いつか見た夢

B&B

第29章


 他の客が引けた後も、俺はそこから動くことはなかった。どうにも体の中で怒りの炎がおさまり切らず、動きたくなかったのだ。
 今の今まで舞台の上では血の繋がった兄妹による強制近親相姦、さらには幼い少年すらも大男によって菊座を貫かれるという、反吐が出る最悪の見世物が行われていたのだ。
 しかもだ。それこそ、大男のモノは子供たちの腕くらいの太さはあり、性器というより拷問器具といったほうが近いかもしれない。そんな大男は、気を失った少年を放り出し、ショックで動かなくなった妹を磔にし、そこに何十発といわず鞭打ちの刑にしたのだ。
 もはや酒など喉を通るはずもなく、俺は舞台の上で行われているそれを、瞬きすることなくただ凝視し続けた。残酷な仕打ちを目に焼きつけ、自身の中に暗い愉悦を含んだ残酷な本性への供物とせんためだった。きっと今動いたら、あの変態大男やキザ野郎は当然、執事や黒服達を皆殺しにせずにはいられない。
 しかし残念ながらそいつにはまだ早い。そんなことをしようものなら、ここに潜った意味がなくなってしまう。そのため俺は、一人ここに残り気を落ち着かせようとしているところだった。幸か不幸か、あの執事が持ってきたスコッチのおかげで、少しだけ気が紛れているため、これなら後しばらくもすれば、行動を起こせるほどには気を鎮めることができるだろう。
 俺は、瓶に口をつけながら考えていた。先ほどの兄妹は、間違いなく身売りされてここへ来た。だとすれば、ここのどこかに必ず“商品”としてここに連れてこられた、二人の伝票か何かがあるはずだ。
 ここを経営している奴が、別の場所で取引しショーのためだけに連れてきたにしろ、何かしら、それを示す痕跡があるはず……俺はそう考えていたのだ。
(やはり、銃を手に入れておいて正解だった)
 ふいにそう思った。できれば一暴れせずに済ませたかったが、もうそいつは無理というものだ。これから起こるであろう血の報復に、俺は歓喜せざるを得なかった。
 だが……それは、俺のどうしようもない考えと都合であって、あの兄妹の都合ではない。俺が勝手に、あの二人の代わりになって復讐するわけにもいかない。
 確かめなければならないだろう。きっとあの二人では、何もできないかもしれない。だが、もし奴らにほんの少しでも牙を剥こうものなら、君達兄妹に代わって、俺は奴らを、一人残らず地獄に叩き落とすことをここに誓おう。
 君らには、それをするだけの権利というのが与えられているはずなんだ。君らにだって、連中をいたぶる権利はあるはずなんだ。
 何かをひたすら祈るだけは、全く意味のない行為だ。祈る神すら君らを見捨てたのだから。
 神など存在していないと思っているが、奴らに一生分の責め苦を味わわせる地獄はあってもいいはずだ。俺はそう考えている。よって、もしその意志が少しでもあるなら、俺はそれを盟約として受け取ろう。
 だから俺は、君らに確かめなくてはいけない。復讐の意志があるのか、それともないのか……。
 絶望にうちひしがれているだけでは、何も解決しないんだ。だから君らに問おう。
 それを改めて頭に刻み込み、俺は椅子を立った。

 ジャケットを羽織り、観覧席をステージに向かって降りていく。ステージに降りて、キザ野郎が出てきた方へ向かう。
 観覧席からは見えなかったが、そこには、ステージ裏へと進む道があった。そこへ入っていくと短い階段があり、さらに下に行かなくてはならないようだった。ためらいなく階段を降り、奥へ進む。
 数メートルほど進むと、先がT字になっているのが分かった。
(さて、どちらに行くか……)
 そう思いながらT字にきた時、左の方でかすかに物音が聞こえた。そうなると、もう迷うことなどなく、俺は左の道へと進んだ。
 そこを真っ直ぐ行くと、先ほどの物音に混じって、悲鳴のような声が聞こえてきた。その声は甲高く、悲鳴の主は子供のようだ。その悲鳴は進むたびに大きく聞こえるようになり、ついぞその声が途切れてしまった。
「……ちっ、もう終わりか」
