勇者の魂を受け継いだ問題児
*深窓の氷姫―4*
「…………。行ったか……」
ルセリアを見送った後、振り返って、今度は自分の後ろに倒れている悪魔に目をやった。
その悪魔は首を刎ねられたというのに、苦悶の表情の一つも浮かべず、穏やかな表情でそこに倒れていた。
その悪魔を、ルキリアは殺意を込めて睨み付け、先ほどまで妹と話していた穏やかな声音とは裏腹に、低く冷たい声で言った。
「……いつまで、そうしているつもりだ? 魔王軍幹部、第二位。時の将魔ヴィーデ」
ルキリアが悪魔の死体を睨み付けて、そう言い放った瞬間―――。
首と胴体が斬り離され、既に死んだはずの悪魔の口角が妖しく釣り上がり、閉じていたはずの悪魔の目がギロリと開いた。
―――刹那。
「……ククク……。妹との最期の挨拶はもう済んだかの?」
「……っ……!」
気づいたら、倒れていた場所には悪魔はもういない。その声は、ルキリアの背後に立たれ、耳元で囁かれた言葉だった。
ルキリアの右腕はヴィーデの物凄い力で押さえつけられ、動かす事も出来ない。
「さて、まずは妾の首を二度も刎ねた事……褒めてやるぞ?」
「……抜かせ。最初からまともに力も出さず、私相手に遊んでいただけのくせに」
「……馬鹿たれ。悪魔からの称賛は素直に受け取らぬか」
「……くぅ、っ……!」
そう言うと、右腕を押さえつけられる力がさらに強まった。
苦悶の表情を浮かべるルキリアだったが、無視して悪魔は続けた。
「……確かにお主の言う通り、妾は全力の三割も出してはおらん。……じゃが、この妾に致命的なダメージを与えたのもまた事実。全力ではなかったとはいえ、妾に『切り札』を使わせた人間は、今のところお主で三人目じゃ。誇って良いぞ?」
「…………」
「しかし、お主も無茶をする……。まさか、自分の左腕を斬り落として妾の注意を引くとはのう……。折角、お主が一度目に妾の首を刎ねた時の褒美として『復元』してやったと言うのに……」
「(……白々しい)」
ヴィーデが襲撃してきた際、ルキリアはヴィーデによって体の左側……腕や肋骨をバラバラに砕かれた。
それでルキリアはそのまま何も出来ず、自分の両親が殺されていくのをただただ眺める事しか出来なかったのだ。
「……ほれ。妹はもういなくなった。そろそろ、神格魔法を出さぬか」
「……ちぃ、ッ!!」
ルキリアが舌打ちしたと同時、全身に禍々しい痣と霊気が浮かび上がる。
―――神格魔法。【死神の恩恵】
本来なら、神紋は産まれた瞬間から身体の一部に浮かび上がるのだが、ルキリアの場合、ある日、何故か全身に浮かび上がっていたのだ。
ルキリアの全身には黒く禍々しい神紋と霊気。
漆黒のローブに、右手には巨大な暗黒の鎌を携え、まさにその姿は『死神』そのものだった。
そして、ルキリアが神格魔法を発動した時には、既に背後にヴィーデの肉体は無かった。
―――時の将魔の肉体は、ルキリアの持つ鎌によって、既にバラバラに斬り刻まれていたのだ。
―――だが。
「……お主は『加減』というモノを知らんのか、まったく……。これではまるで、あの『剣鬼』を相手にしているようではないか……」
