悪役令嬢で忌み子とかいう人生ベリーハードモード
第12話 醜き性根と苦境での灯台
「 我らが上に御坐す神霊よ、今日も我らの血肉となる糧を恵んでくださり感謝いたします。」
口から心のこもっていない空虚な言葉が単調に出てくる。別に食事をとったわけでもない。なんとなく諳んじただけだ。
この一言を発するたびに私の専属侍女ミケラのことについて考えてしまう。あれから彼女はなんでもなかったように振舞っている。しかし、以前と違いどこか壁を感じるのだ。それを感じるたびに私の心臓はナイフを突き立てられたように痛む。
私の何が間違っていたのだろうか。ただ聖霊教を肯定しただけだ。なんらおかしなことはない。クリネス王国の常識で照らし合わせたら善人の模倣ですらあるそれにもかかわらず、なぜ裏切られたような顔をしたのだろうか?
分からない、分からない、分からない
なんど心の内で問うても明確な答えは出ない。聖霊教を憎んでいるぐらいしか思いつかないが、それだとなぜ裏切られたような悲しみに満ちた顔をしたのだろうか?聖霊教が広く信仰 ー つまり肯定されているのはミケラも知っているはず。だから私が聖霊教を信仰していると考えるだろう。
分からない、分からない、分からない
私は愕然とした。よく思い返すと私はミケラのことをほとんど知らない。出身地や年齢、生い立ち、趣味も何もかも知らない。私は彼女の何を見ていたのだろうか?
そもそも彼女はどこかおかしい。平民の彼女が中級魔法の〈 中級回復 〉を使える時点で異常だ。あの若さで忌み子とはいえ公爵令嬢の専属侍女となれたのもおかしい。彼女は違和感の塊だ。なぜ気づかなかった。彼女は何者だ。
分からない、分からない、分からない
彼女は何を考えている?
分からない、分からない、分からない
彼女に何があった?
分からない、分からない、分からない
私は彼女について何も知らない、分からない。ただ知った気になっていた愚か者だ。
「 当たり前か…… 」
自分は己の事を何一つ明かしていない。自分が忌み子であること、親しかった者に裏切られたこと、前世を憶えていること、未来に何が起こるか知っていること、何一つ明かしてはいない。相手と距離をとり続けて相手の懐に踏み込めるわけがない。
それを自覚してなお、自分はミケラに自分の事を打ち明けようと考えていない。
嫌われるかもしれない、だから黙っていよう。
そんな臆病でどこまでも自分本位で醜悪な心の声。本当に救えないゴミのような性根だ。自嘲の笑みを漏らす。
勉強も魔法の修行も全く身に入らないので中庭に出て気分を入れ替えることにした。陽の光は鬱病対策になるらしいので少しは効果があるだろう。
廊下に出て無駄に馬鹿広い屋敷を右往左往する。
自室から出る機会は王宮に行くときくらいでほとんどない。トイレと浴室完備、水道も通っていて三食運び込まれる。ニートになろうと思えば快適に引き篭れることだろう。そして、外に出るときは毎度ミケラが先導してくれた。
だからだろうか、迷った。やばいな半年も屋敷にいて家の構造をろくに把握してできていないとは。流石に焦る。自分の家で迷子は馬鹿すぎる。
どうにか外へ出るために進み続ける。とりあえず家の端まで行けば後はどうにか出口くらいは見つけられるだろうという考えだ。華美な骨董品を横目で見ながらマイペースに歩く。久しぶりに一人で歩いている。最近ではミケラが近くにいてくれた。
ミケラがそばにいるだけで落ち着くのだ。これは彼女が私を普通の人間として扱ってくれるからなのか彼女の性質的なものからなのかはよく分からい。
( くそ!)
考えないように外に出たのちに結局考えてしまう自分がいる。私はどこまで彼女に依存しているのだろう。これでは彼女に忌み子とバレて離れられたときどうなるか分かったものではない。
「 はぁ、給料いいけどこの仕事やめようかしら。」
「 まぁいいじゃない。滅多に忌み子は出てこないんだから。」
「 そうだけどさぁ…… 」
二人の侍女が仕事をサボって愚痴り合いをしている。なんとなく現代OLに通じ合うところがある。世界線を超えても女性がおしゃべりなところは変わらないのだろう。
仕事しろ、仕事、クビにするぞ
「 でも黒影が歩き回っているのが気に入らないわ!いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃないわ!怖いったらありゃしない!」
「 接点ないじゃない。一人で忌み子の相手をしてくれるし大助かりよ。」
「 あら、あなた黒影の味方をするの?」
「 まさか!嫌われ者同士でお似合いって意味で言ったのよ。」
「 たしかに!嫌われ者同士、気が合うんでしょ。」
彼らの会話を聞いて体が固まる。けっして陰口に傷ついたわけではない。ゴミにどれだけ詰られたとしても、イラつきはすれども精神的な傷を負うことはない。硬直したのは驚きからだ。
私を世話しているのは彼女たちが口にしたとおり一人だけだ。
つまり、黒影とはミケラのことなのだろうか?
