いつか見た夢

B&B

第2章


 そこにいたのは理知的な雰囲気と、たおやかさを秘めたような少女だった。 
「何してるの?」 
「あー……」 
 参ったな。どう答えるべきか……。 
 そもそも技術棟は、放課後は用事もなしに立ち入ってはいけないところなのだ。 
 けれど、しどろもどろしていると余計に怪しまれる。ここは開き直って、正直に言うのも手だ。 
「まぁ何と言うか……ただの好奇心だ」 
「……そう」
 少女がふっとした表情を和らげたのに疑問が浮かんだが、すぐに氷解した。この少女も恐らく、同じような理由で来たのだろう。 
「あんたもそうなのか?」 
「ええ。あなた、いつもここに?」 
「いや、今日初めてきた。こんなに静かな場所があるなんて知らなかった」 
「そう。なら屋上には行ってないのね」 
「屋上? ここの扉、錠がしてあるぞ?」
 俺がそう告げると、少女は唇の端をわずかに上げた。
「……あなたはここに来た初めてのお客さんだからね……屋上、行ってみたいでしょ?」 
「行けるのか?」 
 壁に隠れていて分からなかったが、少女の手には鍵の束が握られていた。 
「……なるほどな」 
 俺は苦笑した。彼女はこの扉の番人というわけだ。 
「行く?」 
 もちろん、と短く答えた。 

 少女によって開かれた扉の先は、とても学校にいるとは思えなかった。ゲームで例えれば、今からここで何らかのイベントでもありそうな雰囲気だ。 
「おぉ、やっぱ外に出ると空が近くに感じるな」 
「ふふふ、大袈裟ね。まぁ開放感があるのは確かだけどね」 
「ここならいい昼寝ができそうだぞ」 
「うん、できるわよ?」 
 やってるのかよ……。 
「ところで……あんたの名前は?」 
「こういう時って男の人から名乗るものなんじゃないの?」
 人を喰ったような性格してるな、こいつ……。
「悪かった。それもそうだな。俺は九鬼だ」 
「え?」 
「どうした?」 
「いいえ……あなたがあの九鬼君かと思って」 
「知ってるのか?」 
「ええ、ちょっとした有名人だからね」
 有名人? この俺が?
 特別何かやらかした覚えは……そこまで考えて思い付いた。もしや――
「毎朝、可愛い女の子と手を繋ぎながら歩いてるらしいじゃない?」
 やっぱりそれか……。 
 少女の言葉に、俺は心の中で舌打ちした。
「別に、一緒に歩きたくて歩いてるわけじゃない」 
「そうなの? でも結構お似合いのカップルだって聞いてるわ」 
「あいつは妹だ」 
 俺はぶっきらぼうに答えた。 
「仲の良い兄妹じゃない」 
 からからと笑う目の前の少女に、最初に抱いたイメージはもうない。この女はきっと、ああ言えばこう言う……女狐タイプだとにらんだ。 
「……」
「あら、もしかして怒った?」 
「別に」
 そっぽを向いてしまう。 
 ちっ。これではまるで肯定しているみたいではないか。 
「九鬼君って、見た目より子供ね」 
「……」 
 全く、こういう女は苦手だ。 
「大体あんた、その話誰から聞いたんだ?」 
「別に誰というわけじゃないわよ。あなたが使ってる駅を使ってる友達くらい、いるもの」 
「……なるほど」 
 俺は穴があれば今すぐにでも入りたい気分になった。そんな俺の様子を見て、この女はまたからからと笑った。
 全く……最初はちょっと良いと思ったが、とんだひねくれ女だ。 
「もういい。俺は行くぞ」 
「あらもういいの? 折角こうしてここに来たのに」
「元々ただの暇つぶしに来ただけだからな」 
「そう。だったらまた暇な時においでよ、開けたげるから」 
「いつになるか分からないのにか?」 
「その時はその時よ。そうそう、まだ名前、名乗ってなかったわね。私、真紀。――藤原真紀」 
 これが俺と真紀との出会いだった。 



