いつか見た夢

B&B

第19章

 翌朝、俺は不快な音で目を覚ました。
 わずかな物音でも起きるように訓練されているため、不機嫌な態度そのままにその音の発生源を探した。
 その音は、携帯の着信音だった。いつも携帯は革ジャンの中に入れっぱなしにしているため、部屋の中にはない。
 革ジャンは大概、洗面所かキッチンあたりに置いている。置いたというわけでもなく、ただ放り出されているだけだが。
 のろのろと不快な音を出し続けている携帯を求め、革ジャンを探す。確か、昨晩は帰ってきたと同時にシャワーを浴びたはずだから、洗面所だろう。
 洗面所に行くと革ジャンはあり、携帯が音を鳴らし続けている。
 俺は携帯をポケットから取り出し、手ぶらで話せるようにインターホンモードにして、電話に出た。
「なんだ?」
『なんだとはご挨拶じゃない。折角モーニングコールしてあげたのに』
 電話の主は真紀だった。大方昨晩の件だろう。
「俺はあんたにモーニングコールを頼んだ覚えはないけどな」
『あらそう? じゃぁ、昨日の件の責任と不始末は、全部あなたでしたと上に報告しておくわ』
「なんだ、まだしていなかったのか? あんたにしちゃぁ随分と遅い対応だな」
『あなたね……あなたのおかげでこっちは散々だったのよ? それを……』
「すまんすまん。それでなんだって?」
 また話が長くなりそうだったので、本題に入らせる。
『……はぁ、まぁいいわ。残念ながら狙撃手については分かってないわ。ただ、事実上、今回の件についての調査はもう終わり』
「終わりだと? どういうことだ。こっちは死にそうになったってのに」
 顔を洗い終えた俺は、真紀の意外な言葉に驚いた。昨日のことだと言うのに、もう調査は終わりだというのだ。調査がおざなりすぎることは、考えるまでもない。
『元はと言えば、あなたが安請け合いするからよ。それと、狙撃手は別にあなたを狙ったわけではないわ』
「そんなのは分かってる。だが、巻き込まれたんだ。そんなのは調査なんて言わないぜ。あの場にいた俺ですらそう思ったんだから」
『あら、分かっていたの。だったら、なんで昨晩わざわざ連絡してきたの? おかげで、折角の睡眠時間が削られちゃったわ』
 どうせ、言わなかったら言わなかったらで後からブーたれるのに、よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだ。
「つまり、俺は死ななかったから、それでいいということか? せめてスナイパーのことくらい、調査する気になってほしいもんだがな」
『いいじゃない。死ななかったんなら、それで』
 この女……。事実ではあるが、この女には肯定することはできない。
 なんにしても、始めからこんな組織に期待した俺が馬鹿だったのだ。
「……分かった。用件はそれだけだな?」
『仕事の話はね』
 仕事の話は、だと? つまり、プライベートの話はあるということか。
「聞くだけ聞いてやる」
『そう。なら、まだ朝はまだでしょう? 今からどう?』
「断る」
 俺は、即答して電話を切った。



 再び目が覚めた時には、すでに昼を過ぎていた。真紀からのありがたいモーニングコールの後、再度ベッドに潜り込んだのだ。
 まだ少し寝足りない気分ではあるが、疲れは大分取れた。
 しかし、仕事がある時は面倒だと思うのに、なかったらなかったらで、どうしてこうも仕事をしたいと思うのだろうか。こうもやる気が起こらない日も珍しい。全くの手持ち無沙汰なのだ。
 ニーロが何かしらネタを掴んでいるかもしれないから、サバカ・コシュカに行きたいところだが、まだ店が開くには早い。
