しょうらいのゆめ
アリ
三話
   帰ってくるなり、早々にリフはフレデリカに事を伝えた。
「まさにあの物語と同軌しているだろう」
「そのようね…なんて素敵な力なのナオさん!」
「で、でも行く行くは君たちに迷惑をかけることになるかもしれない」
僕にとってはアイデンティティに繋がる力だとしても、リーファたちが過去に物語同様の結末を迎えていたのだとしたら、またそうならないとも限らない。そうなることが、僕は怖いのだ。
   異世界に来ているのだから、何があっても僕が影響してしまうことは許されない。人の何かを変えるなんて大それたこと、僕には正しく出来る自信なんてない。いつも導かれる側だったから。いや、強制されていたから。先導することなんてできない。それでリフの言うままに力を使うのだとしたら、それも違う気がする。
   感情は一向にまとまらなかったが、僕はこの力をあまり使いたいと思わないことは確かだった。
「そんなことはないさ。とにかく、今日はもう一切の雑務を終えて歓迎会にしよう。神器の誕生なのだから」
「そうね!ナオさん、料理を手伝ってくれる?」
「仲間が集まったら隊長一同を紹介しよう」
「あらそう?じゃあそれまで付き合って」
神器の誕生…。なんだか、誰の話をしているのか、急に存在を見失う。僕はそんな凄い人じゃないのに。それでも、僕の気持ちは優雅にそびえる木々のようにふわふわと揺れていた。
   今現実世界が何時で、いつ帰ろうかなんて計算するのも億劫なほど、今はこの世界の空気にのめり込みたかった。そんな矛盾した心が、いつまでも僕の心を満たしていた。
   この世界にどれだけいたかわからなくなった頃に、ようやく歓迎会という名の特別休暇の祝賀会が終わった。リーファたちは思ったより厚い構成で生業をしているらしいことが分かった。多すぎて全ては覚えていないが、例を挙げて言えばゲイル率いる医療部隊、主に植物を採取してくる狩猟部隊、植物を育てる栽培部隊、防御専門の魔法部隊、攻撃専門の戦闘部隊、高台や見張り塔を造る建築部隊。覚えているだけでもこれだけある。
   そして全体を取り仕切っているのが総隊長である実質リーファの王、リフだ。
「リフはそんなに凄い人だったんだね」
「そりゃそうさ!俺たちの王だからな!」
「勇ましく厳かに自然を尊重して生きている!」
「リーファの鑑だ!」
「隊長!俺たちは一生付いていくぜ!」
小麦とはまた違う発酵酒を、土器のようなものに溢れんばかりに注いだ各隊長たちが、高らかに言ってから飲み干す。豪飲するその姿は、昔絵本で読んだヴァイキングを彷彿とさせた。どれだけ飲んでも酔わない彼らは、アルコールにどれほどの免疫があるのだろうと気になった。少し頬を赤らめたリフが、フレデリカが作ったスープを飲みながら笑った。
「やめてくれ。お互い助け合うのが習わしだろう。そういうのは好きじゃない」
「そういう所が俺らの隊長のいい所だ!」
「アンティア様、リーファは今後しばらくは安泰です。安心してください」
彼らはリフを持ち上げているようで、心の底から尊敬しているようだった。聞いているだけでこちらの頬が緩んでしまう。
   仲がいいんだな。
   火元に立っていたフレデリカが顎に伝う汗を拭いながら僕に近づいてくる。ようやく皆の胃袋が落ち着いてきたようで、達成感のため息が吐かれた。
「お疲れさま」
「ありがとうナオさん。もうお腹はいっぱい?」
「うん、もうしばらくは何も食べなくていいかな」
膨らんだお腹をさすった。
「マナもだいぶ補給できたんじゃないかしら。恐らく一週間くらいはこちらの食べ物を食べなくてもこちら世界へ来られるわ」
「本当に?でもあの小さな鍋のスープも甘くて美味しかったなあ」
文字通り魔法じみた味が口を満たしたのを忘れられない。
「じゃあまたお土産で持っていく?」
「いいの?ありがとう」
「じゃあもうひと仕事ね」
「フレデリカ、僕にも一杯もらえるかな」
「はーい」
フレデリカは文句も言わずずっと何百人分の食事を作り続けていた。さすがに体力も尽きたのか、返事はしたものの一度腰を下ろした場所から動こうとしなかった。
   僕はハンカチを取り出して、近くの小川で水に浸した。ハンカチ伝いに、冷えた水分が僕をくすぐる。心も体温も高ぶっていたせいか、それを落ち着かせてくれる水が心地よかった。さらさらと流れる川は相変わらず綺麗で、これさえもマナが宿っているのだろうかと思う。
