いつか見た夢

B&B

第68章

 目を覚ますと太陽はすでに高く、昼下がりといっていい時間になっていた。
 昨晩、真紀と別れて部屋に戻ってきてからというもの、ソファーに座って酒をあおっていたところ、そのまま眠り込んでしまったらしい。
 やれやれ。今日は午前中には起きれると思っていたのに、いつもとあまり変わらない時間に起きてしまった。俺は酔っていようといまいと、寝起きの時間にはなんら関係ないらしい。まぁ、その分、必要に応じて早起きできるわけだから、気にすることでもない。
 ソファーから身体を起こして思いきり背伸びしたあと、洗面所に行って顔を洗った。そこでようやく頭と目が冴え始めた。
 洗面所を出ると、キッチンに乱雑に置かれたままになっているパンを袋から出して、食いついた。普通であれば、バターならジャムなりを塗るところだが冷蔵庫には、そんなものはないのだから仕方ない。
「ちっ。少し硬くなってやがる」
 かじったパンを咀嚼して一言つぶやいた。近くのパン屋で三日前に買ったものだが、欧米のパンは日本のもの比べて、パサパサとしているためだ。
 パサついているということは、それだけ水分が少ないということになるが欧米人は、東洋人と比較して唾液の分泌量が多いと考えられるため、彼らには日本のパンは逆にベチャベチャと感じやすいのだそうだ。このため、日本であれば三日やそこらでは硬くなりにくいものでも、こっちでは乾燥しやすくなっているのだ。
 そのせいかやや味気なくなって半斤ほど残っていたパンを食べ終えると、俺はさっそく行動を開始した。どうにも、ベケットのことがまだ気掛かりで仕方なかった。
 洗濯籠から干した後、とりいれたままになっているやや厚手のシャツを引っ張り出して着た。下は昨日のジーンズと、上着には革ジャンといういで立ちだ。まぁ、いつも通りといえばいつも通りだ。
 部屋を出ると、ちょうど他のアパートの住人二人がアパートに戻ってきたところのようだ。階段をおりる俺と、自分たちの部屋に戻ろうとして階段をあがってきた二人とすれ違う。
 俺のことなど全く気にもせず二人はあがっていく。二人を見る限りいつも必ず一緒に行動していて、できているのではないかと思わず勘ぐってしまいたくなるのは、決して俺だけではないだろう。
 アパートを出て、今日もシティの方へ向かう。アパートに面したストリートを北西に向かって歩き、シティへ続くメインストリートへと出た。
 メインストリートに出るとすぐにタクシーが通り、俺は手をあげてタクシーを停めた。
「シティまで行けるところまでやってくれ」
 タクシーに乗りこむと、運転手がこちらに聞こうとするまえに行き先を告げる。俺の言い方が悪かったのか、普段からこうなのかはわからないが、運転手の男はどこか不機嫌そうに頷いてタクシーを発進させた。

 シティ間近にきて道が混雑してきたところで、タクシーを乗り捨てて歩きだした。俺が向かっているのは昨日もいったマーロンの店だ。
 あの偏屈者だが仕事には人一倍真面目な親父のことだから、この時間ならもう店の準備をし始めているにちがいない。
 歩いて三十分とかからずにマーロンの親父の店についた俺は、店のドアを強く二回叩いて中に入った。
「なんだおまえ、今日も来るなんて珍しいじゃないか」
「ああ。今日はあんたから情報を買いにきたんだ」
「ほう」
 情報を買いにきたというとマーロンの親父は、目の色を変えた。この親父は副業として、情報屋を兼ねているのだ。昨日はさほどの用事でもなかったから金を取ることもなかったが、今日は違う。
「どんな情報を買いたいんだ」
「あんた、昨日ハイドパークで殺人があったといったよな。アンソニー・ベケットのことだ。
 そいつの組織のことについて、いくつか知りたい」
「なんだ、もう知ってるんじゃねえか。いまさら、俺から聞く必要なんてないんじゃないのか」
「知ってるのはベケットの素性のことまでだ。奴の組織までのことは聞かされなかったんだ」
 やや早口にまくし立てると、親父はそうかと頷いた。
「ベケットは、ここいらじゃわりと名の知れた男だった。おまえも知っているかも知れないがロンドンには今のところ、三つのマフィアが存在している。
 マフィアっていうそのものは公式では、この国には存在しないことになっているのを知っているか?」
「らしいな。だが、そんなの嘘だ」
