ReBirth 上位世界から下位世界へ 外伝集

小林誉

外伝 クレア

こことは別の世界、アーカディア大陸の中にリオグランドと言う国がある。国王は代々闘技会と呼ばれ武を競う大会で優勝した者が務める、他国には無いシステムを採用している王国だ。リオグランドは他国に比べて非常に豊か…と言う程ではないが、決して貧しい国では無い。闘技会の会場となる王都には富豪も居るし、人々の顔には笑顔が満ち溢れている。


だが、そんな国でも必ず借金に身をやつす者は出て来る。リオグランドの片田舎にある貧しい村で、今まさに破滅を迎えようとしている村人達が居た。彼等は決して大きくは無い村長の家に集まり、今後どうするのかを暗い顔で協議していたのだ。


「…とにかく、もう返済期限はとっくに過ぎてるんだ。このまま手をこまねいていたら俺達は破滅だ」
「そうは言ってもこの金額ではな…」


彼等の住む村は貧しく、村で収穫する麦の量も大した量では無い。もともと収穫量の少ない痩せた土地で無理して生産量を上げるものだから、その反動で翌年は更に収穫量が減る。完全な悪循環に陥っていた。そこで彼等が考えたのは最近出来たばかりの農機具の導入だ。それを使えば人の手では耕作できない荒れた土地でも簡単に耕せる事ができ、村人達の生活も楽になる。まさに夢の様な機械だったのだが…その値段は彼等の想像以上に高額だった。


村人達は日々協議を重ねた。借金をする事に否定的な村人の中には、このまま緩やかに終焉を迎えようと言う者も居れば、村を捨てて新たな土地に移り住むと主張する者も居た。だが大多数に支持された意見は共同で借金をしてでも新型の農機具を購入し、村全体が豊かになる選択肢だ。


農機具が導入された直後村人達は大いに湧きあがった。これで耕作地も増え、自分達は豊かになる。子供達にも腹いっぱい食べさせる事が出来て王都の学校へ通わせる事が出来るかも知れない。誰もが明るい未来を思い浮かべずにはいられなかった。しかし、彼等の希望はすぐに打ち砕かれる事になる。ここ何十年と起きた事の無い魔物の襲撃が村を襲ったのだ。


彼等獣人は普通の人間とは違い、身体能力も高く戦闘も得意としている。だがそれは何も鍛えていない状態での話しでしかなく、戦いを生業としている冒険者や兵士ほど戦い慣れている訳では無い。村人達は必至で防戦し、なんとか魔物の群れを撃退したものの、村は甚大な被害を受ける事になった。家は焼け落ち、畑は荒らされたが幸い人的被害は無い。怪我をした者達は多かったが死者は皆無だ。だが彼等の希望の証でもある新型の農機具は、戦闘の最中無残にも破壊されてしまったのだ。


支払いは一年先だったが、一年後に代金を支払える当てはこれで完全に無くなった。もともと新しい農機具で収穫した農作物を売って支払う予定だったからだ。その上魔物の襲撃で怪我人が増えたために村の労働力は激減し、耕していた田畑も荒らされてしまった。つまり、彼等は完全に詰んでいる事になる。


「残された手は…誰かを奴隷に出してここを乗り切るしかない」
「村長!本気か!?」
「非情な事を言ってるのは解る。だが、このままでは契約不履行で村人全員が奴隷に落とされてしまうぞ」


村人達が買った農機具の持ち主は村人全員、老若男女問わず全員の共通する持ち物となっていた。各家庭が共同で購入した事にすれば後々誰の持ち物かで争う事も無くなり、独占使用を防ぐ事も出来る。当時は最善だと思われたその方法が、今では村人達を縛る足枷になってしまった。借金を払えない場合、その契約者が奴隷落ちすると言う契約だったからだ。


「それを防ぐには、誰かを生贄に…奴隷に売り払って代金を支払うしかない。すまんが、他に方法は無いんだ…納得してくれ」


村長の言葉にその場に居た全員が暗い顔になる。誰が奴隷に選ばれるとしても、今後この村は今まで通り暮らしていくのは不可能だと誰の目にも明らかだった。奴隷を差し出すように要求した家、そしてそれを受け入れた家の間で、感情的なわだかまりが無くなる事など絶対に無い。


