いつか見た夢

B&B

第42章


 今年は土日にクリスマスがぶち当たったこともあり、二十三日の休みと合わせて三連休となっていた。けれど学生にとっては、そんなのはあまり意味はなく、前日の二十二日で学校が終わったため、晴れて冬休みになるのだ。
 そんな冬休み二日目にあたる十二月二十四日、クリスマスイヴにあたる今日は、きっと街を彩るイルミネーションの中を恋人達が自分達が主役と言わんばかりに闊歩し、溢れているのだろう。
 そんな中俺は携帯を片手に、先ほどから何度もコールしていた。相手は斑鳩だ。奴がやるとか言っていたパーティーは、多分今日のはずだ。結局、今日にいたってもなんの連絡もないので、こちらから再三コールしているというわけだ。
「ちっ、出やがらない。一体何してるんだ、奴は」
 自分で言っておきながら、誰とも連絡をとらないとはどういうことなんだ。俺は悪態をつきながら携帯をしまった。しかも俺は今、沙弥佳たちに連れられて食料の買い出しに来ていて、二人がいない間にこうして電話していたのだ。
 まぁいい。奴が連絡してこないならこっちも無視してやればいい。そもそも、断り一つ入れるのに、なんで俺が奴のアパートにまで行ったりしないといけなかったのか。よくよく考えてみれば馬鹿な話だ。
 決めた。俺は奴の誘いには絶対に乗らない。もしうちに来たとしても、門前払いにしてやる。
 そうだ、最初からそうすれば良かったのだ。斑鳩にいちいちお伺いをたてるなんてことは馬鹿のやることだったのだ。
 俺はもう斑鳩のことは馬鹿馬鹿しいことだと思い、今晩のささやかな晩餐と、綾子ちゃんと過ごせるかもしれないという期待に思いを馳せていたところ、沙弥佳たちが戻ってきた。
「お兄ちゃん、これ持って」
 沙弥佳が買い物袋を差し出してきた。なかなかに多い量だ。
「なんだ、ずいぶん買ったんだな」
「まぁね〜。五人だから結構な量になると思うし、それに今日だけの分ってわけじゃないから」
 本来ならばこの日は、母が買い物に行き、それに沙弥佳がついていくというのが恒例だ。けれど、今日に限って父が午前中だけ、仕事があると言って出勤していった。そして午後になると今度は母が出て行ったのだ。ようするに、両親にとっては久しぶりのデートというわけだ。夜は帰ってくるから、買い物はお願いと言い残して。
 結果、こうして俺は沙弥佳たちの買い出しに付き合わされている。綾子ちゃんも嫌な顔一つせず、それについてきてくれた。家からこのデパートまでは、歩いて二十分くらいなので、三人で行けばたいした距離でもない。
「それじゃぁ、帰るとしますか」
「うん」
 外に出てみれば、すでに太陽は西の方に沈みかかっている。時刻は、まだ午後四時を少し回ったところだが、今くらいの時期から二、三週間は、一年において最も日が短い時期だ。
「さすがにこの時間になると、晴れていても寒いな」
「そうですね。少し風も出てきましたし」
 北西から吹く風が俺達の頬を撫でていき、余計に寒く感じられる。俺はその風に背筋を震わせ、首に巻き付けてあるマフラーを口の辺りにまで上げた。
「もしかしたら雪、降るかな」
「雪が降る時は、その数時間前はとんでもなく寒く感じるからな。これくらいなら降ることはないだろ」
「むー、お兄ちゃん、夢がないよ」
「夢も何もないだろう」
 肩をすくめながら、足早に帰路につく。綾子ちゃんの言う通り、風がでてきたため、急激に寒くなる。今年は例年と比べ暖冬だと聞いたが、そのせいもあってか、ちょっと寒くなるといつもより寒く感じて仕方ない。
「ところで九鬼さん。斑鳩さん、あれからどうしたんですか? まだ何も連絡がないんですよね?」
「ああ。全くと言っていいほど連絡がつかない。まさしく音信不通ってやつだ」
「そうですか。でも、どうしちゃったんでしょう?」
