いつか見た夢

B&B

第7章


 結局、あの後作戦会議は終わり、俺達はお開きとなった。青山が例の彼女とデートの約束があるらしく、帰らなくてはいけなくなったからだ。 
 青山が去った後、真紀が、人って見かけによらないのね、と言ったのがなぜか印象的だった。続けてあの女狐は、あろうことか俺をデートに誘ってきたが、丁重にお断りしておいた。 
 いくら恋人が欲しい年頃だと言っても、俺にだって多少は選ぶ権利があるというものだ。
 ともあれ、今探るべきことは、カメラに付着していた指紋の持ち主である、蒲生という人物の人間関係や仕事、とにかくあらゆる情報が必要だ。 
 すでにストーカー野郎が、俺達の周りをうろつかなくなって丸一週間以上。その間に、盗聴機なんてものを仕掛けては来たが、目立った行動は起こしていない。そろそろ何かしてきてもおかしくないはずだ。とにかく一刻も早く、何かしら奴に結びつきそうな情報が欲しい。
 今にして思えば、一度奴と対峙したときに、是が非でも追いかけておくべきだったかもしれない。何もかも手遅れになってしまっては、何の意味もないのだ。 
 手札が何もない今、焦っても仕方ないとは言え、どうしても焦りが出てしまう。とにかく今は、青山に任せるしかない。 
 俺は俺で、自分が今できることをするべきだと、自分に言い聞かせた。 





『………!』 
『さや………待ってろ、いま……!』 
 なんだ? 
 今俺は、夢を見ている。それは自分でも、はっきりと分かる。 
『……いちゃん……ごめ……』 
 あれは沙弥佳だろうか。 何か言っているようだが、うまく聞き取れない。 
 なんだ、何と言っている? 
『お兄…………私…………ゃんのこと……』 
 直後に何かが爆発したようで、その爆風によって巻き上げられた砂や埃に遮られ、最後の方は何を言っているのかは分からなかった。
 なんだ? 今なんと言った? 