   ひたひたに滴るハンカチを火照って顔が色づいているフレデリカの元に持っていく。
「フレデリカ」
「ん…冷たい」
細くて折れてしまいそうな彼女の手首にハンカチを巻く。フレデリカは不思議そうに僕の顔を見上げた。
「手首の動脈を冷やすと、冷えた血液が全身を回って体の熱が下がるんだ」
「そうなの、だからこんなに気持ちいいんだ」
「気に入ってくれてよかった」
ハンカチを首や額にぺとぺとと数回つけてから、フレデリカは勢いよく立ち上がった。
「さあ、もうひと頑張りね!」
「手伝おうか」
リフがお酒をかかげながら聞くものだから、フレデリカはため息した。
「楽しんでていいわよ!」
「じゃあ、僕が手伝うよ。て言っても魔法使えないんだけど」
「魔法なんか使えなくても大丈夫!そんなに難しくないもの」
フレデリカに手を引かれ、僕は鍋の前に立った。周りには色んな植物が置かれていて、どれも見たことのないものだった。人間世界にあるものだけじゃなく、この世界にしかないものもあるのだろうか。それとも、僕が無知なだけか。
   コトコトと、既になにかが煮立てられている鍋が湯気を立てる。色は透明だから、魔法が使用されているのだろうか。もはや道具など使わず、フレデリカは人差し指をふい、と鍋に向けたかと思うと、空中に円を描いた。
   すると鍋の中身が渦巻きみたく勝手に回り始めたではないか。どういう原理か全くわからず、僕は口を開けてその光景に目を奪われていた。
「ナオさん、そこの赤い木の実を取ってくれない」
「えっと」
「その赤い木の実よ。サネカズラって言うの。美男葛とも美人葛とも言うの」
「へえ、不思議な木の実だね」
葉にくっ付いたままの木の実をフレデリカに渡すと、彼女はそれを鍋の上まで持って行ってもう片方の手をかざした。
「ナオさん、葉が鍋に入らないように拾って?」
「え、ぅわ!」
フレデリカの片手の平から薄い臙脂の光が放出されたかと思えば、木の実と葉が瞬く間にバラバラになった。僕は光から漏れてくる葉たちを両手いっぱいに掴んだ。依然として木の実は光の中で浮遊していて、どうやらフレデリカはまた前触れもなく魔法を使ったようだった。リフもゲイルもそうだったが、急に魔法を使う癖は、人間が来たからといって変わらないのだな。ただ、すこぶる驚くので控えてほしい。
「それは地面に置いてくれる?大丈夫よ、食べてくれるから」
「どういうこと」
「いいから、置いてみて」
僕が手に掴んだ葉を地面に置くと、地面から飛び出てきた蔓がそれを獲物を食すよう貪ると地中に戻っていった。
   一瞬の出来事で、僕は腰が抜けそうだった。一見何の変哲もない蔓が、何故か地面から出てきて。その蔓が葉に向かって一直線に伸びていって。絡めとったかと思えば地中に引っ込んでいって。地面は、元通りになっていた。
   植物が自ら動くなんて、ファンタジーの映画を見ているようだ。
「驚いた……」
「ふふ、ごめんなさいね」
「こういうことは、先に言ってよ。サプライズにはなるけれど」
「彼らはディオというの。武器の素材に使うのが本来の用途なのだけど、長年争いがないせいですっかり丸くなっちゃったの」
全くそんなことはない、と口をついて出てしまいそうだったが、何とか飲み込んだ。ここにいると本当に楽しいが、こういうことには一生慣れないだろう。
「じゃあ見ててねナオさん」
胸を撫でた僕は、フレデリカの手元に目をやる。すると、臙脂の光が真っ赤になってから一等星程の光になり、気付いたら木の実が液体状になっていた。
「ここからよ」
フレデリカは得意に笑うと、サネカズラの液体を鍋の中に入れた。それから両手で鍋に手をかざす。生温い空気が辺りを包んで一気に甘い香りが爆発した。
「すごい」
「はい、完成!」
鍋の口を覆うように手で撫でると、見慣れたベールが出来上がった。魔法って、本当に凄い。全て一瞬で出来てしまう。
「体を元に戻したら持っていってね」
「ありがとう、色々な経験をさせてくれて」
フレデリカはふふふと笑うと、鍋の火を一息で消してリフの元へ向かった。大人が三人がかりでやっと運べるほどの薪だったはずなのに。もう、驚きが過ぎてしまった。
