで終わらせてやる……!」
 深い憎悪を込めて、指がトリガーを引く。乾いた銃声が鳴り、弾丸がとっさに身をよじった粋の肩を貫く。粋の痛々しい悲鳴と血液がほとばしった。焼けるような痛みが銃痕に響く。
 二発目を打たれる前に、粋は翼で自身を覆い、亀のように丸くなる。次の弾丸は曲線軌道を描いて、翼の隙間から粋の顔を目掛けて滑り込んできた。避けたはずが、頬に線状の熱を感じる。
 霊素――意志エネルギーを纏った弾丸は、必ずしも直線で飛んでくるとは限らない。弾道を変えることも可能だ。それが息つく間もなく撃ちこまれ、粋は殻を解いて逃げ回り、翼や剣で叩き落とす。
『……粋』
 不意にアトエが呼びかける。
「戦闘中は喋んないでよ」
『大事なことです』
 アトエが独自の思考を持つことで、憑装者「天馬の刃」の力が不安定になる。顕現していた翼の存在がブレ、力が抜けていく。そうなることは知っているだろうに、従順なアトエにしては珍しい。
「……手短に!」
 粋はその間を埋めるべく、刀で必死に弾丸を防ぐ。それも憑装の力が薄まっている今では難しい。
『……御守りを、夕凪から頂いた御守りを出して下さい』
「はぁ? あんなもんに何の御利益があるってのさ。ワラに縋る暇なんてないよ!」
 躊躇いがちに何を言ったかと思えば……気でも狂ったかと心配になる。
『いいから、早く!』
 銃弾がボサボサの髪先を一部、焦がした。これ以上アトエに喋られては堪らないと、粋は翼で自身を覆いながら、ポケットにある巾着を取り出した。
「で、どうしろってのさ」
 やや怒り気味だ。
『中身を見てください。おそらく、その中には……』
 アトエが言い終える前に、粋は巾着の口を開いて逆さにした。下方に添えた手に、コロンと綺麗な珠が転がる。
「霊珠?」
 よく見ようとして、粋を軽い頭痛が襲った。脳に直接なにかが入ってくるような感覚だ。
『あーあー、テステス』
 頭の悪そうな声が聞こえる。残留思念と言うのが早いだろうか。霊珠に纏わりついていた意志が伝わってくる。霊素を残すというのは、対霊銃にも使われている技術だ。
『お前がこれを聞いているってことは、きっと俺はもうこの世に……いるかもしれないし、いないかもしれない』
「笑えねーよ、その冗談」
『正直さ、粋がいつ聞くのか全く予想できないんだよ。えっと、聞いてるんだよな? もしもぅし、聞こえてるかーっ?』
「早く話せよッ! 急いでんの、こっちは!」
 銃弾の雨に降られ、翼に籠りながらツッコミを入れる。あらかじめ録音されているはずなのに、それに応えるようなタイミングで丁度よく話が進む。
『これは俺が作って朝霧からも改良のアドバイスをもらったサイバー型だ。本当はアグマ戦で使おうと思っていたんだけど朝霧と共闘することになったから、粋に託すよ。アグマに任せきりだった俺は憑装に慣れていないから、改良版のこいつは上手く使えないんだ。だけど、きっと粋なら使いこなせると思う』
 そう言うと、音声はぷっつり途絶えた。
『受け取った時、その御守りの中から霊素体の気配を感じました。私は粋と共に戦いたい、だからずっと言えなかったのですが、交代することであの男を倒せるのであれば……』
 相棒を切り捨てる――なんて、論外だ。少なくとも粋にとっては。夕凪がそんなことを望んでいるとも思えない。どうせ言葉が足りていないだけだ。きっと意図は別のところにある。
「……そういうことか」
 粋は二本の指で霊珠を挟んで眼前に運ぶ。
 おそらく夕凪の「憑装に慣れていないから」「上手く使えない」という言葉は、そのままの意味なのだ。朝霧と憑装するから「使わない」のではない。
「いつまで悪あがきを続けるつもりだ、天馬の刃ァ!」
 火雨の怒り狂った声の後、いくつもの銃弾が翼の中に潜り込んでくる。
「憑装……デュアル!」