「そうだ。この国には、イタリアだとかアメリカ、中国やおまえの国みたいに、その国においての必要悪として誕生した、組織だったものは確かに存在しなかった。
 もちろん、なかったわけじゃない。ようは、ファミリーって呼ばれるものが存在してなかっただけでな」
「悪名高いフーリガンなんかもそうらしいな」
 俺は親父の言葉に相槌をうちながら、続けさせる。
「フーリガンはある意味において、我が国で初のマフィアと呼べるかもしれん。
 連中は組織だってのサボタージュは当然、リンチや利権の奪取、外国人を言葉巧みにあやつって、強制労働所に監禁していた事件が昔あって、当時、世間を驚かせたものさ。ただ、フーリガンと呼ばれるだけで、固定の名を持たなかっただけでな。
 だが、連中には他国のマフィアと違って、情報網を会して動いている、一つのコミュニティとしての一面もあるからな。だから、公式には存在しないということになってるわけさ。
 あと連中には、先導しているリーダーらしい人物らの存在こそあれど、組織をまとめるトップというのが存在していないのも、マフィアとは違う点としてあげられるだろう。
 しかし、そんな我が国においても近年は、完全にマフィア化された組織が台頭し始めてる。それが」
「ベケットのいた組織なんだな? あとの二つもだ」
 俺は親父の言葉を引き継いで続けた。となると組織そのものは、かなり若い組織なのかもしれない。
 なんにしても、それらを早くから統合、ないしは協定にまでこぎつかせることができたベケットの手腕は、かなりのものとみていいだろう。そんな人物の死は、やはり組織にとっては痛手にちがいない。
 親父はそれに強く肯定し、頷きながら続ける。
「いうならベケットら新しいマフィアの台頭ってのは、フーリガンへのアンチテーゼとも言えるかもしれん」
「マフィアがか」
「ああ。考えてもみな。フーリガンが人徳的にみて、非道なことをしている様を見せられて、良い気分になるやつは普通いないぜ?
 ましてや外国人とはいえ、強制労働所で監禁して死ぬまで働かせてたなんて、ナチと比べたって劣るとも勝らない所業だろうさ」
「なるほどな。だから連中へのアンチテーゼということか」
 つまり、ベケットら新しいマフィアの存在は、いうならば裏世界での左翼的存在とも見れることもできる。
「ベケットの組織はどんなことでしのぎを削っていたんだろう」
「もとはといえば、高利貸だったようだな。リバプールに本拠を構えていたらしいが、十何年か前にロンドンに本拠を遷したらしい。
 ほら、東地区の方では今、再開発が進んでるだろう? 副都心計画の一環なんだが、連中も一口噛んでるって話だ」
 言われてみれば、俺の住む東地区では今、都市開発計画が発表されていたのを思い出した。俺のアパートはその計画にはなにも引っ掛かる地区にはなく、あまり興味のない話だったのですっかり忘れていた。
 それにベケットの組織が高利貸をやっていて、おまけに本拠をわざわざロンドンに遷したのも引っ掛かる。
 マフィアであれば普通、地元密着主義なはずなのに、なぜそこから離れてロンドンに遷したのかは疑問だ。
「なぜロンドンに本拠を遷したんだ? 普通、高利貸なら支店をロンドンにおけばいいだけの話だろう」
「そこなのさ。少しばかり俺も気になったんで、建設や不動産で働いている客にそれとなく聞いてみたら分かったんだ。
 ま、結論からいえばやはりというか、利権の問題だった」
「……そうか。連中は、金融業というのを傘に、建設業の人間を買収したんだな?」
「そうだ。しかもそれだけじゃない。連中、いくつかの建設会社の大株主でもあったらしい。いや、もっといえば、そのために大株主になったというのが正しいだろうな。だから、東地区再開発事業に加わってる建設業者は、全て連中の息がかかってるって話だそうだ。
 ついでにいうと、不動産業者まで抱え込めば、リバプールなんて場所にいるよりも、より多くの甘い蜜がすすれるってもんさ。
 ま、連中の同業である、他の二つの組織がリバプールにも入ってきていたというのも、背景にあるようだな」
 確かに、リバプールよりも人間も多くいて、東地区という、土地柄あまりよくない場所の開発というのは、投資するには決して悪くはないかもしれない。開発で新しいスポットができれば、人が来るようになる。人が来れば金を落とす。金が落ちれば地権を持っている連中がうるおう。ならば、地権を持っている連中を抱え込めば、自分たちがうるおうというわけだ。本拠が他の連中に荒らされるようになったのなら、なおさらだ。