そして、その中で最も最も暗い顔をしていた一組の夫婦があった。彼等は新型の農機具を導入するために主導的に動いた二人で、多くの反対する者を説得していただけに難しい立場に立たされていた。見渡す村長の視線から逃れる様に誰もが目線を逸らしていたが、それが夫婦の前でピタリと止まる。


「タクト、カレン。すまないんだが、お前さん達の家から出してくれんか?」
「そんな…!」
「待ってください!なんで家が!」
「農機具の導入はお前さん達が一番熱心に皆を説得しておった。それに、利益が出た時も村の誰よりもお前さん達の懐に入る契約だったではないか。なら、相応の責任は負ってもらうのは当然だと思うが」


そう言われてはタクト達は返答に詰まってしまう。彼等が他の村人より取り分を多くする契約をしていたのは事実だし、利益だけ他より多く享受して負債を背負い込まないと言うのでは誰も納得しないだろう。


もっとも、彼等タクト夫妻が導入に熱心だったのは理由がある。もともと子供が少なく老人の多いこの村の中で、彼等夫妻とその子供達は数少ない年若い親子だった。年々貧しくなるこの村で、食べ盛りの子供達を抱えるタクト夫妻は状況を一気に改善するために、農機具の導入を強硬に主張したのだ。決して私利私欲の為でなく、子供を腹いっぱい食べさせてやりたいと願う親心からの行動だったのだが、今回はそれが完全に裏目に出た。


「とにかく、奴隷商が来る三日後までに誰を差し出すか決めておいてくれ」


一方的に話を打ち切る村長。周りの村人達は落ち込むタクト夫妻に気の毒そうな目を向けていたが、自分達の身内が奴隷落ちせずに済んで安堵したのを隠そうともしない。そんな村人達を縋る思いで見ていたタクト夫妻だったが、当然自分達が代わりになろうと言う言葉など出てきたりはしなかった。


「お帰りなさい。お父さん、お母さん」
『おかえりなさ~い!』


とぼとぼと肩を落としながら家に帰った彼等を出迎えてくれたのは、一人の美しい娘と二人の幼い息子達だった。まだ四、五歳の息子達は夫妻の深刻そうな表情には気がつかず、両親が返ってきた喜びを全身で表し、その体にまとわりついている。だが一人娘の方は別だった。クレアと言う名の美しい少女はすぐ両親の異変に気がつくと、場を取り繕うように弟達を引き離しにかかる。


「二人とも、お父さん達はお腹空いてるんだから邪魔しちゃだめよ。今日はもうお風呂に入ったんだから、体が冷えない内に寝ちゃいなさい」
『え~!』


文句を言いながらもクレアに連れられて別室に行く息子達を見ながら、タクト達は密かに決心を固める。弟達を寝かしつけたクレアが両親の下に戻って来ると、彼女は夫妻の向かいに腰かけた。


「お父さん達どうしたの?何か様子が変だけど…」
「ああ…それなんだが…」
「クレア…」
「なに?私に関係があるの?何でも言ってみて」


涙ぐみながら自分を見る両親にクレアは妙な胸騒ぎを感じたが、極力態度に出さないよう、平静を装って話を促す。ポツリポツリと村の集まりで話し合った事を話すタクト達。村が借金まみれで破産寸前な事。このままでは村人全員が奴隷落ちする事。それを何とかするには誰かを奴隷に出して、他の者を生き長らえさせるしかない事。その犠牲になる人間を、農機具の導入に主導的立場だった自分達の家から出さなければならなくなった事などだ。


