いつか見た夢

B&B

第108章


 目の前には呻き声を漏らしながら、地面に伸びる男たちの姿があった。その手や倒れた周囲に手にしていた獲物をちらつかせていたが、それらは全くといっていいほど機能することはなかった。
「さて……あんたにだけは吐いてもらわなきゃならんことがある。土砂降りの嵐がきてるこんなときに、こんな場所でなんの荷を運び出すつもりだったんだ」
「……くそが。一体何者なんだ、あんたらは……」
 後ろ手にされたまま地面に組み伏せられたリーダー格の男は、極められた関節部分の痛みに耐えながら吐き捨てた。しかし質問するのはこちらというもので、俺は男の腕を強くねじ上げてやる。
「ぐっ……畜生が」
「あんたのことなんてどうでもいいんだ。それより質問に答えてくれ。あんたらはこのトラックに積み込んだ荷物をどこに運ぶつもりだったんだ」
 優しくいってやっている間が華というが、男はこちらの質問に黙り込む。腕に痛みがないはずはないが、予想よりはなかなかに肝の据わった野郎だ。
「だんまりか。まぁいい、いってやろうか。あんたらは今日、こいつを空港まで送り届けるつもりだったんだ。そう、馬場隆弘からの依頼でな」
「な、なんで奴の名前を……誰も知らないはずだ」
「今時、調べかたなんざいくらもあるさ。俺は奴の口から今回の取引のことを知ったんだ。もちろん、中身もな」
 男は始め、俺からの質問にこちらがどこに運び出すかまでは知らないと踏んだのだろう。だから痛みを堪えてでもだんまりを決め込んだのだ。だが、まさか俺の口から馬場の名が出るとは思わなかったのだろう、組み伏せた身体からふっと力が緩むのがわかり、観念したように口を割り出した。
 男はどうやら馬場からの説明で、今回の取引が絶対に外部に漏れないといった主旨の説明を受けていたらしい。物事に絶対などということはないが、馬場が自信満々にそう告げたのも無理はない。なんせ、依頼してきた取引相手がアメリカの権力筋だというのだから。きっと馬場のことだから、アメリカ側が秘密裏に依頼してきたことを察していたに違いない。
「……馬場の奴は、すぐにでも欲しいものがあるから、それを一〇日以内に用意しろといってきた。報酬も相当な額で、その気前の良さに始めは逆に疑いを持ってた。だが奴は相手がアメリカの権力者だということを理由に、よほど重要なことが行われるに違いない、だからこんなに報酬も高いんだといって、そいつを証明するためか、その場で現金を何束も取り出したらしい」
 なんとも高くついたなと皮肉をこめた俺に、男は悔しげに舌打ちし、一拍おいて続けた。
 どうやら男たちの組織はかなりシステマチックな構造を持っているようで、受付窓口ともいうべき人間が末端となり、そこから連中の取引専門の業者が仲介となって初めて連中のボスと対面ができ、場合によっては取引ができるというシステムであるらしい。
 ヤクザ者も、今は表権力による丸暴対策のために、複雑に絡ませてなかなか中枢に辿り着けないようなシステムを構築しているらしい。なるほど、暴力団などとも呼ばれる旧勢力が保身に走るあまり後退し、様々な人間が多様に絡み合い入り交う半グレなどという人種が新勢力となって裏世界の経済を回しているという構図が、ここにも良く現れている。
「それで馬場がこの日に、空港へ荷を運ぶよう指示してきたってわけだな。それも行き先は成田だ、そうだろう」
「くっ……そこまで知ってるんなら、今さらここで俺を締め上げる必要なんてないだろうが」
「いいや、そんなわけにもいかない理由があるんでね。確かにあんたらはアメリカの権力者がバックについた馬場からの依頼を引き受けた。だが、一つだけわからないことがあるんだ。なんだっていちいち日本の技術者でもないあんたらにそんな仕事を任せるつもりだったのか、このへんが今ひとつ判らないんだ。俺にはどうにもまだ何か裏があるような気がしてね。
 おっと、馬場に聞けばいいだろうっていうのはなしだぜ? 察してるかもしれないが、奴はもうすでに締め上げて首輪をつけてやったんでね」
「そんなことは知らん。単に馬場が俺たちと繋がりを持ってただけの話だろう」
 俺は喚き立てて否定する男の腕を思い切り捩じ上げてやると、組み伏せる男の腕から鈍く、ごりっという、なんともいい難い嫌な感触が伝わった。これにより、男は一瞬の間をおいて悲鳴をあげた。どうやら捩じ上げた肩の関節が外れたらしい。
「あんたも話のわからん男だな。なんでヤクザ者が裏で経営に絡んでるような企業が精密機械らしい部品を組み上げて出荷しようとしたんだっていう話だ。確かに馬場があんたらと繋がりを持ってたからというのは間違いないだろうよ。だがな、たったそれだけであんたらにそれを依頼するはずがないぜ。
 そうだろう? 別に、あんたらと同等かそれ以上の技術を持った企業なんていくらもあったはずだ。そのほうがリスクもないうえ、もっと安くついたのにだ。だというのにわざわざ、あんたらに仕事を回した理由がまだ何かあるに違いないってわけさ」
 そうなのだ。俺にはバドウィンの部隊の人間がほとんど抵抗することもなく殺された事実から、今回の件には馬場の説明した以上の何かがあるということを感じ取っていた。もっといえば、ブランドンが死ななければもっと詳しい説明が聞けたに違いないが、こうなった以上は順を追って行く以外に手はない。
 ブランドンは脅されて今回の外交団のメンバーとして来日した。脅してきたという人物は、ロシア移民の二世で、こいつがなんらかの目的をもってブランドンに接触してきたという。そして、この人物ないし同様の目的をもったなんらかの組織の意を受けて、今回の外交使節団が結成されたに違いない。もちろん、表向きは動きが活発になりつつある北朝鮮への協議をさせるため、北周辺諸国への同調と協議への参加を求めるためという、なんともくだらない理由付きだ。
 そして外交メンバーのサービスには凄腕のエージェントがついており、そいつは俺に締め上げられたブランドンを容赦なく殺害した。しかもその野郎は、ブランドンを脅した人物の実弟だという。さらに調査を進めていくと、この兄弟はどうもロシアから亡命してきたという親の思想を強く受けている可能性が高く、アメリカの権力側にいながら、ロシアとも繋がりを持っているかもしれないという、いわくつきの連中だ。