 なによりマフィアに限らず、ビジネスにおける稼ぎとは、根本的にやったもん勝ちな世界だ。それを分かっているから、そんな一大投資に踏み切ったのだろう。
 それに東地区は現在、昔の良くないイメージの払拭をしようと、地元民が声を高らかにしている背景があるのも、連中を後押しすることになったはずだ。
「ま、後はいつも通り、といってしまうのもなんだが、連中は最近じゃ、ドラッグの密輸にまで手を出し始めてるって話は聞いたな。近々、その取引もあるなんて噂がたったが、どうなったんだろうな」
 その取引は失敗しているわけだが言う必要はないだろう。俺のことを、なんでも屋と思っているやつに、素性を明かすことなどしたくはない。
「ところで、ベケットはどんな仕事についていたのか分からないか?」
「主に、組織内での資金運用を任されてたって話があるが、どうかしたのか」
「いや、ちょっとした興味さ。資金運用というが、それだけじゃぁなかったんじゃないのか」
「いや、あながちでもないらしい。奴は金の動く話なら、その場に必ずといっていいほど足を運んだそうだぜ。何からなにまでな」
「何からなにまで」
 親父の話を聞く限りでは、よほど金に執着のある人間にしか聞こえない。いや、事実そうなんだろう。となるとだ。ここで一つの疑問が生まれる。
 生前やつは、俺の報酬に関してなにひとつ文句をいわなかった。それどころか、嫌な顔すら見せることはなかった。
 ベケットのそんな態度には、逆にこちらが肩透かしをくらったような気分にさせられたもので、法外の金など払うはずもないだろうとたかをくくっていたのは記憶に新しい。
 そんな人間が金の亡者だったというのは、実際に会った俺のイメージとはいまいち合わない。それに真紀の言っていたことも気になる。
 おそらく、親父と真紀の言うことの相違の差は、実際にはたいしたことじゃない。 密輸という限り、少なからずそこには利権が絡むわけだから、実際の差はありはしない。言い方と見方が少し違うだけにすぎないのだ。
 となると、俺が聞いた情報で残るのは、後は遺伝子学の権威と会っていたというものだが、これもまた胡散臭く感じなくもない。
 真紀はこれに関しては、ただの趣味である可能性があると言っていたがどうだろう。そこに何かしらの利権が絡んでいたというのもある可能性も、考えられないではない。
「ベケットは、いや、組織自体は、密輸をやっていたと思うんだ。そこから何か分からないかな」
「密輸なんて、裏世界の住人たちなら多かれ少なかれやっていることだからな。ドラッグ以外になら、せいぜい武器くらいなもんだろう。
 あとは、建設業を取り込んだわけだから、鉄鋼なんかも有り得るかもな。ま、それらは、わざわざ密輸するほうがおかしな話ではあるがな」
 俺は無言で頷いていた。あとは、商品としての流通自体が禁止されている物くらいなものだが、たとえば絶滅危惧種に指定されている動物の毛皮だとか、人身売買なんかくらいしか思い当たらない。
 そして真紀は、人身売買といったことには一切触れることはなかった。つまり、人身売買には手をつけていないと見ていい。
 第一、現在のマフィアの台頭が外国人を、言葉巧みに労働者として強制的に働かせることに秀でた奴らへの、アンチテーゼとして発足したらしい背景がある以上、それと同じくらいに非道なことをやるとは思えない。動物の毛皮なんかは有り得たかもしれないが、莫大な利益というまでには程遠い話だ。
 そう考えると、密輸と利権と一言でいっても漠然としすぎて、いまひとつ釈然としない。
「そういえばベケットのやつは、年に一度だけほぼ必ず日本に行ってたって話があるぜ」
「日本にだって?」
「ああ。残念ながら理由はわからん。インテリだったったというベケットのことだから、ジョン・レノンにでも影響受けてたのかもな」
 くっくっくと肩をいからせながらマーロンの親父は笑った。ジョン・レノンは大変な親日家だったらしく、年に一度か二度は来日していたという。正確には日本人を妻にしたことから、日本に強く興味をもったのかもしれない。
 まぁ、ビートルズのファンでもない俺には、そんなことはどうでもいい。親日家だったというのと、ビートルズが日本に来たという事実だけは変わらないのだから。