――次に俺の目の前で爆発が起こり、轟音が鳴り響いた。



「……ってぇ……」 
 俺はいつもと違う目覚めの感覚に、目を醒ました。体を起こし、周りを見回す。
「……おれの部屋……だよな」 
 目を醒ますと、自分が今ベッドではなく、床にいることに気がついた。どうやらベッドから落ちて、体をぶつけたらしい。頭はどこも痛みを感じなかったので、頭はぶつけなかったようだ。 
 のそのそと、再びベッドに潜り込み、枕元にある時計を見ると、6時半を過ぎたところだった。 
「後十分か十五分もしたら沙弥佳が起こしにくるな……」 
 まだ覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと天井を見ながら呟いた。 
(沙弥佳か……) 
 俺は、さっき見た夢を思い出だしていた。 
 さっきの夢はなんだったのだろう。まるで、壊れかけたテープのように、音が途切れ途切れになっているような感覚。
 そもそも夢の中なのだから、音があったわけではないが、音を実感しているかのようだった。背景がどんなものだったかは、覚えていない。夢の中なのだから、背景があったのかも怪しいが。
 ただ、そこには俺と沙弥佳が何かに巻き込まれ、とても危険な状況であったということだ。 
 そして、沙弥佳が最後に言おうとした言葉……。 
 カチャ 
 突然、部屋のドアが開けられる音がし、思考が停止する。沙弥佳が入ってきたのだ。 
「お兄ちゃ〜ん……って、まだ寝てるよね」 
 なぜかその時、俺は寝たふりをしてしまった。別にそんなことをする必要などなかっはずなのだが。 
(何をしているんだ、俺は) 
「えへへ〜お兄ちゃんの寝顔だぁ……やっぱり可愛いな」 
 沙弥佳がすぐ横に来て、俺の頬を指で軽く撫でる。 
「お兄ちゃんのこんな顔見れるのも、私だけの特権だもん……」
 何か、いつもと違う感じがした。そもそも、この時間に自分から目が覚めるということ自体ないのだから、妹が朝、俺の部屋に来て起こす前のことなど、知る由もなかったのだが。 
「ねぇ。お兄ちゃんは知らないと思うけど……今、お兄ちゃんって学校の女の子の間じゃ有名なんだよ?」 
 女の子に限らず、そりゃぁそうだろうな。学校まで両手に花なのだ。おまけにその二人は美少女で中学生、俺は高校生だ。 
「いつもね、クラスの女の子達から紹介してって言われてるんだよ……普段、私と話したこともないような子だって……。
 お兄ちゃんのこと何も知らない癖に……お兄ちゃんの外見だけで、中身なんて全然見ていないような薄汚い子達になんか、紹介できるわけないのに」 
 本当、馬鹿だよねと付け加えた。 
 ……なんなんだろう、この感じは。妹のいつもと全く違う声のトーンに、俺は戸惑いを禁じえなかった。 
「あやちゃん……あやちゃんは、本当に私の友達だったから紹介しただけなのに、調子に乗って私にも私にもだなんて……」 
 沙弥佳は、寝ている俺の体にしな垂れかかってくる。今ここで起きた方が良かったのかもしれないが、タイミングを逃してしまった。 
「でもね。最近……お兄ちゃん、私のこと見てくれる時間、すごく減った」 
 つい今しがた、起きるタイミングを逃したせいもあるだろう、今すぐに起き、そんなことはないと言いたかったが、理性がそれを拒んだ。 
「……お兄ちゃん、最近あやちゃんのことばかり見てるよね……ねぇ、なんで? それに……私が話しかけてもどこか上の空で、いつも何か考えてる……それがすごくつらいよぅ……」
 まるで俺が起きていることを悟っているかのように話す沙弥佳の手に、俺の肩が掴まれ、力がこめられていく。 
「ねぇ……もっと私のことも見てよ……あやちゃんばかりじゃイヤだよ……。それにお兄ちゃん、他にも別の女の子の匂いがするよ……学校でお兄ちゃんに近づく泥棒猫がいるの?」 
 その独白であるはずの問い掛けに、俺はドキリとしてしまった。 その際、体が一瞬揺れてしまい、俺の身体にしなだれていた沙弥佳も驚いて、身を起こしたようだった。
「お兄ちゃん……?」 
 起きていることがバレたかもしれない。 仕方ない、起きたふりをしてやり過ごすしかないか……。
「ん……重いぞ」 
「あ……」 
 まだ完全に身を離していなかった沙弥佳は、俺から離れていった。その目尻に、少し涙を滲ませながら。
 自分でも分かっていたのか、急いでそれを拭いさる。 
「えへへっおはよ、お兄ちゃん」 
「ん……おはよ、沙弥佳。……目、どうした?」
 自分自身でもヘドが出るほどの白々しい嘘だ。だが、気付いていたと思わせてはいけない。 
「え! あ……な、なんでもないよ! ちょっと目にゴミが入っちゃって!」 
「ん……そうか。とりあえず出てってくれ、着替えるから」 
 いつもならば、この台詞の後は哀しそうな顔をするはずなのに、今日は笑顔だった。それが余計に痛々しく見える。
「うん、先に下行ってるから」
 沙弥佳は、笑顔のまま部屋を出ていった。 
……くそっ、せめて、おはようくらい言えなかったのか、俺は。
 俺はなんともやりきれない思いになったまま、制服に着替えた。 