 こんな連中の欲しがる機械が例のタイムワープ、あるいはそれに近いもののために必要な装置であるということは、何か大きな意味を持っているに違いないと踏んでいた。脅されていたとはいえ、ブランドンが意味もなく馬場に接触してきたとは考えにくい。ブランドンの説明は決して全てを明瞭にしていたわけではなく、そこにはいかようにも取れる説明の仕方をしていた。
 つまり、馬場と接触したということはつまり、どこかの時点で、はじめから馬場隆弘という人間のネットワークを知っていた人物がいたということではないのか。馬場のネットワークを利用するために、あえて遠回りにブランドンを利用したのだ。あの男が素粒子実験の研究所の副所長ということを使用するために。
 ブランドンが馬場に接触した理由そのものと、その裏に潜むネットワークを知っていたとしても、すでにこの世にいないのでブランドンは除外される。となると、この壮大な計画の一端に絡み、計画の全てを知りうる可能性のある人物はもはや一人しかいない。ブランドンに脅しをかけてきたという例の男だ。そして、その弟であるあの野郎も。
 あの二人が単なる兄弟だけの繋がりではない以上、こう結論付けられるのは当然というものだ。この兄弟の思想的なバックグラウンドと、馬場の持つネットワークの意味を知れば少なくとも連中を出し抜くことができるかもしれない。
「空港に運ぶといったな。空港のどこに運ぶつもりだったんだ」
「し、知らん。本当に知らないんだ。ただ、指定された格納庫へこの荷物を運びこむことまでが俺たちの仕事だ。後は、向こうの人間がなんとかするってことになってる。これ以上は本当に知らないんだ」
 痛みによってか、男の喚き声はもはや悲鳴交じりになっていた。ようやく次の手がかりを掴んだ俺たちは、後ろ手にしている男の腕を捩じりあげる力を少し緩め、互いに顔を見合わせて頷いた。


 次の目的地へと移動するため俺たちは、痛めつけた連中を全員猿轡をかませ四肢を縛り上げるとトラック荷台に放り込むように詰め込み、空港へトラックで向かう段取りとなった。リーダー格の男は銃をつきつけ、向こうで待機しているという同業者の人間に、少しばかし遅れるかもしれないという連絡をさせ、こいつも同様に荷台へと放り込んでおいてある。
『そろそろ空港に着くぜ』
 俺とバドウィンの乗り込んだトラックを先行するバンに乗るアレンから、イヤーモニターを通して指示を仰いできた。バドウィンはすかさず俺たちだけで格納庫にいくので、アレンたちはどこか別の場所で待機しているよう指示を出した。すると少しいったところでバンは走る国道を横へと逸れていき、それを俺たちが通り過ぎていく。
「しかし今さらだが、こんなときに空港へ荷を運ぶなんて正気なのかな、連中は」
「アメリカのことだから、何がなんでも押し通そうとするとは思うがね。だが、確かに君の言う通り、気がかりではある」
「正直なところ、なにかきな臭い感じがしてどうも嫌な気分だ。俺はこういうとき、自分の直感を信頼しているようにしてるんでな、慎重に物事を進めたほうがいいと思う」
 証拠のない直感など信ずるに値しないといわれるだろうが、これまでにも何度となく経験してきたこの感覚を信じないわけにはいかない。バドウィンとしても、自分の部下が何者かに襲撃され命を落としていることに無念さを覚えているはずだろうから、気がかりでないはずがないだ。
 だがしかし、敵の正体はまるで判らない。訓練された人間をほとんど無抵抗のまま始末するなど並大抵のことではない。このことからも、相手が間違いなく超一級品のプロフェッショナルであることは容易に想像がつくものの、ではそれがどこのどいつなのかとなると話は別だった。なんせ、あまりに俺たちを取り巻く状況は芳しくないのだ。今回までに、CIAやSVR、MI6といった諜報部から、俺のことを良く思っていない武田軍の連中までも含めても、そのどれもが放った刺客である可能性は否定できないのだ。
「浮かない顔だな。まぁ、それも仕方ないかも知れんが」
「そういうあんたこそ、浮かない顔してるぜ。今回のこと、あんた、どう見てる」
 もやもやさせたままでは気も晴れないので、いっそのこと単刀直入に聞いた俺にバドウィンは少しだけ考える。その表情からは、どうも何か心当たりがあるようで、意を決したように耳につけていたイヤーモニターを外すと俺にも同じように外すようジェスチャーし、それを見届けると固い口調で囁いた。
「私の部下をやったのは間違いなくプロだろう。状況を見ていないが、君の話とほんの十数分前まで連絡を取れていたことから、犯人はスパイだと思う」
「スパイか。もちろん俺だってそう考えてるぜ。だが、どこの国あるいは組織の人間かまではまるで見当がつかない」
「いや、私がいうスパイとはそういう意味ではない。今、私たちチームの中にいるのではないかということだ」
「俺たちの中に、だって?」
 予想だにしない言葉が飛び出して、オウム返しにした俺にバドウィンは目をこちらから離すことなく小さく頷く。どうやら、本気でそう考えているらしい。
「根拠は」
「確証はない。が、これまでの状況がそれを物語っていると思う。シンガポールを脱出しオーストラリアから日本入りした私たちの行動は、あるいは一部の諜報組織に感づかれていないとはいわない。しかし、君がホテルで滞在した約二週間でそれらしい動きをみせなかったことを見ると気付いていないか、気付いていたものの手を出せなかったか。あるいは……」
「あえて出さずにいたか、のどれかというわけだな」
「そうなる。もしかすると、敵はこちらのことを調べるためにこの二週間を使って準備していたのかもしれない。だが、今度の目的は君をいかにして安全に日本で過ごさせるかが今のところ焦点だ。その中で、日本で敵はどこにいてどう行動に移すかを調べるために私たちも行動していたわけだが、そこで半ば突発的に例の使節団が出てきたというわけだ。
 チームは予めいくつかのチームに分けておいたというのは君も知っての通りだ。こうすることで先発隊を日本に送ることもできる。この先発隊のおかげで私たちがスムーズに日本入りできたわけだが、小分けに送り出しておいたので、そうは気付かれないはずなのにこうも簡単にチームの居場所を特定しただけでなくほとんど無抵抗に暗殺せしめたことを考えると、始めから私たちの中にスパイが放たれていた考えたほうが自然だ」
「外部の人間だという可能性は……なさそうだな、あんたの顔を見る限り。そうか、俺たちの中に……」
