サイカイのやりかた
8.異変、巻き込まれ、訳も分からず
「なん、なんだよ、これ……」
水の国西地区、そこは無法地帯の更に奥、普段誰も近寄らない人気のない施設の中。深夜の今しんっと静まり返ったその場所に修二は1人、呆然と立ち尽くしていた。隙間風の通るその施設で彼はまばたきすら忘れて目の前の光景を見続けていた。
すでにその場所は、日常の景色とは違う異変と化していた。
唯一ではなくなった扉、
家主と彼を遮っていた柵の崩壊、
月の光を室内に照らし役割を無くした壁、
まるで何かが弾け飛んだ後のように付けられた赤い塗装、
そして、彼女の不在。
何かが起こった後の室内で、しかし彼はそれらに対して疑問を口にしたわけではなかった。彼が口にした、その本当の理由は……
ツンとした鉄の臭いの、正体。
「なんでここで人が死んでるんだよ……!?」
この施設の宿主、魔人と呼ばれる特殊な種族の女の子。自分と彼女しかいないはずの場所に、
数十人の男が血を流し無残な姿で絶命していることにであった。
****
それは帰路にこの国で運河の次に多い橋の上で起こった。檻に囚われた魔人少女と友達になるための作戦を実行したその夜のこと、いつもの帰り道、いつもの景色、記憶にも残らないような帰り道を歩いていた修二は立ち止まった。何かを感じ取ったわけではない、殺気を感じたなどの能力は彼にはない、ただ
彼の目に見えたのだ、異変が彼の正面とその後ろから忽然と現すその姿が。
「おい」
「は、はいぃぃ!?」
それは、橋を取り囲む十数人の男達。若者から中年の男性まで年齢様々な男が各々武器を手に修二に近づいてくる。ジリジリと詰められる修二の背が橋の欄干に触れる。
「お、おおお金は持ってないです、まじです、これ財布です」
「いや金じゃなくてだな……うお軽っ、本当に財布か!?」
「うぅ、財布なんです、財布なんですよ!」
男が何かを言うより早く修二は懐をごそごそとし始め、小さなポーチを取り出した。中に入っている数枚の硬貨に唖然とする男たちからそれを取り返しつつ、修二はなぜ彼らが自身を取り囲んでいるのかを必死に考えていた。しかし答えなど出るはずもなく、男の発言を待った。
「お前、最近無法地帯によく出入りしているよな。俺たちの間で噂になってるんだが」
「い、一応、目立たないように隠れてたつもりなんですけどっ」
「俺たちは見た目弱そうないいカモを見つけるのが仕事みたいなもんだからな」
「いやいやそれで俺をって理由になってな……あの、全会一致で頷かないでもらえませんか凄いキツいんですけど、泣きそうなんですけど!」
わざわざ遠回りまでして人気のできる限り少ない道を通り路に選んでいたはず、そう思っていたのは本人だけだったようだ。
「カモだと、俺も最近まで思ってたんだがな。まさかお前が『闇討ち犯』だったとは恐れ入ったぜ」
「……はい?え、何言ってんの?」
ぽかんとした。ゆっくりと男の言ったことを頭の中で思い返し、男の本題が自身と全く関係のないということに気づく。この男たちが勘違いしていると分かり修二は安堵の息をはき、
「な、なんだ、人違いですよ人違い。その闇討ち犯ってのは他にいますから、だからほら、俺は全く関係な――」
「嘘つくんじゃねぇよ。だったらテメェがこの無法地帯に現れ始めてから始まったことはどう説明すんだ、アァ!?」
「……え」
「テメェが現れた日と『闇討ち』が始まった日がたまたま同じ日だった、なんてこと言わねぇよな?」
「……えぇ……?」
開いた口を、今度こそ閉じる事ができなかった。男たちにはあったのだ、彼を『闇討ち』と決め打つその理由が。『闇討ち』の始まった日と、修二が魔人の世話を任命された日が同じであるという偶々にしては出来過ぎなその根拠が。
ただ、それは偶々の出来事である。
彼が無法地帯を訪れ始めた目的は『魔人少女にご飯を届けること』だけ、そもそもサイカイ兵士という忌み名のある彼には闇討ちなどできるはずもないがこの男たちはそれを知らない。
「ち、ちち違いますよ、俺じゃありません!俺、なんて出来るわけないじゃないですか!俺がば、化け物に見えますか!?」
「ボロ出したな。お前はなんで『闇討ち』の正体が『化け物』と言われていると知っている。俺たちの仲間だけがそれを言ってたんだぜ?」
「え、そ、それは、変にくっ付いてくる情報屋が勝手に話したからで……」
「おいおい情報屋の知り合いまでいんのかよ、そりゃあ『闇討ち』もしやすかっただろうなァ!」
「のぉぉぉぉ、ちがうんだってば!」
藪蛇とはまさにこのこと。否定しようとすればするほど、誤解が深まってしまった。
頭を振りいやいやと抗議する修二だが、これ以上はどうしようもなかった。バカな彼でも、真実を話しても無駄であることは理解していたのだ。
彼の本当の目的を説明するためには『魔人』の説明をしなければならなかったからだ。
兵士になるために勉学に努めた修二ですら知らず、この国の歴史からも抹消された存在。それを今この場で言ったところで慌てながらに言ったデマカセと取られて終わりだ。
ゴンッ!男は黙ったままの修二を持ち上げ橋に叩きつけた。
「テメェの弁解を聞きに来たわけじゃねぇんだ、ここで死ね」
ひっ!と生唾をのみ込み震える修二、次の瞬間に顔は真横を向いていた。殴られた、そう判断するまでにしばらく時間がかかってしまう。橋の上に倒れ頬を抑える修二にはもう余裕がない。
――い、痛いっ、痛いっ……も、もういい、信じてくれたらラッキーくらいで本当のことを言おう。もう殴られるのは嫌だ!