 粋が叫ぶと、翼が眩いばかりに輝きを発する。激しく甲高い金属音が無数に鳴り響き、対霊銃から撃たれた弾の全てが木端微塵に切り刻まれる。
 火雨の背筋に悪寒が走る。前方から凄まじい霊素の波動を感じたのだ。変化したのは波動の強さだけではない。今や翼は銀色の光沢を放ち、生物と機械を混ぜ合わせたような風貌をしている。手に持った日本刀よりも鋭いかもしれない刃を持った、新しい翼だ。
 粋は思わず笑ってしまう。自分自身すらも飲みこんでしまうような、強大な力が込み上げてくる。目の前の白竜があまりに小さく見えて、負ける気がしない。
「憑装の重ねがけ……? まさか、そんなことが――」
 言い終える前に銀の閃光が銃弾よりも速く、火雨の後ろに回り込む。背後から振り下ろされる剣。それを受け、反撃しようとした時には、もう粋の姿はそこにない。元から天馬はスピードに特化した霊素体だ。それに拍車がかかり、今や火雨ですら手がつけられない。
 縦横無尽に銀翼が飛び、剣が降りそそぐ。疾風迅雷の斬撃は速度を威力に変えて、強固な竜の鱗をも傷つける。火雨の白い肉体を赤い血液が汚していく。形勢は一転し、天馬の刃が白竜の憑装者を圧倒する形となった。
(このまま押し切る――ことができたら、楽なんだけどなぁ)
 追い詰められた時の感情の動き、それが危険なことを粋は知っている。絶望する者もいる、そうなってくれればありがたいが、この手の輩はまずそうならない。感情を爆発させる。感情の動きは霊素の動き、霊素の動きは戦況の動きだ。
「この……っ、私をォ……なめるなァッ!」
 斬撃を見続けた慣れと勘、強靭な精神力で無理矢理にも粋の刀に長く伸ばした爪をぶつけ、反動を利用して距離を取る。爪は折れ、ガシャリと音を立てて道路に落ちた。
 粋は連続した力の行使で疲労が溜まり、追撃には至らなかった。仕切り直しだ。
「……天馬の刃。対霊銃の一発は安くないんだ」
「は? あ、うん……そうだろうね」
 急に何を言いだすのか。
「ここで君を殺さなければ、今まで発砲した全てが無駄な出費。それでは組織の懐に悪いだろう?」
 粋の顔が引きつる。その瞳が映したのは、火雨が取り出したもう一つの銃。今まで使っていた方は仕舞われず、口で何かのピンが引き抜かれた。リミッター解除、なにを解放したのかはすぐに思い知ることになった。
「今さら一億も十億も大した差はない」
 やたらと大きな弾倉がセットされ、構えた二丁の銃が火を吹く。弾を噴き出す度に銃口で起こる小爆発は留まることなく、豪雨よりも激しく弾丸が発射されている。
 連射式に切り替えたのだった。ただでさえ銃弾の数が跳ね上がるというのに、それが二丁。
「ちょっ、まっ――さすがに大した差でしょ、それ!」
 粋は鋼の翼と刀を総動員して対応するが追い付かず、対霊弾が肉を薄く抉っていく。
「~~~~~~~~っ!」
 防御が薄い種とはいえ憑装者を貫く威力をもった銃。その反動に耐え切る身体と、弾に霊素を供給し続けられる精神力を火雨は併せ持っている。決して武器に頼りきっているわけではなく、ここまで使いこなしてくるとは粋も予想外で、痛みに悶絶する。
 火雨は苦痛の色を浮かべながらも、連射を絶やさない。文字通り全身全霊で向かってきているのだ。そんな相手には、全力を超えた力で戦わなければ勝てない。
「……アトエ、行くよ」
 心を共にした相棒に、少年は言った。銃弾が壁のように迫り来る中で、決意を胸に宿しながら。
「君の命には十億以上を払う価値がある。堂々と受け取って死ぬがいい!」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、人の命は金じゃ買えないって」
 防戦一方の状況に耐え切れず、粋は空中へ逃げ出した。翼は飛翔に使われ、粋の手には刀が一本。防御から回避に切り替えたのだ。大空を舞台に、銃口からの逃亡劇が始まる。逃げた先へ追ってくる弾を、丁寧に斬りおとしていった。
