唯一不変の切札

白結 陽

第七章 再会

 ユズリは植物を器用に操り、敵を拘束、そこに神経を麻痺させる特殊な花粉をぶちまける。強靭な蔓、麻痺の花粉を持つ植物は自然界に存在しないもので、それゆえ免疫を持っている者もいない。その実体は、言うならば一つ一つがユニオン型の霊素体だ。複数の植物の霊素体をその場で合成しているのだ。核を持たないために一般人には触れないが、憑装者が対象ならば問題はない。
 一人、二人と地面に伏していく。白竜人や鬼人が相手でなければ、ユズリとて弱いわけではない。ただし圧勝と言うほどでもなく、戦う度ユズリの体に傷は増える。
 鋭い爪が腕の柔肌に食い込み、皮ごと肉を引き裂く。鮮血が飛沫をあげ、ユズリの口からか細い悲鳴が漏れた。すぐにユシュの力で傷口だけを塞ぐ。完治させる余裕はなかった。
『……ごめん、そろそろ活動限界。一度、憑装を解かないと……』
 ちょうど動きが鈍くなったところを狙われた。彼女達に連戦は過酷だ。
「まだ、もうちょっと頑張って」
 敵を目の前に、ユズリは戦意を高める。一帯の人間は避難したかもしれない。しかし、あの公園の子供たちが無事に逃げられた保証はないのだ。
 飛んできた膝蹴りが腹に当たり、小さな体がくの字に曲がって吹き飛ぶ。飛びながら、相手を蔓で拘束し、花粉で無力化する。目に見える限りでは、敵はあと二人。
 全身が痛み、軋むようだ。視界も端々が滲んでくる。当然その感覚は意識を融合しているユシュにも伝わる。
『ユズリ、休憩しよう』
「まだだよ。まだ戦えるから!」
 建物が倒壊して一部は燃え上がり、道路が割れた悲惨な景色。もう人気のなくなったこの場所に、足音が近づいてくる。
「それは良かった」
 嫌味のこもった、ねちっこい声が聞こえる。
「だったら私とも戦ってもらおうか」
 初めて見る、白竜人が全身を変化させた姿を。白い鱗が肌を覆い、鋭い真珠色の爪と角、灰色の翼が敵意を表すように猛っている。異常なまでの力が波動となってユズリ達の心臓を揺さぶり続ける。ただそこに居るだけで、足元をグラつかせる。
 逃げ出したくなる衝動に駆られる――が、逃げられない。義務感が、恐怖が、疲労がユズリの足を地面に縛り付ける。
 ユシュは悔しそうに、せめてもの抵抗で植物を放った。だが、それは水を散らすように容易く斬り裂かれる。
「大丈夫、殺しはしないよ」
 下卑た微笑みを浮かべると地を蹴って接近し、爪を振るってきた。動かない体を無理に酷使し、下がって初撃をやりすごすも、そのまま半回転して襲ってきた尾になぎ倒される。
 一瞬で勝敗が決した。
「はい、そこまでだ」
 喉元に爪が突きつけられる。転倒した自分の周りから飛ばした蔓は、腕を使うまでもなく翼と尾で引き裂かれた。霊素の波動で体内への侵入を防いでいるのか、花粉も効かない。
「おやすみ。次は我々の研究所で会おう」
 ユズリの喉に手が伸びた、その時だ。
「――何者っ!」
 白竜人はユズリを置いて大きく跳び退いた。その視線の先には、人影がある。
「お前は……!」
『まさか……』
 ユシュはその男の顔を見て驚愕した。あの頃のままではないが、しかし、年月が経っても誰であるか察することができるほど面影が残っている。
 爽やかで明るい、まるで光そのものみたいな表情。だが、それよりも瞳が輝いている。整った顔立ちは理知的でありながら、どこか活発そうにも見える青年だ。
「そう焦るなよ、お二人さん。久しぶりの再会じゃねぇか。もっと感動に浸ろうぜ」
「あ、あなたは……」
 ユズリの中でも、何か察するものがあったらしい。ふらふらと立ち上がり、その青年のところへ歩いて行く。行く途中で、ハッとした。
 なんと青年の体は、透けていたのだ。
『霊素体……』
 そう、霊素体――それも核を持っていないものの特徴である。加えて、彼女達はその波動を感じ取ることができてしまった。
 突然ユズリはぺこりと頭を下げた。
「あの時はごめんなさい。それから、ありがとうございます。わたしを助けてくれて」
「よく俺だってわかるな、八年前に数十分しか会ってねぇのに」
 青年は少し驚き、感心した風に言った。ユズリは言葉を続ける。
「……あの、あなたの弟さんは?」
 ますます青年は感心した。
「へぇ、すげぇな。あんな小さかったのに、これだけ年数が経っても双子の違いを見分けられるのか」
 そこへ白竜人が不機嫌そうに口を挟む。
「何をしに来た、久遠寺」
「別に邪魔をしにきたわけじゃねぇ、心配すんな」
 その言葉でユズリは凍りついた。
「……え?」
「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は鬼羅の遊撃隊所属、久遠寺朝霧だ。以後お見知りおきを……千石ユズリ」
 朝霧は余裕たっぷりの表情で恭しく一礼する。
「う、うそ……」
 ポカンと開いたユズリの口が、小刻みに震える。あの時に助けてくれた恩人の一人が、心の支えである者の兄が、自分を狙う組織の人間になっていたなど、簡単に受け入れられる現実ではない。
「ははっ、安心しろよ。危害を加えるつもりはねぇさ。むしろそこの性悪クソ太郎の魔の手から守りに来てやったんだ」
 白竜人を指差して、朝霧はケラケラと笑う。
「邪魔をしないと言っただろう」
「ユズリ連行の邪魔はしない。だが、不必要に傷つけるってんなら、テメェを倒して……手柄でも横取りしちまおうかなって話だ」
 白竜人は思案した結果、面白くなさそうに頷いた。
「……いいだろう。ここで君と争ってユズリに逃げられては面倒だ。彼女が抵抗せずについて来るのなら、安全は約束する」
 渋々というより、苦々しげに吐き捨てた。反対に朝霧は、にっこり笑ってユズリに言う。
「てわけだ、ユズリ。俺達と一緒に来てもらうぜ」
 思いもしなかった事ばかりが起き、少女は混乱と絶望の中にあった。何がどうなっているのか、自分がどうするべきかもわからない。それ以前に、この朝霧は本物なのかすら、わからないでいた。もしかしたら今ここにいる朝霧はニセモノで、ユズリを連れていくための罠なのではないかとも思える。仮に本物だとして、従うことが正しいのかも判断できない。
 それでも一つだけ、ユズリの中には確固たるものがあった。
「あの、朝霧さん。わたし、あなたの弟さんに会いたいんです。約束したんです。会わせてもらえませんか?」
 必死の目で懇願した。それだけは譲れない。それだけのために生きてきたのだ。
 ――大丈夫、かつて助けてくれた彼ならばわかってくれる。会わせてくれる。密かにユズリはそう思っていたが、返ってきたのは非情な言葉だった。
「……わりぃが、無理だ。お前とあいつを会わせるわけにはいかねぇ」
「そんな……っ」
 期待を裏切られた衝撃か、ユズリの金色の目に涙が浮かぶ。
「お願いしますっ! それさえ叶えば、わたし、あなた達について行きますから!」
 ユズリは朝霧の霊素で構成された服を掴み、何度も揺する。それを鬼羅の二人は黙って見ていた。