 話を聞き終えた俺は、自然とシートに蹲るように身を沈めた。全く……なんということだ。鉄壁かもしれないと思ったチームの中にまさかスパイがいるかもしれないとなると、鉄壁がゆえに内部崩壊への道も早くなるということに他ならない。これまでのところ、目立った実害がなかったのでそんな可能性などほとんど考えもしなかった。さすがに優秀なチームを率いているだけあって、バドウィンの頭の回転は素晴らしい。とはいえ、そのスパイがどの組織に所属しているかまでは未だ判明したわけではないので、まだ推測の域を出ないというのが本当のところなのだろう。
 要は、嫌な予感がする俺に、これまで以上に警戒しろといっているのだ。だからこそわざわざ人の耳に聞こえないよう無線機などを取り外させたわけなのだから。もっとも、敵がチームの中にいるとなれば、こんな会話もほとんど意味はないだろう。結局はすぐにもこちらの居場所が突き止められてしまう。
「なんとかあぶり出せないものかな」
「すでにその布石は敷いておいた。もしかしたら、空港で会えるかもしれないぞ」
「なに」
 にやりと不敵な笑みを浮かべるバドウィンは、近付いてきた搬入用ゲートを見据えそれ以上何も話すことはなかった。
 搬入ゲートは、すでに空港に先回りしていた別のチームにより簡単に入ることができた。さすがにプロというもので、きっちりと変装しているのに感心した俺だが、それでもよくよく見れば変装に違和感があるもので、どこか普通の従業員といった雰囲気とはかけ離れていたのは仕方ないのかもしれない。
 ゲートをくぐったところで、ゲートにいた誘導員が詰所から出てきてトラックを一旦停止させ、こちらに近付いてきた。バドウィンが運転席の窓を開ける。
「問題はないか」
「問題ありません。むしろなさすぎて逆に不安になるくらいだ」
 変装した隊員の言葉に重々しく頷くバドウィンは、トラックを誘導するよういいつけ窓を閉めた。どうやら今のところ問題はないようだが、油断はできない。隊員のいう通り、確かに何もないのが逆になんともいえない不快な気分にさせて仕方ないのだ。バドウィンが静かにトラックを搬入口へと向けて発進させる。気付けば、腐るほどに降っていた土砂降りの雨は、不気味な具合に止んでいた。

 誘導員に変装した隊員の指示で空港の巨大倉庫へと入ったトラックは、中でゆっくりと停止した。
「蛇が出るかな」
 中は空港の巨大な倉庫とは思えないほど薄暗く、静まり返っていた。とても日本が世界に代表するハブ空港の倉庫とは思えないほどの静まり具合だ。しかし、その訝しい雰囲気の正体もすぐに判明した。何かあるかもしれないとトラックを一人出た俺は、息をひそめてコンテナ群の隙間を縫うように倉庫内を移動したところ、中にいるはずの作業者たちが何人も猿轡で声も出せずにロープにより固定され縛られていたのだ。
 一ヶ所に集められてぐったりとしている彼らの様子を窺うべくそっと近寄ると、それもそのはずで、全員が何かの薬品によるためのものだろう、眠らされていた。集団に近寄った俺は、手近の男の頬を軽く叩いて意識を確認しようとしたところ、呻き声一つすらあげないでいるのを見ると、そう考えるのが妥当だ。
 日本経済に甚大な被害を及ぼしているこの未曾有の嵐の中、休みもせずに働いていたのだろう彼らにとって、このような仕打ちはないのかもしれないがそれでも彼らにとっては不幸中の幸い、まさにラッキーボーイズだ。彼らにこのような仕打ちをしたのがプロによる仕業であることは明白であり、それも外ではバドウィンのチームのメンバーがいる中でこのような仕事を行うなど、相当な腕であることは疑いない。事態がどのようなものであったかは詳細は置いておくとしても、この程度のことで済んでいるのだからこれを幸運といわずになんというのだ。
「やられたぜ。どうもやっこさんども、すでに空港にいるらしい」
『どういうことだい、そりゃぁ。外のメンバーからは問題ないと報告を受けてるが』
「……俺たちよりも、よっぽど腕の鳴る連中が相手だということだろうよ、残念ながらな」
 努めて冷静にそういった俺に、アレンは絶句したのかそれ以上何もいうことはなかった。しかし、内心では俺もやや驚きがなかったといえば嘘になるけれども、だとしてもこの目の前の事実を冷静に受け止めていられるのは、直前にバドウィンの推理を聞いていたことが影響しているのは間違いない。俺たちのいく先々で待ち構えていたように先手を打たれていたんでは、ますますバドウィンの推理は信憑性を増してくる。
 そんなこともあり俺はあえて、その野郎に向かって皮肉めいてそういったのだ。しかし一度、疑心暗鬼に囚われてみるとどうだろう、誰もがそれらしく思えてきてしまうのが心理というものなのだろうか。まさかのまさかで沙弥佳という可能性もないわけではないが、さすがにこれだけは選択肢から外しておく。いや外しておきたい。
「どうやら、すでに遅かったらしいな」
 俺の背中に後を追ってきたらしいバドウィンが静かにそういった。すでに、ということはバドウィンにとっては想定内のことなのかもしれない。そっと耳にしている装置を取り外し小声で返す。
「みたいだな。どうする? あんたの推理が本当なら、これ以上、あんたんところの連中を使うわけにはいかないぜ」
「仕方ない。恐らく敵も我々が入ってきたことを勘付いているに違いない。無駄な増援はむしろ逆効果だ。ここは我々だけでなんとかするしかない」
「我々だけ、ね。なんとも心強い台詞で泣けてくるよ」
「そういう割には随分と嬉しそうだな」
 皮肉をこめてそういった俺は半ば呆れ笑いのバドウィンに軽く肩をすくめて返す。なかば本心のつもりでいったのに、やつにはそうは見えないらしい。まぁ、それもある意味で当然といえば当然といえるかもしれない。これまで俺という人間は、単独行動を基本行動として動いてきたのだから、それが今回のように突如として仲間だなんだといわれても逆に窮屈に感じるのもで、一時的とはいえ、その”枷”から外されるとなればこれが解放的な気分にならないはずがない。きっとそうした気持ちが雰囲気に現れていたのだろう。そんなのは本来プロあるまじきことではあるのかもしれないが。
「アレン、倉庫内の見取り図を探せ。俺とバドウィンで二手に分かれる」
『了解だ』
 そう指示をして間もなく、アレンは二人にそれぞれナビにより指示をすると、俺とバドウィンは目配せし二手に分かれて行動を開始した。見取り図はコンピューターで正確に置き場などが配置されているのか、アレンの指示通りに動くだけで上手い具合に倉庫内の通路を進むことができた。