「……悪あがきをォッ!」
 片方の弾が切れ、急いで弾倉を付け替える。もう一方は時間差で切れ、片手で銃を放ちながら弾を追加する。そこには当然、隙があった。
「結城火雨、だっけ。これから僕は本気を出す。天馬の刃という名の本当の意味を、教えてあげるよ」
「なに……?」
 天馬の霊素体と日本刀を使う少年は、刀身を鞘に収めた。見たままの名。それ以上の意味があるというのか。
「……面白い、ならば教えてもらおうか。この銃撃を突破することができるのならなァ!」
 意気の上昇で、弾丸の速度とホーミングの性能が跳ね上がる。
 粋は己の背に右手を伸ばして、冷たい翼の根元をひっつかんだ。叫び声を上げ、自身の体の一部であるそれを、無理矢理もぎ取る。さらに声を強め、さらに強く握りしめた。
 喉が潰れるかと思えるほど叫んで、魂を注がれたそれは……少しだけ形を変えていた。大きな片翼は羽の部分が刃となって、巨大な剣と成している。羽の片方を失い、バランスを崩した粋は落下しながら大剣を一振りする。金属の刃と衝撃波が全ての弾丸を粉砕した。
 粋はそのまま剣をアスファルトに突き刺し、壁とする。
 火雨はゾクリと体を震わせた。その姿、まさしく「天馬の刃」だ。まさかこんな切り札を隠し持っているとは思わなかった。だが――。
「それがどうした! 所詮は近接武器、君が天馬の刃という時点で敗北は確定している!」
 あまりに銃撃が激しく、大剣の盾から出てくる気配を感じない。鎬にピタリと身を寄せているのか、勢いをもった銃弾の旋回が間に合わず当たってもいないようだが。
 ――カチッ、と引き金が軽い音を鳴らした。右手に持つ銃の弾倉が空になったのだ。
 そうして、火雨が補充しようとした時……大剣が倒れるような動作を見せて傾いた。それを駆け上がる音、上方へ跳び出す小さな身体。そして――四つの銃声が鳴った。
 連射していた左手の銃が弾かれ、右も一瞬遅れて衝撃が襲い、手から鋼鉄の塊が無情にも離れていく。なにが起こったかわからぬまま、それでも本能で逃げようとして、しかし両膝に穴が空き、血が噴き出す。
 一体なにが、どうした――?
 火雨の頭は凍りついたように働かない。距離を取ろうにも、足に力が入らない。ドクドクと心臓が早鐘を打つ。その付近に、鋭く砥がれた日本刀が突き刺さった。
「うっ――投擲……バカな……ッ!」
 目で見た光景さえも信じられない。手元を離れた日本刀が、憑装者を貫けるはずがない。
 粋は刀へと伸びる、紛失防止と同時に霊素を伝えるためのピアノ線を引きながら、片翼で滑空して火雨の眼前に迫る。霊素を流し続ける細い金属線を辿り、柄を掴んで引き抜きながら、その動作を回転に変えて――天馬の憑装者による回し蹴りが、火雨の頭部に炸裂した。
 遥か遠方に吹き飛び、道路を何度も転がり、見えなくなったあたりで白竜の憑装者は地面に伏した。
 それでも意識が辛うじてあるというのだから、称賛を通り越して呆れるしかない。粋はもいだ片翼をつけ直し、火雨のもとへ飛んでいった。そして銃口を向ける。クロガネの拳銃が、その手にはあった。
「対霊銃……」
 重そうな瞼を開き、火雨が唖然と呟く。
「まあ、ぶっちゃけ剣より銃の方が強いよね。状況によるけど、ほとんどの場合はさ。そんな便利なもん、あえて使わない理由はないでしょ」
「……天馬の刃という名に、誇りはないのか……?」
「ないね。便利だとは思う程度の認識だから。僕をその名で呼んだ時点で、アンタの負けは決まっていたってわけ」
 その風貌、切札。どちらも「天馬の刃」に相応しいものでありながら、奥の手はそこからかけ離れた合理的なものだった。表面の名前を意識し、裏があるとは思いもしなかった。
「汚いだとか、卑怯だとか、言ってくれてもいいよ。勝ったのは僕、それは変わらないから」