「日本にか……」
 笑う親父を尻目に、俺は誰にいうでもなくつぶやいていた。



 マーロンの親父の店で情報を買った俺は、そのまま軽い食事をして店を出た。今日も、看板娘であるレベッカと会えなかったのは残念だ。
 向かったのは繁華街にある無料ネット閲覧所で、親父から仕入れた情報から、東地区再開発事業に携わっている建設会社を調べることにしたのだ。
 最大手検索エンジンを使い、キーボードでロンドン東地区再開発事業計画と打ち込む。
「こいつだ」
 すぐに表示された検索結果の一番上にある、『東地区再開発計画』と書かれているページをクリックしページに飛んだ。
 マーロンの親父は、この再開発事業に参加している建設業者は全て、ベケットら組織の息がかかっているといっていた。そこで俺はその建設業者の名前と事務所の住所、ならびに関係者たちをピックアップして頭の中にたたき込んでいく。
 建設業者の事務所は、もっと東地区に近いところにあるとなかば考えていたところ、意外にも西地区にあるようで、俺はすぐにネット閲覧所を出てその事務所に足を向けた。住所は、チューブを使ったほうが早いところにあったため、近くのチューブの駅へと降りていく。
 ホームに降りるとすぐさま列車がやってきそうで、こちらに向かって強い風が吹いてくる。この国の地下鉄は日本の地下鉄同様運転が比較的丁寧で、他国の地下鉄と比べると好感がもてる。
 まぁ、その分到着時は列車特有の、あの耳障りな音が響くことがままある。それらの音を、なるべく響かせないという配慮を運転士に徹底させているなんて話を聞いたことがあった。
 チューブに乗って四駅いったところで、俺はチューブを降りて地上へとあがった。西地区は中央と比べてどこか賑わしく感じるところで、旅行者やロンドンっ子もよく足を運ぶ地区だ。
 というのも東地区とは比べものにならないほど安全なうえに、生活するうえでの必要なものがあら方揃っているためだ。ショッピングセンターや、歩行者天国、市民の憩いの場である公園、さらに各種ショップなんかが立ち並ぶファッショナブルな地区なのだ。
 さらにこの西地区は、休日ともなると公園の脇道やなんかに露店が並んだり、大道芸人が現れたりと、さらに活気溢れる街になるのが好まれている。
 ただし、この西地区に住むとなると東地区の三倍から、場合によっては四倍ちかい家賃が必要になる。ロンドンは欧米の都市としてはかなり安全な都市であるが、それでもやはり、日本の都市とは比べられない。地価が高いのにはようするに、安全料というのが目に見えない形で組み込まれているということに他ならない。
 欧米の都市部において、日本であれば誰しも当たり前にあると教えられる、"安全"というものにまで金を支払わなければならないのだ。そのうえで警備会社なんかが幅をきかせている世の中は、やはりどこかおかしいと言わざるをえない。
 地上に降りたって五分も歩くと、事務所の入っているビルについた。受け付けなんていもしない小ささで、そんなビルを前に、俺は真下から見上げた。本来なら夜いった方が人目につかなくていいのだが、いまさら夜まで待つ必要もないだろう。
 それに、会うべき人間も決まっているのだから、特に問題はない。場合によっては、一悶着あるかもしれないがその時はその時だ。
 エレベーターで事務所のある五階へと移動し、開いたエレベーターの前は早速、連中の事務所になっていた。中の人間は、現地に行っているのか少ない。ほんの三人の男しか中には詰めていなかった。
 いきなり得体の知れない東洋人がはいってきたこともあってか、連中の見る目はかなり険しく、敵意を感じさせるものだった。
「東地区再開発のことで少し聞きたいことがある。責任者を呼んでくれ」
 間をあたえずにそう言い放ち、三人を見据えた。三人とも何を言ってるんだこいつはとでも思っているにちがいない。
「なんなんだ、おまえは」
「ベケットの使い、とでもいえばわかるか?」
 ベケットのことを前情報として知っていたとはいえ、ビンゴなキーワードのようだ。俺がそういうと、とたんに三人の顔つきが変わったのだ。
「ミスター・ベケットの……」
 ベケットよりは確実に五歳から十歳は年上の男達が、いくら目上のベケットであっても、やつのことをミスターと呼ぶなんて思わなかった。よほど、下に慕われていたとでもいうのだろうか。あるいは、畏怖されていたか。しかし男達の様子を見る限り、畏怖しているようには見えない。