「一応、やつの部屋に行ってみたんだが、隣の住人が言うには、ずっと家に帰ってないらしい。あいつの企画した催し事に付き合うつもりはないが、断りすら入れさせないってのにはムカつくけどな。
 というよりも、小町ちゃん……うちの担任が実家にも連絡してみたらしいが、実家に帰っているわけでもないらしいからな。一体どうしてるのか、俺にもさっぱりだよ」
「わざわざ部屋にまで行ったの?」
「ああ。あいつ、アパートで一人暮らししてるらしい。まぁ、あいつが今まで弁当持ってきてるのを見たことがなかったから、それはそれで納得だ」
「ふーん。そっかぁ、一人暮らししてるんだ」
 沙弥佳は何を思い付いたのか、しきりにうんうんと頷いている。
「なんだ沙弥佳。一人暮らしに興味あるのか?」
「ううん。今はあんまりないけど、あの人が一人暮らししてるのかって思ってさ。偏見かもしれないけど、どちらかと言うとさ、親と暮らしてるんだけど夜まで遊んでそうなイメージがあって、一人暮らしなんて想像できなくてさ」
 なるほど。それもごもっともな話ではある。
 奴のアパートに行くまでは、俺も漠然とだがそれに近いイメージを持っていたのは同じで、奴の一人暮らしというのは、想像がつかなかったのは事実だ。
「しかし考えてみれば、ああいった人間だからこそ、一人で暮らしているとも言えなくもないな」
「そうだけどねぇ」
 そんな話をしているうちに、もう家の目と鼻の先にまでついていた。
「ただいま」
 誰もいない家の中にそう言って、玄関にあがった。いつも不思議に思うのだが人が家から誰もいなくなると、なんでこうも、寒々しく感じるのだろう。たかだか、ほんの二時間ばかし家を空けていただけだというのに。
「少し休憩してからはじめよっか」
「そうだね。だったら、五時くらいからにしよう」
「うん」
 二人はそう言いながら、台所へ食材の入った袋を持って行く。当然ながら、俺も持っていた分は持って行くが。
「あ、お兄ちゃんはしばらく休んでていいよ。特にすることもないと思うから」
「ん、分かった。じゃぁ、そうさせてもらうわ」
 二人を残し、俺はさっさと二階に上がっていった。一息つきながらベッドに腰をおろす。
「ふう……どうしたもんかな」
 つぶやきながら、マフラーと着ていたダウンジャケットを脱いで放り出し、そのままベッドに寝転がる。もう斑鳩のことは気にしないと決めたはずなのに、綾子ちゃんに言われて、また頭の中をそのことがちらつきだしている。
 しかしそれとは別に、何か他のことを忘れているような気がしてならない。それがなんだったか忘れるほど、斑鳩のことが頭を過ぎるのだ。
「んー……何、忘れてたっけな、俺」
 何か忘れているのは確かで、必死にそれを思い出そうとするものの、それは出てこない。そう簡単に出てくるのなら、誰も苦労はしないというものだ。
 そうやってしばらくの間、うねりながら考えているうちに気付けば眠りに落ちかけていた。
 くそ、昨日はたっぷり寝たはずなのに眠い。沙弥佳からすることがないと言われて部屋にきてはみたが、何もすることがなければそれはそれで暇を持て余すことになり、退屈だ。
 確か眠気覚ましには、コーヒーが良いらしい。そう思い立つと俺はベッドから立ち上がり、下に降りていった。
 階段を下りていると、コーヒーの匂いが漂ってきた。二人が煎れたのだろうが、ちょうど良い。
「コーヒー煎れたのか」
「あ、お兄ちゃん。ちょうど良かった。今から呼びに行こうとしてたんだよ」
「そうか。実を言うと、俺もコーヒーでも飲もうと思ってたところだ」
 綾子ちゃんが手際良くサイドボードからカップを三つ取り出して、テーブルに置いた。直ぐさま沙弥佳がそのカップに煎れたてのコーヒーを注ぐ。その動作は見ていて、本当に息が合っている。阿吽の呼吸というやつだ。
 沙弥佳が出したお茶受けに手をとりながら、席についた。
「砂糖は?」
「いらない。その代わりミルク、多めに」
 綾子ちゃんがその通りにいれてくれたカップを、微笑みながら差し出してくれた。