「誰が言うか」
 先に対霊銃を持ち出したのは火雨だ。騒ぎ立てれば、より惨めになる。
「……殺せよ」
 火雨は不思議と清々しい気分だった。バカに実力で負けて殺されるならば、きっと気に食わないだろう。しかし実力と知略で負けた。悔しさよりも、満足感の方が大きい。
「……どうした」
 粋の銃口は徐々に冷めていき、火を吹く気配は一向にない。
「悪いけど、殺さないよ」
 天馬の刃は銃を懐に収め、踵を返した。
「情けをかけるつもりか? ふざけるなッ、殺していけ!」
「やだよ、面倒くさい」
 さっさとその場を離れ、粋はちゃっかり火雨の銃を拾う。
「これ良くできてんね。見逃す代わりにもらっとくよ。多分うちの開発部が喜ぶから」
「……後悔するぞ、私を見逃せば。どこまでも追って、必ず仕留める」
 憎々しげに吐き捨てる火雨を、粋は気にも留めない。
「それなら勝ち続ければいい。簡単なことだよ」
 軽くそう言って、天馬の刃は飛び去った。
 その場には、一気に悔しさ、憎しみを胸に抱いた白竜の憑装者が取り残される。戦うどころか立ち上がる力も失くし、憑装が解ける。人の体に戻った火雨は、こみ上げる激情を抑えきれずに絶叫した。

 少し飛んで、研究所へ続く森の上。粋は力尽きるように墜落し、土に身を横たわらせた。二重にかかっていた憑装が解ける。
『粋、本当によかったのですか? あの者にトドメをささなくて。情をかけるほどの男には思えませんが』
 アトエが問う。粋は息を荒くし、土の匂いを嗅ぎながら答えた。
「なに言ってんの。殺さなかったんじゃなくて殺せなかったの。あの状況で再発現されて白竜に出てこられたら勝つ自信ないし。……て、あいつもアトエもなんで気づかないかな」
『あ……』
 もうベテランなはずなのに、アトエはそこまで気が回らなかった。器を壊せば中身が出てくる。あの実力者と戦った後での連戦はさすがに厳しい。
『ということは、彼は……』
「ああ、うん。命拾いしたよね。僕を殺していたら、再発現したアトエが手負いになったあいつを仕留めていただろうし。どっちにしても、そうなると霊素体同士の戦いになって……」
『泥沼ですね』
 あやうく醜すぎる戦いに身を投じるところだった。アトエは安堵する。
 粋は御守りに入っていた霊珠を見つめる。
「しっかし夕兄のおかげで助かったよ。これが無くても勝てたけど……」
 軽い身のこなしで立ち上がった。
「ここで立つ余裕はなかっただろうな」
 これから夕凪やユズリを追う余裕も。
『しかし驚きました。二重憑装という発想もそうですが、私達と共闘できるほど高い完成度のサイバー型があるとは……これを個人で開発したというのは本当でしょうか』
「多分ね。直感を頼りに長い時間をかけて試行錯誤したんじゃないかな。アホだから理論なんてほとんど理解していないだろうけど、ある意味では学者向きのような気がするよ」
 聖霊騎士団の研究にも加わってもらえば良かっただろうか――いや、それではきっとモチベーションが保てない。間近の明確な目標にしか全力を注げないタイプの人間だ。遠くボンヤリとしたところを見つめている間に、近くの問題に目がいってしまう。
「……さて、急ぐか」
 粋は再びアトエ、サイバー型と二重憑装し、銀の翼で飛翔した。

 ユズリは手を引かれ、森の奥へと急いでいた。ここまで来ると霊素体とわずかに融合しているだけの彼女でも、霊素の大規模な衝突が直に感じられる。
 ――まだ生きている。その事実が嬉しく、ユズリの足を忙しく動かす。
 あの戦場に行くことで、なにができるかは正直わからない。もしかしたら自分の姿を見て夕凪が霊素を高めてくれるかも……なんて思うが、それは思い上がりだろうか。邪魔にしかならないのでは、という不安はまだ消えていない。