 通路が終わった先に部屋があり、そこから今までは聞こえなかった、低い男の声が聞こえた。その中をそっと覗きこむと、一人の大男が背をこちらに向けたまま、何やらしているようだった。
「……ぁ、ぁぁ、ぁあ、あああああああああ!」
 その時、俺からは見えない位置にもう一人いたようで、子供の声で泣き叫ぶような、怒りの遠吠えともつかない声をあげた。
 推測するに、さっきの幼い兄妹だろうか。だとすれば、あの大男は二人に折檻した、さっきの大男ということになる。俺は無意識のうちに、ジャケットの中に吊されているワルサーのグリップを握っていた。
(待て、待つんだ。まだ早い……)
 そう自分に言い聞かせ、グリップから手を放した。
「くっくっくっくっ。そう叫ぶなよ、後でお前もきちんと可愛がってやるからな」
 もう一人に向かって、大男は下卑た声で喋りかけた。その姿は間違いなく、さっきの大男だ。そう言うと大男は、下卑た顔でこちらに向かって歩き出した。
 俺はとっさに物陰に隠れた。俺には気付くことなく、大男はその横をのしのしという擬音でも付けたくなるような足取りで、俺の来た方へ去っていく。
 もちろん後を追うつもりだが、その前にあの兄妹の様子が気になった俺は、物陰から出て部屋へと入っていった。
 部屋に入った俺は、その中の様子を見て驚いた。なんと、そこには何人もの子供達が、檻の中に閉じ込められているではないか。
 先ほどの兄妹のように、膚の浅黒い東南アジア系は当然として、完全に黒い膚をした黒人系の者いれば、中東方面の出身と思われる者、ラテン系、ゲルマン系、北欧系……さらには、中国人と思われる見慣れた膚の色をした者もいる。
 そして、奥には隅で倒れ込んでいて、生死は判別できないが、日本人と思われる者もいたのだ。
 しかも、それぞれには必ず男女のペアで檻に入れられているのを見ると、やはり兄妹なのだろうか……。俺は下唇を噛んでいた。まさかこんなおぞましい光景を見ることになるなんざ、思いもしなかった。
 大男に入れ代わりで入ってきた俺に、子供達は怯えた表情をして、震えている。さっきの兄妹はショーの後、さらにあの大男から責めを受けたようで、先ほどより痣がひどくなっている。
 たった今、その責めを受けていたのは、どうやら妹の方だったようだ。目を開いてはいるものの、意識が混濁しているようで、俺が視界に入っているはずなのに、まるで見えていないかのようだった。
 もしかしたら、目を開けたまま失神しているかもしれない。兄の方も、目を見開いたまま涙を流し、瞬き一つしようとしない。
(……泣くな、泣くんじゃない。君が妹を護れなかった気持ちは分かる。だが、まだ終わりじゃない。君は復讐するんだ!)
 俺は無言で幼い兄に語りかけ、顔を伏せた。
 改めて部屋の中を見回した。とても不衛生な中で、まともに寝るスペースも与えられず、窓すらない。まともに食事を与えてもらっていないのだろう、肋骨が浮かんでいる者も少なくない。
 中には、ちゃんとした衣装に、十分な食事を与えれば、瞬く間に人目を引きそうな者もいた。それとは逆に、もはや子供というより、幽鬼のようになっている者もいる。
 くそっ、なんて胸糞悪い場所なんだ……。俺は後悔していた。仕事のためなどと思わず、あのショーの時に、連中を一人残らず皆殺しにしておけば良かった。
 こんなのを見せられて落ち着いていられるほど、俺は冷静な人間ではない。それでも、復讐する権利は俺にではなく君達にある。そう簡単に、連中に鉛玉をぶち込むわけにもいかない。
 だが……だが、君らと同じ兄妹として生まれた俺だ。もし誰か一人でも、反抗の意志を示したなら、俺が奴らを裁く。
 さっきの兄妹だけではない。君ら全員だ。君ら全員の復讐なんだ。だから、それまではしばらく待っているんだ。また必ずここへ来る。
 部屋に入ってきたのに何もしない俺に、子供達は怯えながらも、どこか怪訝な表情をして見せた。
 とにかく、いつまでもここにいるわけにもいかない。子供達を一瞥し、俺は頷いた。
「必ず……必ずだ」
 そう言って、俺は部屋を出た。