「ありがとな」
「いいえ」
 一口それを含むと、濃さの中に、コクとほのかに酸味のある味が広がる。
「いつもと味が違うか、これ」
「あ、気付いた? 豆は変わってないよ。豆の挽きかたを少し変えてみたの。いつもと違う感じがするでしょ?」
「ああ。いつものも美味いが、こっちの方が好みかもしれない」 また一口飲んで、一息いれる。俺が思うにコーヒーや紅茶というのは、その吐き出される息までが味わいなのだと思う。
「じゃあ、私たちもいただこうか」
「うん」
 二人が席につき、談笑を始める。話題はたいしたものでもなく、さっきのデパートでの買い物のことだったり、これからする料理の話であったり、両親がいつ帰ってくるかなどだ。そのうちに今日がイヴであり、今日までに何を買ったかという話になった時だった。
「……あ」
 二人の話を聞いていて、ようやく思い出すことができた。俺がひっかかっていたことが。
「沙弥佳」
「なぁに?」
「晩飯、何時くらいになる?」
「なにお兄ちゃん、お腹減ってるの?」
「いや、そうでもないけど。それで何時くらいになりそうだ」
 確かにいきなりそんなことを聞かれたら、誰だってそう思ったにしても、不思議はないだろう。
「うーん、今が五時十分前だから……七時か七時半くらい、かな」
「七時半か……。悪いが、今から一、二時間ほど出かけてくる」
「え? 今から?」
「ああ。ちょいと急用を思い出した。今日中になんとかしておきたいんだ」
 俺は立ち上がって、残ったコーヒーを一気に飲み干した。窓の外は、完全に闇夜と化している。
「飯の時間までには戻る」
「あ、うん」
 リビングを出て、先ほど脱いだ出かけ用の服を取りに、一段とばしで階段をあがる。
「あぶねぇ。忘れてたぜ、完全に」
 俺が忘れていたのは二人に贈るプレゼントというやつだ。今年ばかりは普段、人に物を贈ったことのない俺も、プレゼントを買うようにしようと前に決めていたことだった。
 沙弥佳のやつは、毎年忘れることなくプレゼントを渡してくるので、多分、今年の分ももう買っているだろう。もしかすると、先ほどの買い物で買ったかもしれない。おまけに、今年は綾子ちゃんもいるので、絶対に忘れるはずはない。
 俺も毎年貰うだけではどことなく気分が良くないと思っていて、いつも来年こそはと思いながらも、やはりその時になると、つい忘れてしまっていたものだった。そのため次の日には、一日だけ沙弥佳の言うことを聞く、というのが恒例だった。
 しかし、今年は綾子ちゃんがいる手前、そういうわけにもいかない。なんだかんだで綾子ちゃんには、他人様でありながら家事やなんやらを手伝わせているうえ、週明けには弁当まで作ってもらっているという有様だった。
 いや、手伝わせているというよりも、半ばメイドに近い扱いだったかもしれない。なんせ、この家に長年住んでいる俺よりも物がどこに置いてあるかなど、しっかりと把握しているのだ。
 そうなってくると、こんな日に何もなしというのは、さすがに男の沽券にかかわるというものである。
 つい先ほど脱いだばかりのマフラーとダウンジャケットを着込み、ついでにニット帽をかぶった俺は、玄関へと下りていく。下の廊下には、沙弥佳と綾子ちゃんが見送ってくれるためか待っていた。
「別にリビングから出なくても良かったのに」
「うん、まぁ、そうなんだけど……。でも、どこに行くの?」
「ま、野暮用ってやつだ」
 素直にプレゼントを買いに、なんて言えるわけがなかった。別に言ったとしても、そのことを気にするような二人ではないだろうが、それでもプライドがそれを許そうとしない。
「うん……。気をつけて行ってきてね」
「おいおい、なんて顔してるんだ。たかだか何時間か家空けるだけだってのに」