 やがてユシュは活動限界を迎え、憑装が解かれる。すると霊素の少なくなったユズリの手は服ごと朝霧をすり抜け、もう触れることすらできなくなった。朝霧は核を持たない霊素体、半憑装のユズリでは霊素の量が足りず、触れない。
 少女はそのまま地面に崩れ、泣きだした。
「……わりぃな」
 朝霧は痛々しげにユズリを見つめた。
「お前らは会ってはならない存在なんだよ。お前も、あいつも、それをわかってねぇ。なのにお互い探し回るから、けっこう苦労したんだぜ? 妨害するの」
「妨害……?」
「ああ。お前が鬼羅の下っ端から聞き出していた目撃情報な……あれ、俺のだから。例の事件に巻き込まれた奴ってことと、見た目の特徴しか伝えなかっただろ? だから鬼羅の人間は勘違いして俺の居場所を吐いていたってわけだ」
 どうりで見つからないはずだ。今まで、まるで見当違いの情報を当てにしていたのだ。罠である可能性だって考えなかったわけではないが……恩人であり憧れの人物の兄でもある朝霧にずっと邪魔をされていた。
 ユズリは絶望感に襲われ、ただ泣き、震えている。
「どう、して……なんで、そんなこと……」
「恨んだって構わねぇよ。昔に俺が助けたことなんか忘れて憎んでも良い。こっちも生半可な覚悟で鬼羅にいるわけじゃねぇんだ」
 朝霧は触れない手で、ユズリの頭に手をやった。
こんなにも傷ついている少女の頭を撫でてやることすらできない。霊素体ってやつは不便なものだと朝霧は思う。
 向こう側が透ける自分の体を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
「待たせたな、性悪クソ太郎」
「……ふん」
 白竜人は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「さ、行くぞ、ユズリ」
 朝霧が歩き出し、白竜人が立ちつくすユズリの腕に手を伸ばした。
「その子に汚い手で触るなクソ太郎ォーーーーッ!」
 倒壊した建物の角を曲がり、全力疾走してくる何者かがいた。それは朝霧そっくりの姿で、しかし透けてはいなかった。彼は朝霧をチラリと見て微笑み、その真横を駆け抜けて白竜人に全身全霊で体当たりする。
 人の身ではユズリを掴もうとする腕を少し動かすのが限界で、はね返った青年は転倒した。
「なんだコレは。久遠寺の身内か?」
 白竜人は見下すような目つきで一瞥した後、爪を振りかぶった。
「なんであれ不愉快だ……死ねッ!」
「ことわる!」
 白い鱗に覆われた腕が振り上げられた瞬間に、青年は握っていた大量のコショウを敵の目に投げつけた。
「――あれ?」
「……バカにしているのか」
 敵はくしゃみもしなければ目を傷めることもなかった。
「あっはは。いやぁ、憑装って便利だなぁ」
「……ザコが、うっとうしい!」
 振り下ろされる腕。その関節に青年は蹴りを入れて勢いを弱め、ゴロゴロと自ら転がって窮地を脱する。目標の居なくなった爪は弱められてもなお勢いを余らせ、アスファルトを薄く突き刺した。
 青年はその隙を見逃さず、ユズリをつれて白竜人から離れる。
「大丈夫?」
 ユズリは軽い放心状態にあった。その心を温かく包みこむ優しい口調、柔らかな微笑み。あの時と変わらない、どんな危機にあっても安心させてくれる存在。
 間違いない。間違えようもない。この人物こそ、ユズリがずっと探し続けていた――。
「……やっと、会えた……」
 ポロポロと涙が零れる。今度は哀しみでも絶望でも恐怖でもない、嬉しさからくる澄みきった綺麗な涙だ。
「ああ、やっと会えたね。ごめんな、遅くなって。世界中を探したんだけど……うん、約束を守れてよかったよ」
「うん……」
「君も覚えていてくれたんだ」
「うん……っ」
 泣きながら少女は、花が咲いたように笑った。
「わたしね、会って……お話したかったの。ずっと……言いたいことがいっぱいあって、それで、えっと……」
 噴き出てくる色々な感情をごちゃまぜにした顔で、頭が真っ白になって上手く話せない。
 一方青年はそんな少女の頭をポンポン撫でながら、白竜人を睨みつけていた。その迫力に圧されてか、あるいは青年が所持している圧倒的な力を感じ取って警戒しているのか、手を出し来る気配はない。
「落ち着いて。まずは……そう、自己紹介をしよう。俺は久遠寺夕凪。君は?」
「ユズリ。千石ユズリ……です」
 ユズリは顔を赤らめ、嬉しさ全開で返事をした。彼女にとってはこの再会こそが人生の全てであり、今置かれている危機的な状況などはとっくに頭の外に飛び出していた。
「ユズリちゃん、か。名前、ずっと聞きたかったんだ」
「わたしも……!」
 ユズリは夕凪の腕に抱きついた。一緒に居て安心できる……そして、それだけで幸福すら味わえた。
さて、すっかり緊張の解けたユズリだが、夕凪の方はそうもいかない。
「んで……朝霧、久しぶり」
「ああ。大きくなったじゃねぇか、夕凪」
 瓜二つの青年同士が向かい合う。
「透けたじゃないか、朝霧」
「ハッ、言ってくれる。お前らを守った結果だろうが。しかし……思った以上に驚かなくて兄さんはつまんねぇぞ」
 そう言われると、夕凪は口の端を上げて答えた。
「わかってたからな、全部。ただの推測だったけど」
「へぇ、お前が?」
 朝霧は白い歯を剥き出しにして、本当に楽しそうに笑う。
「だってたまに鬼羅から裏切り者とか言われるんだぞ? 最初は身に覚えがなくて失礼だなと思ったけどあまりに言われるから、次は似てる奴がいるのかな、その次はどんだけ似てるんだよ、となって最終的に朝霧がいるとすれば筋が通るんじゃないか――という考えに至ったわけだ。どうよ?」
「あんな死に際を目にしてもか?」
「まあ、俺の兄貴だからな。しぶといだろ」
 そうして、夕凪は朝霧をマジマジと見る。
「しっかし初めて見たな、人間の霊素体。他の哺乳類だって珍しいのに」
「だろ? たぶん世界で俺一人だ。すげぇだろ」
 フフン、と朝霧は偉そうにする。だが、急に目をギラつかせ、口元を引き締めた。
「さってと、懐かしむのはここまでだ。ユズリを渡してもらおうか、夕凪」
 夕凪とユズリの顔つきも変わる。
「彼女が望むなら、それもいいだろうさ。だけどこの様子を見る限り……」
 ユズリは夕凪の腕をがっしり掴み、フルフルと首を振った。
「却下だな。ユズリちゃんは渡さない」
「だったら力づくでも奪い取るまでだ。覚悟はいいか?」
 朝霧が構える。白竜人も心強い味方がいるせいか、じりじりと体勢を整え、機を狙うように夕凪たちを鋭い視線で刺す。
『任せてくれ、夕凪。人間の霊素体だろうと白竜の憑装者だろうと、僕の敵じゃない』
 アグマが口を挟む。
「ああ、そうだな」
 ぶっきらぼうに頷き、
「時間がないんだろ? 早く来いよ」
 夕凪は動じる様子もなく、胸を張って言った。朝霧は目を丸くする。
「……なるほど、全てお見通しってわけか」
 そこへ天高くより、銀の刃が飛来する。ここに来るまでいくつの敵をなぎ倒してきたのか、自らと相手からの返り血で顔も服も、刀まで真っ赤だ。