「あんた、本当に旦那の使いなのか? ベケットの旦那の名を使ってなにかしようってんじゃないだろうな。俺は知ってるぜ、ベケットの旦那は昨日死んだってな」
 男の一人が思い出したように喚いた。態度から察すると、やはりベケットはわりと下の連中から慕われていたようだ。少なくとも、この男にとっては尊敬すべき対象だったんだろう。
 そのせいなのか知らないが、ずいぶんと勘の鋭いやつだ。まぁ、別にベケットを使ったのは、その"何か"をなるべく起こさせないためだ。
「別に嘘ついてるわけでもないぜ。まぁ、確かに俺はベケットの使いってわけじゃない。しかし、ビジネスパートナーっていうのは嘘じゃない。
 やつから、ある依頼をされてたのさ。その途中に死んでしまって、俺としても色々と困ってるんだ。だから、こうしてきた」
 なるべく信憑性を持たせるために、連中の顔を見ながらゆっくりと告げた。それに、少々の脚色はしたがあながち間違ったことをいったわけでもない。
「……分かった。ここはひとつ、あんたを信用するとしようか」
 三人のうちの一人が、ぽつりとつぶやくようにいった。
「それで。あんたは何が知りたいんだ」
「たいしたことじゃぁない、東地区再開発事業についてだ。この計画について、あんたたちはベケットから多額の金を受け取っているな?」
 俺がそういうと、一度は収まりかけた連中の沸点がまた上がったようで、空気に緊張が走る。
「安心しな、俺は警察じゃぁない。あんたらが金を受け取っている事実はすでに把握してあるが、別にあんたらを脅迫しようってわけでもない。
 それに、もしあんたらを拘束しようってんなら、もっと正攻法でここに乗り込んでるはずだぜ。だが、もしそんなことしてしまえば、俺の身だって危険になるからな。なにより、自分の仕事に支障をきたすんだ」
 男達にしゃべらせる間を与えずに続けた。
「この事業について、あんたら、ベケットから何か聞いてないか」
「なんなんだ、その何かってのは」
 やや苛立たしげに話を切り出してきた男がいう。
「何かは何かさ。ほんの些細なことでいいんだ、何か聞いてないか」
 男達は互いの顔を見合わせて、みんなただ首を振るだけだった。その表情からは、本当になにも知らなさげなのがうかがえる。
「そうか。だったら他の質問だ。
 ベケットが死んだのは知ってるようだからはっきりと聞かせてもらうが、やつが何者かから狙われていたという話は知ってるかい?」
 俺がそれを口にした途端、連中は閉ざしていた口を開いて他の二つの組織がやったに決まっているだとか、あるいは密輸していたことがバレて警察に始末されただとか、あるいはフーリガンが……。そんな確かな根拠もないことを口々にいい始めたのだ。
 ただ一つたしかなことがいえるなら、連中にも実行犯のことはわかりえないということだけだ。
 俺は言い合う連中に、ため息をついた。どうやら無駄足だったようだ。結局、連中はなにも知らされてもいなかったのだ。せいぜいベケットが、近年台頭してきているマフィアだということくらいしか知らされていなかった。
 まだ、ありもしない口論を続けている男達を制止して、礼をいった。それでも俺のことなど無視して、再び口論を始めた。
 うんざりして、もうここには用はない、いったん東地区の再開発現場に行ったほうがと思って踵を返そうとしたところ、男の一人が喚きたてる。
「やっぱり、ベケットの旦那が日本から仕入れたもののせいなんじゃないか」
 と、言ったのだ。俺はすぐさま男のほうへ向き直る。
「おい、あんた今なんて言った」
「ああっ?」
 喚いていた男が、話かけるんじゃないという態度で俺のほうへと向いた。
「あんた今、ベケットが日本から何を仕入れたって?」
「別にたいしたもんじゃねえよ、たまに日本から変なもんを仕入れてたってだけの話だっ」
 男はくだらないとでもいいたげに、語気の荒い口調で言い返してくる。
「それは一体どんなものなのか、わかるか」
「けっ、知らねえよ、んなこたぁ。そんなのは、それで生計立ててる奴にでも聞けよ」
 喚きながら男がまくし立てる。俺はなるほど、それはごもっともだと納得して、今度こそ踵を返した。