「面白いことが分かったよ、九鬼くん」 
 放課後、青山が珍しく興奮気味に話しかけてきた。 俺達は、また例によって技術棟の屋上に来ている。
 藤原真紀は、待ってましたと言わんばかりに扉の前にいた。聞けば、なんとなくよと短く、愛想もなく答えた。
 まぁ、この女に愛想なんていうのがあったとしても、それはそれであまりいい気持ちにならないだろうが。 
「まず、蒲生義則についてだけど、製薬会社の営業マンだったみたいだね」 
「製薬会社の営業マン……サラリーマンか。それにその製薬会社って、まさか……」 
 青山はその問いに頷いて、肯定した。
「それもかなりやり手だったみたいだよ。しかも、その蒲生義則の勤めてた会社がK県のY市にあるんだ」
「Y市? 確か例の事故があった場所だな」
「そう。蒲生義則は、やり手だった分、周りとは良い人間関係を築けてなかったみたい」 
「まぁ、よくある話だな」 
 俺は頷きながら、先を促した。 
「いや……ちょっと違うかな? 蒲生義則はむしろ、その仕事ぶりが嫌われる要因だった感じかな」 
「グレーゾーン商法ってやつか……でも、人によっちゃぁ稼げてるんなら、それでいいって奴もいたんじゃないか?」 
「うん……いなかったことはなかったと思うよ」 
「いなかったことはなかった? 何か含みのある言い方だな」 
「……蒲生義則に肯定的だった人は、何人も死んでるみたいだから」 
「死んでる……?」 
 こいつはいよいよきな臭くなってきた。指紋の人物は死に、それに関わり(しかもその人物に肯定的な人間)を持った連中も仲良くあの世行きとなれば、さすがの俺でも怪しいと思うし、興味もわくというものだ。 
「それもかなり不自然な、ね。ある人は列車との事故で、またある人は車との正面衝突で……他にも水難事故だとか。 
 とにかく事故が起こりそうもない状態で起こってるんだ。水難事故に至っては、別に嵐でもなかったのに転覆してる」
 俺は言葉も発さずに、青山の説明を聞いていた。ただのストーカー事件から、とてつもない事件に遭遇してしまったものだ。
「最も不審だったのは、今井という人なんだけど……殺されてる……みたい」 
「殺人……?」 
「それも首がこう、ね……」 
青山は、自分の首を切ったようなジェスチャーをしてみせる。つまり、それは首から上がなくなったということか……。
「……それでお前は、他の人間がどうなったかも調べたというわけか」 
「うん。詳しい話は長くなるからやめるけど、この人物は、かなり蒲生義則に懇意していたみたいで、蒲生義則の勤めていた会社の営業記録にも、何度も今井といい人物と会っていたことが分かるよ。
 それに……他の皆も、事故に見せかけて殺されたんじゃないかと僕は思うんだ。物的証拠はないみたいだけど、いくつかの状況証拠があったようで、なのに事故として発表されたって感じだからね」 
 青山は興奮し、一気にまくしたてたが、一旦深呼吸して気持ちを鎮めている。 
「しかも、それらの事件は全て蒲生義則の死亡後にあったってこと。まるで蒲生義則の亡霊がやったみたいにね」 
「製薬会社の営業マンが、何故カメラを持ってたか……ってことも疑問だな」 
「きっと蒲生義則も死んだ……ううん、多分、蒲生義則も殺されたんじゃないかと思うんだけど、理由はあのカメラにあるんじゃないかと思う。それで……」 
 青山がまたも珍しく、こちらを上目使いに窺ってくる。多分、こいつのこんな仕草は、そういう趣味の女にはたまらなく感じさせそうだなどと、どうでも良いことを考えてしまった。 
「なんだ?」 
「……そのさ、行ってみない?」 
「どこにだ?」 
 肝心の主語が抜けていて、さっぱりだった。 
「だから……蒲生義則の家にだよ」 
 きっとこの時、俺の目は点になっていことだろう。



 さて、青山の提案で俺達は、蒲生の家に来ることになったわけだが。 
「紹介するよ、九鬼くん。僕の友達の徳川さんと織田さん」 
 青山に提案された翌日が祝日で休みとあって、蒲生の家に赴くべく駅で待っていると、そこに青山が二人の男を連れてきた。 
 徳川と呼ばれた男は、俺よりも少なくともは十センチは高く、百九十センチ近くあるだろうか。けれど、身長はあるがひょろひょろで、まさに骨と皮だけと言った感じだ。 
 もう一方の織田と呼ばれた方は、身長こそ俺が勝るが、かなりがっちりとした体格をしており、まるでラグビーの選手を思わせる。髪型も流行りの短髪モヒカンで、顔から受ける印象はどこか聡明さを佇ませていて、爽やか好青年といった感じだ。 
 実際に織田は、紹介された後、自ら握手をもとめ手を差し出してきたほどだ。 
「で、こっちが今回の依頼主の九鬼くんです」 
 青山が二人に俺を紹介する。 
「九鬼です。今日はよろしく」
「話は聞いてるよ。何やら危なげなことに首、突っ込んでるみたいだね」 
 織田は印象通り、爽やかとした口調で話しかけてきた。顔もなかなかの美男子といってもいいかもしれない。
「いや、突っ込んだというより、巻き込まれた、が正しいかな?」 
「九鬼くん。この二人が今回の主な情報提供者なんだ。二人ともこういうヤバ気な話は好きだから、今日は一緒に行動することになったけど、構わないよね?」
「構わないも何も、もう連れて来てるだろ。それに、助かりますよ」 
 俺は二人を見て、軽く礼をした。そう青山達は、織田の運転する4WDで俺の待つ駅まで来たのである。
「いや〜気にしなくていいよ。僕らも片足半分突っ込んでるしねぇ」 
 片足ではなく、さらにその半分というのは、突っ込んだ方がいいのだろうか。 徳川の話し方は、所謂オタクっぽい話し方だ。
 人は見かけによらないと言うが、この二人の場合はそのまま当て嵌まっているようで、それに青山を加えたトリオは、なるほど、なかなか世の中うまい具合に出来ているようだ。 
 挨拶もそこそこに、早速、織田の車に乗り込み移動を始めた。
「君からの話を聞いたとき、また、ただのストーカー事件だと思ったんだけどね」 
 織田が、初対面の時以上の爽やかさと、興奮気味な口調で喋る。見た目だけではやはり人は判断できなかった。この男もやはり、青山と同じ人種なのだと痛感した。 
 しかも、この男は、”また”と言った。つまり、過去にも何かしらこういう事件に何度か関わってきたのだろう。
「何やらきな臭い方向に行ってるし、俺のジャーナリストとしての魂がこう、なんかね!」
 俺は、愛想笑いを浮かべながら、延々とこの男の話を聞いていた。まぁ……言わずもながら、いつものごとく右から左だが。