「あ、朝兄……?」
「その呼び方と身長……粋か? なんか、あんまり変わってねぇな」
 さすがは天馬の刃、粋の理解は速い。朝霧が霊素体であることを一瞬で見抜き、ユズリや白竜人の存在を確認、状況を瞬時に把握する。
「なんで二人が向かい合って構えてんのさ! なんでそっち側にいるんだよ、朝兄!」
 双子は何も答えない。代わりに夕凪がコインを天に向けて弾いた。美しい放物線を描いて、回転したコインが落ちていく。
 着地した時が合図だ。
 チリン、と道路とぶつかるなり、夕凪、朝霧が動き出す。両者お互いに向かって一直線に駆ける。今まさに二人が交差しようという時に夕凪は携帯電話を取り出し、
「憑装!」
 それを真上に放り投げた。
辺りが激しい光に包まれる。粋もユズリも白竜人も手で影を作ったが、それだけではよく見えない。ただ辛うじて見えるのは、垂直に跳び上がって拳を頭上に突き上げる青年の姿。
光から離れたユズリの胸元で、ユシュは鋭く息を呑みこんだ。
「なにを……?」
 アグマの驚いた声が聞こえる。
「悪いな、アグマ。先に裏切って」
 とてつもなく強い霊素の波動が感じられる。
 光が少し弱まった。そこにあったのは、空中に拳を繰り出す夕凪と、それを受け止める流体のような神々しい光だけだ。あるはずの朝霧の姿がない。
「なぜ僕ではなく、朝霧と憑装した……いや、それよりも……夕凪、なぜ僕に拳を向ける」
「白々しいな。言っただろ、全部わかってる。お前の狙いも、鬼羅の狙いも何もかも。ユズリちゃんは誰にも渡さない!」
 粋もユズリも全く話についていけない。それは白竜の憑装者も同じだった。
 しかしアグマは理解したようで、やがてくっくと笑いだした。
「――そうか。どうやら僕は君を侮っていたらしい。夕凪、意外と賢いじゃないか」
「そりゃどうも。神に褒められるなんて光栄だな」
 光と夕凪は分かれ、距離を取った。形を持たない流体の光、その色が……夕凪がアグマと憑装した際の瞳の色なのだと、ようやく粋は気づいた。おそらく、あれが神を自称するアグマの正体。
 彼らの会話は尚も続く。放たれる二つの波動が、他者の介入を許さない。聖霊騎士団の若きエースである天馬の刃も、鬼羅のエース白竜の憑装者も、ユズリも圧倒されて動けない。
「なぜ気づいた?」
「そんなのお前……神がわざわざ俺と一緒に居る理由ってなんだろな、と考えた結果だよ。俺が頼まなければ誰かを助けることもない、だから正義心で動いているわけじゃない。お前にはお前の明確な目的があるなんて、俺でもわかるさ」
 夕凪は思考回路が独特であり、少し抜けているだけで何も考えていないわけではない。
「ふむ……その目的とは?」
「大体三つだな。一つ目は力の安定。俺から霊素を吸収することで、使い果たした力を少しずつ取り戻すためだ。これはまあ……出会った時に言われた事だな。だけどこれだけならアグマに頼む仕事と釣り合わない。取り戻したいだけなら、力を使う憑装なんて頻繁に協力してくれないだろ?」
 夕凪は拳をグッと握った。会話が終われば、また戦いが始まる。その時にどれだけ動けるのか、試しているのだ。
「お前は核を持たないし、持てない。だから物理に干渉するための器が欲しかった……それが二つ目。そして三つ目は……ユズリちゃんを見つけるためだ」
 夕凪は心配そうに成り行きを見守っているユズリを見て微笑む。アグマは形がなく、反応は窺えないが、どうやら心の底から感心しているらしい。夕凪が語る答えに歓喜すらしているようだ。
「俺が彼女を探し、彼女が俺を探す。だから俺と一緒にいれば、彼女と会える。シンプルなんて言葉が好きなアグマらしい、簡単な図式だ」
「なるほどなるほど。やはり君は面白いよ、夕凪。では、なぜ僕がその子を探さなければならないのかも、答えられるかな?」
 夕凪は一呼吸分だけ口を閉ざした。
「……父さんの遺品に研究資料があったからな、予測はできる。だけどここでは言えない」
「そうか。君の口から答えを聞けないのは残念だよ。しかし全てを知っていたとなると……君を利用するはずなのに、逆に僕が戦力として利用されていた。騙すはずが騙されていた。そういうことになるか」
 よほど嬉しいのか、アグマは饒舌に話し続けている。
「思慮深く大胆……本当の君に初めて会った気分だ。もっと、いつまでも話していたくなる」
「そうだな。でも、そうもいかないんだろ?」
「ああ。元より僕らの道は別々だ。計画がここまで狂ってしまったなら、練り直すか、あるいは……圧倒的な力で全てをねじ伏せるしかない」
 山吹色の光がアグマを照らし、大地が振動する。夕凪以外の面々は、その事象よりもアグマから発せられる気に圧され、体がガクガクと震えてしまう。
「……まるで反応なし、か。今すぐやり合うのは簡単だけれど、これほどまでの敗北感に襲われてはさすがに動揺もある。ここは退いておこう」
 アグマは天より差す光に導かれ、消えて行った。まもなく、白竜の憑装者も足を震わせながら、
「久遠寺、君の裏切りは組織に報告しておく。せいぜい後悔するがいい」
 と虚勢を張って帰って行った。
「夕兄、朝兄!」
 粋が駆けてくる。足をやられているのか、やや不自然な動きだ。ユズリは夕凪の服をぎゅっと掴み、安堵の表情。
「夕兄か、なんか久しぶりにそう呼ばれた気がするな」
 夕凪が言うと、粋は口を尖らせた。
「しょうがないでしょ。『久遠寺さん』が二人になったんだから」
 表面上は不機嫌そうで面倒そうだ。しかし笑みを隠し切れていないあたり、よほど嬉しいのだろう。失ったはずの兄のような二人が、戻ってきて目の前に居るのだ。もちろん夕凪は粋以上の笑顔だ。が、この場に不機嫌な者がただ一人――。
「夕凪、解くぞ」
 崩れ落ちるように朝霧が夕凪の体から剥がれ落ち、喘ぎながら地面に転がる。
「おう、おつかれ朝霧」
 爽やかな顔で労う夕凪を、朝霧は全力で睨みつけた。
「な、なんだよ」
「夕凪。一発、殴らせろ」
 なんで――そう尋ねる暇もなく、強烈な拳が激しい音を鳴らして夕凪の頬を打ち抜いた。顔が弾けるように横を向き、体が飛んで地面を転がった。
 またしても粋たちには事情がわからない。
「いってて。なにすんだよ朝霧」
「俺は……俺は!」
 夕凪は地面に座り、頬を押さえている。それを見下ろす朝霧は、全身で凄まじい憤りを表していた。上下する肩、握られて震える拳、噛み合わさって擦られる歯、釣り上がった目と眉、荒い息。親の仇でも見るような、あるいはそれ以上の怒りに見える。
 そして怒鳴り声を上げた。
「そんな生き方をして欲しくて、自分の命と引き換えにお前を助けたわけじゃないッ!」
 耳を突きさすような怒声だ。
「朝兄、ちょっと落ち着いて。一体どういうことなのさ」
 止めようとして、粋の手は朝霧の体を通り抜けた。朝霧は霊素体なのだから当り前だ。憑装でもしていなければ触れない。ユシュと常時、半分憑装しているようなユズリですら朝霧には触れなかったのだ。