 倉庫といえば普通であれば鉄錆の臭いや倉庫内の埃やなんかか混じったなんともいえないかび臭さがするものだが、ここはさすがに日本最大級の空港の出庫用保管庫だけあって、床はクリームをしたビニール製のもので鉄臭さとは違った合成ゴムの臭いが混じっている。そのため、歩を進めるときはこれまで以上に注意を要した。バドウィンの言う通り、敵は気付いていると考えていいだろうがかといって、なんの警戒もなく進んでいくのは愚の骨頂というものだ。
 コンテナは港の倉庫街のように何段も積み重なっているわけではなく、せいぜい二段、あるいは三段積みといった具合だ。人の背丈よりもはるかに高いコンテナが二段になっているだけでもすでに死角を作っているわけなので決して気は抜けない。だが、かといってこちらに全てが不利というわけでもない。だからこそ、連中に気付いてくださいといっているような行動は極力控えるべきなのだ。
『九鬼、そこを抜けたらすぐ右にドアがある。ドアの向こうはコンテナを飛行機に運び出すための格納庫になってるようだ』
「これまで人影らしい人影が見当たらない。多分、その扉の向こうなんだろう」
 アレンの指示に従ってコンテナの壁沿いに進むと、確かにドアが見えた。ドアとはいうが人間用の小さなものではなく、むしろフォークリフトやなんかで行き来するための大扉といったほうが正しく、上下に昇降するタイプのものだ。こんなところを通るとなると、すぐにも連中に気付かれるんではないのか……そう思って眉をひそめたところ、その脇に小さく人間用の小さなドアが目に付いた。アレンのいっていたのはこっちのことだろう。
 通路はフォークリフトなどが通れるよう、ここだけは一際広くとってあり、おまけにドアこそあれどそこに辿り着くまでは袋小路になるため一段と注意が必要になりそうだった。コンテナを背に周囲を見回してみるが相変わらず敵の姿は見えない。ただ随分と先に、倉庫内のパイプと鉄網で作られたスカスカの空中通路をバドウィンが俺と同じ方向へと向かって歩いているのが見えただけだった。
 バドウィンがいく空中通路の経路を辿っていくと、ほとんど倉庫内全体を眺めることができそうになっているようだった。バドウィンもあそこまで敵らしい敵と出会うことはなかった様子なので、当然ここらにも敵がいないと考えて良さそうだ。それを確認し終えた俺はドアのところまで足早に歩み寄りドアノブに手をかけた。
「中に入るぜ」
『了解。格納庫の先はもう滑走路だ。念のため衛星を使って空港の周囲を探ってみたけど、怪しい影は見当たらない。気をつけろ』
 言われるまでもなく、俺はノブを捻って音もなくそっとドアを開けて中へと入る。ドアの先に身を滑らせると、突然の強風が吹きぬけ素肌をさらしていった。その強風に思わず片目をつぶって手をかざしつつ、周囲を確認する。まず格納庫中央部に数人の人影があった。全員が頭のてっ辺からつま先まで黒の武装束に身を包み、小型機関銃を手にしている。
 そしてその中心には早くも飛行機が鎮座しており、コクピットやキャビンの下部にある床下貨物室へ何かを収納するためだろう、飛行機の先端部が解放されている。そして今まさに、特殊なフォークリフトを用いて巨大なコンテナを中へと積み始めていた。もちろん、コンテナの中は例の装置に違いない。
「いたぜ。俺の位置からは中央に四人、一人はフォークリフトを運転中だ。……あとは東側に二人」
『バドウィンのほうからも中央の四人、それに西側にも三人いるらしい』
 西側に三人……それを確認するべく、今の場所を低い姿勢で移動し俺からは見えなかった場所をそっと見渡すと、確かに三人の姿が確認できる。さらに報告によれば、バドウィンは格納庫へと続く空中通路で見張りを一人片付けたらしい。さすが一流のチームのまとめ役というもので、その場で連中が耳にしている装置のコードを俺たちの使うイヤーモニターに接続し、敵の行動を読もうとしているのだという。
 俺は物陰にそっと隠れ、連中の動きを見張る。中央にいる三人は何か話しているようで、時折肩をすくめたり相槌を打っていた。
「ちっ、ここからじゃぁ連中の会話が聞こえない」
『待て。バドウィンが敵の装置からこっちに接続させることができたみたいだ。不鮮明かもしれないがそっちにも飛ばせるかも』
 耳の装置に手をやって何も聞こえなかったところから、突然聞きなれない奴らの声が聞こえてくる。連中の言葉はあまり聞きなれない言葉での会話で、一瞬耳をもたげたたがすぐにそれが英語であることが理解できた。以前イギリスでの居住経験のある俺だから、大抵のことは理解できるだろう。
『これでやっと日本ともおさらばか。帰ったらすぐに休暇をとるぜ』
『俺もさ。いくらお偉いさんのためとはいえ、妙な任務だ。なんだってこんな物のために俺たちまで日本にまで来なきゃならなかったんだ?』
『上の知り合いがいるんでそいつの噂によりゃぁ、国家機密レベルの実験に使うって話らしいぜ。なんでも国家の威信をかけて決して失敗できないって噂だ。だから日本のものを使うことにしたんだろう。なんせ日本の製品は精巧に造られてるからな』
『国家の威信をかけた実験ね。それだけでここまで念入りに俺たちが編成されなきゃいけないほどの実験ってなんなんだ』
『そんなの俺が知るもんかい。だが……これも噂だが、何年も昔に行われた実験を再開させたって話だ。前回失敗したんで半永久的に凍結されたプロジェクトだってことだったが……』
『なんだよ、噂ばかりだな』
『仕方ないさ。本当に噂レベルのものなんだ。ま、そんな噂があるってことは、少なからずそこいらに関係がないわけでもないと思うね』
 連中の訛りから、どうやら連中はアメリカ人であるらしい。今回の外交使節団のメンバーとは明らかに装いも雰囲気も違う連中は、使節団とは別に日本に送られてきたチームであるようだった。おまけに、今度のためにわざわざ編成されたとなると、アメリカさんはよほど今回のことは極秘裏に進めたいものであったと見える。まぁ、国家の威信という大義名分がある以上、奴さんどもの考えそうなことだ。
(それにしても凍結されたプロジェクトってのはやはり……)
 会話に耳を傾けていた俺は、一旦隠れていた物陰に頭も沈み込ませてほんの少しだけ考えをめぐらせる。会話にでてきた凍結されたというプロジェクトは間違いなく八〇年代に米軍が行ったとされるタイムワーム実験のことに違いない。今回出荷される予定になっているはずの荷も、大きな意味でその装置に組み込むために必要なものであるようなので、それは確実だろう。