「それで…クレア。すまないが…俺達はお前を差し出そうと思う」
「ごめん!ごめんねクレア!」
「そ、そんな…!」


そう言って泣き出すタクト達。こちらの意思を無視して決められた事に憤ったクレアは、席を立ちあがり断固抗議する。両親の話は理解できた。だが、到底彼女には受け入れられる内容ではなかった。奴隷に落ちると言う事は、すなわち身の破滅を意味している。男なら労働力として死ぬまでこき使われ、女なら慰み者にされるのが関の山だ。たまに村を訪れる行商人にこき使われている奴隷を見た事はあるが、その全てが痩せ細った体で生気のない目をしていて、物のように扱われていたのだ。あんな光景を見ていれば、奴隷になりたいと思う者など居ないだろう。


「いやよ!なんで私なの!?お父さん達は私がどうなってもいいの!?」
「仕方がないんだ…あの子達はまだ幼いし、仮に奴隷に売り出したところで大した金額にはならない」
「それに、私達のどちらかが居なくなったら食べていけなくなるわ…今ですら貧しいのに働き手が減るんじゃ…」
「…だから私一人が奴隷になればいいの?女だから?高く売れそうだから?」
『………』


感情抜きで冷静に考えれば、タクト達の言っていることが妥当だと理解できる。家の主な働き手は両親だし、奴隷商にとって幼い弟達が大した売り物にならないこともわかる。女の身が一番高く売買されるのもわかっている。だが、それはすなわち見た事も無い他人に玩具にされてこいと言っているのと同じなのだ。涙を流しながら睨み付けるクレアと決して目を合わそうとしない両親を見て、彼女は心の底から絶望した。ああ、この人達にとって、自分とはその程度の価値しか無かったのかと。


「………わかった。あの子達を守るためだもんね。私が奴隷になる」
「すまん…クレア…」
「ごめんなさい…」


彼等の謝罪の言葉など、今のクレアの心には少しも響いて来なかった。その夜、クレアは一人ベッドの中で泣いた。なぜ自分だけがこんな目に遭わなければいけないのか、周囲の人間を恨まずにいられなかった。自分だけが犠牲になれば家族は助かる。その事実は頭で理解できても、どす黒い感情を抑えられなかった。


夜が明けた。普段なら誰よりも早く起き出して朝食の支度をするクレアだったが、ベッドに身を起こした状態から動く事が出来なかった。心配になって様子を見に来た両親が声をかけてくるも、返事をせずに無視をする。クレアはもう両親と口も利きたくない状態だったのだ。


昼過ぎになり、のそのそと起き上がって来たクレアは心配顔の弟達を振り切り、村の外れにある小高い丘に一人で赴き、朽ち果てた切り株に腰を下ろす。そして眼下に広がる自分の生まれ育った村を、目に焼き付ける様に眺めていた。


そうしていると、感情が高ぶって不意に叫び出したい衝動に駆られる。なぜ自分だけが、なぜ他の人じゃダメなのか、なぜ、なぜ…と。消しても消しても湧きあがってくる恨みの念とクレアは必至に戦っていた。自分と言う生贄を差し出して生き長らえようとする村など、全て滅んでしまえばいいとまで思った。頬を伝う涙も構わず、クレアは日が落ちるまでその場から動こうとしなかった。


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それから数日後、連絡を受けた奴隷商が村に訪れた。目的はもちろんクレアを引き取る事だ。クレアにつけられた値段は、ちょうど村の借金を払いきれる金額だった。だが今のクレアにとってはどうでもいい事だ。自分を捨てた人達の今後など、もはや興味の欠片も無い。唯一心配なのは、自分が居なくなると知らされて、泣きながら離れようとしない弟達の事だけだった。


「お姉ちゃん行っちゃやだー!」
「行かないでー!」
「二人共元気でね…私が居なくなっても、ちゃんと勉強して家の手伝いして、それから…お父さん達の…手伝いを…」


覚悟は決めていたはずなのに、最後まで言葉にならなかった。泣き崩れる彼女から無慈悲に弟達を引きはがした奴隷商は、そのまま無理矢理クレアを立たせ馬車に押し込める。両親や村人達、泣き叫ぶ弟達が見送る中、クレアを乗せた馬車はゆっくりと村を離れていく。


「…元気でね…」


ガタガタと揺れる馬車の中から遠ざかる村を眺めるクレア。彼女の奴隷としての人生は、こうして始まったのだった。

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