 俺達今は、K県K市にあるという、蒲生が生前住んでいた家に、織田の所有している車で向かっているところだ。首都高速を使って、目的地まで1時間半ほどのドライブということになる。
 その間、織田という男のどうでも良い話を延々と聞かされた。 ぱっと見は女の子受けしそうなものだが、これでは駄目だろう。横を見ると、青山も少し引いてしまっていた。 
 けれど、一つだけ彼の言っていたことで、頭の片隅に残っていることがあった。それは俺の名前のことで、自分のことから発展した話だったからかもしれない。 
「へぇ、九に鬼で九鬼かぁ。カッコイイじゃないか。
 それに知ってるかい? 九というのは、すごく強いとか、最上といった意味が含まれていることがある。 空想上の生き物で、九尾の狐というのがいるんだが、これも非常に強いといった意味があると言われてたりするんだ。古今東西なぜか九というのには、同じような意味で表されることが多い。
 南米アンデスの神話にも、ビラコチャと呼ばれる創造神が、やはり屈強な戦士の神を九人引き連れていたっていう話もあるんだよ。同じ神話でエジプトの神話でも、やっぱり初期の九柱神が、最も偉大な神であるとされているしね」 
 このくだりだけはなぜか覚えていた。それ以外は、全く覚えていない。 
 そんな話を聞いているうちに、目的の場所である蒲生の家に着いた。蒲生の家は、古ぼけた二階建ての一軒家だった。家族がいたわけでもないのに、一人こんな家に住んでいたのか。 
 聞けば元々、蒲生の親が購入したもので、その両親を失ってからも、ずっとここに住んでいたらしい。
 主を1年も前に失った家は、雑草が鬱蒼としげっていて、まるで主人以外の人間を拒んでいるかのようでもあった。
 しかし俺は、この家になぜか漠然とした違和感を覚えた。主であった蒲生が死に、すでに1年は経っているはずなのに、この家はどこかしら活気のようなものを感じたのだ。 
 矛盾しているだろうが、とにかくそう感じざるをえないのだ。この家は、もういない主人を未だ待ち続けているような、不思議な佇まいを感じさせた。 
 織田が門に手をかけ、敷地へと入っていく。俺達もそれにならって、敷地内へと足を運ばせる。 
「ここからは、なるべく話さないようにしよう。静かにしないと、近所に声なんかあっという間だ」 
 俺達は頷いた。ここは閑静な住宅街で、場合によっては足音だって響く。ましてや、今はもう誰もいない家に侵入を試みようとしているのだ。
 それを分かっていたのだろう、織田は少し離れた場所に車を止め、歩いていこう、と言ったのである。
「まずどうします?」 
 徳川が織田に、小声で問いかける。 
「ま、ここはひとまずは普通に正面からいきましょう」 
 織田が、呼び鈴を鳴らす。電気を使わない古いタイプの呼び鈴だったため、家の中で音はあまり反響しない。もう一度鳴らしてみたが、やはり反応はなかった 
「こういう古いタイプの家なら、裏に勝手口があるはずだが……」 
 織田は、俺達にそこにいろとジェスチャーし、足音を偲ばせながら裏へと廻っていった。青山と徳川は、そわそわと落ち着かなさそうだ。 
 人に見つからないかと不安になっているのであろう、キョロキョロと周りを何度も伺っている。はっきり言って、その姿は、まんま挙動不審者そのものだ。徳川に至っては身長が高い分、余計にそれが際立っている。
 しかし、1年は空き家のはずなのに、とてもそんな風には感じられない。ぱっと見は確かに空き家なのに、なぜこうも違和感を覚えるのか……自分でもうまく説明できないでいた。
 ここには蒲生の親の代から住んでいたらしく、息子である蒲生が死んでからは、もう誰も住んでいないはずなのだ。 
 その時、裏手に回った織田が首だけ見せて、こちらに来るように促した。青山と徳川に裏に回るよう伝え、なるべく音を立てないよう、注意しながら移動する。
 裏庭はちょうど北側を向いていて、一層じめじめとした雰囲気があった。
「それじゃ徳川さん、お願いします」
 織田に促され、徳川がリュックサックから針金を取り出し、おもむろに勝手口の鍵穴へと差し込む。
 徳川のピッキングテクニックはかなりのもので、素人の俺ですら、ほれぼれするほどのあざやかさで、思わず感嘆の声がでた。
「初めてみるけど、すごいですね……」
 隣にいる青山も、随分と食い入るように、それを見ている。
「はは、ありがとう。僕の数少ない特技なんだ」
 徳川は照れながら、頭をかいた。直後に、カチャリと小さな音を立てて、鍵が開いたようだった。
「開きましたね。相変わらず、徳川さんのピッキングテクニックはさすがです」
 織田は、過去に見たことがあったようだが、それでも感心しているということは、やはり相当の腕前なのだろう。
「それじゃ中に入りましょう」
 敷地に入っていったとき同様、織田が先陣を切って、家屋へと入っていく。続いて俺も中へ入ると、先ほど覚えた違和感が、より一層強くなる。一足先に入った織田も、その違和感に感づいたようで話しかけてきた。 
「なぁ……この家、なんか変だよな」 
「……ええ、まだ生活感を感じますね」
 遅れて入ってきた、青山と徳川もやはり同じことを思ったようだ。そう、おかしなことについ最近まで人が住んでいたかのような、感覚があるのだ。
「い、一応靴脱いだ方がいいかな……?」 
 徳川が馬鹿みたいなことを言うだしたが、無視した。 
「とりあえず、一階と二階とに二手に分かれようか」 
「その方がいいでしょうね。あまり時間があるとも限らないですし」 
「良し。じゃあ僕と徳川さん、君と青山君に別れようか」 
「わかりました。俺達は二階を見てきます」 
 俺の言葉に、織田と徳川は首を縦にふった。 