「本当に、本当に違うんだ、その、俺は魔人の世話を――っ」
言ってしまった先のことなど考える余裕もない青年がただ現状を打破するためだけ口を開こうとしたその時、
――ゴシャァァァァァァ……
橋が揺れた。
それは地響き、何かの衝撃が地面を揺らし轟音と共に橋を揺らす。予期せぬ揺れに男達は慌てて辺りを見渡す中、
幸運、修二は1人それを好機と捉えていた。本人も予想などしなかった突然の幸運、これを逃せばもう後はないと火事場の馬鹿力とでも言わんばかりの機転であった。地響きにより男達の集まりが乱れ、彼らの間に隙間が生み出されていた。考える暇などなかった。
「おさらばっ!」
平均より小さめの体をした修二は、その体をグイッと男たちの間に刷り込ませる。地響きはたった数秒でその動きを止め、先ほどと同じようなシンとした空間が訪れた。
ただ、
「……あ、貧乏がいねぇ!?」
「あそこだ!」
彼らが揺れに意識を持っていかれた隙に修二は男達の囲いを見事脱出し、彼らが視界に捉えた時にはすでに修二は全力で走り出していた後だった。
「逃げやがった!やっぱりあいつが犯人で間違いねぇ全員で叩き殺しちまえ、次期総長の仇を返してやれやぁぁぁぁあ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁああああ見つかったぁぁぁぁああ!誰か助けてぇぇぇぇえええ!?」
一人に続き、咆哮のような声が夜の橋に響き渡る。後ろ手にその威圧を受けながら、修二は振り返ることなくただ四肢を動かす。
捕まってしまえば最後、言い訳は通用しないという崖っぷちの状況で、目的もなく、ただ逃げる事だけを考えて走るサイカイ兵士。走りながら、どうして逃げているのか、何故自分が不幸に見舞われているのか、そもそも闇討ちとは何なのかと考えながら、
「「待てやゴラァァァァアアア!!」」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!どうしてこんな目にぃぃぃいいいい!」
自分の不運に、嘆く。
回り始めた歯車は、彼と彼女を軸に高速で回転していく。
***** 
異変。
彼はもうすでに日常からかけ離れた場所に立っていたことを自身が知ることとなる。
「やっ、やっと着いた……追っ手は、いないよな」
それはただ、ごく普通の日常に突然現れるものであり、それはまるで水面に水が落ち広がるように落ちたところを始点として広がっていくようなものであった。
彼が訪れたのはこの無法地帯呼ばれる地区で、唯一知っている場所。左に曲がれば少し進んで右に曲がらということを続けた結果、たどり着けた場所。毎日顔を出し、そこにいるワガママな宿主にご飯を届けた、彼の日常にある場所であった。
「とりあえず今日はあの銀髪娘のところでじっとしてよう。明日の朝にはきっとなんとかな…………なんだ、この変な匂い?」
無駄に独り言を喋りながら彼はその日常を過ごしていた場所に戻るために道を曲がる。その先にある一本道を進んだ先に、彼の求める日常があるのだ。
もう一度言う。
日常が変化するからこそ、異変と呼ばれ、橋での遭遇から彼はすでにその日常からかけ離れた異変の中にいるのだ。
「ぅぇ……な、なに、これ……??」
修二は目の前の現状に腰を抜かし尻餅をついた。薄暗い一本道、その先にある大きな鉄の扉。昼までさえ人気が全くないこの場所は、夜も変わらずしんっと静まり不気味な雰囲気を漂わせている。
そのはずだった。
「ぅぁ、あ、ぁああああああああああ!?!?ひ、ひと、人が、死んでる……!?!?」
震える口を無意識に動かし、現状の理解が追いつかない頭を必死に動かす。震える体が言うことをきかないのか、目が動かない。
今まで一度たりとも見たことがない、人間の死体がそこにあった。それも一つではなく十数人の男が、まるで捨てられたゴミのように転がっている現状に頭が回らない。
まるで壁に埋め込められたかのようにぴったりと張り付いたまま絶命している者、修二のいる方向へ手を伸ばしたまま地面に倒れている者、腹部上から下に切り裂かれた者、壁に寄りかかった状態で目を見開き、涙が頬を伝っている者、そして体の上下がまるで人形のように分離された者。
無機物のように生命を感じない彼らの姿に、修二は言葉を失ってしまう。
「……ぅ……ぉぇぇえ、ぁぁぁ!?」
静寂が包む中、修二はその初めて見る人間の醜い死体に込み上げてくる吐き気を堪えきれず吐き出す。
震える体を両手で包み、顔を伏せる。何故自分はこの地獄を絵にしたような現実を見せられているのかと、自身の制御が効かなくなった修二は頭を抑え、ただ叫ぶ。
ーーな、なんで、なにが、血が、人が、腕、離れ、さっき通った時はなにも、なんでこんなこと、足が、壁が、ドアが、
…………え?