 わけが分からず沙弥佳は、寂しげな顔をしていた。もしかすると、こいつは食事まで俺に居てほしかったのか? 毎年そうだったことを考えれば、それもありえないことではないが、だからと言って今行かないわけにもいかない。俺はその沙弥佳の頭に手を乗せ、軽く撫でてやった。
「携帯は持っていくから、何かあったら連絡してな」
「うん。じゃあ、いってらっしゃい」
「九鬼さん、いってらっしゃい」
「ああ、いってくる」
 二人に見送られて、俺は先ほどよりも風が出ている、冬の外に出ていった。



 電車を降りて、商店街の方へと向かった。さすがにイヴということもあり、カップルの数が半端じゃない。右を見ても左を見てもどこを向いてもカップル、そんな状態だ。今日はいわゆるクリスマスセールということもあって、それも大いに関係しているだろう。
 さて、そんな中俺は、一人悠々と人込みの中を闊歩しながら、二人へのプレゼントをどうするか考えていた。喜ばれそうでいて、かつオシャレな物が良いと思うが、そうなるとどういった物になるだろう。
「あれ、九鬼くん?」
 考え事をしながら歩いていたところ、横の店の中から思わぬ人物が出てきた。青山だ。
「よう、青山じゃないか」
「こんなところでどうしたの……って、あ、松葉杖とれたんだ」
「ああ、おかげさまでな。つい二日前にとれたばかりなんだ。リハビリも兼ねて、こうして歩いてるところだよ」
「へぇ。思ったよりも早かったね」
 沙弥佳と同じことを言われ、俺は苦笑しながら黙って肩をすくめた。
「そんなことより、おまえこそどうしたんだ、こんなところで」
「うん。まあ、恋人がいない同士、姉ちゃんと出かけてたんだ。それでね」
 遠回しに言う青山に、それは俗にいうデートだろと言おうとしたが、やめた。前々からそんな節を見せていた姉弟だ。それも有り得ない話ではない。いや、青山というよりも、青山の姉貴がという方が正確だろう。
 そう察した俺は、素直に頷いておいた。
「それで九鬼くんこそ、今日は一人なの?」
「ああ。ちょいと買い物に出てきただけだ」
「そう。でも意外かな? 妹さんや友達の女の子と一緒じゃないなんて」
「おいおい、そりゃぁどういう意味だ」
 青山の、まるで学校以外では四六時中一緒にいるかのような台詞に、思わず突っ込んでしまった。斑鳩もそうだったが、そういう風に見えるのだろうか。だとしたら心外だ。
 とは言え、うちには結局その二人がいることを思い返せば、当たらずとも遠からずではあるが……。
「まぁ、なんていうか……二人にプレゼントでもと思ってな」
 その時青山の後ろから、青山の姉貴が出てきた。よく見ればこの店は喫茶店で、今しがた、彼女が会計していたのだろう。
「あれ? あなたは」
「どうも。お久しぶりで」
 確か沙弥佳と綾子ちゃんと一緒に、キシマイ堂で会った以来だ。彼女は、いつぞやに青山の家で見せたような態度ではなく、かと言って、キシマイ堂で会った時のようでもなく、何か余裕を持っているように見えた。まるで青山が突如、雰囲気が変わった時のようなものを感じたのだ。
 外出しているからかなのか、はたまた最近はずっとなのかは分からないが、随分と大人びた恰好をしている。
「確か、しんちゃんのお友達の」
「僕のクラスの友達で、九鬼くんだよ」
「九鬼です」
 青山に紹介されて、軽く会釈する。たとえ雰囲気が変わっていても、俺は彼女にはあまり関わらない方が良いと思っているので、そろそろ退散すべきだ。
「じゃぁ青山、俺はそろそろ行くよ。時間がそんなにあるわけでもないから」
「あ、うん。そういえば、もうプレゼントは決まったの?」
「いや、正直な話、こんなところにまで来といて、まだ何も決めてないんだ」
「そう。だったらこれ、持って行くと良いよ」
 そう言って青山は、この地区の商店街でならどの店でも使えるという割引券を出した。期限は明日までになっている。
「いいのか?」
「うん。どうせ、今日はもうこれから帰るつもりだったし、明日は多分出かけないから」