 いつだったか、真紀に趣味の一つくらい見つけたらなんて言われたことがあったが、確かに趣味なんてものがあれば、こういう日には良い暇潰しができるだろうが、趣味なんてのをそっちのけで生きるのに必死だった人間に、そんなことを言われても、困るというものだ。
 サバカ・コシュカの親父が言う通り、俺は仕事がなければ、ただの呑んだくれなのだ。
「……酒でも飲むか」
 結局、俺の趣味はこれしかないということにちょいとばかし自己嫌悪しながらも、サイドボードからスコッチを取り出した。
 寝起きにウイスキーを飲むと、いつも以上にきつく感じるのだが、それがまた堪らなく、眠気を吹き飛ばしてくれる。もう慣れた刺激ではあるが、いつも、この喉を突き抜けていく快感が堪らない。
「そういえば……」
 俺は思い出したように本棚に向かい、前に買った本を二、三冊、適当にみつくろってソファーに座る。もちろん、スコッチも忘れていない。
 自分にもちゃんと趣味があるじゃないかと、ただの呑んだくれではないことに、少し安堵しながら俺はページをめくっていった。

 午後三時を過ぎた頃、腹の虫が何か食わせろと鳴いたので、読書もそこそこに寝座を出た。
 恰好は昨日とあまり変わらないが、別に気にすることはない。明日をも知れないような人間が、いちいちファッションなんてものを気にするようでは、それこそ命取りになりかねないのだ。
 男と女は違う。別にファッションが悪いとは言わないが、俺には必要ない。まさに、それがよく出ていることだと思う。
 俺一人しか住んでいないアパートを出ると、空は昨日と打って変わってよく晴れており、青空が広がっていた。昨晩の嵐のような雨が、まるで嘘のようだ。
 今日こそは地下鉄へと向かい、街の方へ繰り出そう。昨晩久しぶりにサバカ・コシュカに行ったから、今日はジュリオの店にでも行ってみるとしよう。
 ジュリオというのは、これまた街一番とうたうイタリアンレストランを経営している奴で、事実、美味いものを出している。
 イタリア人は自分の街以外ではピッツアは食わないというが、俺もそうで、奴の店以外ではイタリアンなど殆ど食べることはない。
 改札を抜け、階段を下りるとちょうど電車が来ていたので、飛び乗った。車内は比較的空いていたが、ガラガラというわけでもなかった。
 そろそろ学生たちが帰る時間帯のようで、学生服に身を包んだ奴らが、ちらほらといるのが伺える。きっと将来の自分のために勉強しているのだろう、電車の中でも参考書なんかを開いていた。
 座ることもできたが、目的の駅までは三駅なので、このまま立ったままやり過ごすとしよう。彼らが将来、どんな人間になるのかは知らないがこの国を支えていく連中だ。まぁ、せいぜい頑張ればいいさ。
 駅に着くと俺は足早に電車を降り、一段飛ばしで階段を上っていく。駅からジュリオの店までは歩いて大体十分くらいだ。
 ジュリオはイタリア人で、何年か前まで別のイタリアンレストランで料理長をしていたのだが、小遣い稼ぎにアコギなものに手を出したため、ヤクザに海に沈められようとしていたところを偶然、やはりその調査に当たっていた俺が助けてやったのだ。
 元々はうちの組織の傘下にあったヤクザ組だったが、何を思ってか反旗を翻したのだ。そのヤクザ達は、もう誰も生きてはいないが、少なからずそれに関わったジュリオは、もう二度と手を出さないと誓わせた上で命を助けてやったため、無駄に俺に忠義心があるようで、店での飲み食いは全てタダだ。
 二度も命を救ってくれた人間からは、金は受け取れないのだと言う。おまけに、ジュリオが店を出した時、俺がその資金をいくらか出したというのもある。
 別にこちらから、タダにしろなどと強要したわけでもないが、向こうがそういってくれているのであれば、その好意はありがたく受けておくべきだろう。
「よう、久しぶりだなジュリオ。元気にしてたか?」
