とある魔族の成り上がり

小林誉

第22話 嘘

俺とリーシュが汗や埃でドロドロになった頃、依頼主の男がノックもせずに部屋の中に押し入ってきた。そして無遠慮に部屋中を観察したかと思うと、耳を疑うような言葉を吐く。


「なんだ、ゴソゴソやってると思ったら…綺麗に片付いていただろうが」


その信じられない物言いに、俺もリーシュも開いた口が塞がらない。あの埃まみれの状態のどこが片付いているように見えたんだ。だが今の発言でこの屋敷が異常に汚い理由が何となくわかった。あの雑草に支配された庭や、埃をかぶった家具や調度品などは、この男にとって綺麗な状態らしい。


「ふん…まあいい。それよりメシだ。地下に食糧庫があるから、自由に使っていい。飯を食った後から護衛を始めてもらうぞ」


一方的に言い切った依頼主は、俺達の返事も待たずにドアを閉める。こう何度もやり取りを経験していると慣れたもので、不愛想な態度にも腹が立たなくなってきた。言われた通り二人して地下まで進み、薄暗い倉庫の様な部屋の中に踏み入る。家具の類は予想通り埃まみれだが、流石に口に入るものだけは別だったようだ。


いくつかぶら下がっている干し肉の中から新鮮な物を選び、遠慮なくいただく事にする。後はカチカチに固まったパンをいくつかと水だ。今日から交代で依頼主の部屋の前に陣取る事になるだろうから、夜食も用意しておかなければならない。


部屋に戻った俺達は、干し肉を半分に分けた後更に小さく切り裂きながら口へと運んでいく。そしてちびちびと水を口に含みながら、胃の中に流し込んだ。あまりに味気ない食事のために二人とも無言だ。しかもこれから寝ずの番があるため、気分が落ち込むのは仕方がない。


「じゃあ俺から見張りをするよ。リーシュは先に寝てろ」
「良いのか?」


問うてくる彼女に答えず俺は窓まで歩み寄ると、まだ掃除をしていない窓に向かっていくつか印を入れていく。それはちょうど夜空に浮かぶ月を目印に、一定の間隔でつけられた時計の代わりだ。


「最初の印の所まで月が傾いたら交代してくれ。寝てるようだったら俺が起こすから気にしないで良い。じゃあ後でな」


とは言っても二人とも疲れが溜まっている。自分で起きるのは難しいだろう。俺は部屋にあった二枚の毛布の内一枚だけを手に取ると、リーシュに手を振って部屋を後にする。そして依頼主の部屋の前に座り込み、毛布をかぶった後槍の手入れを始めた。真っ暗な廊下には依頼主が用意したらしい蝋燭の炎が揺らめいている。


「…そう言えば、まだ依頼主の名前も聞いてなかったな。…まぁいいか」


所詮一時的な関係に過ぎない。護衛期間が過ぎれば、あの男の顔すら思い出さなくなるだろう。そう割り切る事にして、俺は再び槍の手入れに戻った。


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男の護衛を始めてから四日が経った。その間屋敷を尋ねてくる者は一人もおらず、男が何処かに出かけた事も無い。夜間屋敷の中と外で見回りの巡回もしてみたが、人はおろか獣の足跡すら無かった。ここまで変化がないと本当は弟に狙われていると言うのは嘘で、全部あの男の妄想なのではないかと疑いたくなってくる。だが五日目の晩、ここで初めて変化が訪れた。依頼主の言う襲撃犯…つまり彼の弟だが、驚いた事にその人物が正面から堂々と訪ねて来たのだ。


依頼主の兄弟と言うわりには男は随分若く、俺より少し年上にしか見えない。線の細い体に白い肌、輝く様な金髪と見栄えのいい相貌、あの根暗な男と血が繋がっているとはとても思えない容姿だ。男は応対に出た俺をジロリと一瞥したかと思うと、忌々しそうに口を開いた。


「あの糞兄貴…またムダ金使ってるのか。どけ、俺はここの主の弟だ」


そう言って俺を押しのけ、屋敷の中に入ろうとする。あまりに自然な動きなのでそのまま通しそうになった俺だが、自らの職務を思い出し慌てて男の前に立ちはだかった。邪魔された事に腹が立ったのか、男はゆっくりと右手を上げ、俺の方にかざす。


何かやる気だと瞬時に判断して咄嗟に横っ跳びで回避する俺の脇を、猛烈な突風が過ぎ去っていった。


「くっ!?」


男が発生させた突風のおかげで、屋敷の中に溜まっていた埃が大量に巻き上げられる。逃げ場のない風が閉め切った窓やドアをガタガタと揺らすので、まるで嵐の中にでも居るかのようだ。何かスキルを持っているとは聞いていたが、風を操るスキルだったのか。


「何事だ!」


異変に気がついたリーシュが二階にある依頼主の部屋から飛び出てきた。その後を追うように、依頼主の男がゆっくりと姿を見せる。なんでわざわざ危ない所に出てくるんだと罵りたくなったが、今は襲撃者から目を離す訳にはいかない。それぞれの武器を構えた俺とリーシュに挟まれた格好の男は、それを無視するかのように依頼主に向き直り、静かに話し始める。


「兄貴、約束の期限はとっくに過ぎた。とっととこの屋敷から出て行ってもらうぞ」
「ふん…汚らわしい妾の子が…この屋敷は俺の物だ。お前達、高い金で雇っているんだ。さっさとその男を始末しろ」


言われて武器を構え直しはしたが…どうも雲行きが怪しい。敵対しているはずの襲撃者からは敵意を感じないし、今の言動から察するに、非があるのは依頼主の方のように思える。このまま言われた通りこの男と戦って大丈夫なのだろうか?そんな俺達の心情を察したのか、依頼主の弟は俺達に向かって語りかける。


「あんた達も兄貴に何を言われたのか知らんが、仮に俺を殺したところで、その男は金を払ったりはせんぞ。むしろ俺を殺した後、あんた達を殺人犯として警備兵に突き出すだけだ」
「騙されるな!そうやってお前達を排除して、俺を殺す気なんだ!」


よほど焦っているのか、あれだけ陰気な男が大きな声で弟の言葉を否定している。これはいよいよ怪しくなってきた。襲撃者の言った事が本当なら、この依頼主ははなから俺達を嵌める気だったと言う事になる。俺は先に確認を取る必要があると思い、武器を下ろした。


「何をしている!さっさとその男を…!」
「その前に!依頼主さん。約束の報酬があるかどうかを確認したい。金貨五十枚、この場で見せてくれないか?」


組合の依頼書には、報酬は直接本人から貰うようにと書いてあった。つまり、この場に金がないと言う事は、この男は最初から金を払う意思がなかったと言う事を意味している。俺の指摘に依頼主は視線を泳がせる。なんとか言い訳しようと考えているんだろうが、そんな様子を見ていた彼の弟が突然噴出した。


「あははっ!金貨五十枚とは大きく出たな兄貴。家の財産を食いつぶしてきたあんたに、そんな支払い能力があるとも思えんが?」
「か…金は…今はない!後数日経てば入ってくる予定なんだ。だから先にその男を排除しろ!」


男の言葉に俺とリーシュ顔を見合わせ、静かに構えを解いた。報酬が確認できない以上、俺達がこの男を護衛する理由など無いのだ。


「終わりだな兄貴。今すぐ自分から出ていくなら痛めつける事だけは勘弁してやる。それが嫌なら力ずくで叩き出す。どちらか選べ」


そう言って男は二階に続く階段に足を向ける。俺は黙ってそれを見送った。

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