黒影とは名前から推測するに体毛や眼球の色が黒い人の蔑称なのだろう。そう、私と同じでどうしようもない、運が悪かったとしか言えない要因で理不尽に蔑まれている。
その結論に至ったとき、歓喜してしまった。心の底から湧き上がる粘着質でいてどこまでも暗い昏いヘドロのような喜悦を覚えてしまった。
彼女は私と同類、理不尽に蔑まれ、虐げられる忌まれ者。私が忌み子であることを知れば嫌われるどころか共感し依存してくれるかもしれない。それが傷の舐め合いだとしても私は受け入れるだろう。
孤独とは気が狂いそうな苦痛だ。裏切りは心を殺す猛毒だ。侮蔑の言葉は未来への希望を消し去るものだ。
不意に何もかもどうでもよくなることがあった。些細な悪意に過敏な反応をすることもあった。悔しさから、寂しさから枕を濡らすこともあった。不安で夜も眠れぬ日もあった。いつ死んでもおかしくない状況に叫びだしそうになることもあった。
ミケラはそんな私にとって救いだ。彼女が私の秘密を一つも把握しておらず感情の共有ができなくとも彼女は私にとっての救いだ。地獄に垂らされた一本の蜘蛛糸。すがりついた、失いたくなかった。一秒でも長く強くしがみついていたかった。
何度かミケラに忌み子であることを暴露しようとした。その度に裏切り者カミュの顔が脳裏をちらついた。付き合いの深かったくせになんとあっさり裏切ったことか。だから二の足を踏んだ。怖くて、恐れて、怯えて、口を閉ざした。
しかし、彼女が同胞であるのならば口は空気よりも軽くなるだろう。本心を語り、感情を交わし、心底信用し溶けるように依存しただろう。
すぐにでも眼帯を毟り取りありのままを曝け出したい。蜘蛛糸は切れぬ鋼糸だった。最早、躊躇する必要はない。
ドロドロとした喜悦が溢れているくせに心はどこまでも軽く、明るかった。ミケラの秘密を知れて良かった。これで私は絶対の絆を手に入れられる。
しかし、彼女の悪口を言っているのは許容できない。この二人の顔は覚えたのでいずれなんらかの形で償わせる。
庭には行かず部屋へと戻ろう、としてはたと立ち止まる。適当に進んだせいで帰り道が分からない。その場で180°回転してさっきの二人組へと直進していく。
「 ねえ、聞きたいことがあるのだけど。」
「 どういった御用でしょうか?」
「 ……!」
彼女らに話しかけると一人は慇懃な態度で片方は驚いて声も出せないようだ。後者は私が忌み子であることを知っているようだが前者は知らないようだ。落ち着いた様子で目上の人間に接するような態度だ。
私は少し呆れた。この女は自分の主人の顔すら知らないのだろうか?まぁ、無駄に騒がれないぶんこっちの方が好都合と考え直す。
「 忌み子の部屋へと案内して。」
「 承りました。」
私が忌み子であることを知っている女は泣きそうな顔をしながらもう一人の女を睨みつけている。内心では余計なことを言いやがってと思っているに違いない。適当に理由をつけて逃げればいいのにとも思わないでもないが混乱して思いつかないのだろう。
「 どのような要件で忌み子の部屋へと向かわれるのですか?」
「 あまり話したくはないわね。」
「 それもそうですね。忌み子などと関わなければならないなど碌なことじゃないでしょうから。」
「 そうね。」
例えばお前の職が消えたりな。
順調にヘイトを溜めていく女。その横で顔を青ざめさせている同僚。こいつ馬鹿だろ。というか使用人から話しかけるのはよろしくないはず。解雇する理由がまた一つ増えた。
「 こちらです。」
「 ありがとう。もう、戻っていいわよ。」
何度か角を曲がり目的地へと案内された。硬質な木材で作られたニスを塗ったようなツヤを放つ自室の扉。自分の部屋の扉を外から見るのは何気に数回しかないので正直あまり実感がわかない。
「 お、お嬢様 」
「 ミケラ…… 」
「 え……  ︎ 」
ミケラが丁度私の前に現れた。彼女は私の隣に侍女がいるのを見て動揺しているように見えた。ただ単純に引き篭もりの私が部屋の外に出ているのを驚いただけかもしれないが。
「 あの……違うんです…さっきのは…… 」
「 気にしていないから下がりなさい。」
「 いえ、でも…… 」
「 聞こえなかったの?下がりなさい。」