 店に着くと、真っ先に厨房の方へ行き、中のジュリオに声をかけた。厨房は、店に入ればどこからでも見える作りになっている。
 ランチタイムも一段落し、後片付けの真っ最中というところだった。
「おークキさーん、久しぶりね! 元気にしてたよ。クキさんはどう?」
 店内のどこにいようが響いてしまうような、陽気だが馬鹿でかい声で挨拶を返してきた。
 店内にいるスタッフや客が、何事かと驚いたような顔で俺達を注目するが、この青年はそんなのお構いなしのようだ。
「相変わらず元気そうだな。俺は見ての通りだ。悪いが、今日も飯を食わせてもらいにきたぜ」
「いいよいいよー。クキさーんは超ビップ待遇よ。ノーマネーオンリーだよ」
 俺は、ジュリオの相変わらずおかしな日本語に苦笑しながら、席についた。店内は、ジュリオがイタリア人なのだから当然なのだろうが、イタリアのインテリアで統一されていて小洒落た感じだ。
 店の前にはオープンテラスがあり大きな木が二本もあるために、いい具合に木陰に隠れてしまうのだが、これがまた、これからの時期にはいいだろう。
 天井も高く、白いぶなの木で作られた丸見えの骨組みが、より開放感と爽やかさを強調している。
「マルゲリータとグラッパだ」
「了解よ。クキさーんはグラッパは食前ね」
「ああ、頼む」
「おい、マルゲリータスペシャルだっ」
 ジュリオは、イタリア語で職人に向かって叫んだ。俺がピッツアを頼むと、なぜか必ずスペシャルになるのは意味が分からないが……。
 まぁ、普通のものより二回りは大きいのだから、スペシャルというのはそれ自体問題ないし、それを好意として受け取っている。相手の好意は素直に受け取っておくのも、俺の流儀だからだ。
「そうそう昨日の夜、ビルが爆破されたらしいよ、知ってる?」
「……ああ、らしいな」
 その当事者としてはあまり触れてほしくないところだが、あくまで話題を提供してくれただけなのだから、全く悪気はないはずだ。
 そんな投げやりな俺の言い方を察してか、ジュリオはそれ以上は何も言おうとはしなかった。もしかしたら、俺が昨晩のことに関わったことまで気付いたのかもしれない。俺が殺し屋であることは知っているのだから、そうとも考えられる。
 まぁ、なんにしろ、これ以上突っ込んでくるわけではないから、それはそれで嬉しいことではあるが。
「ところで、最近学生が増えたか?」
 店に入った時客層を一瞬で見分け、そう判断したのだ。
「そうね、結構増えたかもね。女の子は別として、男の子は多分女の子目当てだよ」
「女の子?」
 そうよと言いながら、ジュリオは本来なら食後酒として出されるグラッパを出してきた。
 このグラッパはアルコール度数は三十〜六十パーセントとばらつきのあるもので、ブランデーの一種だ。ウイスキー好きの俺としては、やはりウイスキーといきたいところだが、ないものは仕方ない。
 だが、ブランデーというのも決して嫌いではなく、この強さの酒が堪らなく心地良くさせてくれる。
「そうね。前までは、たまにお客さんとして来てたけど、ここ四、五ヶ月はうちで働いてるよ」
「学生なのかい? その子は」
「そうだよ。いいとこのお嬢さんみたいな感じだね。なに、クキさん興味ある?」
「ま、とりあえずどんな容姿しているのかは気になるな」
「容姿にうるさいクキさんでも、納得だよ」
「別に容姿ばかりにこだわってるわけじゃぁないぜ、俺は」
 苦笑しながら、肩をすくめる。だが確かに俺は、女の子の容姿の評価は厳しいかもしれない。
 何年と言わず沙弥佳とともに過ごしていたから、それに見慣れてしまい、そうなったとしても仕方ないではないか。
「さっき終わったから、もう少ししたら来るよ。わたしとしても、超ビップのクキさーんを紹介しとかないとね」