 俺と青山は台所を出て、階段を上り二階へと上がる。階段はギシギシと音を軋ませていて、実はかなり老朽化しており、崩れたりしないだろうかと心配になる。 
 けれど、それがやはりここが無人であると告げているような気さえした。見れば、埃がかなりの量わ積もっているのが分かり、杞憂だとわかったというのもある。
 二階はわずか6疂ほどの部屋が、二部屋とドアが閉まっているため、広さは分からないが、計三部屋あった。 
 外から見た限りでは、ドアの閉まっている部屋が1番広そうに思う。青山には、手前の部屋を探すよう指差す。
「じゃぁ、お前はこの部屋な。俺は隣を調べる」 
 青山は頷くものの、どこか頼りなさげだ。もしかしたら、不法侵入で捕まったりしないかなど等と考えているのかも知れない。 
「そうビクビクするなって。簡単に調べるだけでいいんだ、時間はかからんさ」 
「う、うん」 
 そう言って青山は、目の前の部屋へと入っていき、俺もその隣の部屋へと移動する。 
 俺の入った部屋には、古ぼけた箪笥とさらに年季の入った、小さな机が置いてあった。蒲生はずっとこの家で育ち、両親が死に、さらに自分が死ぬまでこの家で暮らしていたという。 
 この古ぼけた家具はもしかしたら、両親が使っていたものかもしれない。俺は箪笥を開き、何か入っていないか見てみたが何も入っていなかった。
 次に机も見てみたが、やはり何もない。押し入れの中も覗いては見たが、同様だった。 
(もしかしたら、ここもガキどものたまり場かなんかだったりしてな) 
 昔やんちゃをしていた頃、沙弥佳を連れて空き家に入ったことがあったが、そこは見事に不良を気取った連中のたまり場だった。
 当時は何に使ったのか分からない、ひしゃげたような小さなゴムの袋や、女物の下着、タバコの吸い殻など、まさしく絵に書いたようなたまり場だったのを思い出した。
 その時の沙弥佳は、おどおどとしながらも必死に俺の後ろを着いて来ていたのだ。先ほどの青山の表情は、その時の沙弥佳と同じで、ついそんなことを思いだして俺は一人苦笑する。 
「この様子じゃぁ何かあるとも思えないが……」 
 部屋を出て、ドアの閉まった部屋を調べるため、ドアの前まできた時、なぜか俺は強烈な何かを感じとった。 
(なんだ……? ……何か変だ) 
 本来ならば、ここは無人であるはずなので、いちいち警戒などする必要など全くないはずだった。
 けれど、俺は咄嗟に警戒心をつのらせ、なるべく音を立てずにゆっくりと、ドアのノブへと手をかけて、やはりゆっくりとした動作でノブを回していく。本能が、何か危険だと警鐘をならしていた。 
 ゆっくり、ゆっくりとドアを開けた、その向こうに――奴がいた。 