 連中の会話によれば、上層部にプロジェクトの再開を考える奴らがいるらしい。それはアメリカの国防という観念からということだそうで、そのためにどうしても過去のプロジェクトに参加したメンバーやその研究成果、さらにそれらから生まれた新技術など様々なものが必要になるため、連中にとって国家を挙げての一大プロジェクトにするつもりだという。
 もっとも、そんなのは表向きに決まっているだろう。国防だとはいうが、そのためになんだってタイムワープの実験を必要とするのか、そんなのはあまりに苦しい言い訳ではないか。国防という名の下に、ほとんど正気の沙汰とは思えない壮大な計画を打ち立てたというのだから、アメリカの国粋主義もとんだ気狂いもいいところだ。
 世界恐慌を巻き起こした金融危機を乗り越え、二次大戦後の勝利の美酒に酔い痴れた一九五〇年代のアメリカは、まさしくバブル絶頂期の日本人の精神状態と似たようなものだったのかもしれない。この時期に今のアメリカの経済、様式というものが根付く一因になっているのだから、そんな時期に起こった訳のわからない思想や理論など荒唐無稽なものだと笑うところだが、どうしたものか連中はそうではなかったようだ。
 ちょっと前までの俺とって笑って馬鹿にしてやるところだけども、坂上の研究所然り、シンガポールでの海底然り、どうにも笑うに笑えないことが続発しており、さらには連中との出会いの中で、確かに件のタイムワープ・プロジェクトも知るに至ったことはあながち無関係とも思えない。今のところどれほどの関係性があるのか不明としかいえないけども、ゴメルとかいう化物を生み出した坂上がかつて凍結された八〇年代のプロジェクトに関係していたことを考えると、やはり無関係と考えるのは早計といわざるを得ない。
『積み終わった。そろそろ撤収だ』
『了解』
 連中の短いやりとりを聞いた俺は、すぐに頭をあげ突入できる体勢を作るとバドウィンのいるであろう方向へとかぶりを振って合図を送る。バドウィンもさすがにこちらに注意を向けていたようで、すぐに通信で指示を出してきた。
『待て。少し様子が変だ』
 どういうことだと再び連中へと視線を戻すと、不穏なことが起き始めていた。荷を積み終えて中央部の三人が飛行機へと乗り込もうとしていたときだった。後方からやってきた他の見張り番が三人の背後についたとき、突如として連中を発砲しようとしていたのだ。一体どうしたものかと考える間もなく、見張り番だった奴は躊躇なく構えた機関銃を三人めがけてぶっ放したのだ。
 何十発もの弾丸による連射音が広い格納庫内に鳴り響き、三人は一瞬のことに反撃はおろか、振り返ることすらできずに無惨にも倒されたのだ。きっと、自分がなぜ撃たれているのかそんなことすら考える時間すら与えられずに死に至ったに違いない。
「これはどういうことだ」
『判らん。ただ判るのは、連中の中に反乱分子がいたということくらいだ』
 もちろんそんなことは俺とて理解している。要はあまりに予想だにしていなかったことが起き、俺もバドウィンも混乱しているということだけが確かな事実だった。ただ地団駄を踏んで成り行きを見つめる俺の目の前で、三人を撃った野郎が耳に手を当て一度二度と小さく頷く。どうやら他の人間と会話のやり取りをしているようだ。
『計画に問題はない。だが、他の見張りだった者と連絡が取れない。もしかしたらもう嗅ぎつけられたかもしれない』
 その言葉は聞いて俺は、密かにバドウィンの隠れているほうへ視線を移した。さすがのバドウィンも、渋い顔でこちらを見つめている。他の見張り番とは、バドウィンが倒した奴のことに違いないからだろう。しかし俺にはそれ以上に気になることがあった。男の言葉は、どう聞いても英語ではなく、別の国の言葉だったのだ。そう、俺にとっては英語と同じくらいに馴染みのある外国語、ロシア語だ。
(どういうことだ……連中はロシア人なのか?)
 頭部の装備のおかげで連中の顔を窺うことができないため、どんな様相なのかは判別できないが、あのイントネーションはロシア人というよりも英語圏の人間特有の訛りがあるように感じられる。となると、連中がアメリカ人であることは間違いないのだろうが、そんな人間が背信行為どころか国家反逆罪に問われてもおかしくない行動に出る理由はなんなのだ。
『あとはガスパジンを待つだけだが……』
 ガスパジン……英語でいうミスターに相当する言葉だが、どうやら今回の黒幕が男であることは確実だ。この紳士が一体何者なのか……そう思案しようとしたところ、後頭部に何かが差し向けられたような気配を感じて、振り向こうとしたがそれは相手の一声によって遮られる。
「動かないで。動いたら撃つわ」
 女の声だ。それも流暢な日本語。俺の後頭部に銃を突きつけているらしい相手は女らしい。それも、この声の主は最近聞き覚えのある声であるばかりか、どう考えても一人しか思い当たらない。
「遠藤、だな」
 声の主、それは間違いなく滞在中のホテルで知り合ったあの遠藤佳美であった。俺は持っていた銃を床にそっと置き手を頭の上にしてゆっくりと立ち上がる。突きつける銃口を、こちらの動きに合わせてぴったりと動かす様子も感じられ、この女がそれなりの訓練を受けていることが窺える。一瞬の隙でもあろうものならなんとか出し抜けることもあるだろうが、この状態ではあまりに不利だ。こちらが振り向き、その手に持つ銃を奪い取ろうとする前に引き金が引かれているに違いない。
「驚いたな。まさか君がスパイだったなんてな」
「私もよ。まさかあなたがとんでもないテロリストだったなんてね」
「俺はテロリストなんかじゃないぜ。スパイならまだしも、別にテロ行為なんざ起こした記憶はないね。結果的にそう見えなくもない形になったというのなら認めざるをえんかも知れんが。だがな、ふざけたことにこの俺をテロリストとして指名手配した警察も、それを取りやめたんだぜ」
「どっちでも同じよ。とにかく、あなたはこの日本の敵であることには変わらないわ。さあ、ゆっくりこっちを向きなさい」
 遠藤の言葉に従って、ゆっくりと振り返る。案の定、顔のど真ん前に無機質な銃口のちっぽけな穴がぽっかりと空いていて、今にも俺の顔面に新たな穴ぼこを作ってやろうとしているように感じられる。
「最悪な再会だな。もう少しロマンチックな再会を望みたかったね」
「私もこんな再会になるだなんて残念だわ。さ、ゆっくり彼らのほうへ行きなさい」
「思ってもないことをよくもまぁにべもなく言えるもんだ。感心するよ」