目を回しながら思考が正常ではないまま回り続け、パニックに陥った彼が、その動きを止めた。目が、その一点で固定され、自身の呼吸に意識が向かう。
それは目の前の惨劇、よりも先にあるもう一つの異変。一本道の先の、大きな鉄の扉。見た目通り重量のある鉄の扉が、誰かが覗けるほどのすきまで開いている。
そう、開いているのだ。自身の重量で勝手にしまってしまうその重たい扉が。
「なん、なに、あれは……」
修二が見ていたのは、その隙間の下。しゃがんだ位置から見える――
「……手?」
室内から伸びた一本の手。彼の、唯一の友人と呼べそうな彼女の室内から伸びた血のついた手だ。
ドクンッ、修二の心臓が音を立て跳ねる。ろくに考えも働かなくなった頭が、たった一つの仮説に行き着く。あの施設にいるのは、彼のよく知る人物しかいない。
「ぁ、あぁ……あぁぁあああ!?」
ふらつく体に力を入れ走り出す。信じたくない、望まない可能性を消すため、彼は男たちの死体に足をかけられながらも駆ける。
扉に挟まれた腕を再度確認し、瞼を強く閉じながらドアノブを握った。ペチャッという水っぽい音を出しながら、ゆっくりと開いたその先、受け止めたくない現実が襲いかかってくることに覚悟が決まらないまま、ただその真実を見るために修二は顔を覗かせる。
「ひっ……!!」
開けた扉の先、地面に溢れた血が開けた扉の隙間から流れ漏れる。自身の靴に当たりそうになり下げながらも、修二は腕の先を確認する。腕から目線を少しずつ持ち上げ、何度も瞬きをする目を必死に動かし、その先の真実を、見る。
「お、ぉお、お、男……さ、さっきの、人たちの、仲間?」
そこには、一本道と同じく鍛えられた体つきをした男が倒れていた。腹部から漏れ出た血液が床いっぱいに広がっているが、彼が最も恐れていた結果ではなかったことに安堵し、それと同時に気づく。
「じゃあ、銀髪娘は中はどうなってーー!?」
男が扉の先で死んでいるのであればその先にいるはずの彼女はどうなっているのか、と。
そうして、彼はその扉の先へ向かう。
開けてしまってはもう日常には戻れないと、知らないままに。
*****
「なん、なんだよ……これ」
   シンッと静まり返った室内、なにが、なんで、どうしてと繰り返す。深夜の今しんっと静まり返ったその場所で彼はただ呆然と立ち尽くしていた。隙間風の通るその施設で彼はまばたきすら忘れて目の前の光景を見続けている。
室内での異変は、四つ存在した。
一つは明かり。唯一ある扉を閉めてしまえば、暗闇になってしまう部屋のはずが、部屋にいた男から流れ出た血液をも見れるほどに明るくなっていたこと。
一つは柵。世話係の彼と、魔人を唯一隔てる頑丈な柵が、粉々に砕かれていたこと。まるで何か魔人が住んでいた方からの強い衝撃に耐えられなかったかのように折れた部分が扉の方に曲がっている。
一つは入り口。この施設には、彼の後ろにある頑丈な扉しか出入り口がないのだが、今現在、ここには二つの出入り口がある。柵を挟んだ彼女の居住スペース。その左の壁が柵と同じように破壊され外へとつながっていた。室内にはその破片と思われる鉄の塊が血の上に散乱している。
そして最後、もう一つの異変はここの家主。いつも惰眠を貪っていたベッドにも、ご飯を食べる時だけ移動する端にも、どこにも彼女の存在がなかった。彼の唯一日常で知り合いなれた彼女、この異変が続く状況で、彼の心のよりどころにすらなりかけた彼女が存在しない状況に、少しだけ落ち着いたはずの頭が再び熱を発する。
「……なにが、どうなってるんだよ」
この現状今自分が置かれている状況を少しでも忘れるため、何かを考える必要があった。疑惑、疑念、彼の中に渦巻く謎の答えを得るために。そんな彼の元に、
「いやがったなクソ野郎」  
「ッ!?」
先ほど橋で彼を囲っていた男たちが現れる。橋にいた時よりやけに落ち着いたような、殺気を隠すかのような様子の彼らに修二は肩を震わせる。
「テメェをナめていた、見た目に騙されたぜ。見失った数十分で俺たちの仲間をここまで無残に殺っちまうなんてな、総長もそうやって殺したのか?」
「え?……あっ、ち、違う!違うんだ、俺がこれをしたわけじゃ――ウグッ!?」
修二は理解した。彼らがこの現状、この惨劇を誰が行なったと思っているのか。彼らにとっては修二こそが『闇討ち』、その彼の周りに死体があればどう思うのか。
修二が弁解するより早く男は修二の懐まで勢いよく走り込むと、速度を維持したまま彼の首を持ち上げた。目を見開きもがく修二、男は容赦なくその腕に力を込め首を絞め上げる。
「いい加減にしろよ。この現状で誰が信じるか」