「そうか。だったら有り難く使わせて貰うよ」
 青山に感謝し、その割引チケットを受け取る。この男は、本当に良いやつだ。学校でもこんななら、隠れた人気者になってもおかしくないはずだと思うのは、きっと俺だけではないだろう。
「それじゃぁ、またな」
「うん、またね」
 二人に手をあげて、早々に立ち去る。大丈夫とは思ったが、またいつかのように、嫉妬に染まった彼女の視線をぶつけられたくはない。
「さて、どうするか」
 誰にも聞こえないような、小さな声でつぶやいた。
 正直なところ、これは俺だけではないだろうが男であれば、クリスマスだからと言って、女の子が言うほど特別はしゃぐようなものではないと感じていると思う。この日主役なのはあくまでクリスマスであって、あとはせいぜい、この日が誕生日の人間くらいだ。
 その点、沙弥佳や綾子ちゃんは男にとって、とてもやり過ごしやすいタイプだと思う。男にとってクリスマスプレゼントなんてのはあまり意味のあるものではなく、今日一日くらいは、ただ恋人とのんびり過ごせればそれで良い、と考えている奴は多いだろう。もちろん俺もそうだ。
 しかし、そうは分かっていても、時にそればかりでもいけないと思ってしまうのが、男の不思議なところだ。まぁたまにはな、こう思ってしまうのだ。今の俺がまさにそうであるわけだが。
 とにかく、今は二人に何を贈れば良いかだが、ここは無難に服にでもしようと思う。今しがた青山の姉貴をヒントにしたのだが、前二回会った時と比べ、雰囲気が随分と変わっているのを見て、それで悪くないと思ったのである。
 そうなると俺は、若い女の子向けの店を適当に見繕って入っていった。中は外と比べて、熱いくらいに暖房が効いている。
「いらっしゃいませー」
 さすがに普段、こういった店に入らない身からすると、少々恥ずかしい。しかも、男一人でなのだ。
「どういった物をお探しですか?」
 店に入ったは良いものの、どういうのを買えばいいのか決めかねていた俺に、店員の女の子が話かけてきた。
「あ、いや……実はまだどういうのってのは決めてないんだ」
 その上で、どんなのが流行っていて、どんなのが人気なのか聞き出していく。というのも、はっきり言って沙弥佳も綾子ちゃんも、あまり流行り云々といった物より、少しばかり外し気味な物の方が、二人は似合うと俺は踏んでいる。
 あの二人は整った造形をしているので、むしろ、普通であれば着るのを少しためらうような物の方が良い。
「だとしたら、こんな感じのも合うか」
 手に取ったのは、少し淡いピンク色をしたニットだった。けれど、良く見れば白や薄い橙色も混じった斑模様になっている。ぱっと見ても、ただのピンクにしか見えないようでいて、そうじゃないというのが着る人を選びそうだが、これなら間違いなく、沙弥佳には着こなすことができそうな色合いだ。
 この手の色をしたニットを、あまり着こなせる若い子はあまりいない。ましてや、まだ十五なのだ。それともう一枚。そのニットとは別に、線を強調するタイプのパンツを一枚だ。当然ながら、これなら先ほどのニットとも合う。
 取りあえず沙弥佳にはこれで十分だ。次は綾子ちゃんのものだが、綾子ちゃんは沙弥佳と違って暖色より、寒色の方が似合うはずだ。
 もう一度店内の服を手にしながら、俺は薄紫に、どこか水色のような柄をしたアウターを見つけた。ややシックな感じだが、十代の少女から二十代の大人へと向かい始めた今だからこそ、それを強調させるようなアイテムかもしれない。
 他にも候補はあったが、これなら色合いも綾子ちゃんには合うだろうし、どこか愛嬌も感じさせるものなら、彼女には十分だ。
「えと、じゃぁこの二つと、このアウターを。それと、商店街の割引券って使えます?」
「はい、使えますよ。それではこの三点ですね。こちらへどうぞ」