 こちらに銃を向けたまま無表情に告げる遠藤はまさに黒のライダースーツに身を包んで、女らしい見事なボディラインを強調してみせている。なかなかにいい恰好だといいたいところだが、彼女の表情からはこれ以上の無駄話は全て無視されてしまいそうな雰囲気が滲み出ている。それでも俺は彼女の言いなりになりながらも、頭を切り替えて少しでもこの状況を打開しバドウィンたちに情報を伝えるべくフル回転させ始めた。
「それにしても、どうやってここまできた。外は神話よろしくの大雨大洪水だ。君のその恰好じゃぁバイクを乗るには最高だが、まさかバイクじゃざこの雨の中は走れない。それに君はホテルに来るときも車を使っていなかった。つまり君は車を持ってないってことだ。仲間がいるってことじゃぁないのか、違うか。
 それに俺を殺さない……いや、何か別の理由があって俺に近付いた。敵とはいうが、俺に死なれちゃいけないことがあるってことだろう」
 そう推理した俺の後頭部を小さく銃口を小突き、それ以上のことは無意味だと告げる。しかし口を止めるつもりは毛頭なかった。多勢に無勢という構図は間違いないが、だとしても今の俺には多少なりともサポートする人間もいるので多少の強気は問題ないはずだ。それに突然の遠藤の出現とCIAの部隊が仲間によって襲撃されたという事実は、驚きとともに謎が投げ込まれたということなのだ。少なくともこの場の勢力図を把握しておく必要はある。
「それでそのお仲間ってのがまさかあの強持ての連中なのか。いやまさか、違うね。君は今自分で俺は日本の敵だといった。この言葉から君が連中に組するスパイではないってことだ。つまり君と奴らは、何か共通の目的を持って行動しているだけで仲間じゃない。むしろ大きく見れば敵同士だ。ということは君が敵とつるむ理由は別にある。金か? なら誰に雇われた。それとも私怨かな」
 すると、遠藤は軽く小突いただけだった銃口を今度はごりごりと強く押し付け短くいいつける。
「黙れ」
 そして押し付けた銃で強く押しのけ、飛行機の乗降階段のところに立たせた。
(私怨か)
 どうやら、半ば当てずっぽうだったのが本当だったらしい。
「ホテルで君を助けてやったが、あれは演技だったということかな。いや、演技も演技、あの上司とかいう男も実際には君の仲間だった可能性があるな。あるいは、俺を誘い出すための罠として雇った人間なのか。ま、なんであれ、俺は君に怨まれるようなことはやっちゃぁないはずだがな」
「……畠」
「畠?」
 聞きなれない人物の名だと振り向こうとしたところ、振り向かせまいと銃口が再び俺の後頭部に突きつけられる。無機質な銃口からなにか言いえぬ怨嗟を感じさせる。
「あんたは覚えてないでしょうね、何ヶ月も前のことだもの。立て篭もっていたアジトを突き止めた彼は、あんたがアジトから出てきたところで一網打尽にして逮捕するつもりだった。そのために何十人という警察官のバリケードを作っていたのに、あんたはそれをいともせずに突破した」
 説明されてみると確かにそのようなことがあったのを思い出した。田神のアジトに立て篭もっていたところを、どういうわけか突然そこを警察によって取り囲まれていたのではなかったろうか。どうせならと正面突破してみたところ、どうにか突破できたと思ったところを迂闊なことに車にはねられて気を失ってしまったのだ。俺自身はなんという不覚だと恥ずべき気持ちになるものだが、なるほど、どうやら遠藤にはあのときの警官隊の中に知り合いが混じっていたんだろう。
「ああ、全く覚えてないね。残念ながら俺は邪魔する連中には容赦しない人間なんでね、ぶちのめしてやった警察官の中にあんたの恋人か何かがいたってとこか」
「恋人じゃない。父よ」
「父親……その畠という男がか。そうか、遠藤ってのは偽名なんだな」
 推理してみせる俺に遠藤は不快になったらしく、撃鉄を起こし、いよいよ本気になったようだった。冷たい殺気が俺の後頭部を突き刺してくるのを感じながら、俺は努めて冷静になって周りの状況を窺っていた。
 さて、ここからどうしたものか。庫内にはバドウィンもいるので丸きり敵ばかりというわけではない。けれども、ここからどう脱出するかについては決して楽観視できないことに変わりはなく、この連中の出方が今ひとつ予想しづらい状況だった。ロシア人たちだけならあるいはなんとかできるかもしれないが、遠藤もいるとなると非常にやりにくくて仕方ない。とにかく、俺にはぎりぎりまでバドウィンたちの時間稼ぎに徹したほうが良さそうだ。
「あんた、俺が日本の敵だといったが、どこの組織なんだ。警察か? いや、警察ならこんなことはしないだろうから、公安か」
「そのどちらも外れよ」
 どちらとも違う……それならば一体どこの組織なんだといおうとした俺は、横のロシア野郎に両腕を掴まれ、半ば引きずるように階段を昇らされ飛行機に乗せられる。その様子を鋭い視線で見る遠藤は距離をとりながら同様に飛行機へと搭乗する。
(まずいな。このままじゃ本当に人質になっちまう)
 なんとしても時間を稼ぐ必要にかられた俺は、とにかく脳裏に渦巻く疑問を遠藤にぶつけた。
「警察でも公安でもないのなら、あんたは一体どこの人間なんだ。自衛隊なのか」
 さすがに自衛隊というのはないだろうが、一番怪しそうな警察と公安でないのならこれ以外の選択肢が思い浮かばない。
「内調といえばわかる?」
「……内調、か」
 まさかとは思ったが、まさかのまさかだ。はっきりいってそんな連中が出てくるだなんて思いもしなかった。これまで内調の連中とはかすりもしなかったのだから、当然といえば当然といえるかもしれない。けれども、俺はこの内調という組織の存在を知識の上で今ひとつ把握しきれていないのが現状で、情報機関といえば確かにそうなのだけども、外部組織、いわゆる現場工作員など無きに等しいとしか思っていなかったのだ。
 ところがどうだ。少なくともこの遠藤と名乗る女は、明らかに工作員さながらの行動を起こし今こうして目の前にいる。つまり、日本にもきちんとした国家のスパイが存在するということなのだ。内調の仕事がどんなものなのかは定かではないが、まぁこの女がいるということは日本版CIA、MI6、旧KGBといったところか。
「しかし、まさか日本の情報組織のトップ層に認識されることになるとは光栄な限りだね」
「あなたには聞きたいことが山ほどあるわ」
「そいつは奇遇だね、俺もだよ。……俺をテロリスト扱いするということは、春のN市爆破事件やそこらのことが尾を引いてるってことだな。つまり、あの事件に絡んで政治家の真田の狙撃事件も俺に容疑がかかってるというわけだ。そうなんだろう?