「ちがっ……がっ……何もして……!」
「まだ言うか」
掻き毟るように首に巻きついた腕を擦り否定する修二の鳩尾に男の蹴りが叩き込まれた。くの字に体を曲げ床に這い蹲る修二はベッドに背を預けた。ひゅーひゅーとなんとか呼吸をしながら意識を保たせる修二の鳩尾を男は容赦なく蹴り込む。
「すぐには殺さねぇ。テメェは踠いて、苦しんで、俺たちの怒りをその身に充分に浴びてから死にやがれ。お前が俺たちにしたように俺達がテメェを殺してやるよ、おい貸せ」
男は動かなくなった修二から一度離れると、仲間から鉄パイプを受け取る。そして、
ゴンッ!
容赦なく振り下ろした。
「あぐっ……ぁぁああああああああっ!?」
鈍い音が鳴る。今まで黙って殴られていた修二だが、風船が破裂するかのようにワッと声を荒げる。
「ま、待って、本当に、俺じゃないんだ、だからもう殴らなーー」
「うるせぇよ」
痙攣し震える彼の体に男は無表情のままもう二度、三度と振り下ろしていく。絶叫が、声がカラカラになるまで施設に響く。
――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。俺じゃない、俺は殺してない、闇討ちもやってない……なんで、なんで……
「ない……」
「あ?」
「俺じゃない、本当に俺じゃないんだよ!なんで俺がこんな目に、なんで殴られなきゃならないの、なんでそんな目で見られないといけないの!俺は、何もやってないのになんで、こんな目にぃぃいいいい!」
回数が10を超えた頃、男が息を切らし始めた辺りでもう声も出なくなったはずの修二の口が小さく動く。そして今まで耐えていた、いや耐えなければいけないと抑えていたものが溢れ出す。
流れる涙も、熱い頬もそのままに、隠すことをやめた彼は怖いものなどないと男の腰にしがみつき力を込めた。……が、その程度でどうにかなる相手なわけもなく、振り下ろされた腕が背中に突き刺さる。
「な、テメェ、離れやがれ!」
「ぐっ……うぅ、違う、俺じゃない、俺は何もしてな……!」
「ま、まだ言ってんのか。テメェじゃないんだったら一体誰がやったってんだ、言ってみろよ!」
「だ、だれがっ、やったか……?」
それでもとしがみつく修二、先ほどよりも否定の姿勢を見せる彼を蹴り飛ばしながら、男は彼に問う。ベッドに体を打つけて止まった修二は考えた。彼らの言う『闇討ち』とは誰なのか、自分をこの異変に巻き込んだ張本人は誰なのか。
しかし、彼も正常では無かった。痛む身体による恐怖、男たちの前で涙を流す哀れな自身の姿への失望、それでも勝てない才能の無さへの自覚。それらが彼の中で溢れる混ぜ狂い、
『誰でもいいから、自分じゃない他の誰かに』という思考へと、陥る。そうして彼は視線を動かす。
最初は倒れた男達。この地区に住んでいる以上ある程度の力量はあり、その体格からも鍛えられていることは明白である。その彼らが殺されたのであれば相手も相当の実力者であると考えられた。
「ま……」
次に天井、この施設。ここは彼と家主しか知らない場所であり、人通りも少なく、修二が来て数週間、一度として人が通ったことはない。
「まじ……」
最後に彼が向けた先はベッドとその先の壊れた壁。ここにいた家主は今いない。状況から見て壁を壊し外へ出て行ってしまったのだろう。
ーーやっ、ぱり。
目の前の光景を見直し、今までのことも考えて結論付けてしまう。
それだけで判断するにはあまりにも軽率。しかし、彼の思考はすでに否定するほどの余裕はない。修二は乾いた笑みを浮かべ、下唇を噛み締めながら、
「……ま、じん……」
振り絞るような声で、続けた。
「魔人。これをやったのは魔人の銀髪娘なんだよ、俺じゃない……お前らの仲間もみんな、魔人がやったんだ!」
彼は自身の最も望まなかった答えを、絶叫するかの様に叫んだ。
水の国西地区、そこは無法地帯の更に奥、普段誰も近寄らない人気のない施設の中。深夜の今しんっと静まり返ったその場所に修二は1人、呆然と立ち尽くしていた。隙間風の通るその施設で彼はまばたきすら忘れて目の前の光景を見続けていた。
すでにその場所は、日常の景色とは違う異変と化していた。
唯一ではなくなった扉、
家主と彼を遮っていた柵の崩壊、
月の光を室内に照らし役割を無くした壁、
まるで何かが弾け飛んだ後のように付けられた赤い塗装、
そして、彼女の不在。
何かが起こった後の室内で、しかし彼はそれらに対して疑問を口にしたわけではなかった。彼が口にした、その本当の理由は……
ツンとした鉄の臭いの、正体。
「なんでここで人が死んでるんだよ……!?」