 粋に閃きが走った。
 ――ならば、なぜ朝霧は夕凪を殴ることができたのか。
「粋、教えてやるよ。千石ユズリが狙われる理由、鬼羅の本当の目的、それから……このバカの現状を」
 朝霧はよほどそれが気に入らないらしく、憎々しげに吐き捨てた。
「待ってくれ、朝霧。それは……」
 ひっついて離れない少女を見て、夕凪が懇願する。だが朝霧の怒りは収まらず、それどころか事態は夕凪の望まぬ方向へと進んでしまう。
「……あの、わたしも知りたいです。夕凪さんのこと」
「――だとさ、バカ野郎」
 ユズリにはとことん弱いらしく、夕凪は迷い、迷い、さらに迷ってそのまま沈黙した。
「んじゃ聖霊騎士団本部に行こうか。この辺りなら監視カメラに撮られているだろうから、向こうにも報告しないといけないからね」
 体が透けた青年、彼にそっくりな青年、それに抱きついた少女を引き連れて、粋は真藤コーポレーションの地下へと向かった。

 本部に着く頃には他での戦闘も収束したようで、負傷者の手当てが行われていること以外は落ち着いていた。彼らの到着を今か今かと待っていた本部長の真藤は一同を自ら空室へと案内した。いつかの会議室だ。そこには既に瑞音の姿があり、竹中と吉田もいた。
「あれ、お前らなんでここに?」
「ご無事でなによりッス、夕凪さん。実は志桜さんが危ないからと本部に連れて来てくれたんスよ!」
「……まあ、偶然夕兄の知り合いの一般人を拾ったって体で。身の安全を保障すんでしょ?」
 こそっと粋が説明する。
「前に見かけた時は遠くからで雰囲気しか覚えていないが、本当に夕凪とそっくりだな」
 吉田は朝霧を指差して驚いていた。瑞音は席に座り、行儀よく待機している。
 みんなが席に着く間、粋は自分が知っている範囲のことを本部長と瑞音に報告した。
「アグマくんの裏切り、人間の霊素体、それに千石ユズリ……もうわけがわからん……」
「僕も自分で説明していてわからない……」
 話を聞いた本部長と、ついでに粋も頭を抱えた。
「それで、その千石ユズリはどこに?」
「普通に夕に……久遠寺さんの隣に座ってるでしょ。緑色の髪の」
 粋の目にはキャッキャとはしゃいで、頭を撫でられている少女の姿が見える。しかし真藤はその存在を認識することができなかった。本部長だけではない、竹中と吉田も夕凪が何を撫でているのかわからないでいた。必然的にちょっと心配そうな目になっている。
「無理だ。ユズリは霊素体の中でも最高位に近いものと常時半憑装をしている。その状態では霊素の量はともかく、一般人が認識するには濃度が高すぎる。常人を遥かに凌ぐ精神力でも持っているのなら話は別だがな」
 朝霧は粋を見、ユズリにお姉さんぶって話し掛ける瑞音を見た。
「どういう意味だ?」
「簡単に言うと、霊素体は生物が進化した存在だ。古来より生物が知能や理性という魂を洗練させてきた――つまり霊素を高めてきた結果のな。自らよりも上位の存在は、認識することすら難しい、ただそれだけの話だ」
 進化……そう考える学者は少なくないが、はっきりと言う者はいなかった。一説として唱えるくらいが精々で、確証などはないのだ。しかし朝霧は常識のように言いきった。それは無知ゆえか、あるいは他者が知り得ぬ何かを知ってのことか。
「でも真藤さん、朝兄は見えるんだよね。それって朝兄があの子より格下ってこと?」
 プッと笑って小馬鹿にしたように煽る。
「ユシュは特殊な霊素体だからな、否定はしねぇよ。だが俺の場合は姿を消しても不便な上に濃度を高く保つと疲労がヤバイ。だから薄めているだけで、そちらの本部長とやらの認識から外れるくらいは余裕だ」
「それはユズリくんには難しいことなのか?」
 認識できないと不便だ。それ以上に、この場には見える者も多く、彼らが何もない空中を可愛がっている様が奇妙というか気持ち悪い。
「まだ調節は無理じゃねぇかな。つってもそろそろ認識できるようになると思うぜ。あのバカが撫で回しているところを見てみな」
 本部長が目を凝らす。初めは何も見えなかったが、徐々に、薄らと何かが浮かび上がってくるような……。
「朝霧くん、これは……」
「今までのアイツは生き抜くことしか考えていなかったせいで、周りを見る余裕なんてなかった。だから生存への想いが強過ぎて、霊素が必要以上に溢れていたってわけだ。ところが夕凪と再会したことで生への執着だけでなく、幸福感なんかが生まれてきた。結果、突っ走った強い感情が抑えられて霊素が薄まり、一般人にも見えるようになった」
 朝霧の言葉には一つ一つ確かな理由がつけられている。それは朝霧が博識であることを示しており、頼もしさを醸し出している。
「そんで、これからそのユズリの正体を話すわけだが……その前に少し、創世の神話でも聞いてもらうとすっか。神話っつってもそんなに長くねぇから、黙って聞いてろよ」
 雑談していた一同は、口を閉ざして席に着く。
 朝霧の口から語られたのは、なんともスケールの大きな話だった。

 アグマがどうして生まれたのか、それはわからない。生物が自身の誕生を知らないように、神も自らを生んだ、自分よりも上位の存在については知り得ないらしい。
彼には何もなかった。存在し続けたいという思い以外には何も。そうして過ごしている間に神はあることに気づく。それは、神の霊素は膨大でありながら、少しずつ消費していっているという事実。神は、存在し続けるための霊素を自分で生み出すことができなかった。
そこでアグマは考えた。生み出せないならば他から摂取するしかない。しかし周りに都合の良い食料のようなものはなかった。だからアグマは所有していた霊素のほぼ全てを消費してでも、遥かなる未来を見据えてシステムを生み出した。
霊素を生み出し、それを神が喰える形に加工してくれるシステム。
それこそがこの世界だった。生物が生まれて意志という名の霊素が生まれる。それが死ぬことでようやく神は霊素を得られる。いわば世界は神の牧場だ。
「世界が牧場、生物が家畜とするならば、足りないものがある。牧場と言っても、生物が育つためならば放っておいても良い、繁殖も勝手に行ってくれる。だが、加工してアグマに届ける存在はどうしても必要だ。それが――ユズリが所有する霊素体、ユシュの役割」
 朝霧はユズリの胸元を指差した。
「元々多弁じゃないみたいだが、アグマに会ってからは一言も話してねぇだろ、お前。よっぽど怖いらしいな。アイツに命を狙われるのが」
 ユシュは黙ったまま、何も言わない。
「ちょっと待ってよ」
 かわりに粋が手を挙げる。
「なんだ?」
「そんな大事なシステムを、どうして作った本人が狙うのさ」
 周りもうんうん、と頷く。
「それは……生物たちが予想以上の進化を遂げ始めたからだ。さっき言った通り、アグマは生物が死んだ時に、その分の霊素を吸収できる。だから困るんだよ、生物が死を迎えた後で霊素を保っていられたら。今の世界がそんな生物が増やしているのなら、もう一つ世界を作る余裕のないアグマは、リセットするしかない。そのためにでき得る限りの霊素を回収しようって魂胆だ。この世界の全ての生物を滅ぼし、かつて霊素を分け与えて生み出したユシュを取りこんで自分の力を回復させる。それがアグマの狙いだ」