 店員に連れられて、レジまで服を持っていく。正直、手痛い出費だが、年末にはお年玉という十代までしかない特権がある。この際、ここは奮発しておくのもいい。それに今はクリスマスセールであり、さらに青山からもらったチケットで普通に買うより、安く済むならまだマシなのだから。

「ありがとうございましたー」
 そんな店員の声に見送られながら、二人分のクリスマス用袋に入った服を片手に、足早に来た道を戻る。 携帯の時計で時間を見れば、すでに午後六時半を回ってしまっている。思ったよりも長く店にいたようだ。
 まだまだカップルや、片手にプレゼントを持った人の往来が激しい中、俺はその流れに逆流するかのように足早に駅へと向かった。
 そんな商店街の店から三十分もする頃、俺は地元の駅の改札を出て、家への道を歩いているところだった。ここから家までは、もういくばくも無い。後十分もあれば暖かい家の中だ。
 すると、俺の背後から車のヘッドライトの光が射し、俺と周りの壁を照らす。それだけでなく、かなりの猛スピードのようだ。
 風を切ってこちらに迫っているのが音で分かり、俺はつい後ろを振り返る。
 ライトの光りが眩しく、良く分からないが、キュルキュルという音ともに、さらにもう一台がその後ろから追走している。
 俺は咄嗟に壁側に身を寄せる。
 その横を一台が一向にスピードを殺さずに走り抜け、直ぐさま後ろを走っていた車が過ぎ去る。
 二台とも閑静な住宅街を走る車とは思えないスピードで、わずかに間をおいてすごい風が巻き上がった。
 もう夜のため良く見えないが、二台とも黒っぽい感じの色をしているようだ。
「……なんだったんだ、今のは」
 呆然としながら俺は呟いた。
 さながら映画のワンシーンのようで、後ろの車が前の車に対して、追いかけて何かしようとしているみたいに見えた。
 まさか、こんな場所でレースでもしていたというのか。街の公道をコースに見立て、レースしている輩がいると聞いたことが
ある。そういった類いだろうか。
 だとしても、こんな住宅街でするはずはない。道幅があるような場所の方が連中には好都合だろうし、わざわざ事故に繋がりやすい場所でそんなことはやらない。
 そんなことをいちいち気にする必要はないが、人のことなど考えずに、ああいうことをする連中は好きになれない。あんな連中は、いずれ自分が痛い目を見ればいいのだ。もちろん、それで自分が死ぬことになろうが、馬鹿な奴だと言われておしまいだろう。
 俺はため息をついて、またゆっくりと歩き出した。

 家にたどり着くと、車庫に車があるのが分かった。両親が帰ってきているのだ。
「ただいま」
 家に入ると外とは比べられないほど温かく、一気に顔が火照ってしまう。
「あ、おかえりー」
 俺の声に反応してか、沙弥佳がすぐに玄関までやってきた。相変わらず犬みたいなやつだ。
 玄関に上がった俺に、いつものように沙弥佳が腕に抱き着いてくる。
「おう、出迎えご苦労。父さんたちも帰ってきてるみたいだな」
「うん、帰ってきてるよ。それと後少しでご飯だから」
「分かった。部屋に戻ったらすぐ行く」
 部屋に戻り、再度マフラーとジャケットを脱ぎ、ハンガーにかけておく。二人へのプレゼントは食事の後に渡せるよう、下に持って行くとしよう。
 ジャケットの中にある携帯をポケットから取り出すと、着信があったようで、それを知らせるライトが点滅していた。
「誰だ?」
 携帯を開いて履歴を確認してみたが、見知らぬ番号で不審に思った俺は、そのままにしておいた。着信時間は十分ちょっと前だ。その時間の俺は、駅から家に向かう途中だった。
 俺は携帯を閉じて、ベッドにそれを放り投げる。かけてきた人間が誰かは知らないが、こういうのはこっちからかけるような真似はしない方がいいだろう。変なのに引っ掛かりでもしたら面倒だし、もし知人であれば、また後からかけてくるはずだ。
 部屋を出た時には、すでに携帯のことなど頭から消え、袋を持ったまま下へと下りていったのだった。