 部屋を出た俺は、急ぎ足であの大男の後を追うと、すぐに先ほどのT字のところにきた。ここにきて今更ステージの方に行く意味はない。
 無視して、さっきとは反対に右側の通路を行く。例のキザ野郎も、おそらくここから来たのだろう。どのみち奴には、人身売買のリストやら何やらを吐いてもらうつもりだが、何よりそんな連中を痛めつけてやれるとなると、どうしてか、思わず唇が歪んでしてしまう。
 こちら側の通路も、やはりT字の左通路と同じ造りで、真っ直ぐ行った先が、やはり部屋になっていた。
 よもや、またも奴隷部屋なんてことはないだろうか……そうは思ったものの、今度はそうではなかったようだ。だが、代わりに面白いものを見つけた。
「ふん。連中、奴隷市の他にも武器の売買もしてたのかな」
 そう、そこは武器庫だったのである。この平和ボケした国で、なんだってこんなに武器が必要なのかというほど置いてある。
 何挺もの拳銃、数としては同じくらいある機関銃に手榴弾、ライフルもあったし、ロケットランチャーまである。まるで、戦争でもおっ始めたいがために置かれているかのように見える。
 この武器庫の向こうには、さらに部屋があるようだ。俺は簡単に武器庫の中を物色し、持てそうなものを持っていくことにした。機関銃や手榴弾なんかは、十分に役に立つだろう。
 だが、機関銃は目立ちすぎる。そこで俺は、とりあえず手榴弾を三つ四つばかしジャケットのポケットに突っ込んだ。
 残りの手榴弾は、適当にあった袋に全部入れた。見つかりにくそうな場所に、その袋を隠しておく。後は拳銃をもう一丁持っていくことにした。これ以上は、持って行っても邪魔になってしまうだけだろう。
 その拳銃をジャケットの下、右側の脇に吊るした。予備のマガジンも持って、準備万全だ。俺は軽く頷くと、武器庫を後にした。いよいよ、奴らにものをいわせてやる。
 武器庫を抜けた先は、どうも連中の詰め所か何かのような部屋だった。食べかけの料理や酒、コーヒーも飲みかけでおいてある。タバコの吸い殻は、いくつも山を作ってあった。その他、雑誌や新聞といったものも投げ出されていた。
 空気清浄器が備え付けてあり、一応は今も動いているようだったが、それも全く意味はない。それほどまでに空気は淀み、タバコのヤニ臭さが染み付いている。壁も本来なら白かったのだろうが、黄ばんで本来の色など見るかげもない。
 俺はそんな部屋の中を、売買リストがないか探した。こんなこと言うのもなんだが、決して子供達のためではない。もちろん連中は、一人残らず地獄へ落とすべきだと言うのは言うまでもない。
 だが、まだその復讐者ともいうべき子供達は、それをしようと行動しない。理屈ではないのだろうが、やはり、自分でやるべきことに横槍を入れるのは良くないことだ。
 それにもしかしたら、その売買リストに沙弥佳に繋がる何かが見つかる可能性だってあるのだ。そのために今こうして、それらがないか探しているわけだ。
 ざっと部屋の中を探して回ったが、それらしいものはなかった。まぁ、詰め所のような部屋にそんな重要なものがあるはずはないか。
 その時、下卑た笑い声をあげながら、部屋に向かってくる奴らの足音が聞こえた。足音と声から察するに、人数は二人だ。
 俺は咄嗟に物陰に隠れ、今しがた手に入れた拳銃を抜いて、サイレンサーを素早く取り付けた。
「はははは。それでその女ったらよ」
 部屋に入ってドアを閉めた瞬間、下卑た笑いを浮かべた奴の一人の側頭部に弾丸をぶち込んだ。
 何か言いかけながら、そいつは床に倒れ、もう一人には立て続けに両方のふとももに一発ずつぶち込む。
「げあっ!?」
 情けない声をあげながら倒れたそいつに、銃口を向けながら近づいていく。
「なっ、なっ、」
 あまりの突然なことに、そいつは何が起こったのか、まだ理解できていないようだった。
「いいか、これから俺の質問に三秒以内に答えるんだ。無駄なあがきはするな、時間の無駄だ」
 俺は低い声でそう脅しつけ、そいつを椅子に無理矢理座らせる。よくよく見ると、そいつは例のずんぐりとした門番だった。
「お、おまえはっ……なんでこんな所にぎゃあっ!?」