 朝霧は一呼吸置き、付け足す。
「ユシュの回収システム自体なら流用してもいいんだろうが、今のアイツに世界を滅ぼす力は残っていない。それに、人間に懐いちまってるみたいだ。だから最初に狙われている」
 ここまでが、世界の成り立ちとアグマの目的の話だった。
 会議室内に暗い顔が立ち並ぶ。みんなは理解しているのだ。アグマの目的に対して反発心はもちろんあるが、それがシンプルな生存本能であることを。抵抗は確かにあるが、非難はできない。
 まるで葬式のような空気が漂っているというのに、朝霧は何も気にせず話を進める。
「さて、次は鬼羅の目的についてだ。アイツらの目的はまず、神とユシュ、世界のリンクを切り離すこと。当初は神と世界には何の繋がりもなかったそうだが、霊素体が生まれ出したあたりでアグマは世界とのリンクを作った。まあ、早い話が人質みたいなもんだ。『俺はお前らを殺すつもりだ。だがお前らが抵抗して俺を殺すなら世界も滅びるぞ』ってな感じだな」
 世界もユシュも元々は神の霊素で生まれたものだ。命運を連動させるくらいは造作もない。
「で、切り離した後に神を討ち、世界に平穏を取り戻す」
 そう聞いていると、まるで鬼羅が正義の組織みたいだ。が、当然そんなことはない。
「――までなら良いんだけどな。英雄の名誉とユシュの力を手に入れたら次は何をしでかすかわからん連中だ。ハッキリ言えばクズの集まりだな。途中まで加担しておいて、リンクを断ち切ったあたりでぶっ潰そうと思ったんだが、リンクを切るための研究も難航している。どうすっかなと思っていたら夕凪と会っちまったってわけだ」
 聖霊騎士団の本部長、天馬の刃、紫電の魔槍は、自分達が相手にしていた組織がやはり敵対すべきものであって安堵した。
「もう少し鬼羅の研究を様子見するつもりだったんだが、夕凪は俺が今言ったことを大体わかった上でユズリと再会したみたいだからな。それをキッカケに見切りをつけて現在に至る」
 二つの敵の狙いとユシュの正体、それらが明るみに出て、聖霊騎士団としては大量の収穫があった。ゆえに本部長は上機嫌で意欲的だ。熱心に聞き、手を挙げる。
「大体なんとなく、わかったかもしれない」
 だが弱気だった。
「では、ユズリくんは何者なんだ?」
「ただの子供だったよ。ユシュは神より先にヒトの手に落ち、鬼羅とは違って高い志を持った機関『千石研究所』にて研究対象となった。そこで受けた様々な実験で本体が瀕死レベルまで衰弱したらしく、存在維持のために何か触媒に憑装させることにした。ただ適合者がなかなか見つからず、最終的に選ばれたのが所長の娘、千石ユズリってだけだ。まあ、所長はかなり渋ったみたいだけどな」
 親の話を聞いても、ユズリはピンとこない様子だ。親との思い出は何もない、それほど小さい頃の話であり、過ごしてきた過酷な時間も忘却に手を貸した。
「今の話は、当時千石研究所にいた現鬼羅の研究員から聞いた話と、研究所の残骸とか実家にある資料を漁ってまとめたものだ。このほぼ全ての真実はユシュ、お前が生き証人のはずだがどうだ? 間違っているところがあるか?」
 夕凪の「おい、あれから家に帰って来たことあるのかよ! 声くらい掛けていけよチクショウ!」という言葉は、ユズリ以外には無視された。小さな手が夕凪の頭を撫で、青年の目には涙が光る。
 ずっと黙っていたユシュは、ようやく言葉を発した。
『……大体あってる。でも少し違う。私はヒトの手に落ちたわけじゃなくて、自分から望んで研究と実験の対象になった』
「そうなのか?」
『……べつにどうでも良いこと。だけどあなた達に、強制的に実験されて衰弱したと思われたら、きっとあの人達が浮かばれないから……』
 それだけ言うと、またユシュは口を閉ざした。
 一連の話を聞いた反応は様々だった。竹中と吉田、本部長は脳みそがオーバーヒートし、ぷすぷすと煙を上げている。粋と瑞音は冷静に脳内で情報を処理し、ユズリは話を聞いていたんだか聞いていなかったんだか、けろっとしている。
 そして夕凪は……。
「てのが、この世界の真実だ。どこまで知っていた?」
 朝霧が問う。
「だから、全部だってば」
 夕凪は当然だという風に答えた。
「……父さんの資料だけじゃ、ここまでわからねぇだろ」
「アグマと一緒に過ごした経験があったし、知っていたっていうよりは、ほとんど推論だったけどな」
 夕凪は鬼羅の目的すらも推測し、当てていた。敵の組織に属してまでコツコツと確かなものを積み上げていく朝霧とは対極で、夕凪は直感に頼り切っていた。それで同じ結論に至ったのだから、朝霧としては驚きである。
「やるな、と言いたいところだが、お前を見直すことはできねぇよ」
 きょとんとする夕凪を放置し、朝霧は手を叩いて注目を集めた。頭がパンクしていた三人、会話して情報をまとめていたエース達、夕凪の隣でおとなしく座っているユズリが朝霧を見つめる。
「世界がどうのこうのからは外れるが、夕凪の現状についても話しておこうと思う」
 夕凪は咳き込んだ後、抗議する。
「朝霧、そういうのやめようぜ。誰も得しないだろ、そんな話を聞いたって」
「世の中は損得だけで動いてるわけじゃねぇ。黙ってろ」
 朝霧は一喝し、みんなに問う。
「とはいえ、コイツが言うことも一理ある。つーわけで、話は以上だがコイツの身が心配な奴だけ、ここに残ってくれ」
「その言い方は卑怯だ! そんなこと言われたら出て行きにくいだろ!」
 よほど知られたくないらしく、夕凪にしては珍しく子供っぽくぐずる。
「うるせぇ、黙ってろ!」
 ついに誰も退室しなかった。慕っている粋とユズリ、救われた竹中と吉田、世話焼きの瑞音と一応雇っている身の真藤。夕凪の身に何かが起こっていると聞かされ、彼らが出ていくはずがない。
「――これがみんなの答えだ。夕凪、お前の体はお前だけのものだが、だからって誰にも心配されないと思うなよ。大体、共に戦う以上は把握しておくべきことだ」
 夕凪は眉を寄せ、唇を噛み締めた。シュンと静まり、ちょっと泣きそうにも見える。そんな同情を誘ったところで、朝霧が口を閉ざすわけもなかった。
「俺は核を持たない。だから常時半分憑装している状態のユズリにも触れない、完全に憑装すれば別だが。それは霊素の濃度ではなく、体を構成する霊素と物質の割合に関係しているからだ。どれだけ濃度が高くても、ユズリの体は平常時で物質が七割近く占めている。霊素は密度こそ高いものの三割程度しかない。霊素十割、物質要素がない俺に触れるには、体の半分くらいが霊素で出来ていなければならない。当然、普通の人間には干渉できない。だが……」
 朝霧は親が子を叱るように夕凪の頭を殴った。