この施設の宿主、魔人と呼ばれる特殊な種族の女の子。自分と彼女しかいないはずの場所に、
数十人の男が血を流し無残な姿で絶命していることにであった。
****
それは帰路にこの国で運河の次に多い橋の上で起こった。檻に囚われた魔人少女と友達になるための作戦を実行したその夜のこと、いつもの帰り道、いつもの景色、記憶にも残らないような帰り道を歩いていた修二は立ち止まった。何かを感じ取ったわけではない、殺気を感じたなどの能力は彼にはない、ただ
彼の目に見えたのだ、異変が彼の正面とその後ろから忽然と現すその姿が。
「おい」
「は、はいぃぃ!?」
それは、橋を取り囲む十数人の男達。若者から中年の男性まで年齢様々な男が各々武器を手に修二に近づいてくる。ジリジリと詰められる修二の背が橋の欄干に触れる。
「お、おおお金は持ってないです、まじです、これ財布です」
「いや金じゃなくてだな……うお軽っ、本当に財布か!?」
「うぅ、財布なんです、財布なんですよ!」
男が何かを言うより早く修二は懐をごそごそとし始め、小さなポーチを取り出した。中に入っている数枚の硬貨に唖然とする男たちからそれを取り返しつつ、修二はなぜ彼らが自身を取り囲んでいるのかを必死に考えていた。しかし答えなど出るはずもなく、男の発言を待った。
「お前、最近無法地帯によく出入りしているよな。俺たちの間で噂になってるんだが」
「い、一応、目立たないように隠れてたつもりなんですけどっ」
「俺たちは見た目弱そうないいカモを見つけるのが仕事みたいなもんだからな」
「いやいやそれで俺をって理由になってな……あの、全会一致で頷かないでもらえませんか凄いキツいんですけど、泣きそうなんですけど!」
わざわざ遠回りまでして人気のできる限り少ない道を通り路に選んでいたはず、そう思っていたのは本人だけだったようだ。
「カモだと、俺も最近まで思ってたんだがな。まさかお前が『闇討ち犯』だったとは恐れ入ったぜ」
「……はい?え、何言ってんの?」
ぽかんとした。ゆっくりと男の言ったことを頭の中で思い返し、男の本題が自身と全く関係のないということに気づく。この男たちが勘違いしていると分かり修二は安堵の息をはき、
「な、なんだ、人違いですよ人違い。その闇討ち犯ってのは他にいますから、だからほら、俺は全く関係な――」
「嘘つくんじゃねぇよ。だったらテメェがこの無法地帯に現れ始めてから始まったことはどう説明すんだ、アァ!?」
「……え」
「テメェが現れた日と『闇討ち』が始まった日がたまたま同じ日だった、なんてこと言わねぇよな?」
「……えぇ……?」
開いた口を、今度こそ閉じる事ができなかった。男たちにはあったのだ、彼を『闇討ち』と決め打つその理由が。『闇討ち』の始まった日と、修二が魔人の世話を任命された日が同じであるという偶々にしては出来過ぎなその根拠が。
ただ、それは偶々の出来事である。
彼が無法地帯を訪れ始めた目的は『魔人少女にご飯を届けること』だけ、そもそもサイカイ兵士という忌み名のある彼には闇討ちなどできるはずもないがこの男たちはそれを知らない。
「ち、ちち違いますよ、俺じゃありません!俺、なんて出来るわけないじゃないですか!俺がば、化け物に見えますか!?」
「ボロ出したな。お前はなんで『闇討ち』の正体が『化け物』と言われていると知っている。俺たちの仲間だけがそれを言ってたんだぜ?」
「え、そ、それは、変にくっ付いてくる情報屋が勝手に話したからで……」
「おいおい情報屋の知り合いまでいんのかよ、そりゃあ『闇討ち』もしやすかっただろうなァ!」
「のぉぉぉぉ、ちがうんだってば!」
藪蛇とはまさにこのこと。否定しようとすればするほど、誤解が深まってしまった。
頭を振りいやいやと抗議する修二だが、これ以上はどうしようもなかった。バカな彼でも、真実を話しても無駄であることは理解していたのだ。
彼の本当の目的を説明するためには『魔人』の説明をしなければならなかったからだ。
兵士になるために勉学に努めた修二ですら知らず、この国の歴史からも抹消された存在。それを今この場で言ったところで慌てながらに言ったデマカセと取られて終わりだ。
ゴンッ!男は黙ったままの修二を持ち上げ橋に叩きつけた。
「テメェの弁解を聞きに来たわけじゃねぇんだ、ここで死ね」
ひっ!と生唾をのみ込み震える修二、次の瞬間に顔は真横を向いていた。殴られた、そう判断するまでにしばらく時間がかかってしまう。橋の上に倒れ頬を抑える修二にはもう余裕がない。
――い、痛いっ、痛いっ……も、もういい、信じてくれたらラッキーくらいで本当のことを言おう。もう殴られるのは嫌だ!