「そうかい。だったら、せいぜい楽しみにしてるさ」
 グラッパを飲みながら、適当に受け流す。全く、確かに俺はムラムラすれば娼婦を買うことだってあるし、ナンパだってする。だから格段、女に困っているわけではない。
 明日をも知れない俺にとっては、特定の恋人などいりはしないのだ。ただ女と寝て、その時その時で良い夢が見られれば、それ以上のものは望みはしない。
 二口目のグラッパを飲み干したとき、店内の客たちの空気が変わったのが分かった。正確には男たちの雰囲気だ。
 この反応は見なくても分かる。件の彼女だろう。そして、こんな反応を示す程だから、その容姿もなかなかのものなのだろうということも予想できる。
「来たよ、クキさん」
「ああ、分かってる」
 ジュリオに言われ、少し面倒臭く感じながら、相槌をうった。
「九鬼……さん?」
 その声を聞いた時、眉をひそめた。聞き覚えのある声だったのだ。
 俺は、その声の主の方に振り向いてその人物を見たとき、思いがけず言葉を失った。そこには、思ってもいない人物が立っていたのだ。
「……君は……綾子、ちゃん……か?」
 思わず席を立った。そうだ、忘れもしない。そこに立っていたのは紛れも無く、あの綾子ちゃんだったのだ。
 けれど、それは俺の知っている綾子ちゃんとは違った。当然だ。最後に会ったのは、確かもう四年は前ではなかったろうか。
 俺がこの血みどろの世界に入る前、確かこの子はわざわざ俺を訪ねて来たのだ。
 その頃の俺は、生きていることすらどうでも良かったので、随分荒んでいたものだった。そんな俺を、この子は健気にも何度も通って励ましてくれていたのだ。今思うと、ありがたくも後ろめたい気分にもなる。
 目の前に現れた綾子ちゃんは、その頃の面影を残しつつも、確実に少女から大人の雰囲気を漂わせた女へと変わっていた。
 女は一年二年もあれば変わってしまうというが、その通りだと思う。今の綾子ちゃんを見れば、それが嫌と言うほど良く分かる。
 あの頃の綾子ちゃんは髪をショートにし、セミロングの長さまで伸ばしたら、またショートというサイクルを繰り返していたため、今とは大分ギャップがあった。
 髪を纏めているため分からないが、恐らくロングヘアーになっているのではないだろうか。それに、全体的にうっすらと上品な栗色をしている。
 メイクも施され、それは人目を奪わないで仕方ないほどだ。彼女目当てに男達が群がるのも頷けるというものだ。
 だが当の俺はというと、あの頃のギャップと、もう会うこともないと思っていたという想いがないまぜになり、むしろ混乱していた。
「……よ、よう、久しぶりだな」
 なんとか絞り出した言葉だったが、俺は今も昔も、思いもかけない場面には弱いようだった。
「九鬼さん……本当に九鬼さん、なんですね?」
「……まぁ、君の知り合いに、他の九鬼さんがいなけりゃぁそうだと思うぜ」 俺は照れ隠しに皮肉っぽく言い、綾子ちゃんから視線を反らして鼻の頭を掻いた。
「……そんなふうに皮肉っぽく言うの……間違いなく九鬼さんだ」
 その瞳は潤んでいて、またいつかの綾子ちゃんを思い出させる。俺はこの時、やっとこの子が本当に綾子ちゃんなのだと思えることができた。
 周囲の目など気にもせず、綾子ちゃんは小走りに抱き着いてきた。
「お、おい」
「……やっと……やっと逢えた。……やっと九鬼さんに」
 そういいながら綾子ちゃんは、顔を俺の胸に押し付けながら、静かに涙を流したのだった。





 地下鉄を降りて、サバカ・コシュカへ向かう。ニーロという情報屋に会うためだ。
 目抜き通りを横切り、いかにも歓楽街という雰囲気の一画から、やや外れた場所にあるサバカ・コシュカの扉を開けるとそこは、すでに呑んだくれたちでごった返していた。すでにできあがっている者もちらほら見受けることができる。