「このバカには触れる。つまり夕凪は普通の人間じゃねぇってことだ。十割の純粋な霊素にも触れることができ、また物質にも干渉できる。要するにコイツは体が半分霊素、半分物質でできている……半霊素体だ」
 聖霊騎士団の面々も初めて聞く単語だ。粋は首を傾げる。
「でも、それの何が問題なのさ。それって常に憑装しているようなもんでしょ?」
 粋の言う通り、憑装者の肉体と半霊素体は霊素と物質の割合が同じだ。ついでに言えば核を持った霊素体ともほぼ一致する。一見すると便利なだけで、特に問題は見受けられない。
「そうだな。しかしそうなる過程が問題で、現状が最悪だ」
「どういうこと?」
 みんなが興味を示す中で、夕凪は居心地が悪そうにもじもじしている。まだ同情を誘うつもりらしい。
「コイツはおそらく一度死んでいる。核をもった竜の霊素体に心臓を貫かれてな」
 ユズリは大きく目を見開いた。朝霧は暗に研究所での惨劇を示している。夕凪はユズリを逃がした後に死んだ、それくらいは彼女にも察することができた。衝撃を受けた顔で夕凪を見上げると、相変わらずの優しい笑みが返ってくる。しかし否定の言葉はなかった。
「その死に際、心臓を霊素製の器官に取り換えている。それは強い生存意欲によってのみ動かすことが可能で、生きたいと強く願い続けなければ徐々に機能を失って、そう長くないうちに死ぬ……まあ、それだけなら霊素体と変わらないんだがな」
 粋と瑞音は頷く。彼らは霊素についての見識も深く、この中には既知の情報も多い。
「反応を見るに一部の者は知っているんだろうが、霊素は意志や意味を持つことで、物理でいう万有引力みたいなものが発生し、形を構成したり維持することができる。だから霊素体は無意識にでも強く思い続けなければ生きていけない」
 存在理由がなくなった霊素体は消滅する、まるで成仏のように。
 だが、それだけならば朝霧も同じ状況のはずだ。ここまで怒る理由にはならない。その先を考えたところで、粋はある可能性を思いついて顔が固まった。
 朝霧の顔が曇る。
「……俺はいい。死んで霊素体になった、今は気楽な体だ。だが半霊素体の夕凪は死に際を半永久的に引き延ばしているに過ぎない。このバカは、ずっと死の痛みを味わい続けているんだよッ!」
 全員の顔に衝撃が走り、一斉に夕凪を見る。
「俺は夕凪と憑装して、感覚を共有した。死んだ経験がある俺でも数分が限界の苦痛だった。そんな苦痛の中でも、生きたいと願い続けなければ存在を保つことができない。そんなものは地獄だろ、夕凪……」
 夕凪を半霊素体にしたのは状況から察するにアグマだろう。人間には為し得ない業だ。朝霧が助けなければ夕凪の死はもう少し早かったはずで、そうすればアグマは間に合わず、夕凪が地獄の苦痛を受け続けることもなかった。
 今や朝霧の胸には後悔しかない。もう怒る気力は残っていなかった。
「……慣れるまでに、どれくらいかかった?」
「……まだ慣れてないし、きっと慣れることはない。今でも夜とかに眠ると気が抜けて、耐えられなくなる。まともに動けるようになるだけでも四年かかった」
 夕凪は諦めたように呟いた。答えたくはないが、黙っているわけにもいかない。
 しかし勢いに圧されず、弱音は吐かなかった。まっすぐな瞳で朝霧を見つめる。
「だけどな、自分が不幸だなんて思っていない。俺がここに居ることが、その証明だよ。生きたいと想い続けなければ、生きていけないんだ」
 今も痛むだろうに、それでも皆の前では顔色一つ変えない。
「……助けてくれたお前も、この体にしたアグマのことも、俺は恨んでない。むしろ感謝しているんだ。ありがとう、朝霧。あのとき守ってくれて」
 朝霧が言葉を詰まらせる。そんなことを言われたら、もう責めることなんてできない。
「お前はそれで……幸せなのか?」
「ああ。この子を人間のままで迎えてあげられた。温かい手で撫でてやれる、温かい胸で抱きしめてやれる。約束を果たせたんだ、幸せだよ」
 迷いなく言い、またユズリを撫でた。少女は戸惑いながらも、やはり嬉しさを隠せない。
「――ほんとアホだなお前は。兄さん呆れんぞバカ野郎」
 朝霧は大きな溜息を吐いた。抱えていた重い荷物を下ろしたように疲れを表し、しかしどこか晴れ晴れした顔だ。
「ちょっと待った、朝霧」
 退室しようとする朝霧を、夕凪が呼びとめた。
「これだけ集まってるんだ。せっかくだからパーティしようぜ!」
 朝霧は口をポカンと開ける。どうせこの泥水みたいに重く濁った空気を払拭したい、そして何より自分が楽しみたいのだろう。
――ほんと、呆れた奴だ。
朝霧は顔を緩めた。

 夕凪発案のパーティは結局、翌々日に持ち越されることになった。新たに仕入れた情報が多すぎるため、聖霊騎士団の仕事が忙しくなったのだ。本部長、粋、瑞音が駆け回り、情報や指示を拡散する。一日で落ち着かせるつもりらしいが、どうなることやら。
竹中と吉田は、本部の一室を借りて宴会の準備を始めた。他にやることがない。
朝霧は研究員たちのところを訪れ、研究の手伝いを買って出た。夕凪と違って直感を当てにしない朝霧は研究者気質で、豊富な知識とキレる頭脳は大きな戦力となるだろう。それこそ聖霊騎士団の霊素学界に産業革命くらいの衝撃は起こせそうだ。
一方、夕凪はというと各方面へ謝罪して回っていた。先の独断専行で、多大な迷惑をかけてしまった。ついでにピタッとくっついて来るユズリをみんなに紹介した。聖霊騎士団のみんなは寛容で、怒る者は誰もいない。彼女も温かく迎えられた。
 ただ、ユズリに関して言えば全てが順調なわけではない。
「……問題だね」
「問題ですね」
 挨拶して回る夕凪たちを見て、瑞音と沢峰が頷き合う。笹巻はやれやれ、と溜息を吐いた。
「人見知りくらいは仕方ないだろう。彼女は一人で育ってきたという話だし。現状、久遠寺兄弟以外に懐かないからといって、そう焦ることは……」
「私達が話しかけると逃げ出すことも大問題ですが!」
「違うよ笹巻さん!」
 最後まで言わせずに食ってかかる。昨日お姉さんぶって話しかけた瑞音は、見事に怖がられ拒絶されたと笹巻は聞いていた。今も団員を相手に夕凪を盾にしている状態だから、てっきりその話かと思ったのだが。
「なにが問題だと言うんだ?」
「まずね、あの子は可愛すぎるんだよ!」
「そうですよ。それなのに可愛がれないなんて……こんな理不尽がありますか!」
 瑞音はいつもとあまり変わらないが、沢峰は興奮して人格が不安定になっている。
「同じことじゃないか」
「あたし達的にはちょっと違うの!」
 よくわからなかったが、面倒なので笹巻はとりあえず理解したことにしておいた。
「で、それはさておき、問題はあの服装だよ」
 さて置かれた。どうでもいい、ただの愚痴だったようだ。
 服装と言われ、とことこと歩いている少女を見た。ボロボロのフード付きローブ、ただそれだけ。確かにあれは現代社会で子供がする服装ではない。
「もっとお洒落したら最強なのにもったいないよ!」
「まったくです。こんな理不尽がありますか!」