「本当に、本当に違うんだ、その、俺は魔人の世話を――っ」
言ってしまった先のことなど考える余裕もない青年がただ現状を打破するためだけ口を開こうとしたその時、
――ゴシャァァァァァァ……
橋が揺れた。
それは地響き、何かの衝撃が地面を揺らし轟音と共に橋を揺らす。予期せぬ揺れに男達は慌てて辺りを見渡す中、
幸運、修二は1人それを好機と捉えていた。本人も予想などしなかった突然の幸運、これを逃せばもう後はないと火事場の馬鹿力とでも言わんばかりの機転であった。地響きにより男達の集まりが乱れ、彼らの間に隙間が生み出されていた。考える暇などなかった。
「おさらばっ!」
平均より小さめの体をした修二は、その体をグイッと男たちの間に刷り込ませる。地響きはたった数秒でその動きを止め、先ほどと同じようなシンとした空間が訪れた。
ただ、
「……あ、貧乏がいねぇ!?」
「あそこだ!」
彼らが揺れに意識を持っていかれた隙に修二は男達の囲いを見事脱出し、彼らが視界に捉えた時にはすでに修二は全力で走り出していた後だった。
「逃げやがった!やっぱりあいつが犯人で間違いねぇ全員で叩き殺しちまえ、次期総長の仇を返してやれやぁぁぁぁあ!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁああああ見つかったぁぁぁぁああ!誰か助けてぇぇぇぇえええ!?」
一人に続き、咆哮のような声が夜の橋に響き渡る。後ろ手にその威圧を受けながら、修二は振り返ることなくただ四肢を動かす。
捕まってしまえば最後、言い訳は通用しないという崖っぷちの状況で、目的もなく、ただ逃げる事だけを考えて走るサイカイ兵士。走りながら、どうして逃げているのか、何故自分が不幸に見舞われているのか、そもそも闇討ちとは何なのかと考えながら、
「「待てやゴラァァァァアアア!!」」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!どうしてこんな目にぃぃぃいいいい!」
自分の不運に、嘆く。
回り始めた歯車は、彼と彼女を軸に高速で回転していく。
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異変。
彼はもうすでに日常からかけ離れた場所に立っていたことを自身が知ることとなる。
「やっ、やっと着いた……追っ手は、いないよな」
それはただ、ごく普通の日常に突然現れるものであり、それはまるで水面に水が落ち広がるように落ちたところを始点として広がっていくようなものであった。
彼が訪れたのはこの無法地帯呼ばれる地区で、唯一知っている場所。左に曲がれば少し進んで右に曲がらということを続けた結果、たどり着けた場所。毎日顔を出し、そこにいるワガママな宿主にご飯を届けた、彼の日常にある場所であった。
「とりあえず今日はあの銀髪娘のところでじっとしてよう。明日の朝にはきっとなんとかな…………なんだ、この変な匂い?」
無駄に独り言を喋りながら彼はその日常を過ごしていた場所に戻るために道を曲がる。その先にある一本道を進んだ先に、彼の求める日常があるのだ。
もう一度言う。
日常が変化するからこそ、異変と呼ばれ、橋での遭遇から彼はすでにその日常からかけ離れた異変の中にいるのだ。
「ぅぇ……な、なに、これ……??」
修二は目の前の現状に腰を抜かし尻餅をついた。薄暗い一本道、その先にある大きな鉄の扉。昼までさえ人気が全くないこの場所は、夜も変わらずしんっと静まり不気味な雰囲気を漂わせている。
そのはずだった。
「ぅぁ、あ、ぁああああああああああ!?!?ひ、ひと、人が、死んでる……!?!?」
震える口を無意識に動かし、現状の理解が追いつかない頭を必死に動かす。震える体が言うことをきかないのか、目が動かない。
今まで一度たりとも見たことがない、人間の死体がそこにあった。それも一つではなく十数人の男が、まるで捨てられたゴミのように転がっている現状に頭が回らない。
まるで壁に埋め込められたかのようにぴったりと張り付いたまま絶命している者、修二のいる方向へ手を伸ばしたまま地面に倒れている者、腹部上から下に切り裂かれた者、壁に寄りかかった状態で目を見開き、涙が頬を伝っている者、そして体の上下がまるで人形のように分離された者。
無機物のように生命を感じない彼らの姿に、修二は言葉を失ってしまう。
「……ぅ……ぉぇぇえ、ぁぁぁ!?」
静寂が包む中、修二はその初めて見る人間の醜い死体に込み上げてくる吐き気を堪えきれず吐き出す。
震える体を両手で包み、顔を伏せる。何故自分はこの地獄を絵にしたような現実を見せられているのかと、自身の制御が効かなくなった修二は頭を抑え、ただ叫ぶ。
ーーな、なんで、なにが、血が、人が、腕、離れ、さっき通った時はなにも、なんでこんなこと、足が、壁が、ドアが、
…………え?