 男が悲鳴をあげる。そいつが混乱した頭で質問しようとしたため、俺はそいつの小指を掴み、へし折ってやったのだ。
「おまえに質問する権利はない。俺のいうことにだけ素直に喋ればいい。分かったな?」
「ひ、ひどい……指が……があっ!?」
 今度はその隣にある薬指を掴んでぶち折る。その手に、鈍い音と感触があった。
「聞こえなかったか? おまえには、俺が質問して答える以外に、口を開く権利はない。それ以外を喋れば、こういうことになる」
 そいつを、ゴミでも見るかのように見下ろしながら言う。男は涙を浮かべ、必死に何度も頷いている。
「良し、では質問だ。まず、この館のオーナーは誰だ」
「……だ、伊達聡一郎だて そういちろう様……」
 伊達聡一郎……どこだかで聞いたことがあるような名だ。まぁいい。知っていれば後で思い出すこともあるだろう。それにしても、様付けだなんて、随分と下への教育が行き届いているようだ。
「どんな奴なんだ」
「……か、かなり格好良い人だ……。どこだかのロックスターに似ている……」
 ロックスター……もしや、さっきのプレスリーに似た奴だろうか。
「そいつは白いタキシードを着込んだ奴か」
「……そうだ」
 そいつは足を撃たれたうえ、指の骨を二本もぶち折られたためか、荒い呼吸をしながら答えている。
 まだあの子供達と約束したわけでもないのに、すでに一人地獄に突き落としてしまったが、この男にはそれが達成されるまでは、きちんと生きていてもらわないといけない。
「では次の質問だ。お前たちはもう何年もあんな商売を続けているのか?」
「……あ、ああ。ここができた最初の時から」
「ここができたのはいつなんだ」
「ろ、六年前……」
「六年前……」
 男の答えに、俺は引っ掛かった。沙弥佳が行方をくらましたのも六年前だ。だが、ただそれだけで偶然とも言えなくもない。まだまだ探りをいれる必要がありそうだ。
「ここに、商品として買い入れた子供達のリストがあるはずだ。それはどこだ」
「し、知らん……」
「そうか」 短く言った俺は、直ぐさま男の指をへし折った。今度は中指だ。
「っ!??」
 男はもはや叫び声すらあげずに、目を大きく見開いて、顔を引き攣らせている。
「もう一度聞くぜ? リストはどこだ」
「はっ、はっ、はっ……聡一郎、様しか……知らないんだっ……本当だっ」
 痛みに顔を歪ませた男は、へし折られていく指を見ながら、息も絶え絶えに言葉を絞り出した。
「聡一郎の部屋はどこにある」
 手短に吐かせようと、人差し指に手を延ばそうとした。それを見た男は反射的に怯え、早口にまくし立てた。
「ち、地下一階だっ、一番大きな扉だからすぐ分かるよっ」
「良し。それと次にここに誰か降りてくるのはいつ位だ」
「さ、三、四十分後……くらいだと思う……」
 それを聞いた俺は、部屋の中にあった何に使うかは知らないがロープを取り出し、男の手足を縛った。次にテープで口を塞ぎ、声を出せないようにする。それも何重にも巻き付けてだ。
 ことを終え、俺は早速部屋を出て地下一階に向かった。ここに来る時エレベーターに乗ったが、どうやらここは地下二階になるらしい。部屋を出ると、数メートル先に階段があるのが分かった。
 どうも上へ行く階段のようだ。音は立てないようにしながら、小走りに階段へ行き、誰もいないことを確認して一目散に上へと昇った。
 昇りついた目の前に扉があった。扉を開け、周りの様子を見る。廊下の先を3人の黒服が見えた。そいつらが見えなくなると、そこをすぐに移動し、目的の部屋を探す。
 目的の部屋と思われる扉は、わりとあっさり見つかった。今までの扉と違い、観音開きの二つ扉になっていたからだ。扉はやはり特別製を意識してか、壁が凹んでくり抜かれ、身を隠すにはちょうど良さそうな、三十センチほどのくぼみがあった。
 そこに身を隠して扉に耳をあてる。しばらくの間、耳をあてていたが中から音は聞こえない。サイレンサー付きの拳銃を手に、豪華そうな取っ手を掴んで扉を開けた。
 予想通り、中は誰もいなかった。素早く身を滑り込ませ、静かに扉を閉める。