 開店は十七時からなので、まだ一時間も経っていないはずなのだが、連中は店が開くのを列でもなして待っていたのだろうか。それとも、実際には言われている時間よりも早い時間に店を開けているだけかもしれない。
 今日は確か金曜日のはずで、人が多くなるのは(ここは曜日など関係なく多いが)当然で、外も今夜はどこかで飲み明かそうと、サラリーマンやOL、学生なんかもたくさん歩いていた。
 そのせいか、ここも今日は心なしか人が多いように思う。そんな店の中をすり抜けながら、カウンターの椅子に腰掛けた。
「よう、今日も来てやったぜ」
「なんだ珍しいこともあるもんだな、おまえが続けて来るなんて」
「バランタインの17年だ。ところで、ニーロはいるか?」
 親父の嫌味など無視して聞いた。この親父のことだから、昨晩、言い負かされたことなど気にも留めていないだろう。まぁ、そんなところも、この親父を気に入った要因でもあるのだが。
「ああ、来てるぞ。ニーロっ、来たぞ」
 昨晩のように馬鹿でかい声でニーロを呼ぶ。
「よう、ニーロ。何か分かったかい?」
「ああ、分かった。あんたの言う佐竹という人物は、すでに昨晩あったビル爆破に巻き込まれて死んだよ」
「それは知ってる。そいつの過去が知りたいんだ」
 当事者だったのだから、そんなことは知っている。それに死因も爆破に巻き込まれたのではなく、狙撃による銃殺だ。
 まぁ、うちの組織かあのファミリーかは知らないが、情報はきっちり隠蔽してくれていたようだ。
 とは言え、昨日の爆破事件は思っていた以上に大きな話題になっていたようで、新聞やニュースのトップを飾っていて、ついに日本でもテロか?なんて見出しばかりだった。まぁ、そう思わすことができるのなら、それでいい。
 昨日も、俺がその辺に関わっていたことは伏せておいた。情報屋にわざわざ、ネタを無償で提供などする気はない。
「佐竹は、二十年前に高校卒業と同時に上京。ある訓練学校に入ったらしい。残念ながらその学校は、すでになくなってる。
 きっとバブルの崩壊と同時に、経営困難になったんだろう。ただでさえ人が多く入っていたわけではなかったようだから」
 ニーロはゆっくりと、佐竹の過去を喋りだした。
「彼は、その学校の訓練をかなり優秀な成績を残して卒業。その後、今井重工一族の末娘の少女の屋敷に就職している」
「今井だって?」
 ニーロの口から思いがけない言葉が出てきて、俺は驚きのあまり目を見開いて、声を荒げてしまった。
「あ、ああ」
 突然のことに、ニーロはおろか親父までグラスを磨いていた手を止め、俺の方を見ていた。
 今井……俺はこの名を忘れることはない。
 七年ほど……いや、六年半前に俺を、綾子ちゃんを、そして沙弥佳を巻き込むきっかけを作った事件の関係者の名だ。
「……それで」
 俺は低い声で、ニーロに先を続けさせる。ニーロは、そんな俺の豹変した空気に驚きと畏怖するような視線を一瞬だけ向け、逸らした。
「そ、その娘はかなりのわがままで、誰にも懐くことはなかったそうだが、佐竹にだけは随分と懐いていたという話だ。
 だがある時、ちょうど十ニ年程前に唐突に解雇されたらしい。それも、主人である少女直々に。そればかりは当時の関係者の間でも、謎だったらしい。
 その直後、館は何者かによって襲撃されて、少女は命を落としている。元々身体が丈夫ではなかったという話もあったが」
 俺はニーロの話を聞きながら、拳を力いっぱいに握っていた。掌が鬱血して、紫になっている。俺が知りたいのはここからだ。
 それにしても佐竹が仕えていた主人がまさか、あの今井とは思わなかった。蒲生の家で見つけたリストに今井重工の名前は、確かに載っていて、いまだ忘れることはできない。いや、今後も忘れることはないだろう。