 だがわからんね。この際白状しちまえば、確かにあの事件に俺が関わってないといやぁ嘘になる。しかしな、それは濡れ衣というものであって、俺は別にビルの爆破も真田の狙撃もしちゃぁいないんだ。俺は俺であの事件に足を突っ込まざるをえなくなっちまっただけでね、俺だってテレビで真田の死を知ったくらいなんだぜ。
 だってのになんであんたら内調の人間は俺を国家の敵だなんていうんだ? 国家の敵ではなくて、単純にあんたにとっての敵なんじゃないのか」
 そういうと、冷静に努めていた遠藤がその目を吊り上げて銃を突きつけながら喚いた。
「あんたなんかに……あんたなんかに私の気持ちがわかるもんですか」
「そこまでですよ。ガスパージャ・エンドウ」
 乗せられた飛行機の座席に縛り付けられた俺の額に銃口を突きつける遠藤に、いやに粘っこい耳障りな声が座席こ後方から制止する声が投げられる。男の声だった。直後に、柔らかいカーペットの上をこちらに向かって歩いてくる気配を感じながら真横に立った男のほうを見上げる。そこにいたのはどこかで見覚えのある男の顔だった。
「お前は確か……」
「お初目にかかる。ガスパジン……こうして会ったことを祝して互いに自己紹介といこう。もしかしたらすでに知っているかもしれないが、私がガルーキンだ。アレクセイ・ガルーキン、この名を知らないということはないだろう?」
「あんたがアレクセイ・ガルーキンか……道理でどこかでその面を見たことがあると思ったぜ。ブランドンのいっていた脅迫した野郎ってのがあんたというわけだ。そのあんたがわざわざここに来るなんてな」
「うむ。元々決行日の予定は変わらないのでね。それに君がヤクザを脅しつけて空港に連絡させたろう。それで罠を張ったというわけさ。おかげで三人もの無益な殺生をせねばならなくなった。これは一重にクキ、君のせいなのだよ。それに脅迫といったね。この私がかね? 根拠のない言いがかりはよしてもらおう。いいかね、私は善きアメリカ国民の一人なのだよ。間違っても脅しなどという下賤な輩の行いなどしない」
 ヤクザからの連絡というのは、例の倉庫でのことだろう。すでに連中は何重にも罠を張っていたというのか……それを見抜けなかったなんて、あまりにお粗末過ぎるという話ではないか。過ぎたことをいちいち構ってはいられないので頭を切り替えて俺はガルーキンの言葉尻をとって続ける。
「口ではなんとでもいえるさ。ブランドンの奴ははっきりといっていたぜ、あんたに研究についてのことを聞かれたうえに脅されたってな。……まぁいい。あんたが脅迫者だろうとなんだろうとこの一件に絡んだ人間だってことに変わりはないんだ。それどころか、あんた今自分でアメリカ国民だとかいってたが笑えない冗談だ」
「ほう、なぜかね。私を知っているということは、私がどんな人間であることくらいも知っているはずだ。なのになぜそれを疑うというのかね」
 ロシア人らしい鋭い瞳で俺を見下ろすガルーキンはただでさえ細い瞳をさらに細めさせ、今にも相手を射殺さんとするかのようだ。俺はそんなものはものともせずに続けた。
「単純さ。あんたはロシア系移民の出だ、名前からそれは間違いないはずだ、そうだろう? あんたの両親は七〇年代後半にアメリカへ移住してる。いや、移住というよりも亡命か。しかし亡命民であるにも関わらず非常に待遇の良い環境への就職も斡旋されてる。米軍が極秘裏に行っていたというプロジェクトへの参加だ。
 だが、あんたの両親は亡命民になりすましたスパイだったんじゃないのか。高待遇の就職を斡旋されたのは、それだけアメリカにとって好材料たるものがあったに違いないはずだ。旧ソ連の高官たちとのコネクションを持っていたに違いない両親を高く買ったということだ。だが、そいつには元々裏があったのさ。
 残念ながら裏を取ることはできなかったんでここからは俺の推測だがな、あんたの両親は熱心な保守党の人間だったんじゃないのか。実際には筋金入りの保守党員であり、亡命という名の潜入をしてみせたまさしく工作員としての一面が垣間見れる。
 なによりだ、そのサラブレッドたるあんたが今この場にいることが何よりの証拠だと考えるがどうかな」
 そうなのだ。先ほどの三人を撃ち殺した奴らといい、ここにいるのは遠藤と俺を除けば全員がロシアに縁を持っている人間ばかりなのだ。それが今回のアメリカの外交団の来日に合わせて秘密裏に潜入し、アメリカに輸入されるはずの荷品が積まれた飛行機をジャックするかのようなこの振る舞い……。
「つまりだ、アレクセイ・ガルーキン。あんたはアメリカ国税庁の元ナンバー2という肩書きをもっちゃぁいるが、その正体はロシアのスパイだ。それも単なるスパイじゃない。旧KGB……SVRが送りこんだ、現場工作のボスだ」
 俺が強く断言してみせると、ガルーキンはこれまでの紳士ぶっているがどこか人を見下したような態度から急転し、途端に冷徹さを窺わせる表情へと切り替わる。まさしく化けの皮を剥がされたといったところだろうが、残念ながら今こちらが人質よろしくの状態なのがなんとも情けない。
「……やれやれ、全くどこの現場工作員もよく喋るものだ。だからなんだというのだ。今君に今後の選択肢などないのだ、少しくらい黙ったらどうなんだ」
「否定はしないんだな。あんたの言う通りだ。あんたがSVRの現場工作のボスだとしても俺にはなんの関係もないさ。ここから俺を解放してくれたらな」
「つまり、君はここから脱出したい、そういいたいわけか」
「そうさ。あんたがどういうわけで今この飛行機に俺を乗せたかは知らんが、どうやら俺の身柄を必要としている人間もいるようだしな」
「残念ながら、まだ君の身柄を日本に渡すわけにはいかんな。それに君、それこそこれは単純な話なんだ。君は今自分が渦中の人間であることを知らないわけでもないだろう。そんな人間をどうして解放する必要がある? ガスパジン・クキ」
「野郎、俺の名を……」
 なんということだ。俺がこの野郎を知っているのと同様に、野郎も俺を知っていたのか。しかも、この野郎は確かに今俺が渦中の人間だともいった。ということはだ、どこの誰とも知れない忌々しいスパイが言い放った『クキ』という人物が俺だといい当てるだけでなく、その人物こそが俺だと完全に認めていることになる。
 ますます袋小路に陥る俺にとって、唯一の勝算は外にいるはずのバドウィンだけだが、俺がこんな状態に陥ってからというもの一切音沙汰がない。俺を無事に日本に送り届けた後もなんらかの手を使って身を隠させようとしたバドウィンなので、なんらかの手を打ってくれようとしていることを願うばかりだがこれではさすがのバドウィンも手の施しようがないのではないのか。
「捕えたか、兄貴」
「遅いぞ、ノーマン」
 そんな短い会話のやり取りの後に、搭乗口のほうから見知った男が遠藤をエスコートに現れた。アレクセイ・ガルーキンを兄貴と呼び、おまけにそのガルーキンがノーマンと呼んだ男。
「ノーマン・ガルーキンか」
「ホテルでは挨拶だったな、クキ」
 能面でも貼り付けたような表情をしたノーマン・ガルーキンの口元が小さく吊りあがり、薄い笑みを浮かべている。なんとも忌々しい表情に俺は舌打ちしてみせた。
「久しぶりだな。まさかこんなにもあっけなく捕まるとは正直拍子抜けだ」
「始めから俺を狙ってたってのか」
「いいや、偶然さ。だが、その偶然が俺たちに味方してくれたようだ。まさかお前があのクキだとはな」