目を回しながら思考が正常ではないまま回り続け、パニックに陥った彼が、その動きを止めた。目が、その一点で固定され、自身の呼吸に意識が向かう。
それは目の前の惨劇、よりも先にあるもう一つの異変。一本道の先の、大きな鉄の扉。見た目通り重量のある鉄の扉が、誰かが覗けるほどのすきまで開いている。
そう、開いているのだ。自身の重量で勝手にしまってしまうその重たい扉が。
「なん、なに、あれは……」
修二が見ていたのは、その隙間の下。しゃがんだ位置から見える――
「……手?」
室内から伸びた一本の手。彼の、唯一の友人と呼べそうな彼女の室内から伸びた血のついた手だ。
ドクンッ、修二の心臓が音を立て跳ねる。ろくに考えも働かなくなった頭が、たった一つの仮説に行き着く。あの施設にいるのは、彼のよく知る人物しかいない。
「ぁ、あぁ……あぁぁあああ!?」
ふらつく体に力を入れ走り出す。信じたくない、望まない可能性を消すため、彼は男たちの死体に足をかけられながらも駆ける。
扉に挟まれた腕を再度確認し、瞼を強く閉じながらドアノブを握った。ペチャッという水っぽい音を出しながら、ゆっくりと開いたその先、受け止めたくない現実が襲いかかってくることに覚悟が決まらないまま、ただその真実を見るために修二は顔を覗かせる。
「ひっ……!!」
開けた扉の先、地面に溢れた血が開けた扉の隙間から流れ漏れる。自身の靴に当たりそうになり下げながらも、修二は腕の先を確認する。腕から目線を少しずつ持ち上げ、何度も瞬きをする目を必死に動かし、その先の真実を、見る。
「お、ぉお、お、男……さ、さっきの、人たちの、仲間?」
そこには、一本道と同じく鍛えられた体つきをした男が倒れていた。腹部から漏れ出た血液が床いっぱいに広がっているが、彼が最も恐れていた結果ではなかったことに安堵し、それと同時に気づく。
「じゃあ、銀髪娘は中はどうなってーー!?」
男が扉の先で死んでいるのであればその先にいるはずの彼女はどうなっているのか、と。
そうして、彼はその扉の先へ向かう。
開けてしまってはもう日常には戻れないと、知らないままに。
*****
「なん、なんだよ……これ」
   シンッと静まり返った室内、なにが、なんで、どうしてと繰り返す。深夜の今しんっと静まり返ったその場所で彼はただ呆然と立ち尽くしていた。隙間風の通るその施設で彼はまばたきすら忘れて目の前の光景を見続けている。
室内での異変は、四つ存在した。
一つは明かり。唯一ある扉を閉めてしまえば、暗闇になってしまう部屋のはずが、部屋にいた男から流れ出た血液をも見れるほどに明るくなっていたこと。
一つは柵。世話係の彼と、魔人を唯一隔てる頑丈な柵が、粉々に砕かれていたこと。まるで何か魔人が住んでいた方からの強い衝撃に耐えられなかったかのように折れた部分が扉の方に曲がっている。
一つは入り口。この施設には、彼の後ろにある頑丈な扉しか出入り口がないのだが、今現在、ここには二つの出入り口がある。柵を挟んだ彼女の居住スペース。その左の壁が柵と同じように破壊され外へとつながっていた。室内にはその破片と思われる鉄の塊が血の上に散乱している。
そして最後、もう一つの異変はここの家主。いつも惰眠を貪っていたベッドにも、ご飯を食べる時だけ移動する端にも、どこにも彼女の存在がなかった。彼の唯一日常で知り合いなれた彼女、この異変が続く状況で、彼の心のよりどころにすらなりかけた彼女が存在しない状況に、少しだけ落ち着いたはずの頭が再び熱を発する。
「……なにが、どうなってるんだよ」
この現状今自分が置かれている状況を少しでも忘れるため、何かを考える必要があった。疑惑、疑念、彼の中に渦巻く謎の答えを得るために。そんな彼の元に、
「いやがったなクソ野郎」  
「ッ!?」
先ほど橋で彼を囲っていた男たちが現れる。橋にいた時よりやけに落ち着いたような、殺気を隠すかのような様子の彼らに修二は肩を震わせる。
「テメェをナめていた、見た目に騙されたぜ。見失った数十分で俺たちの仲間をここまで無残に殺っちまうなんてな、総長もそうやって殺したのか?」
「え?……あっ、ち、違う!違うんだ、俺がこれをしたわけじゃ――ウグッ!?」