今し方、斬り刻んで殺した筈のヴィーデの肉体は既に『復元』され、ルキリアから数歩離れた場所で頭を抱えながら、呆れたようにそう呟いていた。
「はぁ―――ッッ!!!」
しかし、そんな距離を一瞬で詰めたルキリアが、ヴィーデの頭上から下へ、鎌を振り下ろした。
―――しかし。
振り下ろした鎌を、ヴィーデは平然と片手で受け止めた。
ルキリアがどんなに力を込めて動かそうとしても、微動だにしない。
「……ちっ、この馬鹿力が……ッ!」
「やれやれ……あの魔王の命令は確か、『神格魔法を有した人間を、魔王軍の脅威になる前に摘め』というものじゃったが……さて、どうしたものか……」
「……く、っ……!」
「確かに、神格魔法をロクに使いこなせもせず、その神器を力任せに振り回す事しか出来ない今のお主をここで葬るのは造作も無い……じゃが、そうすれば妾の今後の楽しみが一つ減ってしまう。……魔王も慎重になるのは結構じゃが、人生を全力で楽しむのが最も利口……お主もそうは思わぬか?」
「貴様の持論なんぞ知るか―――ッ!!」
「ッ!?―――おっと」
怒号を放つルキリアの神紋が、一瞬、さらに巨大に禍々しく広がった。
全身を覆う霊気も一層強まり、ヴィーデが掴んでいた神器を無理やり奪い返す。
そのまま体を時計回りに回転。
その勢いに任せ、左から右へ迅速の一閃。
……だが、その攻撃も紙一重で躱されてしまった。
「……ちっ」
「はぁ……。どちらが "馬鹿力" じゃ、まったく……」
ルキリアがもう何度目になるかわからない舌打ち。
ヴィーデの方も呆れながらため息を吐いていた。
「(このままでは埒が明かんな……)」
首を斬り落としても、何も無かったかのように肉体が復元されてしまう。
まさに不死身だ。
それに、奴はわざと自分の首を飛ばさせ、私を馬鹿にしながら楽しんでいるようにも見える。
そんな奴とやりあっても、勝ち目が無い事くらい目に見えている。
それに、奴は三割の力も出していないという。
化け物だ。
勝ち負け云々の話ではない。
やりあうだけでも馬鹿馬鹿しくなってくるが、何よりこのままでは―――
「(私の身が持たん、か……)」
神格魔法とは、己の命と同義でもある内界魔力のほぼ全てを代償に、一時的に神に匹敵する力を得られる魔法だ。
要するに、『諸刃の剣』。
そして恥ずかしい事に、私はまだこの神格魔法と神器を使いこなせていない。
宝の持ち腐れといえばそれまでだが、練習だと言って普段からこんな神格魔法を使っていては、それこそ身が持たない。
今、私がすべき事―――それは、
―――ルセリアを、ここから少しでも遠くに離れさせる事。
奴がルセリアの本当の力に気づく前に―――
以前の私のように、まだ身体に神紋が浮かんでおらず、力も完全に覚醒していない故か……ルセリア自信も気づいてはいないだろうが、私には分かる。
ルセリアの中に眠る『神格の力』を―――。
それが完全に覚醒するのはまだまだ未来の話だろうが……
覚醒すれば、間違いなく魔王軍に目をつけられる。
ヴィーデも、今は眼中に無いようだが……ルセリアのそれに気づけば、今度はルセリアの命を狙うだろう。
なら―――
やはりこいつは、今ここで、私の命に代えても確実に殺しておく必要がある!