 密輸で食ってるという知り合いがいなくもないが、そいつとは本当に知り合い程度の仲で、全くそっち方面での面識がない。とりあえずは、そいつに会って話を聞いてみるとしよう。
 そう思案しつつ、エレベーターに乗り込んだ。



 西地区からチューブを使って、反対側の東地区を通りすぎたところでチューブを降りた。というよりも、終点だったために降りざるをえない。
 駅からタクシーを拾って、さらに東に進んで海の方へと向かう。理由は単純にある連中に会うためで、こいつらは以前、俺がこの国に入る際に、俺の密入国を手伝ってくれた連中だ。
 それ以来一度も会ったことがなく、俺が覚えていても向こうはもう忘れている可能性はある。まぁ、密輸で食っているような人間だ。そうは人の顔は忘れてはいまい。
 仮に忘れていても、ちょいと組織の力を使えば問題ない。あまり権力を傘にはしたくないがこの場合は仕方ない。それに俺としても、格段おどしつけなければならないような問題でもない。
 仕事以外にロンドンを出て、他の地域にでるのは随分久しぶりだ。この地域にくるのはもう二年半も前のことで、いささか記憶があいまいだ。タクシーの運転手におぼろげな記憶を頼りに、道筋をあれやこれやと指示しているうちに、ようやくそれらしい場所にくることができた。
 タクシーを乗りすて、倉庫街を歩く。記憶が確かなら、このあたりだったはずだが……。
「アルグレン海洋物流……」
 倉庫街を道なりにそって歩いていたところ、英語表記された会社名の看板に書かれた文字を口にした。そういえば、確か連中はアルグレンと呼んでいた記憶がある。となると、ここで合っているはずだ。
 会社自体は小汚い現代的な小さい建物で、俺は三階におかれた事務所へ、カンカンと音をたてながら階段をのぼった。記憶が確かなら、この建物は設立から二十年かそこらのはずだが、いわれている以上に老朽化が進んでいるように思えた。きっと、海からの潮風をもろに受けているからだろう。
 階段をのぼりきり、先にある事務所のスチール製のドアを二度、三度と叩く。少しの間があったあと、内側に引かれる形でドアが開いた。
「誰だ」
 ドアを開けながら開口一番、不機嫌そうにいう男。一度しか会ったことはなくとも、はっきりと男の顔は覚えている。この男こそ、アルグレンだ。
「久しぶりだな」
 ご挨拶にご挨拶で返す俺に、アルグレンが怪訝な表情でこちらを見ている。この様子では、こちらの顔など覚えてはいなさそうだ。
「どうやら、俺のことは忘れているみたいだな。もう二年半も前に世話になったんだ、当然といえば当然かもしれない。
 オランダからの密入国を手伝ってくれたろう? 思い出せないか」
 そういうとアルグレンはそっぽに目を向けて考えだしたところ、思い出したのか鋭い目を見開いて、大きく頷いた。
「ああ、あの時の日本人か。確か、イギリスに亡命したいからとかいっていたな」
「思い出してくれたみたいだな。そうだ。
 どうだい? あれから元気にやってるか」
「いや、最近は取り締まりが強化されちまって、商売あがったりだ。
 それで。今日はなんの用事なんだ? まさか、いまさら挨拶にきたってわけでもないだろ」
 男の問いに俺は瞼を閉じて肯定する。
「密輸で食っているあんたに、少しばかし聞きたいことがあってきたんだ。
 あんた、ロンドンマフィアの存在を知ってるかい?」
「ああ。何年も前から知ってるぜ。そいつがどうかしたのか」
「そのうちの一つに、アンソニー・ベケットという名のマフィアがいた。あんた、この男のことに関してなにか知らないか」
「アンソニー・ベケットだと? アンソニー、アンソニー……いや、あいつじゃねえな」
「話によるとベケットはどうも、密輸に何か関わっていたらしい。時には、日本からも輸入をしてたと聞いたんだが」
 俺がそういうと、アルグレンは何か思い出したような顔になり、とりあえず事務所のなかに入れと促してきた。
「客としては、ほんの二、三回しか取引したことなかったから忘れかけてたが、もしかすると奴のことかもしれねぇ。
 そいつ、えらく紳士ぶった、少し変わったやつだろう」
 アルグレンは、建物の外見通りといってもさしつかえないような中をした事務所の机の引き出しを開け、ガサゴソと紙を引っ張りだしながらいった。まさしくその通りで、俺もそいつだと口にした。
「あったぜ、こいつだ。
 ……アンソニー・ベケット。おれとの取引では、資材物資と書かれてるな」