 先ほどからあのクキだなんだのと、本当いつの間にか俺も有名人になったものだ。連中の評価などどうでもいい俺はそんな風評など無視するように口を割る。
「ガルーキン兄弟の片割れが日本に乗り込んでる時点でもう片方も乗り込んできてると想定できなかったとは情けない。だがな、お前らにはとんでもない誤算があるぜ。この空港の周りにゃ俺の仲間が何人もいるんだ。お前らの好き勝手にはさせないぜ」
 強気にいう俺に、連中は小ばかにしたような態度で肩をすくめ、こともなげに続けた。
「ほう、仲間か。それはとても心強いことだな。おい」
 薄い笑みを崩さないノーマンは背後に待機していた部下に命じ、ある物が手渡される。
「ふふ……これに見覚えがあるだろう。そう、今お前が耳にしているものと同じものだ」
「野郎、まさか……。おい、バドウィン」
 叫ぶ俺に、連中のふざけた笑みはますます大きなものへとなっていき、ついにはその口元から笑い声が漏れ始める。それと対し俺の表情はといえば、緊張に強張っていく。脳裏に嫌なイメージだけが繰り返し繰り返し走馬灯のように浮かんでは消えていく。
「一流のチームを組んでいるのは自分だけだと思っていたのか。侮ってもらっては困るな、クキ。あのホテルでお前と出会ってからというもの、我々もお前のことを秘密裏に探っていたのだ。当然、お前が今どんなチームにいるのか、あるいはどの組織に身をおいているのか、もだ」
「畜生が……」
 あまりの自分への迂闊さと悔しさから俺はいつからか下唇を強く噛んでおり、血が滲み始めていた。バドウィンから先ほどからなんの音沙汰がないのは、あの男が何かいい手立てを考えてくれているわけではなく、連中に身柄を拘束されたか最悪、もうこの世にいないという事実を物語っている。そして、野郎の部下がノーマンに無造作に渡した装置は、明らかにバドウィンが先ほどつけていたもので、それは限りなく最悪の結末を意味している。でなければ、バドウィンも共にここへと引き立てられていなければおかしい。
「ガスパジンは状況を理解してくれたようだ。さて、出発するとしようか」
「なに? おい、お前はこの状況がどういうことかわかっているのか。今空はこんな状況なんだぞ、そんな中を飛ぼうってのか」
「おいおい、君こそ大丈夫なのかね。我々とてプロフェッショナルなのだ、こんな空だからといって計画に変更はない。むしろ、この空模様は我々にとってとても好都合なのだ。その好機を見逃すはずがないだろう」
 そういわれては俺もこれ以上の反論ができるはずもなかった。俺が奴らの立場なら、やはり文句は言いつつも同じ選択をしたに違いないからだ。それだけになおのことがっくりと肩を落としてしまう。
 そんな俺をあざ笑うかのように出入り口が閉じられ、いよいよ飛行機が滑走路へと向け格納庫を出始めた。もはや完全に飛行機という名の折の中に閉じ込められた俺は、それでもかすかな望みを探して座らされた座席から窓や中を見回すが、それもノーマンが脇に忍ばせている銃に手が伸びるまでのことだった。奴のことだから、俺が立ち上がって何か抵抗しようとしてみせたところで、その瞬間、容易に好きな部位に弾丸を食い込ませることなど朝飯前だろう。
「……おい、待てよ。遠藤まで一緒なのか」
 それでも頭の中では状況を整理しようとフル回転させていた俺は、動き出した飛行機に俺以外で唯一の日本人である遠藤のことを思い出してガルーキンと遠藤に問いかけた。
「ああ、彼女きっての願いもあってね、特別にこの最高の天候の中をフライトしたいということだ。私たちにとっても格段作戦に影響があるわけではないと判断したのでね」
「……この最悪な悪天候の中、どこに行こうっていうんだ」
「ふふ、もちろんロシアさ。君も懐かしいだろう?」
「もっとも、ロシアとはいってもお前の行ったところではないがな」
 兄弟そろって似たような表情をして薄笑いを浮かべている。全く兄弟して忌々しい奴らだ。このままロシアに俺を連れて行き、そこでロシア式の尋問をしようというのだろう。旧KGBで行われたという悪魔の尋問をだ。ノーマン以外の人間ならまだなんとか出し抜けることもできたかもしれないが、この野郎が俺に張り付いている限り、それは叶わずじまいだろう。
 飛行機は格納庫を出て、滑走路へと向かって移動し始めていた。俺は窓から見えたその様子にため息をついて、仕方なく座っている座席に深く腰を沈めると窓から見えるどんよりとした曇り空を眺め見る。いや、どんよりなんてのはこの場合当てはまらない。暗すぎるその空模様はもはや夜のようであり、さらに雨雫が満遍なく大気中に巻き上げられているためか、全体が霧に包まれているようですらあった。
 そんな中、滑走路の柵の外に一台のバンが停まっているのが見えた。おそらく、アレンのやつが乗ったバンだろう。
 バドウィンともアレンとも、これで連絡がつかなくなる。アレンはともかくバドウィンの安否はなおのことだが、沙弥佳も同様だった。あのバンに乗っている限り沙弥佳も大丈夫だろうが俺の失態によって離れ離れになるのは気がかりだった。しかし仲間の安否を知ることはできなるが、もしなんとか切り抜けてくれているのなら、またどこかで出会えることもあるだろう。今はそれを願うばかりだ。これまで一人が長かったことを考えれば、むしろこれまでのように他の誰かとこんなにも長く行動を共にしていたことのほうが俺にしてみれば珍しいことなのだ。とにかく今はまだ殺されることはなさそうなので、ここは一先ずは大丈夫だろう。
 こんな悪天候の中、飛行機は滑走路を走り始める。こんな巨大空港の管制室が悪天候で一機の飛行機が飛び立とうとしていることをなんのお咎めもしないのは、おそらくこの連中の息がかかった奴が手引きでもしているのだろう。この連日の悪天候によって飛行機などもう何日も日本の空を飛んでいない状況であっても、計画の遅延を許さないロシアのやり方は少々気に食わないところだが時にそれがなんらかの不備になる場合もある。今はまだそのチャンスを窺うのが最上の策だ。
 窓をちらりと除き見ると、強いとはいうに堪えない雨は今のところ小康状態であるように思われた。風は相変わらずだが、これならぎりぎり、なんとか上手く飛べるだろう。悪天候の中で万に一つでも飛行機が墜落しようものなら、それこそ話にならない。今だけは連中の腕を信じるしかない。とはいっても、実際に操縦しているのは熟練のパイロットだろうが。そうでなければ、こんなにもあっさりと滑走路を滑走できるはずもない。すでに時速数百キロの速さに達しているに違いない飛行機は、すぐに妙な浮遊感を伴って上体が傾いた。窓からの景色も同様、斜めに傾いている。
 やれやれだ。やっとのことで日本に戻ってきたというのに、そこでは何をするわけでもなく不本意にも離れることになりそうなのだ。そしてなんとも光栄ながら、暗殺のプロ集団がひしめくロシアに行かなくてはならないらしい。一体なんのために日本に戻ってきたのか……俺は今となってはなんの意味もないことに思いをめぐらせて座席に深く腰を沈めた。どうせ、この連中とも一戦交えなくてはならない可能性は十分にあったのだから、これはこれで好都合だ。今はそう前向きに考えることしかできない。


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