……済まんな、ルセリア。
お前との約束、守れそうにない―――。
「……はあぁぁぁぁぁあ――――ッッ!!」
ルキリア・フリーズライトの最期の咆哮。
それと同時に、顔や腕など、全身に神紋が広がる。
最愛の妹を護る為に、残った全魔力を解放した。
「……ほう。魔力が急激に増しおった……。やけくそか奥の手か……。 しかし、お主がどれだけ足掻こうと妾を殺すなど不可能……何故理解できぬのじゃ?」
呆れたようにルキリアを見据えたヴィーデが言った。
「貴様が不死身だろうが何だろうが、ここで必ず殺す」
「……はぁ。もうよい。餓鬼の戯言に付き合っていられる程、妾は暇では―――」
「……何を言ってる?」
そう言うヴィーデを遮って、ルキリアが低い声で言った。
「―――私は、死神だぞ?」
「…………」
「貴様がどんな手品を使って蘇っているのかは知らんが……いくら貴様でも、死神の呪いを食らって、ただで済むとは思わんがな」
「……ッ……!」
そこで初めて、ヴィーデの表情に『焦り』の色が表れる。
死を司る神の恩恵を持つルキリアの言葉が、はったりなどではないと、目がそう言っていた。
目的の為なら手段を選ばないという、覚悟を決めた目だ。
「全く……これだから神格持ちは……」
―――退屈しないのだ。
一瞬の焦りから一転。
今度は妖しい笑みを浮かべたヴィーデが言った。
「……面白い。貴様、名は何という?」
「…………。ルキリアだ。ルキリア・フリーズライト」
「……ほう。ルキリア、か。覚えたぞ? 悪魔にとって人間など、皆同じ顔にしか見えん。それ故に、人の顔や名を覚えるのは骨が折れる。 ……お主ら人間も、同じ種の虫や動物の顔を全て覚えられないじゃろう?」
「……はっ。つまり貴様らにとっての人間は、虫けら同然という意味か。……つくづく気に食わんな」
「ははははっ。妾は気に入ったぞ、死神! 光栄に思え、妾が人間の名を覚えたのはお主で二人目じゃ」
「……貴様に名を覚えられたというもう一人の人間がどんな化け物なのか多少は気になるが……もういい。どうせ、貴様が死ねばそれで終わりだ」
「それは楽しみじゃのう」
「……そんな事を言っていられるのは今のうちだ!」
―――刹那。
ルキリアが魔法陣を展開する。
それは闇より黒く、屋敷全体を覆うほど巨大な魔法陣。
それを見たヴィーデが目を細めて言った。
「……これほどの陣……さては、妾と会話しながら少しずつ描いていたな?」
「…………」
「しかし、お主……本当に命を捨てる気なのじゃな。妾としては、手間が一つ省けるから構わんが……やはり、人間の思考は理解できん。 『愛情』……妾たち悪魔には無い感情じゃ。そんなにあの小娘が大事か?」
「黙れ。そして死ね」
「…………。確かにコレを食らえば、妾も無事では済まないかもしれん。いいじゃろう。敢えてお主の魔法を食らってみるのも悪くないか……。 産まれて此の方、自身の"限界"というものを試した事が無くてのう」
「ならここが貴様の命の終点だ! 寂滅せよ!《終焉の暗黒世界》―――ッ!!」
*
「……そろそろね」
雪の積った路地を歩きながらルセリアがそう呟いた。
両手には姉から貰ったプレゼント。
今、ルセリアが向かっているのは、姉と二人で通っていた喫茶店。
そこで、姉と合流する約束をした。
「……確か、この辺りだったと思うけど……」
いつも通っていた筈なのに、完全に日が落ちているせいか、いつもと違う景色に見える。
暗い路地を歩きながら、喫茶店を探す。
「……あった」
暫くすると、少し離れた所にひっそりと佇む喫茶店を見つけた。
そして、ルセリアがペンダントを大切に抱え、駆け足で向かった。
そして、店の前に辿り着く。
まだ開いているかどうか不安だったが、どうやらまだ開いているらしい。
ドアノブに手を掛け、ゆっくりとドアを開けると、コロンコロンという、何とも心の落ち着くベルの音が聞こえた。
内装は主に茶色。
賑やかなレストランと違い、少し薄暗くて落ち着くレトロな雰囲気。
ルセリアはそんな喫茶店に足を踏み入れる。
ここは元々、あまり目立つ所に建っておらず、時間も時間なので客などはいない。