 それもそれで気になるところではあるが。
「どうやってかは知らないが、佐竹はその襲撃した奴らのことを調べあげたらしい。その間は、姿をくらましていたようだが。
 そして、再び表舞台に姿を表した佐竹は……」
「殺し屋になっていた、というわけか」
 ニーロの言葉を受け取って、繋げた。目の前の男は、ゆっくり頷く。
「それも、凄腕のね。佐竹はどこから嗅ぎ付けたのか、あるヤクザの用心棒兼執事をするようになった。その組は昨日起こった、爆破事件のあったビルに拠を構えていた。
 どうも、組長の命を助けたからという話だったが、裏がありそうだな。多分、組に入るために一芝居うったのかもしれない。たまたまにしろ、とにかく佐竹はこうやって標的の側にいることができるようになった。それが九年前だ」
 俺は頷きながら、そっと出されていたスコッチを胃のなかに流し込む。
 佐竹は、その信頼を得るためにそこまでの期間、従者を務めていたのだ。もちろん、その間に襲ってきた殺し屋たちを退けながら。時には雇い、最後にはその殺し屋たちを自らの手に掛けたのだろう。
 もちろん、佐竹はもう一人の奴の二人が一堂に会することも、計算してのことであったのは間違いないだろう。きっと殺されていった連中も、まさか雇い主に倒されるなど、思いもしなかっただろうが。
 そんな俺を見ながら、ニーロは続けた。
「……これはまだ未確認の情報だが、昨日の爆破は実は、この佐竹を狙ったものではないかと思うんだ」
 そう俺が最も知りたいのはそこだ。何故、奴は狙われなくてはならなかったのか。
 ニーロの話からも奴の動機ははっきりしているが、それだけは分からない。それが分かれば必然的に、あのスナイパーも判るのではないかと俺は考えていた。
「佐竹が解雇されて、姿を消したといったろ? その時、彼はとある集団に組していたらしい」
「とある集団?」
「ああ。聞くところによるとかなり危険な集団らしい。なんでも、全員が殺し屋だけで構成されているんだとか」
「組織の連中全員がか」
「組織……と言える規模ではないそうだ。小数精鋭で構成された集まり……といった方が正確だと思う。恐らくその集団の訓練を受け、彼は殺し屋になったんだ」
 何者なんだ? この業界に何年もいるのだから、そんな連中がいるのならとうの昔に、俺の耳にも入ってきていてもおかしくないはずだ。
 一匹狼のやつなら聞いたことはある。だが、組織に属さない殺し屋集団など、聞いたことがない。
 もしかしたら、フリーのエージェント達の寄せ集めなのだろうか……いや、だとしたら、わざわざ佐竹を訓練するはずもない。訓練するということは、それなりの意思統合がなされているはずだ。
 それにだ。俺の耳に入ってこないようなそんな集団が、本当に存在しているのだろうか。それも、最近結成されたのならいざ知らず、佐竹が行方をくらました十二年前頃には、その連中は確実に存在していたことになる。その頃に結成されたとも考えられなくもないが。
 つまり佐竹は、その連中を裏切ったからあの老人のもとについたというのはどうだろう。復讐の対象の側にいることができるし、その集団の追撃から逃れることもできる。これなら佐竹が狙われている理由にも納得がいく。
「なるほど、知りたいことは大体分かった。もう一つ聞きたいが、佐竹と前の主人だったという少女についてだ。
 本当に、ただの主従関係だけだったんだろうか」
「肉体関係があったかどうかということか?」
 ニーロの露骨な表現に、苦笑しながら肩をすくめた。
「どうだろうな。そもそもクビにしたという時点で、そんな気自体あったとは、思えないが……」
「むしろ、そういう関係だったからとは思わないか?」
「……うん、考えられなくはない、が……」