修二は理解した。彼らがこの現状、この惨劇を誰が行なったと思っているのか。彼らにとっては修二こそが『闇討ち』、その彼の周りに死体があればどう思うのか。
修二が弁解するより早く男は修二の懐まで勢いよく走り込むと、速度を維持したまま彼の首を持ち上げた。目を見開きもがく修二、男は容赦なくその腕に力を込め首を絞め上げる。
「いい加減にしろよ。この現状で誰が信じるか」
「ちがっ……がっ……何もして……!」
「まだ言うか」
掻き毟るように首に巻きついた腕を擦り否定する修二の鳩尾に男の蹴りが叩き込まれた。くの字に体を曲げ床に這い蹲る修二はベッドに背を預けた。ひゅーひゅーとなんとか呼吸をしながら意識を保たせる修二の鳩尾を男は容赦なく蹴り込む。
「すぐには殺さねぇ。テメェは踠いて、苦しんで、俺たちの怒りをその身に充分に浴びてから死にやがれ。お前が俺たちにしたように俺達がテメェを殺してやるよ、おい貸せ」
男は動かなくなった修二から一度離れると、仲間から鉄パイプを受け取る。そして、
ゴンッ!
容赦なく振り下ろした。
「あぐっ……ぁぁああああああああっ!?」
鈍い音が鳴る。今まで黙って殴られていた修二だが、風船が破裂するかのようにワッと声を荒げる。
「ま、待って、本当に、俺じゃないんだ、だからもう殴らなーー」
「うるせぇよ」
痙攣し震える彼の体に男は無表情のままもう二度、三度と振り下ろしていく。絶叫が、声がカラカラになるまで施設に響く。
――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。俺じゃない、俺は殺してない、闇討ちもやってない……なんで、なんで……
「ない……」
「あ?」
「俺じゃない、本当に俺じゃないんだよ!なんで俺がこんな目に、なんで殴られなきゃならないの、なんでそんな目で見られないといけないの!俺は、何もやってないのになんで、こんな目にぃぃいいいい!」
回数が10を超えた頃、男が息を切らし始めた辺りでもう声も出なくなったはずの修二の口が小さく動く。そして今まで耐えていた、いや耐えなければいけないと抑えていたものが溢れ出す。
流れる涙も、熱い頬もそのままに、隠すことをやめた彼は怖いものなどないと男の腰にしがみつき力を込めた。……が、その程度でどうにかなる相手なわけもなく、振り下ろされた腕が背中に突き刺さる。
「な、テメェ、離れやがれ!」
「ぐっ……うぅ、違う、俺じゃない、俺は何もしてな……!」
「ま、まだ言ってんのか。テメェじゃないんだったら一体誰がやったってんだ、言ってみろよ!」
「だ、だれがっ、やったか……?」
それでもとしがみつく修二、先ほどよりも否定の姿勢を見せる彼を蹴り飛ばしながら、男は彼に問う。ベッドに体を打つけて止まった修二は考えた。彼らの言う『闇討ち』とは誰なのか、自分をこの異変に巻き込んだ張本人は誰なのか。
しかし、彼も正常では無かった。痛む身体による恐怖、男たちの前で涙を流す哀れな自身の姿への失望、それでも勝てない才能の無さへの自覚。それらが彼の中で溢れる混ぜ狂い、
『誰でもいいから、自分じゃない他の誰かに』という思考へと、陥る。そうして彼は視線を動かす。
最初は倒れた男達。この地区に住んでいる以上ある程度の力量はあり、その体格からも鍛えられていることは明白である。その彼らが殺されたのであれば相手も相当の実力者であると考えられた。
「ま……」
次に天井、この施設。ここは彼と家主しか知らない場所であり、人通りも少なく、修二が来て数週間、一度として人が通ったことはない。
「まじ……」
最後に彼が向けた先はベッドとその先の壊れた壁。ここにいた家主は今いない。状況から見て壁を壊し外へ出て行ってしまったのだろう。
ーーやっ、ぱり。
目の前の光景を見直し、今までのことも考えて結論付けてしまう。
それだけで判断するにはあまりにも軽率。しかし、彼の思考はすでに否定するほどの余裕はない。修二は乾いた笑みを浮かべ、下唇を噛み締めながら、
「……ま、じん……」
振り絞るような声で、続けた。
「魔人。これをやったのは魔人の銀髪娘なんだよ、俺じゃない……お前らの仲間もみんな、魔人がやったんだ!」
彼は自身の最も望まなかった答えを、絶叫するかの様に叫んだ。
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