   僕は一連の映像が頭を支配していて、少し落ち着くために散歩しようと歩き出した。色々な草、木の実、木、香り。マイナスイオンというのはこういう事を言うのだろうか。目に見えない景色が見える雰囲気は同じだろうと思った。
   ふと立ち止まった先に、大きな岩があった。何故こんな所に岩があるのか、怪訝に思ったが妙に圧倒されるというか、迫力があり、僕は気付けば目の前まで近付いていた。
   そっと岩の表面を撫でる。
「いっ、ーー!!」
突如指先に激痛が走って僕は反射で身を引いた。電気が走ったような、ペンチで爪を毟られるような感覚を覚えた。指を見ると火傷のように少し赤みを帯びて、指紋が消えていた。
「静電気?」
言いながら思ったが、そんなわけがない。我ながら馬鹿な見解を晒したと、ただ沈黙に佇む岩を睨んだ。
「なんだ、この岩」
そこで僕はある考えを思いつき、岩の元にしゃがみ込んだ。手のひらを地面に押し付け、草を成長させた。見る見るうちに岩は覆われ、見えなくなった。ざまあみろと岩を見上げると、覆っていた草が一瞬にして散々に焦げた。
「は?」
何で。まるで癇癪の多い猫のように、岩が触れる物体全てを薙ぎ払っていた。
   いや、そんな可愛いものでもないのかもしれない。僕ももっと強く触っていたら、もしかしたら指が吹っ飛んでいた?
「本当に、なんなんだこの岩」
僕は訝しさが募る岩を尻目に、みんながいる場所に戻った。
「リフ」
「ナオ、どうした」
「もうそろそろお暇しようかな、と」
「もう帰るのか」
「え?」
予想外の返答に、僕は戸惑った。
「まだいいじゃないか!
そうだ、皆にあの力を見せてやればいい」
「いや、それは…」
皆より一際小さいグラスに発酵酒を注いでいたフレデリカが、優しくリフを叩いた。
「ナオさん困ってるでしょ。さっさと体直してあげなさいよ」
「なんだ、魔法が使えるのか」
「人間の力…興味深いですね」
周りが喧騒に包まれ、僕に視線が集まる。
「皆もやめて、リフの寝言よ」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし」
〝いいだろ?減るもんじゃないし〟虐められた時によく言われた台詞だ。体の末端が冷えた。
   確かに、そうかもしれない。先程岩に対して使ったのだし、誰の前で見せようが変わらないのかもしれない。せっかくリフが提案してくれたのだから、体裁を保つためにもここは一肌脱がなければいけない。どうせならと、僕は実験も兼ねて鍋のところにあった伐採済みの植物を手にした。
   どうやら僕の力はただ触っただけでは何の力も発揮されないようで、アンティアの木や、その他の木の時は、不安定な精神が植物と何らかの共鳴をしたから発揮されたようだった。
   それと、自らの意思で力を発揮できる。しかし、今まで成長させてきたものは、伐採済みではなくまだ生えていたものだったから、それならどうだろうと考えるに至ったのだ。
「それをどうするんだ」
「いきます」
皆の前に高らかと掲げた植物を、見る見るうちに倍以上の大きさに成長させた。大きくなった植物越しに、皆の驚く表情が見える。誇った顔つきのリフの横で、間近で見たフレデリカも驚いていた。
「本当にそんな力があったのね」
「す、すげーよ!ナオ!」
ゲイルが一目散に僕の元へ駆けつけて植物を奪い取った。
「おいテイニー!見てみろよ!」
先程リフに植物学専門の隊長だと紹介を受けたテイニーが、ゲイルに引っ張られるようにして植物に触れた。
「何故だ…。切断面が明らかに太くなっているが水分はどこにも放出されていない。葉の先も枯れていないし部分的ではなく全体が成長している」
どうやら僕の実験は成功したようだ。伐採済みだろうがなんだろうが、僕が望むままに植物を成長させられる。
「もっと見せてくれよ!」
皆が立ち上がり、次々に僕に詰め寄る。
「そうだ、ティラの実が最近とれなくてな、ぜひ成長させてほしい」
「俺の母さんの薬一年分の材料育ててくれよ」
口々に利益を求めてくる彼らを、リフの凛とした声が制止した。
「皆、少年とナオスルロの物語は聞いたことあるな」
突然話し出すリフに、皆はきょとんと視線を合わせた。
「あの物語は今や教訓であり、未来かもしれない」
酒は微塵も残っていない様子で、すっかり長の顔つきに戻ったリフの話を、皆は無意識だろうが背筋をしゃんとして聞き始めた。