「まぁ、いいさ。ご苦労さん。報酬だ」
 財布から一万円札を五、六枚抜き、ニーロの胸ポケットに無理矢理つめこんだ。
「これで足りるな?」
 ニーロは薄笑いを浮かべて、右手を差し出してきた。俺はそれに応え、ついでにギネスをおごってやった。昨日会った時、ギネスを飲んでいたからだ。
 親父の言った通り、この膚の浅黒い青年はうまいこと知りたいことを調べ出してくれた。それくらいはしてやってもいいだろう。
「何かあったら、その時はまた頼むぜ」
 青年の肩を軽く叩き、俺は残りのバランタインを一気に飲み込む。むせ返りそうな灼熱の液体が、咽と食道を焼いていく。
「親父、また来るぜ」
 そういって俺は、千円札を二枚カウンターに置いて席を外す。
「おいおい、珍しいこともあるもんだな。おまえが一杯だけ、それもこんな早い時間に帰るなんて」
「今日はあくまで情報を買うためだからな。それに、ちょいと調べたいことができた」
「なんなら、ガスを使ったらどうだ。今日は来てるぜ」
「いいや、よしておくよ。後は自分でもできることだからな」
 言うだけ言うと、さっさとこの薄汚いたまり場を後にした。ドアを閉めようとした時、呑んだくれ達による演奏が始まったのだった。



 寝座に戻った俺は、久しぶりにノートパソコンを起動させた。真紀に設定やらなんやらは小難しいことは任せてあったので、ネットもできる。
 ネットの検索エンジンで、今井重工と検索すると、ただちに検索結果が表示される。俺は、佐竹が仕えていたという少女の事件を知りたくなったのだ。
 それに十年以上前の話である上、佐竹の口から聞いた時は気付かなかったが、この話は記憶にあった。
 資産家の娘が狙われたということで、当時、随分と話題になっていたはずだ。自分のところは資産家でもないから大丈夫だなんて思ったことが、まだ記憶に残っている。
 検索すると、驚くほど簡単に目的の記事を見ることができた。当時18歳の資産家令嬢襲撃事件。見出しにはそう書かれている。少女の写真を見た時、この少女が紛れも無く、佐竹が付き従っていたという少女であることが判った。
 実行犯は二人、五十代と四十歳くらいの男だったということだ。もちろん、その二人が昨晩殺されたあの二人だということは、即座に理解できた。
 少女の葬式が執り行われた寺の住所をきっちりと暗記し、今度は昨晩、俺を雇ったヤクザ連中のことを調べてみた。
 某巨大掲示板には、昨晩の爆破事件のことに関して、無駄にスレッドが立っている。これなら、当時、あの老人達が関わった事件のことも多少分かるかもしれない。
 しばらくの間、無言であることないこと書かれている掲示板を読み飛ばしていると、当時の事件のことと関係がありそうと思われる、記事を書いたレスを見つけた。
 どうもそれによると、連中はあの事件の後から急激に勢力を拡大していったらしい。その当時は死んだ、ボスと呼ばれていた組長は、まだ組長という地位にいたわけでもないらしい。
 この事件後、一躍出世街道まっしぐらだったであろう老人は、やはり九年前に今の地位についたということだった。
 また、もう一人の方は物流会社を運営していたようで、主に海外から仕入れていたらしいが中には、かなりいかがわしい物もあったそうだ。
 嘘か本当かはわからないが、人身売買の温床にもなっていたのでは、なんてレスもあった。
 もしそれが本当だったとすれば、あの二人は地獄に堕ちて当然なので、悲しむ必要などこれっぽっちもない。そしてやはり、会社の創設はあの事件後だった。
 これではっきりした。佐竹は、間違いなく復讐するために老人に近づいた。二人がうまいこと接触する機会をうかがいながら。
 そのためには、殺し屋を雇って殺させようとし、そのつど暗殺者から老人を護ったことだろう。自身の信頼を得、安心させるために。