「おかえりなさい。どこ行ってたの?」
「ただいま。そっちこそ、おかえり。まぁ、大した用事じゃぁないよ」
 ダイニングキッチンに行くと、母が出迎えた。食事の用意をしている最中だったようで、食器を取り出しているところだった。
「九鬼さん、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
 そのまま台所の流しで手を洗う。洗剤で手を洗ってしまうと、肌が荒れるらしいが、そういうのはあまり気にしない。
「もうお兄ちゃん。手洗うなら、ちゃんと洗面所に行きなよ」
 それを見兼ねた沙弥佳が、横でお小言を言っているが無視した。俺の態度に呆れてか、ため息をついて、さっさと母の手伝いに離れていく。
「何も、洗剤で洗わなくってもいいんじゃないですか?」
 綾子ちゃんが忍び笑いをしながら、食器に出来上がった料理を盛りつけている。盛りつけているのはサラダのようだが、色とりどりで、見るものの食欲をそそらせる。
「いつも思うが、君は盛りつけるのが上手いな」「そうですか? いつもしているうちに慣れちゃっただけだと思います」
 そうか。綾子ちゃんは、最近こそちょくちょくうちに来ているからあまり考えてなかったが、元々、ほとんど一人暮らしに近い環境で育ったと言っても過言ではないのだ。
「あ、九鬼さん。もう盛りつけるだけなので、席についていて良いですよ。それと、これをお願いします」
「ああ」
 つい今しがた盛りつけられたサラダを持って、テーブルまで運ぶ。盛られた野菜はみずみずしく、これに沙弥佳が作った特製のドレッシングをかければ、きっと美味いことだろう。
「父さんたち、今日どこ行ってたんだ?」
「ん。まぁ、色々とな」
 父さんの横の席につきながら聞いてみると、そんな答えが返ってきた。色々と言われても、なんのことだかさっぱりだ。
「あんた、子供が大人の事情を詮索するものじゃないわよ?」
「大人の事情?」
 母がふふんと鼻を鳴らして、料理をテーブルに並べていく。
「まぁ、そういうことだ」
 父も珍しく、何かはぐらかすように苦笑しながら話を切り上げた。なんなんだ、一体……子供にできないような話なのか? ふと脳裏にその事情というのに、あまり考えたくないことが浮かんでしまった。
 いやいや、だとしたら、二人で出かける時は毎回ということになる。しかし、今日はなぜか母だけが呼び出され、母は当然のように出ていったのはどういうことか。それを暗示しているのではないか……。
 俺はため息をついた。よそう、こんな考えを巡らせるのは。そうだとしても、それをしてはいけないというわけでもないのだ。
 ただ一つ。もし本当にそうだとしたら、この歳で今更下に弟なり妹なりができるのだけは勘弁してもらいたい、ということだけだ。
「なに、今度は黙り込んじゃって」
「いや、なんでもない」
 肩をすくめて、首を振った。母はそんな俺に、変な子ねなんて言いながらテーブルに、今焼き上がったばかりのローストチキンの皿を置いて、席についた。
「美味そうだな」
「でしょ? 今日のはかなり自信作なんだよー。隠し味は、あやちゃんが付けたんだけどね」
「本当。美味しそうね、これ。綾子ちゃんも沙弥佳も、将来は良いお嫁さんになれるわよ」
「ふふふ、そうですか?」
「もちろんよ。主婦歴十八年の私が言うんだから、間違いないわ。男の子っていうのは、こういうのをそつなく熟しちゃうような女の子には、なんだかんだで弱いからねぇ」
 そう言って母は父を見る。父は必ずしもそれだけではないぞなんて言ってるが、どうも図星のようだった。男というのは若いうちはそうでなくとも、ある程度歳をとれば、そういった安定というのを求めるものなのかもしれない。
「ふふ。それでは、頂きましょうか」
「いただきます」