やっと私が忌み子であることを知った馬鹿な侍女は蒼白な顔で何かを弁明しようとしているがうるさいだけなので黙らす。阿保は絶望したような顔で目の前から去った。
「 中に入りましょう?」
「 ……はい。」
私の後にミケラが恐る恐る入室する。彼女はなにかを覚悟したような顔をしていた。私は彼女と向かい合い口を開く。
「 ねぇ、ミケラ一つ聞きたいことがあるのだけれどいいかしら?」
「 ……なんでもおっしゃってください。」
彼女の方が跳ねる。少しの間のあとにそう答えた。顔は能面のように固まり目には何らかの感情が浮かんでいた。それは怯えか恐怖であるだろうか。それならばどれほど嬉しいだろうか。だってそれは彼女が私に嫌われたくないと考えているということだろう?
「 あなたはこれを見てどう思う。」
「 ……え?」
左目にかかっている眼帯を取り外す。視界が一瞬揺らぎ正常なものと変わる。彼女は呆気にとられたような声を出した。黒影というものを言及されると思っていたのだろう。
「 どう?気持ち悪い?恐ろしい?悍ましい?」
黒真珠のように美しくも誰からも怖れられる恐怖の魔眼を晒す。魔力の上昇につれてうっすらと複雑な魔法陣が浮かび上がる黒眼を。忌まれ、恐れられ、疎まれる象徴を彼女はただじっと見つめていた。しばらくしておもむろに
「 黒曜石のように妖しい、魅力のある、左目でございます。」
そうミケラは答えた。そう、彼女は拒絶しなかった。受け入れたのだ。誰からも排斥される忌み子を。
歓喜、頭が真っ白になるほどの暴虐的歓喜。自然と口が動き出す。
「 私が、あなたの主人あるじでいいの?」
「 はい、私の主人あるじはお嬢様、ただ一人だけです。生涯でたった一人だけの敬愛なるご主人様です。」
「 ああ、ああ、ああああ!」
思考が全く機能しなくなり、ただ感嘆の言葉が口から漏れ出る。口角が緩やかに上がっていき笑みを形作る。ふと頰に妙な感触を覚え右手で触れるとそれは両の眼から零れ落ちる涙だった。私は気付かず泣いていた。
「 ありがとうございます 」
ミケラが感謝の言葉を述べながら私の涙を拭き取っていく。なぜ礼を言うのだろうか?それは私が言うべきなのに。だが、私の口からは嗚咽が漏れ出るばかりだった。
「 私をそこまで求めてくださりありがとうございます。」
手の甲に感じる湿った感触。顔を上げると涙を流して微笑んでいる彼女の顔が映る。彼女も同じなのだろうか?孤独のなかたった一人生きてきたのだろうか?私よりもはるかに長い時間を。彼女に抱きつく。強く、強く、力の限り抱きついた。
「 お 嬢様?」
「 ありがとう。私の従者になってくれてありがとう。私を救ってくれてありがとう。私を一人にしないでいてくれてありがとう。だから二度と離れられると思わないで。」
彼女に思いの丈をぶつける。私の孤独を払ってくれた彼女の孤独を消しとばしたかった。私にとって彼女がどれだけ必要なのか伝える。彼女はそれに体を震わして答えた。
つまり、私が彼女の救いになったということだ。歓喜を超えた狂喜。暗い昏い狂喜。
私には彼女が必要で彼女は私が必要。どう言い繕っても共依存。だがそれでもいいだろう。寄る辺が一つしかないなら縋り付いても。絶望という名の底なし沼に沈んでしまわぬよう少しでも救いを、光きぼうを求める。
「 私の側を離れないでね、ミケラ。」
「 はい、一生お側にいます。」
彼女は恍惚としたような顔で私の要求にYESと答えた。私の顔もミケラと同じようになっているのだろう。
私は灯火を手に入れた、ミケラという名の灯火を。汚い計算と醜い性根の元に。それでも私に後悔はない。残ったのは安堵と満ち足りた気分のみだった。
口から心のこもっていない空虚な言葉が単調に出てくる。別に食事をとったわけでもない。なんとなく諳んじただけだ。
この一言を発するたびに私の専属侍女ミケラのことについて考えてしまう。あれから彼女はなんでもなかったように振舞っている。しかし、以前と違いどこか壁を感じるのだ。それを感じるたびに私の心臓はナイフを突き立てられたように痛む。
私の何が間違っていたのだろうか。ただ聖霊教を肯定しただけだ。なんらおかしなことはない。クリネス王国の常識で照らし合わせたら善人の模倣ですらあるそれにもかかわらず、なぜ裏切られたような顔をしたのだろうか?