 校舎から出て、部活連中が励んでいる校庭を足早に突っ切る。 
 校門のところにちょっとした人垣ができていた。その中心に、妹である沙弥佳がいた。あいつはその容姿のおかげで、一人でいると必ず男どもに声をかけられる。 
 俺が沙弥佳に気付くと同時に、向こうも俺に気付いたようだった。 
「あ! お兄ちゃーん!」
 沙弥佳が人垣をすり抜けて、俺のところまでやってきた。 
「わざわざ高校まで来たのか」 
「うん! それにその方が時間短縮できるから」
「駅で待ち合わせするつもりだったんなら、ここまで来る方が効率悪いだろ」 
 だから時間つぶしてたってのに……。 
「はぁ……で、あの連中はどうするんだ?」
 親指で、校門の前に壁を作っている連中を指す。
「どうもしないよ?」
「……ま、別におまえのせいじゃぁないしな」
 こいつからしたら、ただ校門で待っていただけだからな。だが、俺からしてみるとそうもいかない。
 男達が、俺を睨むような嫉むような視線を向けてきているからだ。 
 ま、いつものごとく、ちょいと睨みをきかせれば大丈夫だろう。ナンパ師ってのは、大体の奴がたいしたことのない奴らばかりだからだ。 



「で、朝言ってたコってのが……?」
 俺の前に座っている女の子に視線をやった。
「うん、そうなの」 
「ふむ」 
 今俺達は、電車で一駅のところにある喫茶店にいる。その駅の改札を出たところで、沙弥佳の友達という女の子が待っていた。
 朝、沙弥佳がどうしてもと聞かなかったのは、この子に会わせるためだったのだ。
「とりあえず紹介するね。同じクラスのあやちゃんだよ」 
「ぁ……う……えと、さやちゃんの友達で、渡邉綾子わたなべ あやこです」 
「大丈夫だよ、あやちゃん。こう見えてお兄ちゃん頼りになるから」
「おい、こう見えてってどういう意味だ。で、綾子ちゃん? あ、これから綾子ちゃんって呼ばせてもらうぞ」
「あ、はい……」
「わざわざ俺をここに連れてきた理由っての聞かせてくれ」
「……はい」
 一言答えるたびに消え入るような小声になっていく。さっき会った藤原真紀とかいう女と違って、ずいぶんと引っ込み思案な女の子のようだ。
「それは私から言うよ」 
 沙弥佳は、綾子ちゃんの取り巻く状況を話し始めた。
「実はあやちゃんね、今……ストーカーの被害にあってるの」
「ストーカー?」 
 思わず綾子ちゃんの方を見る。それに気付いた綾子ちゃんは、そっと頷いた。 
「そうなの……初めはね、ただなんとなく視線を感じるくらいだったらしいんだけど」 
「……」
「そのうち、だんだん身の回りのものがなくなりはじめて」 
 沙弥佳の話を聞きながら、綾子ちゃんを見ている。 
 なるほど。よくよく見ると沙弥佳程ではないが、なかなかに可愛らしい顔立ちをしている。もし今のように暗い表情ではなく、明るい表情で笑っているところを見たら、思わず惚れてしまいそうだ。 
「それからはなるべく一人でいないようにしたり、なるべく私物も持ち帰るようにしてたみたいなんたけど」
「効果なし、か?」 
 同時に二人して頷いた。 
「それで、私達に相談したみたいなのね。私達も、それを知ったクラスの男子達も、助けてくれるようになって……」 
「ストーカーも止んだのか」
「のはずだったんだけど……」 
 沙弥佳の表情も沈んだ。 
「今度はね、お家の方で色々起こるようになったみたいなの。
 その……し、下着までなくなったりとか、変な物まで送られてくるようになったりとか、最近は電話まで掛かってくるようになったみたいで……」 
 沙弥佳は、そこで一旦話を区切って、目の前にある紅茶を一口飲んだ。綾子ちゃんは、黙ったまま俯いている。
 俺もコーヒーに口をつけた。一息ついた沙弥佳は再び口を開く。 
「そこまではね、そこまではまだ良かったの……ごめん、良くはないよね……」 
 沙弥佳が綾子ちゃんの方に向かって謝る。 
「ううん、大丈夫だから……」
 綾子ちゃんは力無く笑う表情を見せるが、引き攣ってあまり笑えていなかった。
「その……周りのね、人達にまで被害が出るようになったんだ……」 
「……そいつは、さすがに酷いな」
「最初のうちは、皆、大丈夫大丈夫って言ってたんだけど……」
「大丈夫じゃなくなった?」
 沙弥佳も何かを思い出したのだろう、その先は何も言わなかった。
「皆も気味悪がって、だんだんあやちゃんから離れていって………」
 なるほど。 クラスの団結すらも崩壊させるとはなかなかやるな、そのストーカーも。
「今じゃ誰も周りにいなくなったってわけか」 
「うん………」 