 戦慄した。俺はこのうえなく戦慄した。 
 なぜ奴がここに? どうして? 鍵は? どうやって中に? 
 俺は完全に混乱していた。奴があの時と全く同じ格好をして、俺の目の前に立っているのだ。 
 そんな俺を前に、奴は一歩踏み出す。俺は全く動けない。この時にはすでに、次にすべき行動は決まっていたはずなのに、身体はそれに反し、全く動いてくれなかったのだ。 
 人は目前の恐怖に対峙した時、動けなくなると聞いたことがあったが、まさにその通りであった。蛇を目の前にした蛙と言ってもいい。とにかく、逃げなければならないのに体が動いてくれない。 
 それは、死への恐怖だ。 
 奴は俺を殺そうとしたのだ、今回だってきっと……いや、間違いなく殺そうとするだろう。 
(こ、殺されるのか? 俺は今ここで死んでしまうのか?) 
 俺の何メートルか後ろでは、青山がまだ部屋を調べている。声を出せば、助けてくれるかもしれないし、声を聞いて下の連中だって来てくれるかもしれない。だが、たとえそうしたとしても、助けが間に合うのか? 
 俺は、また一歩ゆっくりと近づいてくる奴の黒の手袋をはめた左手に、刃の部分を黒く塗り、薄暗い背景に紛らわせているナイフが掴まれているのに気が付いた。 
 身体はどうしようもなく動かないというのに、五感だけははっきりとしていた。
 うるさいくらいに高鳴り、早鐘を打つ心臓の鼓動音。肌にまとわりつく、微妙に流れている淀んだ空気。舌はカラカラに渇いているのも分かる。
 まずい……。まずい……! 
 奴は冗談抜きで俺を殺そうとしている。奴の持つ黒くギラつくナイフが、俺の理解を超え、直感としてその殺意を感じとる。  以前、こいつに殺されかかった時と比べ、今回は明確な殺意が手に取るように分かって、以前とは比べようもなく死への恐怖があった。
 一歩一歩、スローモーションのような動きで俺に近づいてくる。いや、もしかしたら、脳内でアドレナリンなどが分泌され、
そんな風に見えるだけかもしれない。
 そんな、どうでもいいことばかりが頭を巡り、肝心の身体の方は一向に言うことをきかない。
 逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ!逃げなければ! 
 頭の中で何度も何度も反芻させるも、この身体はなおも動いてくれない。 
「あ……」 
 ようやく動かせたと思えば、でてきたのは自分でも情けないと思えるような声だった。 
 しかしその時には、奴はもう俺の前に来ており、そのナイフを高々と振り上げる。 

「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」 

 その瞬間、俺の中でカチリと音を立てて、何かが解放された。




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