分からない、分からない、分からない
なんど心の内で問うても明確な答えは出ない。聖霊教を憎んでいるぐらいしか思いつかないが、それだとなぜ裏切られたような悲しみに満ちた顔をしたのだろうか?聖霊教が広く信仰 ー つまり肯定されているのはミケラも知っているはず。だから私が聖霊教を信仰していると考えるだろう。
分からない、分からない、分からない
私は愕然とした。よく思い返すと私はミケラのことをほとんど知らない。出身地や年齢、生い立ち、趣味も何もかも知らない。私は彼女の何を見ていたのだろうか?
そもそも彼女はどこかおかしい。平民の彼女が中級魔法の〈 中級回復 〉を使える時点で異常だ。あの若さで忌み子とはいえ公爵令嬢の専属侍女となれたのもおかしい。彼女は違和感の塊だ。なぜ気づかなかった。彼女は何者だ。
分からない、分からない、分からない
彼女は何を考えている?
分からない、分からない、分からない
彼女に何があった?
分からない、分からない、分からない
私は彼女について何も知らない、分からない。ただ知った気になっていた愚か者だ。
「 当たり前か…… 」
自分は己の事を何一つ明かしていない。自分が忌み子であること、親しかった者に裏切られたこと、前世を憶えていること、未来に何が起こるか知っていること、何一つ明かしてはいない。相手と距離をとり続けて相手の懐に踏み込めるわけがない。
それを自覚してなお、自分はミケラに自分の事を打ち明けようと考えていない。
嫌われるかもしれない、だから黙っていよう。
そんな臆病でどこまでも自分本位で醜悪な心の声。本当に救えないゴミのような性根だ。自嘲の笑みを漏らす。
勉強も魔法の修行も全く身に入らないので中庭に出て気分を入れ替えることにした。陽の光は鬱病対策になるらしいので少しは効果があるだろう。
廊下に出て無駄に馬鹿広い屋敷を右往左往する。
自室から出る機会は王宮に行くときくらいでほとんどない。トイレと浴室完備、水道も通っていて三食運び込まれる。ニートになろうと思えば快適に引き篭れることだろう。そして、外に出るときは毎度ミケラが先導してくれた。
だからだろうか、迷った。やばいな半年も屋敷にいて家の構造をろくに把握してできていないとは。流石に焦る。自分の家で迷子は馬鹿すぎる。
どうにか外へ出るために進み続ける。とりあえず家の端まで行けば後はどうにか出口くらいは見つけられるだろうという考えだ。華美な骨董品を横目で見ながらマイペースに歩く。久しぶりに一人で歩いている。最近ではミケラが近くにいてくれた。
ミケラがそばにいるだけで落ち着くのだ。これは彼女が私を普通の人間として扱ってくれるからなのか彼女の性質的なものからなのかはよく分からい。
( くそ!)
考えないように外に出たのちに結局考えてしまう自分がいる。私はどこまで彼女に依存しているのだろう。これでは彼女に忌み子とバレて離れられたときどうなるか分かったものではない。
「 はぁ、給料いいけどこの仕事やめようかしら。」
「 まぁいいじゃない。滅多に忌み子は出てこないんだから。」
「 そうだけどさぁ…… 」
二人の侍女が仕事をサボって愚痴り合いをしている。なんとなく現代OLに通じ合うところがある。世界線を超えても女性がおしゃべりなところは変わらないのだろう。
仕事しろ、仕事、クビにするぞ
「 でも黒影が歩き回っているのが気に入らないわ!いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃないわ!怖いったらありゃしない!」
「 接点ないじゃない。一人で忌み子の相手をしてくれるし大助かりよ。」
「 あら、あなた黒影の味方をするの?」
「 まさか!嫌われ者同士でお似合いって意味で言ったのよ。」
「 たしかに!嫌われ者同士、気が合うんでしょ。」
彼らの会話を聞いて体が固まる。けっして陰口に傷ついたわけではない。ゴミにどれだけ詰られたとしても、イラつきはすれども精神的な傷を負うことはない。硬直したのは驚きからだ。
私を世話しているのは彼女たちが口にしたとおり一人だけだ。
つまり、黒影とはミケラのことなのだろうか?