 佐竹からしてみれば、まさに苦行とも言うべき9年間だったろう。だが、ついに昨日それを遂げたのだ。だというのに、奴は殺された。奴が最期に呟くように言った、行くべき場所というのがどこかは、今となっては知りようもないが、このロケットは、少女の墓に納めてやるべきだろう。
 死に場所を求めた奴のことだから、多分そこらの墓になら納得もするだろう。

 俺はネットを閉じ、ノートパソコンの電源も落とした。
 まだ寝るには早過ぎるとも言える時間だが、もう寝てしまおう。今日は思いもかけないことに遭遇しすぎだ。
 今井克利と少女の関係も多少なりとも気にはなるが、もう過去のことだ。俺はまだ着たままだった革ジャンを脱ぎ飛ばし、ベッドに身を投げだした。手には佐竹のロケットを持ったままだ。
 ロケットを開き、佐竹と少女の二人を眺めながら、俺は全く別のことを考えていた。綾子ちゃんのことだ。
 四年ぶりにあった彼女は、随分印象が変わっていた。四年も経っているのだから、当然といえば当然だが。
 久しぶりに見た彼女は、一瞬誰か分からなかった。記憶の中の彼女とのギャップに、とてつもない違和感を覚えたためだ。
 だが、彼女が胸に飛び込んできた時、いつか背中に抱き着かれた時を思い出したのだ。そうなると、せき止められていた感情が一気に押し寄せ、彼女を抱きしめずにはいられなくなった。
 俺達は人目も憚らず抱きしめあっていたが、ジュリオの咳ばらいでようやく我に返ったのだ。まぁ、奴はニヤついていたが。
 まだ食事をしていなかったため、ぎこちなくも綾子ちゃんを食事に誘ったのだが、これがいけなかった。
 この四年間何していたかなど話そうと思ったのに、実際にはたどたどしく、会話らしい会話など全くなかった。まるで、初めて逢った時のようであった。
 もしくは人によっては、話すことなどなくなって新鮮みがなくなり、別れる寸前のような恋人のようにも見えたかもしれない。俺としても、綾子ちゃんとはなんとも後味の悪い別れ方をしていたため、バツの悪いことこの上なかったのだ。
 結局、いてもたってもいられなくなった俺は、約束があるからと席を立った。綾子ちゃんは駅まで行くなら自分も行くと言っていたが、どうにもそれは俺ができそうもなく、外せない仕事だからと嘘をつきタクシーを拾って、一駅先の地下鉄の駅まで行ったのだ。
 別れ際、綾子ちゃんは自分の連絡先を教え、寂しそうな笑顔を見せて俺を見送ってくれた。明日、空いてる時間でいいから連絡してほしいと言い残して。
 だが、今更どの面さげて連絡すればいいというのだろう。今の俺と彼女は、あまりに生きる世界が違いすぎる。彼女は大学生で、明るい未来が約束されていることだろう。俺とは違うのだ。
 そう考えると、とても連絡などする気にはなれない。俺と関われば、この先何が起こるか分からない。そんなことは、許されない。だからこそ俺は、四年前ひっそりと彼女の前から消えたのだから。
「くそっ……」
 誰もいない部屋の中、一人毒ついてロケットを閉じた。最近良く見る過去の夢が、俺と彼女を引き合わせたのだろうか。
 夢というのは、過去のあったことが出てきた場合、願望の具現化を望む時なのだと以前聞いたことがあったが、それはつまり、あの事件さえなければ……ということなのか?
  ……まぁ、いい。今日はなにもしていないのに、やけに疲れた。綾子ちゃんには悪いが、連絡しないというのも手だ。
 そうだ、明日のことは明日考えればいいだろう。もうなにも考えずに寝てしまおう。
 今日はもう、なにも考えたくはない……。




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