「資材物資?」
「ああ。ま、当然ちがう。中身は武器さ。金属を運んでくるわけだから、資材というにはちがいないがな」
「他になにかないだろうか。たとえば……何か、薬品のようなものとかだ」
 武器の密輸なら、真っ先に考えた可能性なので驚くことはない。問題はそれ以外に、なにかあったかどうかだ。
「薬品か……残念ながら、そんなのはなかったな」
「わかった。なら他の質問をしたい。あんたは、台頭してきているロンドンマフィアの存在を知っているようだからこれも知っていると思うんだが、ベケットのいた組織以外の組織二つが、秘密裏に取引を行おうとしていたのを知ってるはずだ。
 これに関して何か知らないか?」
「ああ、確かつい最近あった、殺し屋に襲われて、取引がおじゃんになったという事件のことか。
 それなら知ってるぜ。おれの同業者で知り合いのやつがいて、そいつが連中にブツを渡したって話だ。つい、三日かそこらくらい前だ」
「そいつの名前は」
「テイラーって名の密輸業者さ。ここから、車で十分くらい行ったところに事務所を構えてる。行けばすぐにわかるはずだぜ」
 アルグレンは机のわきにあったメモ用紙に、テイラーの名と事務所の場所を書き添えて渡してくれた。住所はたしかに近い場所で、車なら十分といわず、ものの五分かそこらあれば行ける距離だ。
「今からいくなら、話を通してやるがどうするね」
「そいつは助かる。さっそくいってみるつもりだったんだ」
 そうかとアルグレンは首をふって、言葉通りに、すぐ向こうに電話しはじめた。受話器から、こちらにもかすかに聞こえてくるコール音がしばらく鳴ったあと、ようやく件のテイラーを名乗るやつが出る。
「おお、テイラーか。久しぶりだな。……いや、そうでもねえさ、ぼちぼちってとこだな。
 それでこれから、おめえさんとこに一人、会ってみたいって男がいるんだが今大丈夫か」
 アルグレンの親父は電話にでたテイラーと軽い世間話をしたあと、本題をきりだした。
「……いや、デカじゃねえ。むしろこっち方面のやつさ。そこは安心していい。おめえさんの仕事に関して聞きたいことがあるんだそうだが、どうだろう」
 アルグレンは受話器に耳をあてたまま、二度三度と頷いたあとにわかったと一言そえて、電話をきった。
「よし、これで大丈夫だ」
「随分と慎重なんだな」
 わざわざ電話をしてまで相手に会いにいく有無を伝えるとは、逆にこちらが警戒してしまう。万に一つはないとは思っても、職業柄、なにか企てているのではないかと勘ぐってしまうのだ。
「なに、気にするな。実をいうとやっこさん、極度に警戒心が強いのさ。だから、よほど見知ったやつからの紹介でないと、会わないことにしているらしい」
 だから、いつもぎりぎりの経営なんだとつけくわえた。俺はただ、そうかと肩をすくめることしかできない。
「ところでおまえ、マフィア殺しの話をしたってことはなにか、関係してるのか」
「大してないさ。ただ、連中のことをどうにかしないと、自分の仕事がうまくいかないだけさ」
 苦笑しながらドアを開けて、俺は事務所をあとにした。

 アルグレンから書いてもらったメモ用紙を片手に、俺は近くを通ったタクシーを乗り捨てメモに書かれた住所にまできた。
 外観は、アルグレンの事務所よりもさらに酷い有様だ。向こうの事務所もお世辞に小綺麗とは言い難かったが、こっちはそれらに輪をかけて酷い。比べればアルグレンの事務所が、とたんに小綺麗に見えてしまいそうだ。
 建物は半ば廃墟ではないのかと思えるほどで、とてもではないが人が居着いている建物とは思えない。もしかするとアルグレンのやつは、本気で俺を嵌めようとしているのではないかという疑問が浮かんだ。
 もしそうなら、すぐにでも折り返してやつの事務所に戻るところであるが、やつに嘘をいっているような節は感じられなかった。よほどのポーカーフェイスでない限り、俺はあまり騙されない。わりと言いたいことをいうようなタイプのアルグレンが、俺を嵌めようだなどとしているようには思えない。
 そもそも、俺を騙す理由がない。それなのにわざわざ嘘をつく必要はないはずだ。ここはひとつ、やつを信じてみるとしよう。経営もぎりぎりだと言っていたから、建物の補修ができないほどというのも考えられるのだ。