 最後に、沙弥佳と綾子ちゃんの二人が席についたのを見計らい、父がシャンパンを開けた。それをそれぞれのグラスに注いで、俺達は聖夜の晩餐に舌を唸らせていった。



 沙弥佳と綾子ちゃん、二人の作った料理を腹一杯に満たし、俺をおおいに満足した。二人の料理は一言で言えば、うまかった。
 うまかったと言うのは、味もさることながら、見た目や美味くするための、細やかな技術なんかも含んだ意味である。
「おにーいちゃん」
「なんだ?」
 椅子に座ったままゆっくりしていると、沙弥佳が笑顔で迫ってきた。
「はい、これ」
「ん、おお。いつも悪いな」
 そう言えば、毎年食事の後には必ずプレゼントを渡すのが、こいつの習慣だった。しかしいつもと違い、今年のは随分と小ぶりだ。おまけに縦に長く、何か箱が包まれているようだった。
「開けてみていいか?」
「どうぞ」
 紙をとっぱらうと、案の定、中から黒っぽい蓋をした箱があらわれた。その蓋を開けてみると、中には腕時計が入っていたのだ。
「こいつは……」
「えへへ。今年はね、私とあやちゃんの二人で一つなんだけど……その代わり、奮発しちゃった」
「以前、時計をしてみるのも良いとおっしゃってましたよね? それで二人で相談して、今回はこういう形にしたんですが……」
「そうか……いや、こいつは予想を超えた代物で、嬉しいぜ」
 二人の説明を聞きながら、俺は早速その腕時計をつけてみることにした。
 確かにストーカー野郎をおびき出すというのを目的に、綾子ちゃんと出かけていた時にそんな話をした記憶があった。まさか、何気なく言ったことを覚えていてくれるとは、思ってもいなくて驚いた。
「なんか……すごく大人になったような気分だな」
 というのも、どちらかと言えば、高校生が身につけるような物ではなく、もう少し年上の男がつけているようなデザインなのだ。
 身につけてみると、これが思ったよりも恥ずかしいような、照れ臭いような気になる。しかしそうは思っても、やはり嬉しさが先立つのは当然で、左手につけた時計の盤面を、意味もなく何度も見てしまった。
「気に入った?」
 俺の様子を見た沙弥佳が尋ねてくる。もちろん、気に入ったに決まっている。
「ああ……最高だよ。ありがとうな、二人とも」
 こういうのには疎いので良くは分からないが、きっとそれなりに、値段のいくものだったのではないだろうか。
 いくら今の時期、安く買えるとは言っても、中学生の小遣いでは相当の出費になったろう。たとえそれが、二人で出しあったものだとしてもだ。
 二人の気持ちに感謝しながら俺は、さっき買ってきたばかりの服を取り出した。こんな良い物をくれた二人に何もないというのは、さすがに申し訳ない。きちっと買いに行って正解だった。
「これ、俺からも二人にプレゼントだ」
「本当に? お兄ちゃん、初めてだよね? プレゼントくれるの」
 そんな風に言われると、何も言い返せないが事実ではある。
「まぁ、毎年もらってるのに、何もないってのはな」
「開けてみてもいいですか?」
「ああ」
 二人は早速、袋から服を取り出した。気に入ってもらえればいいんだがな。
「わあ。可愛い」
「本当。私のもすごく可愛いよ」
 取り出した服の肩の部分を広げ、それぞれの肩に合わせている。反応は上々で、贈った俺としても嬉しくなってしまう。
「もしかして、さっき出かけたのって」
「まぁ、そういうことだ」
 照れ隠しに鼻をかきながら、そっぽを向いた。やはり、こういうのに慣れてないせいか、気恥ずかしい。
「九鬼さん。本当にありがとう」
「お兄ちゃん、ありがとう」
 嬉しそうに礼を言われて、俺はただ肩をすくめてみせることしかできなかった。まぁいい。二人は、明日にでも早速それを着てみようなんて言っているので、俺は満足だし、しっかりと吟味した甲斐もあるものだ。
 俺も二人がくれた腕時計を、無意識に触れながら微笑んでいた。




コメント

コメントを書く

「現代アクション」の人気作品

書籍化作品