「論点はそこか……お前たち、少し落ち着け」
 ――話しかけなければ良かった。今更ながらそう思う。
「これが落ち着いていられる状況ですか! こうしてはいられません。早くユズリちゃんに似合う服を買って来なければ……」
「いや、あたしがショッピングに連れて行くよ。それで服以外にも、一緒にお買いものとかするんだ」
「なっ……ずるいですよ、そんな!」
 ギャイギャイとかしましい。周りを見ると、この二人以外にもユズリの話題で盛り上がっている女性たちが多数いた。
「楽しそうだな。なんの話をしているんだ?」
 回り終えたのか、夕凪が近づいてくる。もちろん話題のユズリも一緒で、半分隠れながらもペコリとお辞儀する姿に、瑞音と沢峰は悶絶していた。
「その子の服装について、少しな。そのままではマズイだろう?」
「ああ。それなら竹中の妹が同い年くらいだからって、少し分けてもらうことになったぞ。今は入院しているから、そんなに数は要らないって。妹さんも了承済みで、今度お礼を言いに行かせないと……どうかした?」
 錯乱した女性陣は、激情を露にしている。
「どうしてお下がりなんですかッ! あたしがッ、あたしが買ってあげるのに! バーカ、久遠寺さんのバーカッ!」
「そうです、最低ですよ! 久遠寺さんの『く』はクズの『く』なんですか?」
「……なんか遠慮がなくなってきてるな、最近」
 非難の集中砲火に、もう一つ声が混ざる。
「ホントホント、女心のわからない男って最低よねー。死んでほしいわ。死んで楽になればいいのに!」
 無理して捻りだした高音、いわゆるオカマ声だ。それを発した人物は、体が透けていた。
「ASAR‐GIRI! やめなさい、その気持ち悪い声と口調は。あとどさくさ紛れに人の身を案じながら破滅を願わないで。返しに困るから!」
 朝霧は通りがかりだったらしく、舌をペロッと出して去って行った。それを呆れ顔で見送った夕凪は、透けた背中に手を振っているユズリに聞こえないよう、声を潜めて瑞音と沢峰に耳打ちする。
「それをキッカケに同年代の友達を作って欲しいんだよ。……まあ、一緒に出歩けるくらい仲良くなったら、その時は買ってあげてくれ」
 二人は「くっ……!」と言った後に、口をパクパクさせる。抗議の言葉が見つからないらしい。とどめが――。
「あの……夕凪さんをいじめないでください」
 この少女の一言だ。震えながら夕凪を庇うように立ち、一生懸命に両手を広げている。
「ち、違うんだよユズリちゃん。いじめているだとか、そんなことは全然なくて……」
「ええ、これはコミュニケーションの一種で……」
 瑞音と沢峰は苦しい言い訳をしながら、そそくさと退散した。

「朝霧、お前しばらく何も食べてないだろ。憑装して飯を食えば、味覚も共有できるし……」
「断る。俺達が憑装すると両者にとって負担だ。そんなしょうもない理由でお前の死亡地獄を共有したくねぇよ。一人で苦しんでろ」
「しょうもなくないって。俺達にとって生きる活力こそエネルギー。みんなで楽しむこと以上の栄養はないだろ?」
 パーティが始まる数時間前、こんなやり取りがあった。朝霧は頑なに拒否を続けていたのだが、夕凪の執拗な説得に折れ、しかたなく了承する。
「俺の痛みに耐える練習にもなるしな。なにか食べたいものはあるか?」
「……山菜おこわ」
 すぐさま竹中が仕込みに入り、夕凪と、仕事を片付けて暇をしていた粋は足りない食材を買いに行く。朝霧はアグマがいた霊珠に入り、外へ行くと聞いて迷ったユズリも、結局は届けられた服を着て同行した。緑の髪や金の目、尖った耳は目立つが、まあ問題ないだろう。ちょうど良いことに、一般人には異質が気にならないくらいの、軽い認識妨害も働いている。
 彼らは近所のスーパーを目指して歩く。
「山菜おこわ……また地味なところを。朝兄は昔から王道を外すよね」
「そう言ってやるなよ。理由があるんだから。昔さ、家族で山に登って山菜を採って、よく食べたんだよ、山菜おこわ。存在維持ならただの好物だけじゃなくて、なにか思い出があるものの方が効果的だ」
 かつて仲の良かった粋も、さすがに家族のアウトドア事情までは知らなかった。なぜか少し悔しい。なんとなくモヤモヤしながら、ふと以前、一緒に買い物をしたことを思い出した。籠いっぱいのお菓子を。
「……もしかしてさ、夕兄も食べなくて平気なの?」
「ん? まあ、半分は霊素体だからな。今の心臓は霊素を物理エネルギーに変換できるし、食べなくても生きていけるよ。普通に食うんだけどさ」
 つまり栄養など関係なく、好きなものだけを食べれば良い。またその方が合理的だ。
「じゃあ余計な事したかな。野菜ジュース」
 粋が言うと、夕凪は笑った。
「ははっ、ないない。あれが一番効いたよ。要はテンションが上がれば良いんだ。粋の気遣いが詰まった野菜ジュースが余計なわけないって。例えちょっと野菜が苦手でもな!」
 苦手でも……そういえば、再会した時も苦手なコーヒーを飲んでいた。雰囲気を楽しんだ、とか微かに聞こえていたか。思えば、あの時もずっと死の痛みを抱えていたのだ。
「……強いな、夕兄」
 粋は本人に聞こえないように呟いた。だが、他の者には聞こえていたらしい。
『こいつは頭がおかしいだけだ。粋、こんな歪んだ強さに憧れんじゃねぇぞ』
 朝霧が言った。
 ここで彼らは分岐点に着いた。ここからスーパーはほぼ同じ距離に二つある。どちらに行こうか考えたところで、粋に通信が入った。連絡を受け取り、何度か頷く。
「どうした?」
「本部より通達。ケーキに飾る果物、及び成人用のアルコール飲料が不足。また、西のスーパーで十分後にタイムセールが発生する模様。現場判断での調達を許可する……って。ああ、あとつまみも足りないみたい」
『タイムセール……無駄な方面にも情報網が広いな、聖霊騎士団』
 通信機の向こう側は、もう前夜祭みたいなノリだった。
「ケーキの果物か。普通に考えればイチゴだけど、九月だから時期じゃないよな。もしかしたら置いていない、なんてことも……」
「この時期なら梨とか、ぶどう? ケーキに合うかな。バナナとか桃缶とか、輸入もののブルーベリーとかの方がそれっぽい気がするけど」
 夕凪は考えながら、握った手の先を見る。少女はもの珍しそうにあたりを見回している。逃亡に夢中で人間として街を歩くことがなかったために、改めて見ると新鮮なのかもしれない。
 そんな彼女に声を掛ける。
「ユズリちゃんは好きな果物とか、ある?」
「果物……?」
 小動物みたいに小首を傾げる。その間に、ユシュが代わりに答えた。
『ユズリは私と融合してから、なにも食べてない。果実というカテゴリーなら、私が作る霊素製くり亜種のトゲ爆弾とか、毒性りんご、強酸性柑橘類、その他を戦闘で使うことがある程度の認識』
「物騒なフルーツだな」
 女の子らしく甘いものに心酔する余裕などなかったらしい。彼女も霊素体に近い立場だ。食べる喜びを知らないのであれば、食事の必要はない。