 俺は怪訝に感じながらも建物の中へと入っていった。一応、商業用の建物とあってか、入口は観音開きのガラス張りの扉だ。ガラスの周りをアルミ製の鈍く輝く灰色をした枠に縁取られている。日本の中小企業の建物でもよく見かける仕様の扉だ。
 まず左の扉を押すものの、動かない。動かないよう施工されているのかとも思ったが違うようで、扉の回転器具が錆び付いてしまっているだけだった。
 仕方なく右側の扉を押すと、今度はなんなく開けることができた。それでもギシギシと器具の錆びつきを思わせる音がしたのは、やはり廃墟からなのかと改めて思わせるものだ。
 一階は待ち受けロビーになっているみたいにも見えたが、奥が事務所になっていた。役所のオフィスのような雰囲気に思えなくもない内装だ。
 机の上には、たくさんの書類がファイルもされずにところ狭しと置かれているだけでなく、床にまで書類が落ちていて足の踏み場もないほどだ。
 書類だけならまだしも、始めのうちはきちんとファイルされていたのかもわからない書類を収めたファイルすら、いくつも落ちている。俺も普段、けっして掃除をするようなタイプの人間ではないが、さすがにここまではひどくない。これならまだ、たまにテレビなんかで見る為替市場の中継でみられる場所なんかのほうが、まだ綺麗に見えることだろう。
 よく見ればファイルや書類はほとんどが日焼けしていて、とても働いている人間がいる場所とは思えない。あるいは、今は放棄された事務所といったおももちだが、昔は何人かの従業員がいたのかもしれない。
 事務所のさらに奥からは一筋の光が漏れているのが見える。テイラーなる人物は、きっとそこにいると思われた。というよりも、そこにいてもらわなうと困る。
 アルグレンの電話を受けてからまだ十分と経っていないので、人がくるとわかっていれば留守にするはずがないのだが、どうにも人がいるような雰囲気をうけない。
 テイラーが奥にいるなら、人が来ようと来まいと関係ないというスタンスの人間だというのは、部屋の惨状や雰囲気から理解できる。まぁ、こちらとしても別に礼をつくせなどとはこれっぽっちも思ってないので、一向に構わないところではあるが。
 ここまできたのだ、俺は気兼ねすることなくゴミとなった書類の山を踏みしめて奥におもむくと、突然、右から何かが振り下ろされそうな気がして床に飛ぶように伏せた。
「うわああっ!」
 飛び込みながらすかさず革ジャンの下に吊ってある拳銃を引き抜き、対象に銃口を向ける。
 突如として俺に攻撃をしかけてきたのは、男だった。男は奇声をあげながら、俺に角材をたたき付けようとしたのだ。
 男は病的なまでに痩せこけており、目は大きく見開いて瞳孔が開いているうえ、下にはどす黒いクマができている。息は百メートルを全力疾走したかのようにあがっていて、手足、いや全身が大して寒くもないの変な感じに震えている。はっきりいってその様は、今に死んでもおかしくなさそうだ。
 両手で角材をもったまま、こちらを瞬きもしないで見つめている男の初撃をかわしてから、それ以降なにもしようとしてこないのが逆に不気味にみえる。もちろん、その容姿からくるものもあるだろう。
 この症状……確か、日本で見たことがある。そう、あれは三波の家で見た、廃人たちと同じだ。となると、こいつも何かキメているということなのか。
「……もしかして、あんたがテイラーか」
「な、なんで、俺の名前し、しってる」
 しゃべるにもガチガチと歯をかちあわせる男は、異常者だと思わせるには十分なものだ。それでも、まだなんとか意思疎通ができそうな気がしないでもない。というより、さっきアルグレンから連絡を受けたのだから、こっちが名前を知っているのは分かるはずだが、やはりドラッグにやられて頭がどうかしているのかもしれない。
「アルグレンの紹介できたんだ。あんたに聞きたいことがある」
「ア、アルグレンの紹介……あ、あんたがそうなのか」
 やれやれ、こいつは時間がかかりそうだ。
「そうだ。あんた、つい何日か前に、ある取引をしたそうだな。その内容について知りたいんだ、教えてくれないか」
 男は怪訝そうにこちらを覗きこんでこようとするが、ギョロリとした瞳がなんとも不快な気持ちにさせる。けれど男は、そんなことを気にするはずもなく、とつとつと忘れかけていたことを思い出すように話はじめた。




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