「……しかし、そのストーカー野郎もかなり狡猾な奴だな。聞く限りじゃ俺にじゃなくて、警察にいった方が良いんじゃないか? こっちだけで、手におえるような奴じゃない気がするが」 
 そこまで言うと、とたんに沙弥佳の態度が急変した。
「行ったわよ! 行ったに決まってるじゃない!」 
 突然両手でテーブルを叩き、大声で席を立つ。その勢いそのままに、俺に向かって怒りの表情を見せた。 
「何度も行ったのに、皆、口揃えて『大丈夫だよ』とか『気のせいじゃない?』ばっかり! 大丈夫じゃないから行ってるのに!」
 沙弥佳の突然の変貌ぶりに、俺も綾子ちゃんも目を見開いて驚いた。店内の客や店員が、何ごとかと訝しみながらこちらをみてきた。
「さ、さやちゃん、落ち着いて……」
 綾子ちゃんが沙弥佳をなだめる。沙弥佳は、自分が店内の注目を浴びていることに気付き、顔を真っ赤にして座ると、紅茶を一口飲んだ。 
「ま、まぁとにかくだ。 綾子ちゃんは今まで通りに、学校以外でもあまり一人にならない方がいいな」 
 月並みなことしか言えない自分がにくい。
「あ、あの、それでねお兄ちゃん、そこで相談なんだけど……」
 唐突に沙弥佳は何か迷ったような顔をしたのち、意を決したような顔をした。
「しばらくの間、うちにあやちゃん泊めてあげたいなって思って………」 
「………はぁ?」 
「だからあやちゃんをうちに泊めたいの」
 こいつは何をいきなり……。 
「さ、さやちゃん、やっぱりいいよ……泊まったら、さやちゃん達に迷惑かかっちゃうよ……」
「あやちゃんはちょっと黙ってて」
「あ……ぅ……ごめん」
 沙弥佳の有無を言わせぬ迫力に、それきり綾子ちゃんは黙ってしまった。
「……つまり、俺も手ごめにして親父達を説得しろってか?」
「さすがお兄ちゃん。頭いい〜♪」
「………はっきり言って俺に説得できるとは思えんが……」 
「お願い! もうお兄ちゃんしか頼る人いないの!」 
 沙弥佳が頭を下げる。……こいつがこうして俺に頭を下げる時は、にっちもさっちもいかなくなった時だけだ。
「………はぁ。まぁ、俺もそんな話聞かされちゃあどうにかしてやりたいって思うしな……」 
「じゃあお兄ちゃん……?」
「言っておくが、あまり期待はするなよ?」
 その言葉に、綾子ちゃんも少し明るい表情をしたような気がした。 
「うん! ありがとうお兄ちゃん!」 
 だからな妹よ……そんな顔は反則だぜ? 「あ、あの」 
「ん? なんだ?」 
「さやちゃんのお兄さんは――」 
「ああ、すまん。九鬼でいい」
「あ……はい。九鬼……さんはそれでいいんですか?」 
「いいも何も、ここまで聞いて放っておけるほど、薄情じゃぁないつもりだぞ」 
「うんうん。お兄ちゃんはそう言うとこがカッコイイんだよ〜」 
 沙弥佳は無視だ。 
「それに……手がないわけでもないしな」
 俺達は店を出て家に向かう。 
「お兄ちゃん、これからどうするの?」 
「家に帰る」 
「え? ……ちょ、ちょっといきなり過ぎない?」
 沙弥佳も、まさかいきなりうちに行くことになるとは思わなかったようだ。
「早い方がいいだろ?」
「う、うん。そうだけど……」
「期待はするなとは言ったが、勝算が全くないわけじゃない」
「そう、なの……?」 
「ああ。今日は幸いにして、父さんの帰りが遅い。つまり今敵は一人しかいない」 
「敵って……」 
 沙弥佳が思わず苦笑する。 
「ようするに、お前がやったのと同じ手を使うということだな」
「なっ……! 私そんな打算してないもん!」 
 こいつが口調が鋭くせずに怒るときは、図星だった時だ。 
「クックックッ……隠さなくていいさ。これでも、十五年もお前の兄貴やってるんだぜ?」 
 ニヤリと口元を歪ませる。
「むー……」 
 沙弥佳は頬を膨らませ、唇を尖らせる。そんな二人を見ていた綾子ちゃんは、ようやく緊張が解れたのあろう、あはは、と笑ってみせた。
 さて、俺のとった作戦とは単純に、情に訴えた泣き落とし作戦だ。もちろん本当に泣くわけではないが。妹は別にして、だが。 
 今回ターゲットになる母は、いつも強気に振る舞っているだけに、情に弱い部分があるのだ。まずは母を陥落させ、その状態で父の説得に挑もうというものだ。父は普段ドンと構えてはいるが、その実、母には滅法弱いということは隠していたって分かっている。
 だから、母を落とせば、恐らくは父も落とせるはず……と俺は踏んだのだ。当の妹達は、最初は喜び勇んでいたものの、家が近づくたび口数が減っていった。
 俺は沙弥佳の手を握ってやり、大丈夫だ、とだけ言った。