……最も、今まで私たち以外の客など見た事無いのだが。
するとそこで、カウンターの奥から一人の男性が出てきた。
真っ白な長い髪を後ろで束ね、肌も白く、一瞬女性かと錯覚する。
背が180cm程もある男性が、鋭い真っ赤な瞳で此方を見据えながら言ってきた。
「…………?客なんて珍しいと思ったら……どうしたんだ、こんな時間に?」
見た目がアレなせいで勘違いされる事も多いが、とっても良い人だ。
そんな喫茶店のマスターっぽくないマスターに、ルセリアが笑みを浮かべて応えた。
「……あっ、おじさん!」
「誰がおじさんだ。まぁ、呼び方なんかどうでもいいが。……今日は嬢ちゃん一人か?」
「……うん。もう少ししたら姉さんも来ると思うけど……」
「…………。で?どうしたんだ? 随分と顔色が悪いようだが? 何かあったのか?」
「…………」
「……まぁ、言いたくなければ別に構わんが―――」
「……ッ……っく……、ううっ……」
マスターにそんな言葉をかけられ、再びルセリアの目から涙が零れた。
むせび泣きするルセリアにマスターが声をかけた。
「まぁ、色々あったんだろうな……とにかく座れ。ココアくらい出してやる」
「……ぅん」
ルセリアが頷いて、カウンター席に座る。
目の前でマスターがココアを作る姿を静かに見つめていた。
そして、数分後。
ココアの入ったマグカップを目の前に置かれる。
「……ほら、出来たぞ? 少し熱いから気を付けろよ」
「……うん。ありがと、おじさん」
「…………」
そして、マグカップに手を伸ばし、息を吹き掛けてから口に含んだ。
すると、甘いココアが身体をじわじわと温めてくれる。
「……少しは落ち着いたか?」
「うん。……ねぇ、おじさん」
「……なんだ?」
「あのね……」
それで、今日あった事をマスターに全て話した。
両親や使用人たちの事。姉さんの事。そして、悪魔の事。
その間、マスターは私の話を静かに聞いてくれた。
「…………」
「……それは……災難だったな……」
「…………。ねぇ、おじさん。私……これからどうしたらいいかな?」
「さぁな。それは、俺が決める事じゃない……なんて、今の嬢ちゃんには酷すぎるよな」
「…………。おじさん。今日だけ……今日だけ私をここに泊めてくれないかな? なるべくおじさんに迷惑は掛けないようにするから……」
「……まぁ、嬢ちゃんの親御さんには世話になってたし、どうせ客なんて来ねぇから泊めてやるのは構わんが……肝心の寝具が無ぇんだよな……」
「……別に構わないけど……」
「良いわけねえだろ。こんな真冬に嬢ちゃんを床で寝させたなんて事、あの山姥に知られたら面倒だからな。 仕方ない。寝心地は保証しないが、あそこのソファーにでも寝てろ。直で床に寝るよりはマシだろ」
「うん。ありがとう」
「暖房もつけといてやる。これで今晩は問題ないだろ。 ほら、もう遅い。ココアなんかさっさと飲んで寝てしまえ」
「……ん。わかった」
ルセリアはそう言って、ココアを飲み干し、ソファーに横になる。
そんな姿を見てマスターが呟いた。
「……嬢ちゃんは随分と素直なんだな」
「……え?」
「いや、何でもない。もう寝ろ」
「…………?うん、おやすみなさい」
「……ああ」
そう言って、ほんの数十秒後にルセリアの可愛らしい寝息が聞こえてきた。
心身共に、相当疲れていたのだろう。
無理もない。まだ彼女は年端もいかない子供なのだ。
たった一晩でこんなに不幸が連続すれば、大人でも耐えられないだろう。
「……これが普通の人間の子供なんだな。 ったく……センリのあの図太さと、生意気さ……一体誰に似たんだか……」
そう言って苦笑したマスターはコートを羽織り、店の外に出る。
「嬢ちゃんが言ってた赤髪の悪魔……もし『時の将魔』だとしたらもう手遅れかもしれんが……ま、一応確認にだけは行っとくか」
それだけ言って、喫茶店のマスター……いや、鋭い二本のキバを持った吸血鬼が、フリーズライト公爵家の屋敷へと向かった。
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