「さて、どこからいくか……」
 やはり、まずは大統領でも気取っているのか、大きな黒塗りされた机からだろう。物が隠されているとすれば、最も怪しい。
 俺は大股で机まで行き、それの一番上の引き出しを引いた。その中には大きさの割りに、ほとんど物は入っていなかった。
 引き出しを戻し、その下の引き出しを開けた時、俺の見たかったものらしいものが見つかった。それを手に取って中を見てみる。
 まとめてファイルされたリストには、“今月の仕入れ”と簡潔に書かれている。
 ……間違いない。これが商品となる子供達の仕入れリストだ。名前、性別、年齢、出身国、健康状態、いつ仕入れたかなどかなり事細かに書かれ、それにその子供の写真が添えられている。
 中には、さっき奴隷部屋で見た子供もいた。そう、先の拷問ショーに出演させらせた兄妹だ。兄の方は八才で、妹が六才だとここには書かれている。
(俺達と同じ年齢差か)
 ざっと見てみたが、リストに示された子供達は、皆、血の繋がった兄妹であることが判明した。もちろん、すでに実物を見ているので、予想していたことだ。だが、中には姉弟もいるようだ。まぁ、なんにしても幼い子供達に近親相姦を犯させようという魂胆は、手にとるように分かる。
 だが、これには肝心な仕入先が書かれていなかった。俺はそのファイルを手に、部屋の中を探してまわった。
 その時、扉の向こうで話し声が聞こえた。声の主は、間違いなくあのキザ野郎だ。
(まずい!)
 俺は隠れることのできそうな場所を探した。だが、隠れられそうな場所などありはしなかった。
 俺は銃を手に、扉の脇に背をつけた。こうなっては、なりふり構ってなどいられない。入って来た瞬間に、連中をやるしかない。
 だが、例のキザ野郎だけは殺してはいけない。奴には、喋ってもらわないといけないことが山ほどあるのだ。
 息を殺していると、思ってもみないことが起こった。いつまで経っても部屋に奴が入ってこないので、侵入がバレたのかと思ったのだが、どうも違ったらしい。
 ボソボソとうまく聞き取れないが、分かった、すぐに行く、という言葉の後に、部屋を離れて行ったのが気配で分かった。もう扉の前に誰もいないことが分かると、深くため息がでた。
 再度、部屋の中を、仕入先が書かれたものがないか確かめてみたものの、やはり見つからなかった。
 俺は舌打ちした。仕入れリストがあれば、肝心の仕入先が分かると踏んでいただけに、少なからず落胆があった。まぁいい。これを元手に調べることもできるだろう。
 そう思い俺は、そのファイルを服の中に仕舞いこんだ。それにこれは場合によっては、あの子供達の役に立つかもしれない。
 再び扉を開け、廊下に人がいないか確認する。案の定、廊下には誰もいない。
 来た時と同じように、小走りに来た道を戻る。だがその時、後ろの方で、何やら慌ただしく黒服達が喚きたて始めた。
 上で何があったのだろうか。一瞬、見つかったかとも思ったが、違うようだ。
 しかし、こっちとしては都合がいい。今は、誰もこっちへ来る気配がないのだから当然だ。
 下へ通じる扉を開け、俺は下へと降りていく。例の詰め所のような部屋に来た瞬間、俺は一瞬何かに気付き、床を転げ、振り向き様に銃を撃った。
 サイレンサー付きのため、パシュッという控えめな音がする。一体何なんだと見てみれば、俺がここで絞り上げておいた奴だった。きつく拘束しておいたはずなのに、抜け出していたのだ。
 縄抜けの技術でもあったというのだろうか。
 なんにしても、そいつの心臓あたりをぶち抜いたようで、すでに絶命している。拘束していた椅子を見ると、その下に、明らかに切られた跡のあるロープが落ちていた。
 しかも、手と足を縛っていた両方のロープに、その跡があった。つまり、誰かがここに来て、この男の拘束を解いたということになる。
 となると、さっきの黒服達の騒ぎようは……俺は忌ま忌ましげに舌打ちし、部屋を飛び出した。
 隣の武器庫で、隠しておいた手榴弾の詰まった袋を引っ張りだした。武器庫を見る限り、銃などはそのままになっている。