 それでも会いたい。力になりたい――強くそう思う。思って、キュッと瑞音の手を握り返したときだった。
 木陰から尋常ならざる闘気が発せられ、樹木を突き破った黒い拳がユズリを襲う。
『……まかせて』
 すばやく憑装し、ユシュは木々を巧みに操って拳を止めた。十数本の枝が犠牲となった。
 重く、禍々しく、闇を纏った力強い拳。ユズリとユシュには覚えがある。
『鬼人……』
「退け、千石ユズリ。そうすれば今は見逃してやる」
 威圧的に言い放つ彼の顔に、元気な跳び膝蹴りが放たれた。巨体の足が地面を離れ、激突した樹が破壊される。
「乙女の邪魔をするなんて、どういう神経してるんだよ!」
「なんだ、お前は?」
 鼻息を荒くした瑞音が、ユズリと鬼人の間に仁王立ちしている。
「あたしの事はどーでもいいの。さ、帰った帰った」
 しっしっ、と手で払う動作を見せる。
「……聞け。その子を神に会わせてはならない。お前たちは知らないのかもしれんが……」
「知ってるから。愛の前ではそんなこと関係ないから。ゴツイおっさんの希望より、可愛くて純粋な女の子の願いが優先だから」
 おっさん、というには微妙な年齢の鬼人は、溜息を吐いた。
「話にならんな。ならば、力でねじ伏せるしかない」
 頭の先からつま先まで鬼の力を行き渡らせ、鬼人はますます力を高める。
「やれやれ、これだから暑苦しい筋肉バカのおっさんは。さ、ユズリちゃん。先を急いで、久遠寺さんを助けてあげて」
 瑞音は真後ろに向きを変え、ユズリの背を押す。
「えっ、でも……あ、あの人も……強いんです」
「心配してくれるの?」
 ユズリがこくんと頷くと、瑞音は快活に笑った。
「あっはは、嬉しいよ。でも大丈夫。聖霊騎士団も粋だけが強いわけじゃないから」
 そう言われても困る。なにせその鬼人は、おそらく単純な戦闘能力ならば白竜の憑装者よりも上なのだ。一人を残していくなんて、ユズリにはできない。
「あっ、そうだ」
 瑞音はポンと手を打つ。
「じゃあ、あたしが勝ったら、お友達になってもらえるかな」
「……?」
 なにをどうしたら、そこに話が繋がるのか。「じゃあ」の意味がよくわからない。きょとんと見つめていると、彼女は少しばかり付け足す。
「約束してくれたらテンションあがるでしょ? そしたら霊素が爆発的に増大して楽に勝てるじゃない。だからあたしが勝ったらユズリちゃんはお友達―もしくは妹っ! どうっ?」
 ここまで、こんな場でまでグイグイ来られては、人見知りの少女は警戒して頷けない。
「…………」
「なんで黙ってるんだよぉ!」
 ショックを受け、瑞音はその場にへたりこんだ。
「楽しいおしゃべりは、そこまでにしてもらおうか」
 大砲のように黒い鉄拳が、四つん這いで尻を向けた瑞音に飛来する。だが直撃するよりも早く紫電の槍が鬼人の腹部を襲い、後方へ弾き飛ばした。
「……もういいよぉ。お姉さん、無償で頑張るよぉ」
 泣きながら立ち上がった眼帯の少女の片目には、涙と綺麗な眼光、そして静かな闘気が溢れている。
「早く行って、ユズリちゃん。気にしなくていいから……あたしなんかの事はさ」
 深い哀しみのオーラに圧され、緑髪の少女は駆けだした。
「さて鬼のおっさん。ここからは可哀相な紫電の魔槍ちゃんの八つ当たりに、どうぞお付き合いくださいなっ」
「……小娘が」
 紫電と闇が交差し、大地が轟いた。
 意外にも五分程度で勝敗は決した。小さなクレーターの中心に闇を纏った巨体が横たわっている。
「やりすぎちゃったかな。これに懲りたら、人の恋路は邪魔しないことだね」
「…………」
「聞こえてないか。じゃ、あたし急ぐから!」
 ぴゅーっと風のように去る。鬼人にはすでに意識がなく、まもなく憑装が解けた。

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