『これまでの人生で離乳食を食べたことがあるかどうかってくらい』
 夕凪の目から水鉄砲のように液体が飛び出す。
「現場判断だ。試食乱舞で果物を選ばせ、他にも好きそうな食べ物を買ってやろうぜ!」
「そうだね。だけど僕達にわかるかな、女の子が喜ぶ食べ物」
 粋は冷静に分析する。夕凪は論外、自分も論外。とてもじゃないが少女の気持ちはわからない。生まれた時から霊素体で食事を知らないであろうユシュも多分ダメだ。となると、
「朝兄、任せた」
『は? 俺はそいつの兄だぞ? しかも双子の』
 自信満々に切り返された。結論すら言っていないのに、なんだかすごい説得力だ。
 一同が頭を悩ませていると、その横を荒い息と風が通り抜ける。何者かが彼らを追い抜き、目の前に立ちふさがった。
「その役目、あたしが任された!」
 眼帯の女子高生、立上瑞音だった。活き活きと己を指差し、白い歯を見せている。
「……仕事は?」
「片付けた!」
「今回、僕の二倍くらいなかったっけ。あれ全部?」
「愛と根性で!」
 仕事の合間、ユズリについて雑談もしていたというのに……愛情が重々しい。
「あたしが選ぶの手伝うからねー、ユズリちゃん」
「……は、はい」
 差し出された手に驚き、ユズリは夕凪の後ろに隠れた。瑞音が頭を垂れてしょげる。
「さ、行こうか」
 とりあえず粋は放置して促した。

 一時間後、買い物袋を提げた若者一人と高校生二人、それに少女がくっついてスーパーから出てきた。瑞音の肩ががっくりと落ちている。
「……なんで」
 ボソリと呟き、恨みのこもった視線を粋に送る。その隣には、夕凪と手を繋いだユズリがいる。そう、隣にだ。基本夕凪と話し、たまに粋にも話題を振る。ちょっとした笑顔も向ける。
「なんであたしじゃなくて粋の方にちょっと懐いてるんだよぉ!」
「構い過ぎなんじゃないの、瑞音は」
「だってこんなに可愛いんだもん、しかたないでしょ!」
 粋は耳をほじりながら聞き流した。その間も、ユズリは夕凪の手を引っ張って話をする。
「夕凪さんが好きな食べ物はなんですか?」
「色々あるよ、せんべいとか。あ、でもパイ料理はすごいと思う。あれ熱くても冷たくても美味しいし、飯にもデザートにもなるし、もはや万能と言っても過言じゃないんじゃないかな」
 続いて粋の袖を引き、小声で尋ねる。
「……パイ料理って、わたしにも作れますか?」
「すぐには無理じゃない?」
 ばっさりと切り捨てた。
「あぅ……」
「ちょっと粋、なんてこと言うんだよ!」
「だって事実だし。まあ、頑張ればそのうち何とかなるんじゃない?」
 頭をポンポンして励ますと、ユズリは胸の前で小さな拳を二つ作った。
「頑張れば――頑張って作ったら、夕凪さんは喜んでくれますか?」
「その人は単純だから、喜ばせるなら簡単なおにぎりでも充分。あとで竹中さんから余ったごはんを貰って作ればいいよ。たぶん作り方も教えてくれるし」
 なにせ野菜ジュースを買わせるだけで喜ぶ男だ。ユズリから手作りのおにぎりを貰ったら、跳び上がって感激するに違いない。手のかかる好物、パイ料理なんてプレゼントされてしまったら、歓喜のあまり消滅してしまうかもしれない。
 それに竹中から習えば人付き合いの経験にもなる。夕凪関連ならユズリも勇気を出せるはずだ。夕凪も色々と人に慣れさせる方法を考えているようだが、自分自身が最大の切り札だとわかっていない。
「おにぎり……よくわからないけど、頑張ろう」
 ユズリは静かに決意を固めていた。
「それくらい、あたしでも教えられるのに……っ!」
「瑞音、嫌われたくないなら少し距離を置くことを強く推奨するよ」
 事実、構わない粋の方が好かれている。
 そんな会話をよそに、夕凪は突然立ち止った。
「――ああ、そうだ。忘れてた」
 ごそごそと上着を漁り、なにかを握って取り出す。
「粋、お前に渡すものがあったんだ」
 突き出され、開かれた手にあったものは――。
「お守り?」
 古びた小さい巾着。そこには風情のある書体で書かれた「御守り」の札が貼ってある。
「そっ、お守り。本当はお前に戦って欲しくないけど、言っても聞かないだろうし……この老婆心を抑えるために、気休めでもと思ってな。もらってくれないか?」
 神と行動を共にしていた、そして神と裏切り合った人間から贈られるお守り。ご利益がありそうにも思えるが、逆に縁起が悪くも思える。
「……まあ、くれるんなら貰っておくけど」
 粋は雑にひっつかんで適当にポケットへ放り込む。その一連の流れを、ユズリは唇に指を当ててじーっと見ていた。
「ユズリちゃん、どうかした?」
『どうかした? じゃねぇよ』
「久遠寺さんって本当にアホですよね」
 ちょっと訊いただけで他から容赦のない答えが返ってくる。
「……粋、わかるか? いや、お前もわからないだろうな」
 夕凪は無神経と名高い同志を巻き込もうと画策する。
「いくら僕でも、さすがにこれは……ユズリも何か夕兄からプレゼントが欲しいんでしょ?」
 ユズリは戸惑いを見せる。ねだれば迷惑をかけてしまうと思うものの、欲しい気持ちはやはりある。ここで否定してしまえば、きっと何ももらえない。そうして黙っていると、ようやく夕凪も察したらしい。
「なんだ、そんなことか。言ってくれればいいのに」
 また上着に手を突っ込み、探る。
「でも、これくらいしかないな」
 出てきたのは壊れた携帯電話だった。
「ゴミじゃん」
「見た目に惑わされるな。この中はかなり居心地がいいぞ」
 ストラップ――淡い蒼色の光を放つ霊珠を指さす。
『お前、俺の居場所をどうするつもりだ?』
「……すまん。朝霧がいるのを忘れてた」
 居心地がいい――経験者は語る。夕凪はアグマと憑装する際、入れ替わりで霊珠の中に入っていたらしい。半霊素体だから可能なことで、邪魔にならないように、とのこと。中は適温で適度な湿度、心地よく風が対流し、爽やかな高原を思わせる。
 当然、朝霧は出て行きたくない。
「んじゃ、この携帯だけでも……」
『ダメだ。お前、霊珠だけだと失くすだろ』
 さすが兄は弟をよく理解している。夕凪は返す言葉もない。
「だったら、どうすればいいんだよ!」
『焦んな。今すぐに渡さなくたっていいじゃねぇか』
 夕凪の手がピクリと動いた。なにか衝動を抑えるような反応だ。
「早い方がいいに決まってるだろ? ……ほら、待たせちゃ可哀相だし」
 もごもご言うが、適切なものを持っていないのだから、どうしようもない。夕凪は済まなそうにポン、とユズリの頭に手を乗せた。
「ごめんな。なにか用意するから、ちょっとの間、我慢してくれ」
「あ、えっと……はいっ!」
 粋は何か違和感を覚えた。朝霧はここで焦るなと言うような人間だっただろうか。
「さぁて、これからパーティだ。早く帰ろうぜ、みんな!」
 夕凪の声で疑問は掻き消され、粋は彼らと共に本部への帰路を急いだ。

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