 これはもしかしたら、俺以外の第三者が潜り込んだと見ていいかもしれない。袋を担いで、薄暗く二、三メートル先もまともに見えない通路を、例のステージの方から漏れる、わずかな光を頼りに突き進む。そこがステージに通じているT字路なんだろう。
 そのT字に向かうにつれ、再び悲鳴が聞こえた。俺は悪い胸騒ぎを覚えながら、そこへと向かう。
 壁を背に、そっとステージを見ると、例の大男がまたも幼い兄妹を責めていた。今度は、さっきのフィリピン出身の兄妹とは別の兄妹だった。肌が透き通るように白く、髪も金髪だ。
 白人、それもおそらくは北欧辺りの出身だろうか。俺は思い出したように、先ほど伊達の部屋でくすねたファイルを取り出し、ステージから漏れる光だけでは分かりにくいかもしれないが、夜目のきく俺はかろうじて、ファイルの字を読むことができた。
 すると、やはりあの二人は北欧の出身で、出荷国フィンランドなどと書かれている。俺は下唇を噛みながら、その光景を一瞥し、ファイルを担いでいる袋の中に突っ込んだ。
 その時だった。ほんの三、四メートルほどのところに、一人の子供が立っていたのだ。怪訝に思って眉をひそめたが、なんとそれはさっきステージで責められていた、あの幼い少年だった。
 薄暗いはずの通路であるはずなのに、やけに瞳がくっきりと見えた。その瞳は暗がりの中でも、大きく見開かれ、まるでガラス玉のようにも感じる。そこには生気というものは感じられない。
 少年は、おそらくは人形でもまだマシな歩き方をするはずだと思わせる足取りで、ふらりふらりとステージの方へ歩んでいく。
 ホールでは突然現れた少年に、ざわめきを起こしたようだった。だが俺には、なんとなくだが予想できなくもない光景ではあった。もしかしたら、彼は自らの復讐のために現れたのかもしれない。
 だとすれば、妹の方は……そこまで考えた時、少年に向かって大男が怒声をあげ、俺はステージの方を見た。
 ゆっくりと少年に近寄る大男は、きっとこれから起こるかもしれないことなど、想像すらしないだろう。
(……いいぞ。それでいい。君は当然の権利を主張するんだ。奴に、ものいわせてやれ)
 少年に俺の願いが通じたかは分からないが、大男が指の先まで筋肉なんではないかと思わせる手を、少年に延ばした時、それは起こった。
「ぐあぁっ!?」
 大男の情けない声があがり、ホールにいる客共からはざわざわと、戸惑いの色が含まれたざわめきが起こる。
 そう、延ばされた大男の手に、膚の浅黒い幼い少年は、思いきり噛み付いてやったのだ。それも力の限り、渾身の力をもってだ。
 大男は反対の手で、少年を思いきり殴り付けた。腰から力のいったパンチだ。少年は数メートルも飛ばされ、壁に激突する。
 殴られた瞬間、何かが潰れるような嫌な音が聞こえた。血も飛び散り、それが致命傷を与えたということは、考えるまでもない。
 だが俺は、ついにスイッチが入った音が聞こえた。待ちに待った音だ。いつも自分が極限まで怒り、どうしようもなくなった時にのみ起こりうる、頭蓋の中でカチリとスイッチの入ったような音が。
 感情は怒りに奮え血は湧き、肉は歓喜に震え躍るのだ。だというのに、それとは別に氷点下にまで下がってしまったかのように、ひどく冷静にもなるのだ。
 俺は拳銃を抜き、大男のふとももに狙いを定める。
 無駄に発達した筋肉の塊は、照準を合わせるには、俺にとっては目をつぶってでもできるほどだ。
 引き金を引き、パシュンという音の後に、大男が倒れる。ホールに響いていたざわめきが、一瞬にして消え、今度は静寂が訪れた。
 きっと、なぜ大男が倒れたのか、連中は理解できていないに違いない。もしかしたら、何かの余興とすら思っているかもしれない。
 俺は軽く舌なめずりしながら、ホールの方へと歩みだした。
 少年との契約は交わされたのだ。俺は、ここにいる奴らを君の待つ、地獄の道連れにするための死神になろう。

 少年への盟約を誓って、俺はホールに威風堂々と躍り出た。




コメント

コメントを書く

「現代アクション」の人気作品

書籍化作品