黒影とは名前から推測するに体毛や眼球の色が黒い人の蔑称なのだろう。そう、私と同じでどうしようもない、運が悪かったとしか言えない要因で理不尽に蔑まれている。
その結論に至ったとき、歓喜してしまった。心の底から湧き上がる粘着質でいてどこまでも暗い昏いヘドロのような喜悦を覚えてしまった。
彼女は私と同類、理不尽に蔑まれ、虐げられる忌まれ者。私が忌み子であることを知れば嫌われるどころか共感し依存してくれるかもしれない。それが傷の舐め合いだとしても私は受け入れるだろう。
孤独とは気が狂いそうな苦痛だ。裏切りは心を殺す猛毒だ。侮蔑の言葉は未来への希望を消し去るものだ。
不意に何もかもどうでもよくなることがあった。些細な悪意に過敏な反応をすることもあった。悔しさから、寂しさから枕を濡らすこともあった。不安で夜も眠れぬ日もあった。いつ死んでもおかしくない状況に叫びだしそうになることもあった。
ミケラはそんな私にとって救いだ。彼女が私の秘密を一つも把握しておらず感情の共有ができなくとも彼女は私にとっての救いだ。地獄に垂らされた一本の蜘蛛糸。すがりついた、失いたくなかった。一秒でも長く強くしがみついていたかった。
何度かミケラに忌み子であることを暴露しようとした。その度に裏切り者カミュの顔が脳裏をちらついた。付き合いの深かったくせになんとあっさり裏切ったことか。だから二の足を踏んだ。怖くて、恐れて、怯えて、口を閉ざした。
しかし、彼女が同胞であるのならば口は空気よりも軽くなるだろう。本心を語り、感情を交わし、心底信用し溶けるように依存しただろう。
すぐにでも眼帯を毟り取りありのままを曝け出したい。蜘蛛糸は切れぬ鋼糸だった。最早、躊躇する必要はない。
ドロドロとした喜悦が溢れているくせに心はどこまでも軽く、明るかった。ミケラの秘密を知れて良かった。これで私は絶対の絆を手に入れられる。
しかし、彼女の悪口を言っているのは許容できない。この二人の顔は覚えたのでいずれなんらかの形で償わせる。
庭には行かず部屋へと戻ろう、としてはたと立ち止まる。適当に進んだせいで帰り道が分からない。その場で180°回転してさっきの二人組へと直進していく。
「 ねえ、聞きたいことがあるのだけど。」
「 どういった御用でしょうか?」
「 ……!」
彼女らに話しかけると一人は慇懃な態度で片方は驚いて声も出せないようだ。後者は私が忌み子であることを知っているようだが前者は知らないようだ。落ち着いた様子で目上の人間に接するような態度だ。
私は少し呆れた。この女は自分の主人の顔すら知らないのだろうか?まぁ、無駄に騒がれないぶんこっちの方が好都合と考え直す。
「 忌み子の部屋へと案内して。」
「 承りました。」
私が忌み子であることを知っている女は泣きそうな顔をしながらもう一人の女を睨みつけている。内心では余計なことを言いやがってと思っているに違いない。適当に理由をつけて逃げればいいのにとも思わないでもないが混乱して思いつかないのだろう。
「 どのような要件で忌み子の部屋へと向かわれるのですか?」
「 あまり話したくはないわね。」
「 それもそうですね。忌み子などと関わなければならないなど碌なことじゃないでしょうから。」
「 そうね。」
例えばお前の職が消えたりな。
順調にヘイトを溜めていく女。その横で顔を青ざめさせている同僚。こいつ馬鹿だろ。というか使用人から話しかけるのはよろしくないはず。解雇する理由がまた一つ増えた。
「 こちらです。」
「 ありがとう。もう、戻っていいわよ。」
何度か角を曲がり目的地へと案内された。硬質な木材で作られたニスを塗ったようなツヤを放つ自室の扉。自分の部屋の扉を外から見るのは何気に数回しかないので正直あまり実感がわかない。
「 お、お嬢様 」
「 ミケラ…… 」
「 え……  ︎ 」