「僕は皆が賢い者たちだと知っている。何故ならリーファだからだ」
「皆にナオの力を見せたのは、彼を正式に我らの一員として認めさせるためだ」
「我がリーファは、未熟ではない!皆が物語のようになってしまったならば、僕がこの世界を燃やし尽くそう。皆が僕に付いてこられなくなったらば、僕は僕自身を恨もう。そして、四肢を使い古すまでリーファとして貢献しよう。僕らは僕らのやり方でこれからもリーファを繁栄させていくんだ。わかったな」
演説混じりのリフの言葉に、みんな一斉に敬礼に似たような動作をして
「ヘーウレーカ!!」
と叫んだ。
どうやら了解の意を示す言葉らしい。リフは僕に向き直った。
「ナオ、無理を言ってすまなかったな!」
「いや、全然気にしてないよ」
「体を元に戻そう」
事前に唐突に魔法をかけられると予想して、体を強ばらせた。すると、体を小さくさせられた時同様に竜巻のようなものが僕を包み、気付けば皆が小さくなっていた。
「本当に、人間ってでかいんだな……」
感嘆の声がちらほらと聞こえる。人間のことを伝説のように聞いていた人がほとんどだと言っていたから、驚くのも無理はない。
「ナオさん、はいどうぞ」
振り向きざまに、フレデリカが僕の手に鍋を乗せた。
「嬉しい」
「また来てね」
「こんなに楽しい場所に来ないわけがないよ」
僕がしゃがみ込んで話していると、ゲイルが僕の膝にちょこんと乗ってきた。
「ナオ、次は怪我してくるなよな!」
「わ、わかった。何とかする」
「それでこそ男ってもんだ!」
それだけ言うと、ゲイルはすたすたと元の位置に帰っていった。
「じゃあ、とりあえず今日はさよならだな」
リフが僕を見上げて言う。
「うん、今回もありがとう」
僕はゆっくりと立ち上がると、ゲートに向かった。ふと、前に人間世界の帰省を失敗した時のことを聞こうとしたのを思い出した。しかし、今ではそんな心配も無いと、僕は一歩踏み出した。
   四度目の浮遊する感覚。内蔵が浮き上がるのはジェットコースターなんかと同じで、寧ろ楽しんでしまえば楽だった。
   半透明な景色が見る見るうちに暗くなって、薄明かりの世界に降り立った。今日は星が見えず、薄い雲が月を隠していた。
木々の隙間から見える職員駐車場には既に一台も車がなく、それはそれ相応の時刻を表していることを示していた。しまった、長居しすぎた。
   塾も習い事も部活も何もしていない僕は、夜遊びが禁止されていた。しかも母には遊んでくると嘘をついてしまったからか、罪悪感があった。これだから現実は嫌なんだ。僕はリフ達の思い出を胸に抱きしめながら帰路を駆けた。
   自宅の前に到着して、はたと気が付いた。もう一室の電気もついていない我が家の鍵を忘れた。周りの家も既に暗くなっていて、一人立つ僕に影を作るのはわずかな街灯のみだった。あの時は無我夢中だったから、帰ってくる時のことなんて考えていなかった。考えあぐねて、僕は覚悟を決めて自宅のインターホンを押した。
   間の抜けた音が清閑とした住宅街に響く。いつもは安心する家に恐怖が募り、まるで死神の館の前にでも立っているかのような気持ちになった時、中から足音が聞こえた。
僕は反射で隠れてしまいそうになったが、それをしたら余計に怒られそうだったので、黙って覇者を待った。
   解錠の音と同時にチェーンロックが掛かる音が聞こえ、母が顔を出した。
「なんだ、強盗かと思ったじゃない」
「強盗なら窓を壊すよ」
「怖い事言わないで。ほら、お父さんが起きる前に早く入って」
僕は、拍子抜けした。何故母は怒っていないのだろうか。僕は玄関でこっぴどく怒鳴られるのを覚悟していたが、母は僕をリビングに通すと夕飯の有無を聞いた。
「い、いや、大丈夫。ごめん」
「お友達とは?楽しかった?」
「うん……」
理由を問いただそうとしたが、わざわざ自分からほじくるのも変だなと思い、聞かなかった。
「じゃあもうお母さん寝るから。早くお風呂入って寝ちゃいなさい」
「おやすみ……」
「おやすみ」
心の中で母に謝りながらその日はゆっくりとベッドで寝た。それから、両親に何を咎められるわけでもなく、日がすぎた。
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