 時は5時半を少し回ったところだ。今現在、九鬼家の門の前にいる。
「さて、沙弥佳にはもう一度、母さんに情で訴えてもらって、それを俺がフォローする」
「うん……」
「そんなに気負うな。お前の声ってさ、不思議と心に響くとでも言うのか……なんか、人をその気にさせちまうんだよ」 
「うん……」 
「だから、さっきみたいにやりゃぁきっとうまくいくと思うんだ。大丈夫だ、お前ならうまくいくさ」 
 沙弥佳の目を見て、言葉を放った。 
「う、うん……私、頑張る!」 
「よし! その意気だ!」
「ごめんね……さやちゃん」
「いいっていいって! 元はといえば私のお節介ってのもあるんだから」
 沙弥佳は深呼吸を数度繰り返し、 
「良し、行こう」 
 と、短く言った。



「いやー意外となんとかなるもんだね〜」
 沙弥佳は先の戦いを終え、軽快に言い放つ。 
「本当にありがとうね、さやちゃん……」
 綾子ちゃんは感極まって、涙目になっていた。 
「気にしない気にしない! それに……」
 チラリと俺の方を視線を向けた。
「お兄ちゃん……ありがとう」 
「私からもお礼を……本当にありがとうございます」 
 二人揃って礼を言う。綾子ちゃんに至っては三つ指をついて、土下座までする始末だ。 
「おいおい、綾子ちゃん、そいつはやり過ぎだ。俺はたいしたことはしてないぞ」 
 そう、俺は全くと言っていい程、たいしたことは何もしていない。結局、妹の情に訴えた、抗議とも非難ともとれる泣き落としは成功した。
 俺はただ、こういう時こそ、いつも言っている、無償なき愛ってのを差し延べるべきなんじゃないかと言っただけなのだ。 
 ただ、それが決定打になったのかもしれない。母である遥子は、敬謙とまでは言わないが、一応クリスチャンなのだ。 
「とりあえず、今から家に戻って着替えと、必要最低限のものは持ってきた方がいい」 
 俺の言葉に二人は頷いた。 
「さて、それじゃぁ君の家に行くとしようか」
「え? お兄ちゃんも行くの?」 
「そりゃぁ行かざるをえないだろ。女の子だけじゃな」 
「そうだけど……」 
「なんだ、不満なのか?」 
「そ、そんなんじゃ………」 
「だったらいいだろう。それに量があれば荷物持ちになるし、いざって時のボディガードにもなる」 
 沙弥佳は、たまに変なとこで妙に渋る。それだけは未だ良く分からない。
「それに……まぁ、これは明日以降になるだろうけど、ちょいと確かめたいこともあるしな」 
 俺の言葉に、二人は頭にクエスチョンマークを浮かばせていた。




「いつか見た夢」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「現代アクション」の人気作品

コメント

コメントを書く