ミケラが丁度私の前に現れた。彼女は私の隣に侍女がいるのを見て動揺しているように見えた。ただ単純に引き篭もりの私が部屋の外に出ているのを驚いただけかもしれないが。
「 あの……違うんです…さっきのは…… 」
「 気にしていないから下がりなさい。」
「 いえ、でも…… 」
「 聞こえなかったの?下がりなさい。」
やっと私が忌み子であることを知った馬鹿な侍女は蒼白な顔で何かを弁明しようとしているがうるさいだけなので黙らす。阿保は絶望したような顔で目の前から去った。
「 中に入りましょう?」
「 ……はい。」
私の後にミケラが恐る恐る入室する。彼女はなにかを覚悟したような顔をしていた。私は彼女と向かい合い口を開く。
「 ねぇ、ミケラ一つ聞きたいことがあるのだけれどいいかしら?」
「 ……なんでもおっしゃってください。」
彼女の方が跳ねる。少しの間のあとにそう答えた。顔は能面のように固まり目には何らかの感情が浮かんでいた。それは怯えか恐怖であるだろうか。それならばどれほど嬉しいだろうか。だってそれは彼女が私に嫌われたくないと考えているということだろう?
「 あなたはこれを見てどう思う。」
「 ……え?」
左目にかかっている眼帯を取り外す。視界が一瞬揺らぎ正常なものと変わる。彼女は呆気にとられたような声を出した。黒影というものを言及されると思っていたのだろう。
「 どう?気持ち悪い?恐ろしい?悍ましい?」
黒真珠のように美しくも誰からも怖れられる恐怖の魔眼を晒す。魔力の上昇につれてうっすらと複雑な魔法陣が浮かび上がる黒眼を。忌まれ、恐れられ、疎まれる象徴を彼女はただじっと見つめていた。しばらくしておもむろに
「 黒曜石のように妖しい、魅力のある、左目でございます。」
そうミケラは答えた。そう、彼女は拒絶しなかった。受け入れたのだ。誰からも排斥される忌み子を。
歓喜、頭が真っ白になるほどの暴虐的歓喜。自然と口が動き出す。
「 私が、あなたの主人あるじでいいの?」
「 はい、私の主人あるじはお嬢様、ただ一人だけです。生涯でたった一人だけの敬愛なるご主人様です。」
「 ああ、ああ、ああああ!」
思考が全く機能しなくなり、ただ感嘆の言葉が口から漏れ出る。口角が緩やかに上がっていき笑みを形作る。ふと頰に妙な感触を覚え右手で触れるとそれは両の眼から零れ落ちる涙だった。私は気付かず泣いていた。
「 ありがとうございます 」
ミケラが感謝の言葉を述べながら私の涙を拭き取っていく。なぜ礼を言うのだろうか?それは私が言うべきなのに。だが、私の口からは嗚咽が漏れ出るばかりだった。
「 私をそこまで求めてくださりありがとうございます。」
手の甲に感じる湿った感触。顔を上げると涙を流して微笑んでいる彼女の顔が映る。彼女も同じなのだろうか?孤独のなかたった一人生きてきたのだろうか?私よりもはるかに長い時間を。彼女に抱きつく。強く、強く、力の限り抱きついた。
「 お 嬢様?」
「 ありがとう。私の従者になってくれてありがとう。私を救ってくれてありがとう。私を一人にしないでいてくれてありがとう。だから二度と離れられると思わないで。」
彼女に思いの丈をぶつける。私の孤独を払ってくれた彼女の孤独を消しとばしたかった。私にとって彼女がどれだけ必要なのか伝える。彼女はそれに体を震わして答えた。
つまり、私が彼女の救いになったということだ。歓喜を超えた狂喜。暗い昏い狂喜。
私には彼女が必要で彼女は私が必要。どう言い繕っても共依存。だがそれでもいいだろう。寄る辺が一つしかないなら縋り付いても。絶望という名の底なし沼に沈んでしまわぬよう少しでも救いを、光きぼうを求める。
「 私の側を離れないでね、ミケラ。」
「 はい、一生お側にいます。」
彼女は恍惚としたような顔で私の要求にYESと答えた。私の顔もミケラと同じようになっているのだろう。
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